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こんにちは〜歯科衛生士Aiデス今日から5月ですね〜📗♬*°♪.•*💚♬*°♪.•*💚♬*°♪.•*💚♬*°♪.•*💚in京都新緑季節の東福寺入口🈁偃月橋(えんげつきょう)朝、家出た時は☔️☔️☔☔☔️大雨☔でしたが東福寺に到着すると、晴れてました〜。わ〜い🙌✨入口から観る「通天橋」ここがあの有名なCM゚+.゚(´▽`人)゚+.゚すぐに通天橋に行って参りました通天橋から先程の入口を望む青紅葉の景色✨誰もいない独占中〜わ〜い。「通天橋」短いと思ったら長いんです
前回はこちら高台寺庭園です。高台寺庭園の説明板です。開山堂の入口の門です。開山堂です。臥龍池です。霊屋です。傘亭です。時雨亭です。掌美術館です。掌美術館の入口です。三面大黒天入口です。圓徳院北庭と三面大黒天と歌仙堂の説明板です。歌仙堂です。手水舎です。三面大黒天です。圓徳院入口です。圓徳院の説明板です。圓徳院入口の門です。圓徳院です。圓徳院北庭です。その後、歩いて祇園四条駅まで行き、そこから、京阪本線特急で三条駅まで乗り、松屋の牛丼で昼食
前回からの続きで、忙しく飛び回るスギタニルリシジミを見た後に、草花を少し観察。落ち葉の堆積するところにフデリンドウが自生しています。ひところより数は減っていますが今年も花を見ることができました。駐車場近くに小さな流れがあり、そのわきの湿ったところにマルバコンロンソウがいくつかありました。全体に毛のあるタネツケバナの仲間で、丸みのある小葉が3~7枚あるのが特徴の一つです。この場所に以前あったネコノメソウ
先日姉妹で行った京都旅1日目高台寺さんの続きです本堂を出て開山堂方面へとても良いのに開山堂へ行く人は少なかったです開山堂前の臥龍池ライトアップされた木々が池に写り込みとても美しくて美しすぎて見ていると吸い込まれそうでした大名茶人建築家作庭家書家の小堀遠州さん作と伝わるお庭です小堀遠州さんは東京国立博物館庭園に有る茶室二条城二の丸庭園の改修など豊臣秀吉公から徳川家光公の時代まで活躍された方ですね旧持仏堂の開山堂桃山
伏見稲荷大社からJRで一駅、東福寺へ向かいました。前回も書きましたが、伏見稲荷が駅前なのに対し、東福寺は駅から少しだけ歩くことになりました。母にとってはこれが一番の難所です。東福寺と言えば、京都の風景と言えば必ずというほど目にする通天橋です。特に紅葉シーズンの通天橋は多くの写真や映像で見ています。一度は行って見たいと思っていた場所の一つです。ただ通天橋自体は、遠くから眺めるものであって、実際にそこへ行ってみると、確かに谷を跨ぐ橋ではありますが、なんとなく白けてしまいました。通天橋からちょっと
山形、山寺に行きました・なんと言っても年齢・山形は遠いいま登らなければ次はないと思い、思い切って奥の院まで登りましたよ茶店の方にどれくらいかかるかと聞いたら「上まで一時間だけど、この玉こんにゃくを食べたら三十分で登れますよ」商売上手な方でした1015段、確かにかなり厳しい登りではありましたが、途中に句碑や歌碑などもあり、岩が芸術的で写真を撮ったり、フランスからのカップルに笑顔で声をかけてもらったりして登ることができまし
端からここの登りがなかなか凄かったです。階段が多いし。開山堂と言うことは一番先に出来た建物なのかな。その代わり、登っていくと境内の他の様子もよく見えるので場所の見当はつきやすい。ここから見て境内広いなーと思いました。頂上にシンプルなお堂が一つ。ご本尊が八十八カ所のすべてを網羅しているらしくて、像がとても多いのと、洞窟のような不思議な形の仏壇というか台になっています。こういうの初めて見てびっくり。とにかく入り口から盛りだくさんだった。
