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東寺の後は何処に行こうか迷ったのですが、奈良国立博物館で開催されている空海展に。車を停めて奈良公園の中を歩いて行きます。シカがいっぱいですね。鹿せんべいをあげている海外の方々いっぱいいます。こんな所は海外でも無いですね。空海展は曼荼羅、空海さんの書いた書がいっぱい展示してあります。残念ながら私は絵と書は私の心に響かないんです。立体の彫刻や建物とか青銅器とかが響くんです。空海展でも五智如来坐像、文殊菩薩坐像とか錫杖頭が響くんです。一度ローマのバチカン美術館に行った時も、素晴らしいと
h=25cm、ラキシーと呼ばれる稗焼酎や聖水を入れます注ぎ口にマカラ魚という海獣が┄https://profile.ameba.jp/me
続き香港故宮にて特別展の三星堆(さんせいたい)を観てきました。約3000年前に忽然と現れ消えた謎の遺跡。2019年に新たに6つの穴が発見され三年にわたる発掘調査により一万点以上の遺物が発見されました。年代測定のもと紀元前11世紀に埋められたことがわかったそうです。穴に投げ込まれチリチリになった青銅器の上に象牙を敷き詰めて、計画性を持って埋められたそうです。中国文明発祥の地、黄河中流から下流域の中原一帯には、当時殷(商)があって、同時期の三星堆の青銅器は殷のものと全く異なります。それ
4ヶ月前に香港故宮文化博物館で観てきた特別展・三星堆についてのブログです。今まで台北の故宫などで観てきた青銅器とは全く違う奇怪な形の青銅器でこれはいったいなに?!と圧倒されました。2日に渡り訪れて拝見してきました。多くの人から宇宙人が作ったと言われていたことも、納得!そんな三星堆の特別番組がBSプレミアムで観る機会があり、そこから詳しく学べたことも含めてブログに書いておきたいと思います。とてもわかりやすくて、いい番組でした。繰り返し再放送されると思います!「謎の古代文明・三星堆」
お疲れ様です。硬水と軟水どっちが好み?鉱水でした。軟水・硬水は、水の硬度の違いによって分類されています。一方で鉱水とは、ポンプ等により取水した地下水のうち、溶存鉱物質(水に溶け込んでいるミネラル)等により特徴付けられる地下水のことです。▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう徘徊…『兵庫県立フラワーセンター…』お疲れ様です。何色のランドセルがタイプ?「60500円」…高くて買えません(汗)▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう兵庫県立フラ
前回のブログ青銅器①『青銅器鑑賞が楽しくなってきました①』受講して三年目になる故宮文物初級の学びは「青銅器」から今年はスタートでした。はじめて参加された方は難しかったと感想を述べられていました。青銅器は、起源ははっき…ameblo.jp台北の国立故宮博物院の青銅器のブログ前回の続きです。次は四角い青銅器商末周初亞醜方簋(あしゅうほうき)亞醜族の青銅器に出会うとなんか嬉しい!簋(き)は穀物を入れる容器で、食べ物を温めるのにも使われていました。殷晩期のころに登場し、西周には数が増
秦始皇帝陵の1号坑で当時の霊きゅう車と推測される木製の四輪馬車など遺物が出土した四輪の木造馬車は2000年以上も地中に完全に埋もれていた全長は7.2メートルで幌にはカラフルな絵柄が描かれていた馬車のほかにも動物の遺体や馬具さまざまな種類の木造馬車の残骸が散乱していた発掘プロジェクトの主任考古学者である蒋文孝(JiangWenxiao)氏はこの馬車は古代にひつぎを運ぶために使われていた霊柩車だった可能性が非常に高いことを明らかにした
受講して三年目になる故宮文物初級の学びは「青銅器」から今年はスタートでした。はじめて参加された方は難しかったと感想を述べられていました。青銅器は、起源ははっきりしていませんが人類が最初に作った金属器とされています。現在のイラクの位置にあったチグリスユーフラテス川流域の人類初の文明とされるメソポタミアやエジプト、インダス、エーゲ文明などの多くの古代文明で用いられていました。短刀などが残っています。紀元前3000年頃にメソポタミア南部でシュメール人による国家が生まれ、軍事制度が作られ、戦士は青銅
