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無料キャンペーンやります!5月13日(水)、15時59分まで無料でダウンロードできます。今すぐダウンロード!2024年某日。押し入れで何かの探し物としていると、かなり年季の入った本屋さんの紙袋に入っている原稿用紙を見つけた。横書きの400字詰めの原稿用紙で、1988年3月に青春18きっぷで青函連絡船に乗りに行った話である。51枚も書かれていた。久し振りに読みかえす。あのころは17歳。高校を卒業したばかりで、卒業旅行の一人旅。読んでいると恥ずかしくなるくらいに若いし、書いている内容
19:31の出発時刻を待つ大阪行「日本海」。今夜のベッド、A寝台オロネ24.この小窓が好きでした。洗面所の明り取りの小窓でした。国鉄時代は24系25形車両のほとんどがステンレス帯でしたが、その中に白い帯の車両がわずかにありました。このオロネ24と食堂車でした。JR化後は金帯や白い帯、はたまたコストダウンでテープの銀帯とかごちゃ混ぜ編成になっていきました。青森
五稜郭の次は、函館山ロープウェイの乗り場に行きました。到着して電光掲示板を見ると「ただ今、強風のためロープウェイの運行を一時見合わせしております。」と表示されていました。再開予定時刻は未定とのことです。折角函館に来たにも拘わらず、ここはツイていませんでした。ロープウェイ乗り場前の道路を歩いていると、丁度通りかかったタクシーいましたので拾って登りました。こちらがお世話になったタクシーです。運転手が歴史や函館地域に詳しい方でした。移動途中、交通規制の看板がありました。夕方か
ご訪問ありがとうございます。記事は憶測で書いてますので内容に誤りがありましたらコメント等でご指摘頂けると助かります。全国のJR駅が見たい時はこちら→☆第三セクター・私鉄駅が見たい時はこちら→☆皆さま、おばんです!今から10年前のことです。JR江差線・七重浜(ななえはま)駅を訪れました。その日のブログもチェックくださいませ。『【まったり駅探訪】江差線(現・道南いさりび鉄道線)七重浜駅に行ってきました。』皆さま、こんにちは!今日は江差線から、こちらの駅をいっちゃいます。
人生には、“運”という正体不明にして制御不可能な要素が大きく影響することがあり、時には人生さえ左右することがある。一例を挙げるなら、我が祖父は若かりし頃に北海道で開催された学会に参加していた。生真面目な祖父は予定通りに参加して、予定通りに帰るつもりでいた。しかしながら同輩達に「たまにはゆっくり飲んでいかないか?」と誘われ、普段なら断るところを「たまには良いか……。」と乗っかって帰宅を延期した。そうしたら、祖父が本来乗るハズだった連絡船が沈没し乗客乗員全員が亡くなる事故が起きた……
自然体で自分らしくいることで身も心もゆたかな人生に♡心の声が聴こえて「わたしでいい」が育つ光の数秘×タロット講座凪(なぎ)です前回はこちら『【わたしの世界観63】こんなことってあるんだと思った日』自然体で自分らしくいることで身も心もゆたかな人生に♡心の声が聴こえて「わたしでいい」が育つ光の数秘×タロット講座凪(なぎ)です前回はこちら『【わ…ameblo.jp高校二年生のクラスは、本当に仲が良くて、毎日を楽しく過ごしていました。
旅の1日目(2024年6月21日)、JR東北・北海道新幹線で東京駅から木古内駅まで乗車して、道南いさりび鉄道に乗り換えた続きになります。木古内で食事と散歩してから、道南いさりび鉄道で五稜郭駅に到着、ここからJR函館本線の線路を走って、車両基地が見えてくると間もなく函館駅です。終点の函館駅13:56到着します。函館駅には、道南いさりび鉄道の「ながまれ号」も停車してました。乗車してきた列車を見送ります。函館駅の駅舎を出ます。というか、駅舎内は人が多くて大混雑で、駅舎の外に
