慶応3年(1867年)6月、後藤象二郎の構想に賛同した西郷、小松、大久保らの下に土佐側から薩土合意の内容をまとめた「約定書」が届けられた。これに目を通した久光は、「此(この)策断然あい行われ候えば実に皇国挽回の基本」となるであろうとの感想を伏して、国元の藩主忠義の下に送らせた。公武合体論者の久光は前段の政権返上論が慶喜に承認されることを期待したのだが、それは後段の、もしも慶喜が政権返上を拒否した場合には挙兵して政権交代を実現させるという武力倒幕論に共感した西郷とは「同床異夢」の感があった。西郷は