中国謎の古代文明『三星堆』初回放送日:2024年3月2日中国・四川省の大地から出土したおびただしい数の奇怪な青銅器。誰が、なぜ作ったのか?約3千年前に存在した謎の古代文明の姿が最新の科学調査によってよみがえる。中国謎の古代文明-三星堆中国・四川省の大地から出土したおびただしい数の奇怪な青銅器。誰が、なぜ作ったのか?約3千年前に存在した謎の古代文明の姿が最新の科学調査によってよみがえる。www.nhk.jp録画していたのをじっくり視聴。今から3000年ほど前の文明の遺
一覧前へ→24ターン目弓兵を3体にしたので「機械(弩兵)」の技術にブーストが掛かりましたciv6の序盤の基本的な動きですイギリス、あるいは沿岸都市戦術を取る文明であると、テクノロジーツリーは「上のルート」を行くため、あまり弩兵と無縁だったりもしますが弩兵ももちろんそうだけど機械による「製材所(森に建設できる生産力アップの施設)」が頼もしいので場合によって(例えば生産力無さすぎ都市がいくつかある場合)、製材所目当てにいったん下ルートの
一覧前へ→4ターン目原住民の集落から「ゴールド+26」です。。私は基本、斥候を作らないで戦士(のちの投石兵、弓兵)で周辺を探索します特に海洋文明であると内陸を無視して「岸辺をうろうろ」しますのでそれで十分だったりするんだよね~内陸は他の文明にくれてやる!…とそれと、速度が標準くらいで遅い時なんかは「ガレー船」を作って沿岸部をスイスイ進めて探索するので一層、斥候が必要なくなるのですそうそう、前記事3ターン目で書き
皆さま出雲王朝は、スサノオやオオクニヌシが支配していたとされる王朝です。出雲王朝の支配領域は、現在の島根県(出雲国+石見国)と鳥取県西部(伯耆国)ではないかと推定されています。山陰地方には有力豪族がいなかったために、未開地が多く、出雲王朝による統一は簡単だったと考えられます。かつて、スサノオやオオクニヌシの出雲王朝がこの国を支配していたと言います。韓国から渡来したスサノオは人々を苦しめる豪族=ヤマタノオロチを退治し、出雲平野に豊かな王国を築くがやがて衰亡。南九州から東征してきた天孫族
「井原〈いばら〉市で銅鐸が見つかったから調査をしてきてくれ」。そんな連絡を受けたのは、赤磐〈あかいわ〉市の朱千駄〈しゅせんだ〉古墳を調査している最中でした。聞けば、銅鐸発見者の居住地である広島県福山市から出土地の岡山県井原市へ一報が入ったものの、井原市は文化財専門職員を配置していなかったことから岡山県へ対応の依頼がなされたとのこと。数日後に朱千駄古墳の調査を終えて井原市を訪れると、そこで見せられたのは扁平な鈕〈ちゅう〉という吊り手を持ち、斜格子文〈しゃこうしもん〉の帯で6つに区画した6区袈
はい、こんにちは。銅鐸です。弥生時代に関係があるようです。何か不思議な物体です。bingに聞いてみましょう「銅鐸が何故あのような形で制作され祝祭の際に用いられたのかわかりません。一般にはどう考えられていますか?」以下のように答えてくれました。************銅鐸**は、**弥生時代**に製造された**釣鐘型の青銅器**です。その形状は半環状の吊り手(鈕)を紐にかけて下げ、中空の身(鐸身)の内側に棒(舌)を吊るして揺り鳴らすことで音を出すものでした¹。弥生時代の銅鐸は、
こんにちは♪気になる色・好きな色・似合う色で心も身体も健幸美になる♡お手伝いをさせていただくカラーサロンセレニティ色彩講師:村田容子です^^*-----------*-----------*行ってきました魅惑の朝鮮陶磁展失礼ですが想像以上に楽しかった紀元前13世紀ごろにつくられた中国の青銅器から桃山~江戸時代につくられた茶の湯の茶碗など見ごたえたっぷり。翡翠と呼ばれている青磁も美しかった。