ここはそういえば拝観料とか全くとらないので、パンフレットもないのでした。宝物殿だけですね。最近拝観料が高いところが増えてきたので0円は凄い。(某T県の超有名スポットをいま検討していますが、拝観料1000円超えですよ。びっくりです)ということで看板がパンフの代わり。入ってすぐ、左手に開山堂の山があります。右には納経所という古い建物。ここもなかなかの。自販機が風情を削いでいますが。山頂まで凄い登りですが、旗があるからまあまだ。管理されてる男性の方が朝イチでブロワーで枯れ葉を除去していまし
徳川歴代将軍御霊廟と開山堂2026/04/09撮影6人の将軍のお墓がありますが、家内は天璋院篤姫さんの墓所に関心があったようです。ただ、霊廟は特定日の公開で事前申込みが必要です。東叡山寛永寺開山堂、開祖慈眼大師(じげんだいし)天海大僧正をお祭りしています。東叡山は東の比叡山からきています。こちらは以前にも見学したことがあるのでお詣りだけとしました。コンサートの入場口科学博物館の通用門は目の前でした。
埼玉県入間郡越生町長昌山蓮華院龍穏寺経蔵(堂)龍穏寺(りゅうおんじ)は807年草創、1472年に太田道真・道灌父子によって中興された名刹です。1612年には、江戸幕府初代将軍・徳川家康公より「下総総寧寺(千葉県市川市)」、「下野大中寺(栃木県栃木市)」とともに、曹洞宗を統括する僧録司(そうろくし)に任命され、“関三刹(かんさんさつ)”と呼ばれていた時代もありました。「龍穏寺」の由来はかつて山に棲んでいた“悪龍”を、当寺第5世住職である雲崗舜徳(うんこうしゅんとく)和尚の霊験によって
上野の街を歩くと、緑の中に静かに佇む寺社がいくつも現れる。この日は、徳川家の菩提寺として知られる寛永寺を中心に、上野の“祈りの空間”をめぐる旅になった。---開山堂(両大師)最初に訪れたのは、寛永寺を開いた天海僧正を祀る開山堂。厳かな空気が漂い、境内に入った瞬間に背筋が伸びる。江戸の始まりを支えた人物の存在を、静かに感じられる場所だった。---根本中堂次に向かったのは寛永寺の中心となる根本中堂。堂内の静けさに包まれながら手を合わせると、この地が長く人々の祈りを受け
【極楽山浄土寺…大仏様(天竺様)建築の浄土堂に鎮座する阿弥陀三尊像が蔀戸から差し込む西日に照らされて浮かび上がり、極楽浄土へ導く来迎の様を表現】【兵庫県・小野市】浄土堂には円形の仏壇を構え、雲座の上に巨大な阿弥陀如来と両脇侍の立像が鎮座。西背面の透かし蔀戸から西日が差し込み、西日に照らされた阿弥陀如来像が来迎する様を表現している。伽藍は中心に池(放生池?)を配し、池を囲むように四方に堂宇を配置していて、西に浄土堂(阿弥陀堂)、東に本堂の薬師堂が浄土堂に対面して建つ。この2つ御堂の配置は、東方浄
朝日が差し込む開山堂です。心が洗われます。
前回はこちら豊国神社の後、歩いて七条駅に行き、七条駅でスタンプゲットしました。その後、京阪本線準急で祇園四条駅まで乗り、祇園四条駅でスタンプゲットした後、歩いて建仁寺に行きました。三門です。開山堂です。道元禅師修行の遺蹟です。道元禅師修行の遺蹟の説明板です。楽神廟の鳥居です。楽神廟です。楽神廟の説明板です。法堂です。方丈です。鐘楼です。法堂をバックに、僕の着物姿の自撮りをしました。スマホでも、僕の着物姿の自撮りをしました。続きはこちらにほんブログ村
こちらの記事は、栃木県日光市【輪王寺】のINDEX記事です[世界遺産]日光の社寺構成資産※記事の日時=更新日時です※画像や動画の流用は固くお断りします📍〒321-1494栃木県日光市山内2300目次概要創建開基山号本尊/御神体母)阿弥陀如来=女峰山=田心姫命父)千手観音=男体山=大己貴命子)馬頭観音=太郎山=味耜高彦根命境内三仏堂山内の院・お堂大猷院常行堂(宝冠阿弥陀如来/摩多羅神)四本龍寺鳴龍薬師堂(日光東照宮内)行者堂
