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先日、テレビで久しぶりに『空海』をやっていたので、録画しておいた。最近、やけに染谷将太を目にする機会も多いので、なんだか懐かしくなったのもある。『『陰陽師0』を見て安倍晴明神社へ詣でる』ゴールデンウイーク1日目の昨日は普通に出勤でしたが、日曜日の今日はパパ上のお弁当を作って届けたあと、映画を見に。夫婦で映画を見に行くことは滅多になくて、これま…ameblo.jp白楽天の黄軒も久しぶりに見たいし、そういえば『太子妃ラプソディ』の張天愛も出てたんだった。なにより、猫に泣かされた記憶がある。
軍官(衛尉少卿に昇進する)阿倍仲麻呂の天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも左がわが私の作り直した阿倍仲麻呂漢詩右がわが阿倍仲麻呂オリジナル
ずいぶん遠くに一人で来たものだ。今も昔も時々こう思うことがある。30年以上前だから、中国でSLがガンガン走っていた時代に留学し、時々一人で旅に出た。大混乱の列車の駅、公衆電話に長蛇の列、中国人と外国人が使う紙幣が違う、切符を買うのに3日かかる…そんな時に、ふと思い浮かぶ歌があった。一つは歌謡曲。海援隊、というグループがいた。武田鉄矢と言えば知っている人が多いと思うけど、あの人は元々歌手でね。海援隊の歌には結構いい曲が多くて。殆どは武田鉄矢が作
◆安倍文殊院◆大化元年(645)に創建された日本最古に属する寺院。華厳宗東大寺の別格本山としてその格式も高く、御本尊は「三人寄れば文殊の智恵」のことわざでも有名な文殊菩薩で、日本最大(約7m)・快慶作の国宝である。この道標は江戸時代から近代まで、かつて安倍文殊院に仁王門があったことで地名となった仁王堂の辻の伊勢街道に南向きに置かれていました。「右、はせ(長谷)、いせ(伊勢)、左、たへま(当麻)、大坂(大阪)道」と書いてあるのが読み取れます。孝徳天皇の勅願によって大化改新
(135)ふりさけ見れば難波津に咲くやこの花冬ごもり今を春べと咲くやこの花王仁(わに)博士(現代訳)難波津に梅の花が咲きましたよ。冬の間はジッと待っていたけれど、今はもう春になったから花が美しく咲きましたよ。応神天皇の招へいで、百済(くだら)から渡来した王仁博士が、仁徳天皇の即位を喜び、梅の花にこの和歌を添えて、奉ったと伝えられています。百人一首の競技かるたの冒頭では、読み手が百人一首とは関係のない和歌を一首読みます。それがこの『難
今日は2024年2月1日(木)です。昨日はNHKーBSで「歴史探偵」(再放送)を見ました。今回は陰陽師(おんみょうじ)安倍晴明(あべのせいめい)を取り上げていました。関連する記事を検索しました。僕のブログの過去記事です。安倍の文珠院は安倍晴明阿倍仲麻呂が有名です。こんなところです。↓過去記事======================2014年5月4日(日)の出来事です。奈良県桜井市を観光してきました。歴史探訪です。この日、4番
2024読書2冊目「ふりさけ見れば」安倍龍太郎私的な満足度★★★★★日本とユーラシアを結びつけるのは、唐で科挙に合格し玄宗皇帝の側近にまで出世したたぐいまれなる日本人・阿倍仲麻呂、そして仲麻呂とともに唐に渡り当時の大唐帝国のすぐれた文化・政治制度を内政に移植した学者にして政治家の吉備真備。唐からは、玄宗皇帝と楊貴妃、安史の乱を起こした安禄山、大詩人の李白や杜甫など、日本でも多くの逸話が知られる人物が続々と登場する。ついに帰国できなかった阿倍仲麻呂が日本の朝廷から帯びていた重大な密命とはは