今から50年前、考古学者のJoséMaríASoler氏がスペインのビリェーナの地下に埋もれていた宝の山を発見しました。その宝はおよそ3000年前のもので、金銀のボウルやブレスレット、装飾品、さらに幾つか鉄製の宝物も見つかったそうです。そんな3000年前の宝物についてスペインの研究チームが分析してみたところ、隕鉄(隕石由来の鉄ーニッケル合金)から鋳造されたものであったことが分かったそうです。この研究はTrabajosdePrehistoriaに論文が掲載されています
1月に帰省した際、ひさしぶりに上野の国立博物館へ。今回は、東洋館。広い公園で水に絵を書いている面白い人を発見。上手だな~と思い写メをとっていたら、干支を教えてもらえば書いてくれるという。丑年、と答えると、水でさ~と書いてくれた。う~ん・・・また今度は「何座?」と星座を聞かれたので、みずがめ座、と答えると、また水でさ~と書いてくれた。う~ん・・・・丸と三角の宇宙人だったか。さて、そんな水遊びをしてからのオリエント。さすがです。---------
こんばんは♪身辺整理のお話です。お付き合いくださいませ。1️⃣身の回りの物2️⃣心の中3️⃣人間関係今回の身辺整理は1️⃣身の回りの物です。2️⃣心の中です。自分は可哀想という発想😢ついついしてしまいます。因みに親しくしている人にも言われました。どうやら他人目線では可哀想な境遇らしいです。確かに他人目線でも可哀想な境遇だと思います。だったらどうすれば良かったのか?知るはずもありません。大好きな青銅器❤️両サイドの門番をご覧ください。両足がありません。
(前回より続く)さて、「赤い睡蓮の海(湖)」の次は世界文化遺産バンチェン遺跡・博物館です。(遺跡や土器で長文なっています。ご興味ない方は最後にウドンタニ食について少し書いていますので、そちらに飛んでいただければと。)紀元前3,600年頃まで遡る文化で、独特の紋様の土器が最も有名ですが、青銅器/鉄器及び農耕が始まったのがメソポタミアや黄河文明に匹敵するほど古く、東南アジアでこれほど早期に文明が起こっていた事が世界を驚かせました。(下の観光庁公式サイトの説明とは齟齬がありますが、博物館の説明に
パンダに続いて成都郊外の北東側にある三星堆遺跡に行きました。何でも黄河文明よりも古くからあった文明と判明したようで中々中国政府が事実認定をしなかったようです。どんな物かとあまり期待せずに行きましたが、広大な敷地に膨大な量の展示物に結構驚きました。休日だったのでかなり混雑していましたが、空いていたらもっとゆっくり観られたと思います。それでも4時間近くいました。展示物は時代順に並んでおり、土器に始まりやがて青銅器になって装飾が凝った物になって、後半では神事にでも使われたであろうシンボリックなもの
東北地方にある飯豊山。新潟、山形、福島の3県をまたがる広大な山。飯豊山登山は、標高が高いので健脚向けの山。この山の由来のひとつに気になっていることが、前からあった。飯豊山地は、「山容飯を豊かに盛るが如き」と表現され、これが飯豊の語源になっているとの事。しかし、その当字に「イイデ」としたのは、なぜ?マタギの世界では「12」12人で山に入ると縁起が悪いので、どうしても12人になる場合は、山の神が増えて「13」人にすれば問題ないと言う。そんなマタギの聖地でもある「飯豊」と
地域の方々のご協力でこの大迫力の立岩全景がご覧いただけます。立岩神社(式内社論社)所在地:〒771-4264徳島県徳島市多家良町立岩祭神:天津麻羅(鍛冶の祖神)Googleマップhttps://maps.app.goo.gl/3Zre7Dgi1iWav2TS7中央部7㍍横幅4㍍左側に直径2㍍と1.5㍍の岩が重なり、右側には直径3㍍の岩石があり、古事記では天津麻羅と呼ばれ。天津麻羅が造った鏡が八咫の鏡で地名の八多町にも由来鍛治技術発祥の地で名西郡神山町の天の岩戸(女陰)とこち
◆火吹く人たちの神~6時が経つのは早いもので…年明け早々に地震やら、航空機炎上やらと、また自身も大晦日から新年に風邪をひいたり、持病の背中痛の悪化やらと、気が付けばもう9日も過ぎてるし。(1/9にこの記事を起こし始めました)どんな一年になるのか…まったく想像も付かず、一年の目標とやらも立てようもないですが、体調の問題でもうできなくなってしまったこと、その反面、変わりに新しくできるようになったことも出てくるでしょう。「死と再生」をテーマに一年を過ごしてみようかと思います。