開山堂の梁は旧本堂の梁を利用したものです。
今日は雲一つないとてもいいお天気でした♪明日は曇り空のようです。今回は、1月27日の上野御朱印巡りの続きで開山堂両大師へ参拝と御朱印をいただいた写真です寛永寺輪王殿上野初心者の私には、ブログ友さんに教えていただいた道がわからなくてグーグルマップで根本中堂から細い道を歩いて、輪王殿に辿り着きました。立派な建物です。旧寛永寺本坊の表門通称、黒門です。数日前に掲載した寛永寺境内にある鬼瓦が乗っていた門です。国指定重要文化財です。この門の上にあの大きな鬼瓦が乗っていたの
【黄檗宗大本山萬福寺…江戸前期に日本に隠元豆を伝えた明末清初の禅僧・隠元禅師が開創した日本黄檗宗の中心的寺院】【京都府・宇治市】江戸初期の承応三年(1654)、中国・明から招聘されて渡来した隠元隆琦禅師が後水尾上皇や第四代将軍徳川家綱の尊崇を得てこの地を賜り、寛文元年(1661)に創建した。渡来僧の興福寺住持の逸然性融が、長崎の唐人寺・嵩福寺の住持に空席が生じたため福建省萬福寺から隠元隆琦を招いた。明代末、中国臨済宗を代表する高僧である隠元禅師が63歳で渡来し、3年の予定で嵩福寺の住持となった
京都浪漫第187回美しき京椿林丘寺これまで、拝観も境内の公開も行われていなかった比叡山麓の尼寺後水尾上皇の第八皇女朱宮光子(あけのみやてるこ)内親王のため、修学院離宮内に建てられた「楽只軒」(らくしけん)が始まり。開山堂内に掲げられた「直入」(じきにゅう)の扁額は後水尾上皇の筆と伝わる。その元に安置されているのが、開山照山元瑤尼(しょうざんげんように)像父後水尾上皇崩御の後に出家。本堂には後水尾上皇の念持仏だった聖観音菩薩像が祀られている。また、本堂の北側
京都・東福寺をご案内させていただきました。東福寺は京都五山の一つに数えられる臨済宗の大本山で、なかでも境内を象徴する存在が「通天」です。通天とは、洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ばれる深い渓谷に架かる通天橋と、その周囲に広がる壮大な景観を指す名称です。橋の下には谷が大きく口を開け、両岸には楓や常緑樹が密生し、京都屈指の景勝地として知られています。そして通天橋を渡った先、境内の北側に位置する最も高い場所には開山堂が建っています。開山堂(重要文化財)の上部には伝衣閣(でんねかく)が
1月9日上野恩賜公園散策日記のつづきです。寛永寺を参拝し昨年公開された根本中堂中陣の天井絵「叡嶽双龍(えいがくそうりゅう)」を拝観させて頂きました。根本中堂天水桶と五色幕根本中堂の中は撮影禁止です。10月末の無料公開りときは仕切りがありませんでしたが、有料公開になった今は叡嶽双龍公開以前は外陣から拝観出来ていた中陣は囲われていて全く見えなくなっていました。なので根本中堂の参拝は開堂スケジュールを必ず確認して中陣に入ることが出来る日を選んで行かれた方がいいと思います
王将戦第一局2日目(2026年1月12日)、サテライト会場(美感ホール)の大盤解説会当日券ありとの案内もあったもののYouTube(囲碁将棋チャンネル)の解説をBGMにしてドライブ&プチ観光しながら盤面状況をチェックするのが今回は良かろうという判断。午前中は勝負オヤツ提供店巡り、午後は趣を変え他棋戦の対局場訪問の予定。そんなわけで、完熟メロンまんじゅうの提供店、「長栄堂製菓」(掛川市大坂)を訪れた後、東に向かい一路、御前埼灯台へ。因みに、長栄堂さんの場所は第74期王将
こんばんは今日も朝からポカポカいい天気☀️黄砂も過ぎて青空が見えたクリスマスローズも花芽が出てきたスイセンも少し咲きだしたさぁ東福寺さんの続きです拝観料を納めてここからは紅葉の写真です経蔵遠くに通天橋愛染堂開山堂普門院ご挨拶をして振り返り綺麗でしょ通天戻ってきましたテクテク日下門から出て帰りますありがとうございましたテクテクテクテク次の目的地へプップー🚗つづく