読むのに難儀しました。馴染みのない時代に中国の名前、役職遣隋使、遣唐使が学んだ国としての制度、しきたりが日本の基礎になっていたわけで、中国四千年の歴史は壮大。阿倍仲麻呂の30年ぶりの帰国の途にはハラハラ(帰れないのわかってるけど・・・)後半の大立ち回りや劇的な再会はエンタメっぽく盛り上がります。「国破れて山河あり・・・」あんなにつまらなかった漢文の授業やっと、こういうことだと腑に落ちました。
唐(4)武韋の禍683年に高宗が亡くなると武太后の子供4代目皇帝、中宗が即位した。しかし武太后は野心を露にし、わずか54日で中宗を廃位させ、自らの傀儡である5代皇帝睿宗(えいそう)を即位させて自ら政治を執るようになった。武太后は皇帝候補である自らの子供達を次々と殺害していき、...nyabecch.blogspot.com唐(4)-チャイナ史nyabecch.blog47.fc2.com
天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも百人一首の有名な短歌、思い出せば母親が良く正月になれば読んで聞かせた思い出がある。彼当時は詠み人も知らず、ゴロウが良いのか覚えていた彼数十年たってから、遣唐使の阿倍仲麻呂が望郷の思いで「唐」の国で読んだだ歌と知り感激したことを思い出すと彼阿倍仲麻呂についてはおぼろにいろいろな本で知ってはいたが先日発刊された「ふりさけみれば」はまだ10ページ目だが読みごたえがありそうと彼遣唐使として「唐」にわたり、玄宗皇帝
あの月へ行って帰った人ありと仲麻呂聞いて墓を飛び出す…©阿倍仲麻呂はもちろん驚くでしょうが、20代の若い人も実感がないと言います。アポロが月に着陸したのは1969年のことですから。そんなことより、打ち上げロケットの排気ガスのせいで地球温暖化が始まったんだとニセ科学を持ち出すのにはビックリです。ロケットの噴出ガスも原因の一つですが、火力発電のケムリの方が大量です。それなのに夜にモミジを見るためにライトアップする方がバカげています。ウメにカキ、葉っぱが散って霜月の
マヤンセラピー銀河のマヤからのメッセージKIN=今日のキーワード(エネルギー)を意識することでシンクロを引き寄せHappyな毎日を過ごしましょう~銀河のマヤ暦・13の月の暦のキーワードから感じた私なりの今日のイメージをブログに綴っています~「銀河のマヤ暦・13の月の暦」では今日(10月27日)は自己存在の月10日KIN7青い共振の手(音7・手)の日ですキーワードは共振:調律・チャネルする・呼び起こす青い手:遂行・知る・癒し
ここ彗洲園(けいしゅうえん)は、九州随一と言われる約3千坪の純日本庭園。中根金作作庭による茶畑と御船山を背景に、2000トンあまりの石組みの中を水が流れ、変化に富んだ植え込みで壮大な名園美を構成。春には名物の枝垂れ桜と色とりどりのツツジ、夏には流れる水の音が涼やかに心地よく響きます。とWEBの解説にもあるとおり、それは広くて立派な「日本庭園」です。行った日は天気も良く、ひと足早く訪れた美術館で「今日は結婚式の前撮りがあってますのでご迷惑お掛けします。」とやんわり注意をうけたあと園内を散策しま
安倍文殊院は安倍一族の発祥の地であり、遣唐使・安倍仲麻呂や陰陽師・安倍晴明が出生した寺院としても知られています。金閣浮御堂は陰陽道の秘宝の数々を納められています。安倍晋三首相の献燈もありました。秋は「コスモス迷路」作られていて、金閣浮御堂や不動明王の祈りの行場である不動堂をコスモスが引き立ててくれています。