私はネコである。名前はもうない。【127】書評「ミルクを飲まない文明」環太平洋文明と「稲作漁撈民」の世界安田喜憲著エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明そして黄河文明。これら四つが世界四大文明と言われています。文明を構成する要素を強力な王権・文字・鉄器とする確かにこれらの四大文明に限定されます。しかし、ゆるやかな王権・言葉・青銅器とするともう一つの文明が浮かび上がってきます。それが「長江文明」です。四大文明は畑作と牧畜を基礎とし、長江文明は稲作と漁撈を基礎としていま
○2023年9月9日に、台湾故宮博物院を訪れ、302号室で、翠玉白菜と肉形石、308号室で、『敬天格物ー院蔵玉器精華展』、304号室で、『鑑古─乾隆朝の宮廷銅器コレクション』と見て来た。その次に見学したのが305号室・307号室の『古金耀采―院蔵銅器精華展』だった。○305号室・307号室の『古金耀采―院蔵銅器精華展』は、304号室の『鑑古─乾隆朝の宮廷銅器コレクション』に引き続くもので、多くの珍しい銅器が展示されていて、圧倒された。国立故宮博物院の収蔵物は何とも凄い。改めて、そう感じた。○
弥生時代の出土品として銅剣はたくさんあります。しかし鉄剣は数がとても少ないと思います。弥生時代の出土品として鉄刀はたくさんあります。しかし銅刀というのは聞いたことがありません。銅と鉄は弥生時代に同時に日本に伝わったというのが定説です。だから日本には青銅器時代がない。青銅器は祭具として、鉄器は実用品として使用されたとされています。これが正しければ銅剣は実用品ではなくて祭具だった事になります。そして鉄刀は実用品だったことになる。しかし初期の銅剣は実用の
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/1153595【速報】国内最古級の青銅器鋳造遺物発見佐賀県の吉野ケ里遺跡「謎のエリア」|行政・社会,まちの話題|佐賀新聞ニュース|佐賀新聞国指定特別史跡・吉野ケ里遺跡(神埼市郡)の北墳丘墓西側にある「謎のエリア」の発掘調査で、佐賀県は4日、国内最古級とみられる青銅器鋳造遺物3点が見つかったと発表した。青銅器鋳型の出土例としては8、9例目という。県によると、6月に調査した弥生時代後期~終末期の石棺墓(せっ
佐賀県の吉野ヶ里遺跡で、弥生時代中期の青銅器の製造に使われた鋳型など国内最古級とみられる3点の遺物が見つかりました。記事以下↓https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231205/k10014278061000.html吉野ヶ里遺跡“謎のエリア”から国内最古級とみられる遺物|NHK【NHK】佐賀県の吉野ヶ里遺跡で、弥生時代中期の青銅器の製造に使われた鋳型など国内最古級とみられる3点の遺物が見つかりました。www3.nhk.or.jp
吉野ヶ里遺跡の発掘調査で、おそらく日本最古の青銅鋳造用の石型が発見された。詳細はこちら:https://verdadeufo.com.br/2023/12/moldes-de-pedra-fundicao-de-bronze-japao.html写真は2023年12月4日、佐賀県吉野ヶ里遺跡で発見された青銅器鋳造用の石型と土鍋(右)。画像出典:佐賀県
「謎のエリア」発掘調査が進む佐賀県・国指定特別遺跡「吉野ヶ里遺跡」北墳丘墓西側エリアで、国内最古級「青銅器鋳造遺物」発見弥生時代後期~終末期・石棺墓西側、日吉神社境内地跡から出土した、剣や矛等を鋳込むモノで、弥生時代中期前半(前2世紀頃)のモノ本日ご紹介するのは、平山様のKH400ショールームへ250トリプルを物色しにご来店頂き、アレヨアレヨという間にKH400をチョイス中型のオススメ・マシンはコチラフルノーマルの素性が良いKH400でしたが、こ