こんにちは今回は、去年の咸臨丸フェスティバルのテーマーで浦賀船渠で戦後建造された船がテーマーです。青函連絡船の模型がメインです。私は、第七青函丸を担当しました。第七青函丸は、昭和19年に就航しました。昭和20年終戦前に米軍からの攻撃や終戦直後に防波堤衝突で損傷しましたが、青函連絡船に復帰しました。昭和22年にボイラーや船室を増設し、昭和39年まで活躍しました。模型は、昭和22年をモデル化しました。
142日旅を中断して先日の旅を挟んでいます2泊3日の、何年ぶりかの夫婦旅です最終日、ホテルのチェックアウト前に朝の散歩をしています青森駅方面に戻ります。泊まっているReLaboが見えます。駅を過ぎて港の方へ歩きます。有名なA-FACTORYはまだ開店前でした。AOMORIのオブジェのとこまで行くには雪に負けないブーツや長靴がいるので近づけません。JR貨物車をそのまま線路で線内に引き込む、青函連絡船八甲田丸の尻の方から近づきます。かみさんは八甲田丸のなかに入ったことがないので楽
こんにちは今回は、4年前に制作したW型戦時標準船の第五青函丸型第八青函丸の掲載です。制作のきっかけは、浦賀地域のイベント、咸臨丸フェスティバルに参加が所属倶楽部で決まりました。会員有志で、青函連絡船を制作することになりました。私は、第五青函丸型の第八青函丸を担当しました。第五青函丸型は、8隻の建造が起工、終戦迄に7隻が竣工しました。第八青函丸は、昭和19年11月に就役し、戦争を生き残り、終戦後も連絡船に復帰しました。キットは、古いレジン製ガレージキッ甲板が反っていたので、お湯の
4月25日(土)今日は第84期名人戦七番勝負第2局1日目です。昨日は青森で青森港開港400年記念で青函連絡船の八甲田丸の船見学ツワーがありました。(私事ですが私は青森県の八甲田山の麓で生まれました)藤井聡太名人対糸谷哲郎9段の対戦です。糸谷哲郎さんは前回は8段でしたが名人戦第1局の後の将棋の対戦で勝利をして12年をかけて9段に昇段しました。先手は藤井聡太名人でしたそして1日目は藤井聡太名人の封じ手になりました。明日の対戦待ちになります。____________
皆様おはこんです。ご訪問ありがとうございます。4月25日より青森港の青函連絡船メモリアルシップ・八甲田丸にて津軽丸型の風景写真展が始まります。本年は十和田丸就航より60周年を迎え、青函連絡船津軽丸型客載車両渡船全7船が勢揃いして60周年いわば還暦です。撮影は鉄道連絡船写真室の川村修さん(元青函連絡船羊蹄丸三等航海士)です。記念の8月には講演会も予定されています。チラシを頂戴しましたので、告知いたします。大人休パスの期間に訪船見学させていただき、講演会にも参加するつもり
函館市青函連絡船記念館摩周丸1988(昭和63)年3月13日の青函連絡船最後の日まで運航していた摩周丸を実際の乗り場であった旧函館第2岸壁に係留・保存・公開している。ブリッジ(操舵室)・無線通信室が当時のまま残り見学できるほか、前部グリーン船室を展示室に改装して、実物部品・模型等を展示するとともに、パネル・映像で青函連絡船の歴史やしくみを解説している。車両甲板、総括制御室、主機関室には直接入ることはできないが、展示室からモニターカメラを操作して見ることができ、甲板にも出られますが、強風、積雪
青森で3泊するのは東横イン青森駅前。まだチェックインはできないので、愛用のキャリーバッグをフロントに預け、青森港桟橋へ。1964年から89年まで青森-函館間を結んだ青函連絡船・八甲田丸が「鉄道連絡船ミュージアム」として係留されている。青森駅から線路は桟橋までつながり、そのまま列車を車内に積み込んで運んでいた。乗客は「津軽海峡冬景色」そのままに、徒歩で乗り込んでいた。「八甲田丸は営業しております」の看板に導かれ、八甲田丸乗り場へ。しかし界隈には誰もいない。不思議に思っ