春日山連山に昇る中秋月「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」と阿倍仲麻呂が唐の彼の地で詠んだ心の中の風景は、きっとこんな感じだったのでしょう。長安で高官に登り詰め、帰国が叶わなくなり異郷の地で生涯を終えた仲麻呂の心情が溢れています。春日連山から今まさに盈月の終着として出でようかという一瞬です。仲麻呂が詠んだ三笠山は、この月の右下にある春日大社の神山のことです。天平時代にタイムスリップしてみたい刹那でもあります。
本日は中秋の名月ですね。中国において中秋節は春節とともに重要な行事であり祝日になっているほどです。日本でもお月見の風習は平安時代の頃中国から伝わったとされていますが、月を愛でる慣習は縄文時代からあったそうです。月の美しさは今も昔も変わらないのでしょうね。月と坊主の二十点札へ阿倍仲麻呂さんにご登場いただきました。
*9月10日エントリーの続きです。R大学文学部史学科のぜんざい教授と、教え子の院生・あんみつ君の歴史トーク、今回のテーマは奈良時代。本日はシリーズ最終回、寧楽遺文のおはなしです。***関連超略年表***710元明天皇、平城京に遷都715元正天皇即位(藤原不比等執政)720日本書紀撰上、藤原不比等没す(長屋王執政)723長屋王、三世一身の法定める724聖武天皇即位729長屋王刑死、光明子は皇后に(藤原四兄弟執政)73
作家の安部龍太郎が唐で客死した阿部仲麻呂(698~770)を主役にして新作『ふりさけ見れば』を7月21日に刊行した。作中の仲麻呂は日本政府から密命を受け、玄宗や楊貴妃の宮廷の内情を探る密偵だ。日経新聞での連載小説を上下巻で書籍化。仲麻呂(唐では朝衡)は留学生(るがくしょう)として717年に唐へ渡り、現地での科挙に4年後合格して仕官。開元の治とも呼ばれる李隆基(玄宗)の治世を体験し、出世して李白や王維らの詩人と交友した。遣唐使船での帰国が753年に決まったが、帰国船が嵐で安南に流されて失敗。
ふりさけ見れば〈上〉巻楽天市場ふりさけ見れば〈下〉巻楽天市場「ふりさけ見れば」このフレーズだけで、望郷の念を感じることができます。留学生として唐に渡り、帰国の叶わなかった、「阿倍仲麻呂」。ですが、帰国できなかった理由が通説と異なる…?なんとスパイとして、唐が把握している日本国の成り立ちを確認するという密命を帯びたという設定です。スパイの先輩は他にもいて、任務を全うするために宦官にまでなります。ただその密命の目的は、唐に朝貢すること。冊封のためだというのがなんとも
ふりさけ見れば上Amazon(アマゾン)ふりさけ見れば下Amazon(アマゾン)奈良時代に遣唐使として渡唐し、・玄宗皇帝に近侍するまでに出世した阿倍仲麻呂と、・鑑真上人を招聘し、朝廷の天智派と天武派の争いに終止符を打った吉備真備の、朝廷および日本国を第一に考え行動した生涯を描いた作品です。唐の文献と相違があると唐から「国史たりえず」と認められなかった日本書紀。阿倍仲麻呂が唐の文献を探る密命を担うことに。日本書紀って、そもそも唐への冊封の条件の1つとして
この漢は「祖国」、「望郷」という言葉をいつも心に噛み締めて生きていたのに違いない。異国の土になろうとも、魂は故郷に帰らんことを願う。天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かもこの歌に、この漢、阿倍仲麻呂のすべての思いが込められている。安部龍太郎著「ふりさけ見れば」下巻を読了した。
「人生」混沌(82)★今日は千賀君との対戦両チームともポストシーズンとは関係なく、消化試合メッツも後半にはバーランダーともう一人エース級を放出している。あまりにも極端なので拍子抜けする。◆改新の前夜推古の次田村皇子:敏達の子として皇位を約束されながら果たせなかった押坂彦人大兄皇子の子である。○山背大兄王:太子を父とし馬子の娘の刀自古郎女を母とする。▲大臣の蘇我蝦夷は山背大兄王をきらってか内心で田村皇子に決めていた。○推古の葬礼が終ったとき阿倍仲麻呂とはかって自邸に群臣を