【大谷山大谿寺伽耶院…開山は天竺から雲に乗って飛来したという伝説のインド人・法道仙人】【兵庫県・三木市】安土桃山時代(戦国時代)の天正六年(1578)、羽柴秀吉の三木城攻め(三木合戦)において、大谿寺に別所長治方の陣が置かれたことによる兵火により、更に、慶長十四年(1609)の失火により城塞のような石垣を残して全山を焼失した。堂塔は慶長十五年(1610)以降、諸国大名の寄進によって再建された。★寺務所境内を抜け出て参道を進むと、途中で二手に分かれ、右は本堂境内に続いている参道で、道脇に赤い帽
1月9日の初釜の後、私は上野に立ち寄って寛永寺様の開山堂に初詣いたしました💓元々は私1人で何年も前から折々に開山堂にお詣りしては、写経を納めてきました。前夫の菩提を弔う為に妹が写経したいと昨年の秋に私に相談してきて以来、私達は開山堂に通って毎月写経を納めています。今回は私1人でお詣りして、昨年中は誠にありがとうございました、本年もどうぞよろしくお願いいたしますとご挨拶いたしました。お正月飾りをつけた龍さんが賑々しくて、とっても可愛かったです❗️💓こ
昨日は午後から天気が回復しましたが夜は放射冷却でバリッバリに凍った朝でした11月のこと『立石寺、仁王門を抜けて奥之院へw(°o°)w』昨日からまた雪が降り始めました日本海側は冷えてきました春が恋しいです11月のこと『立石寺の階段を登るヽ(^o^)丿』日常がスタートしますね新年は夜勤からス…ameblo.jp奥之院から参道を進みます登ってくる途中の開山堂奥之院から平坦な参道で向かいますちょっと怖いです綺麗ですねぇ沢山の人がいます騒がしい国外人が沢山いるようです
前回はこちら弁慶鏡井戸の説明板です。開山堂です。開山堂の説明板です。護法堂です。護法堂の説明板です。護法堂拝殿です。護法堂拝殿の説明板です。不動堂です。不動堂の説明板です。金剛堂です。金剛堂の説明板です。鐘楼です。続きはこちらにほんブログ村
年末の休みに入り、特に用事もなかったので、今日もぶらりと多治見市内を歩いてきました。向かった先は、永保寺。紅葉の時期には県外ナンバーの車も多く、ずいぶんとにぎわっていた場所です。さすがに紅葉もすっかり終わり、境内に入ると人影はまばら。あの喧騒が嘘のようで、いつもの永保寺が戻ってきた、そんな印象でした。やはりこの寺は、静けさが一番似合います。国宝の開山堂、観音堂を眺めると、正月飾りも整い、新しい年を迎える準備がきちんと済んでいる様子。派手さはありませんが、こうした当たり前の手入れや段取
この写真は令和7年12/16時点の状況です。東大寺の開山/良弁僧正の忌日、恒例の特別公開へ今年も行ってきました。昨年から、“東大寺友の会”だと、特別公開料金(1カ所800円)が無料になるので、大変お得ですね。↓重源さん、良弁さん、秘仏執金剛神。↓特別公開/俊乗堂。↓特別公開/開山堂、いぃ句です。↓奈良三名椿/糊こぼしと、二月堂。↓カリンがたくさんなってます。↓法華堂(三月堂)、特別公開/執金剛神。最後に二月堂へ、新春の万灯申込。せっかく坊雑券(1/3・5振舞いの雑煮)
【乾徳山恵林寺…夢窓国師開創の名刹で悲惨な歴史をもつが戦国武将武田信玄が眠る】【山梨県・甲州市】鎌倉時代の元徳二年(1330)、鎌倉幕府の御家人で甲斐国の守護職であった牧庄領主・二階堂貞藤(道蘊)が七朝帝師と尊称された夢窓国師(疎石)を招いて邸宅を禅院として開山、甲斐国における臨済宗の中心となる。室町時代の応仁の乱(1467~1677)で荒廃するが、永禄七年(1564)、戦国武将・武田信玄が美濃崇福寺から禅師・快川紹喜を招き、寺領を寄進して再興し、甲斐武田氏の菩提寺と定めた。武田信玄は室町時