若松ふ頭にシルバー・ムーンが接岸していた手前の青函連絡船に比べたら驚くほど大きい
4月13日から2泊3日で函館に行ってきました。され程深い意味はなく、北海道新幹線に乗ってみよう、五稜郭と夜景を見たいという程度のものでした。初めて青函トンネルを通り(あまり感激なし)、新函館北斗駅で在来線に乗り換えて夕方5時に函館駅到着。この日は晴れてたので翌日の天気次第では即夜景を見に行くことも考えましたが、翌日も晴予報だったのでこの日は飲み食いだけ。飲み屋街の大門横丁の居酒屋へ。松前漬と、根ホッケ刺身、ニシン刺身を食べながらまずは函館の日本酒、次いでジャガイモ焼酎を飲み
#函館#マンホールコレクション。#GLAYのマンホールふた。一昨日、函館駅前で作業していました。バリバリの新作。言うまでもなく、GLAYは北海道が生んだレジェンド。赤と黒のツートンでカッコいい!#イカと#昆布は函館の2大海産物。#函館元町のレトロな公会堂も素敵。全部持って帰りたい。さて、波止場を歩き、#摩周丸を見学した。#青函連絡船の時代は歴史の彼方に。セビアな時の移ろいが味わい
八幡平から青森港へ青函連絡船で津軽海峡遥々きたぜ函館動画🚢ブログ&動画https://ek0901.hatenablog.com/entry/2026/04/14/063000
一九八八年一月、あと三ヶ月に迫った廃止を前に、私ははじめて青函連絡船に乗りに行った。青森行きの寝台特急に乗り、青森から青函連絡船で函館に渡った。函館で一泊して次の日にまた連絡船に乗ったが、行きも帰りも摩周丸という優美な名前を持つ船だった。青森から車中一泊して大阪駅に着いたのは十時半頃だったが、そのまま高校の授業に間に合わせた。一月といえば真冬。おまけに北国で、海の上ともなると寒いのなんの。けれども私は何度もデッキに出ては、小雪交じりの烈風で凍てつくような寒さに耐えながら、何回も、何回も「津軽海
4月5日12:50分函館到着函館駅近くで塩ラーメンを食べたあと産業遺産”連絡船摩周丸”を見学60年前は北海道から内地にわたるには青函連絡船にのる・・があたりまえ・・中学・高校の修学旅行で乗ったこと神戸に就職が決まり青函連絡船に乗り上野駅に行き神戸まで行った大昔を思い出ししばし涙する??******青函連絡船と言えばと~ちゃん達の年代で思いだされるのが洞爺丸台風青函連絡船の洞爺丸が沈んだ事件・事故です***青函連絡船洞爺丸事件
4月1日に、快晴の中、青函連絡船記念館「摩周丸」を見学しました。営業時間、アクセス方法など詳細はこちらから⇒函館市青函連絡船記念館摩周丸実物は大きくて迫力があります!入口国の近代化産業遺産認定のプレート青函連絡船80年の変遷このほか、青函連絡船の詳細な歴史展示があります。当時の船員さんたちの制服昭和のレトロ感があります。当時の船内でのベッドメイキング(飾り毛布)の展示長期乗船する船員の心を少しでも癒そうと、毛布を大輪の花に見立てたとのことで、優しさを感じてほっこりしま
さて、二時間の自由時間。さあどうしたものか。そうだ、ここへ来たら、思い出の青函連絡船を訪ねよう。ということで、駅から向かったのはメモリアルシップ八甲田丸。まずは後ろから。列車を船内へ引き入れる可動橋から後部を見る。ありゃ、指がレンズにかかってしまった。ぶろぐにあげるまで気が付かなかった。トホホ。さて船内へ。今は船内は青函連絡船の記録を残す博物館になっている。早速510円の乗船券を買って乗船。まずは船の頭脳、操舵室前方には陸奥湾が広がる。つぎは、船の神