みなさん、こんばんは😃奈良市の金魚ミュージアムの続きです。帰りに「平城宮跡歴史公園」に寄ってみました😃パンフレットにも「平城宮跡歴史公園」とありますがハッシュタグで検索したら「平城京跡歴史公園」と出ました😅どちらが正しいんですかねぇ。。🧐↑朱雀門この立派な門を見つけて「行きたい❗️」と寄ってみたもののこれはほんの入り口で全部回ろうと思ったら5キロくらい❗️❗️と言われ「レンタサイクルもあります」と魅力的😍な事もいわれましたがなんせ、この日は37度💧入り口らへ
その漢は遣唐留学生に選ばれ、唐の国に渡った。唐の言葉を流暢に話し、書物を読み、文章を書くことが出来た。そして、驚くべきことに科挙の進士科に及第したのだ。その後、権力の中枢に登って行った。その漢の名は、阿倍仲麻呂といい俊英だと言われた。私はこの漢の名前を知っているだけだった。今、この漢の生き様を追いかけている。安部龍太郎著「ふりさけ見れば」上巻を読み終わった。下巻へ急ごう。先に日本に帰った吉備真備も待っている。
1999年から毎年開催されている、なら『燈花会』感染症の蔓延で中止された年もあるそうですが、昨日の仕事終わりにお天気に恵まれ行けましたみなさまこんにちは!三重県津市でエステティックサロンLotusLandを経営している香月です東大寺・春日大社・浮見堂・興福寺・猿沢池…と、奈良を代表する観光地エリアにたくさんの蝋燭が灯され、本当ーーーーーーに綺麗な催し物です。19時から21時まで点灯されている蝋燭は、あまりの綺麗さにうっとりですが、色んな場所で開催してくれているから、人がたくさ
安部龍太郎の『ふりさけみれば』買いました。ハードカバーの本は久しぶり❤これが上巻の表紙コチラが下巻阿倍仲麻呂のイメージ❤ツレアイが新聞連載のとき、すっかりはまり込み、ワタクシも読みたかったので買いました❤
・「文庫本が出たら読もう・・」と決めていたが、店頭で単行本の新刊を手に取ってやはり、面白そうなので、購入して早速読了してしまった。・阿倍仲麻呂、吉備真備が中心的な登場人物だが、以下が、(安部氏の手になるフィクションと史実が入り混じっているが)それなりにわかってくる;(1)日本の国際的位置(2)天皇家の悲願(3)そこでの藤原氏の台頭と、それを防ごうとの勢力のぶつかりあい(4)遣唐使の位置付け(5)唐代の出来事(玄宗皇帝の時代)(6)鑑真和上の来日の背景・仲麻呂が玄宗
今年4月、導かれた行き先の一つ、奈良県、安倍文殊院へ。2か月半前の出来事なのに、懐かしい遠い記憶のような気もする。小鳥ちゃん(私の子供)は、生き物を見ると「エサやりがしたい」と必ず言う。奈良公園でも千円札分の鹿せんべい購入した親子ですが...ここでは鯉の餌代200円、と可愛いお値段で。鯉のエサやりなんて、ちょっとだけ富豪気分素敵な体験をありがとうございました!御参りの後、鯉のエサやり私もやってみたら、なんて楽しいのビデオ付けてます♪亀の親子も来てくれて賑わいわちゃわちゃ
(旧)卯月二十四日緑濃くなりゆく三笠の山の色ペットボトルのお茶に似ている雲端近鉄奈良駅を降りて、、、、登大路を東大寺方面へと歩いている。三笠の山は、若草山のこと。笠を重ねたような形からこう呼ばれる。「天の原振りさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」望郷歌として、あまりにも有名な阿倍仲麻呂の歌。この三笠の山のこと。。。ちなみに、、、奈良ではどら焼きのことを三笠まんじゅうという。。。