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衛兵交代式の次に向かったのは国立故宮博物館全景の写真は撮れなかったので他からお借りしました中はとにかくすごい人混み一つ一つ見るのは大変そして何がどこにあるのか探すのも大変でも、ガイドさんがテキパキと人気の展示場所に案内してくれましたオーディオガイドシステム(親機と子機による音声ガイド)で同じツアーの人だけガイドさんの声が聞こえますまずは故宮博物院の2大シンボル「肉形石」と「翠玉白菜」以下の説明はLINEトラベルのページなどからお借りし
東北地方にある飯豊山。新潟、山形、福島の3県をまたがる広大な山。飯豊山登山は、標高が高いので健脚向けの山。この山の由来のひとつに気になっていることが、前からあった。飯豊山地は、「山容飯を豊かに盛るが如き」と表現され、これが飯豊の語源になっているとの事。しかし、その当字に「イイデ」としたのは、なぜ?マタギの世界では「12」12人で山に入ると縁起が悪いので、どうしても12人になる場合は、山の神が増えて「13」人にすれば問題ないと言う。そんなマタギの聖地でもある「飯豊」と
東寺の後は何処に行こうか迷ったのですが、奈良国立博物館で開催されている空海展に。車を停めて奈良公園の中を歩いて行きます。シカがいっぱいですね。鹿せんべいをあげている海外の方々いっぱいいます。こんな所は海外でも無いですね。空海展は曼荼羅、空海さんの書いた書がいっぱい展示してあります。残念ながら私は絵と書は私の心に響かないんです。立体の彫刻や建物とか青銅器とかが響くんです。空海展でも五智如来坐像、文殊菩薩坐像とか錫杖頭が響くんです。一度ローマのバチカン美術館に行った時も、素晴らしいと
立岩神社所在地:徳島県徳島市八多町金谷中央部7㍍横幅4㍍左側に直径2㍍と1.5㍍の岩が重なり、右側には直径3㍍の岩石があり、古事記では天津麻羅と呼ばれ。天津麻羅が造った鏡が八咫の鏡で地名の八多町に由来。鍛治技術発祥の地であると伝わっている。名西郡神山町の天の岩戸(女陰)とこちら天津魔羅が男根と言われている。式内社方山比古神社(祭神金山比古神)の境内に有り、50mの距離で合相対している。タタラ跡とされる遺蹟も現存、銅鏡をはじめ青銅器製造集団のシンボル天津麻羅として現
地域の方々のご協力でこの大迫力の立岩全景がご覧いただけます。立岩神社(式内社論社)所在地:〒771-4264徳島県徳島市多家良町立岩祭神:天津麻羅(鍛冶の祖神)Googleマップhttps://maps.app.goo.gl/3Zre7Dgi1iWav2TS7中央部7㍍横幅4㍍左側に直径2㍍と1.5㍍の岩が重なり、右側には直径3㍍の岩石があり、古事記では天津麻羅と呼ばれ。天津麻羅が造った鏡が八咫の鏡で地名の八多町にも由来鍛治技術発祥の地で名西郡神山町の天の岩戸(女陰)とこち
『弥生時代』第8回「中期」時代区分早期・前期・中期・後期の4期区分水稲農耕が始まった縄文時代晩期末には、既に弥生時代に繋がる文化が見られることから、これらを縄文時代とは区分して、弥生時代早期という時代に位置付けるようになりました。現在では、早期・前期・中期・後期の4期区分論が主流になりつつあります。====================2003年(平成15年)に国立歴史民俗博物館(歴博)が、放射性炭素年代測定により行った弥生土器付着の炭化物の測定結果を発表しました。