カット中は美容師さんと話す?ヘアカットの日1872(明治5)年のこの日、東京府が女子の断髪禁止令を出した。前年に散髪、脱刀が許可されたが、これを受けて断髪をする女性が続出したため、「男性に限って許可した断髪を女性が真似てはならない」とする禁止令を発布した。なんかよくわからん禁止令……。いつの時代も政府は国民の気持ちに疎いのか。美容室は後ろ向きで髪を洗う。でも床屋は前に倒れて洗髪。「かゆいところはありますか?」「ふにゃ」床屋は理容師さんと世間話
函館山夜景観賞の後、元町・ベイエリアのライトアップ・夜景観光スポットに行きました!すべてロープウェイ乗り場から徒歩10分程度圏内で行けちゃいます!どの場所も、和洋折衷の建物などにライトの当て方が上手に設計されていて、異国情緒あふれる綺麗で優美な写真を撮影できます撮影時間は3月30日午後8時近辺です。車も人もほぼいない状態なので、夜景の撮影に集中できます。これだけの数の撮影スポットが、徒歩10分圏内に集中して存在している、この元町・ベイエリア地域が非常に羨ましくも感じました。
用事があって、ちょっと函館に行ってきました。函館は今はイカの美味しい季節。堪能してきました〜函館市内を歩いていると、あちらこちらで土方歳三に出会います。ここは土方歳三終焉の碑。この辺りで新政府軍の銃弾に倒れました。一本木関門。土方はこの関門を目指していたといいます。函館山に登ってみました。まだ日の入り前なので、明るいです。降りる頃にようやく夜景っぽくなってきました。青緑色の教会はハリストス正教会です。たぶん。次の日、五稜郭にやってきました。箱館戦争ゆかり
こんばんは昨夜は、満月でしたね~ピンクムーンというそうで、言われてみれば、月の縁が、やや桃色かな?アルテミス計画も、楽しみですね~「伊勢物語」を読むはずが、五木寛之さんの「海峡物語」がポストに投函されていたので、優先して、読んでいます(笑)これは、先日、図書館で読んだ「婦人公論」で、五木寛之氏とタブレット純さんの対談がありまして、その中で、話題に出てきた小説です。純さんが、「この本を読んでいる間ずっと幸せでした。」という感じのことを言われていた
函館の街を堪能(食い倒れ?)したので飛鳥2に乗船のため函館港若松埠頭に向かいました。この若松埠頭は函館駅から歩いて5分もかからない場所にあります。横浜港大桟橋と日本大通り駅よりも近いです。飛鳥2が見えてきました。函館港を利用するのは初めてなので嬉しいです。クルーズターミナルです。HAKODATECRUISETERMINALと書かれていました。ターミナルの案内図です。左下から入って右上から客船に乗ります。椅子があります。乗船まで座って待てました。乗船手続きは少し早めに始
みなさま、おはこんです。ご訪問ありがとうございます。およそ10年前、荻窪駅の北口に五稜郭という函館塩ラーメンのお店が開業しました。青函連絡船趣味のスプーンは船内グリルで主に味噌ラーメンを食べていましたが、終航後に函館市内で食べるラーメンはまず塩ラーメンです。船内の味を受け継いだお店が数店舗あり、海峡、めんしょう、ビストロCOOKと通う店は変化しましたが、ついに味の継承は途切れ、唯一長万部のカレーが船内の味を今に伝えています。函館の塩ラーメンが都内で味わえるとあって、都心に
旧青函連絡船・摩周丸釣りを楽しんでるね。ここにもお母さんと散歩渡ってきた橋が見えてきた。橋の下にも魚の群れがいた。橋の上から何の鳥かわからないけど・・・。この前、住吉漁港で見た鳥と同じ種類かな~↓つづく
↓対岸の七財橋へ向かう坂ともえ大橋とホテル群旧青函連絡船の摩周丸まで左側の五稜郭タワー今の時間、釣り人たちは昼休憩で帰ったのかな。誰もいないね。歩いてきた方向を振り返ると↓フェリー乗り場方向に、駒ヶ岳海上自衛隊の護衛艦(他の方のブログで、紹介してたもがみかな。)広場への階段☆☆☆3/31(火)3月も今日が最後の日。天気はよくないけど、頑張ろう。^^