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立派な長屋門をくぐると、なんと茅葺屋根の民家が現れました。「丹三郎」は字の地名です。立派な長屋門をくぐると、なんと茅葺屋根の民家が現れました。のれんをくぐると、黒光りした太い柱や板の間が現れ、一瞬ここが都内かと思う雰囲気です。築250年との話しです。最初に出てきたのが鰹節の佃煮で、出汁をとった後の鰹節のようですが、荒削りの鰹節の歯ごたえが美味しく感じました。蕎麦は国内産の蕎麦粉を石臼で挽き、丁寧に切られています。歯ごたえも充分で、キリっとした出汁に良く合い、美味しく頂
堀美術館このあたりは、武家屋敷の古い塀を使った建物が多かったです。主税町長屋門江戸時代の門で名古屋城下の武家屋敷の長屋門として唯一のこっているもの建中寺慶安4年(1651)尾張二代藩主光友が父義直の菩提のために創建し以後、尾張徳川家の菩提寺となった浄土宗の寺。本堂裏には県文化財指定の権現造りの霊廟があり、歴代藩主の位牌を安置しています。以上で、名古屋文化のみち散策の報告を終わります。
「山本亭」。「山本亭」解説板。この建物は、地元ゆかりの山本工場(カメラ部品製造)の創立者である山本栄之助翁の自宅でした。関東大震災後、当地に移り住み、以後4代にわたって使われていたものを、昭和63年に葛飾区が取得し、平成3年4月から一般に公開しました。建物は、1階400㎡、2階50㎡の木造瓦葺き2階建てで、地下室、土蔵、長屋門なども備え、大正5年から昭和5年の間に数回にわたる増改築を重ね、現在の姿となりました。伝統的な書院造りと洋風建築を複合した和洋折衷の建物と、純和風の庭園とが見
4月26日の日曜日は、最近毎週末の恒例行事となっている「EXPOLEGACYHYOGOスタンプラリー」のスタンプ集めにお出かけ🚗³₃まずは「国立明石海峡公園神戸地区あいな里山公園長屋門」のスタンプを目指しました。そして写真撮り忘れた💦こちら、車で行ったからなのか?入った場所の問題なのか?は分かりませんが「大人一人950円」の入園料がかかりました。兵庫県のHPでは「無料扱い」ですから、気をつけないといけませんね☝️スタンプが置いてある「長屋門」にいちばん近い駐車場は「藍那口A駐車場」。
←クリックしてご覧ください→過去の平成16年から令和元年の一言森津の藤愛知県弥富市森津14-607碑文田植えが済んでいました麦畑森津の藤の案内板長屋門長屋門正面の大戸口大戸口の潜り戸藤棚香気が漂います鍋田川の名残対岸の藤水面にせり出した巨木森津の藤全景公園です藤の独り占め案内板クスノキの巨木藍亭(らんてい)漢詩人・服部擔風さんの書斎南側長屋門潜れば藤の風にほふ俳句の説明文樹齢400年の巨木タケノコ森津新田を開拓した武田氏の邸宅跡です
おはようございます(´・ω・`)火曜にぷち散策してきました最寄りの場所から辿ります五條市の奈良地方裁判所五條支部の東側に五條代官所長屋門があります🏯五條代官所長屋門『説明板』『Wikipedia』より代官所の設置は寛永7年(1795年)。五條代官所は南大和7万石(吉野郡・宇智郡)の幕府直轄領を支配していた。文久3年(1863年)、信州中野(現在の長野県中野市に所在した中野代官所)より鈴木正信源内が代官として赴任。同年8月、天誅組の変が起き、移転前の五條市役所の位置にあった五條代官所が尊
長屋門くぐりて耳を澄ませれば蒸気の音か風湧く音か😸君(美衣)は、君が生まれ育った家に行き、原風景へと心の旅をすることが、やはり不安だったのか、すぐには家には行かなかった。「宇和島を案内してあげる」って、まずは現存12天守の宇和島城へと、可愛らしくワンピースの裾を、ひらめかせていた。そして君は、「宇和島は、すごいのよ」って、自慢していた。君の自慢は、分かっていた。蒸気船だった。高校生の時に読んだ、
県立高校の入学式が本日行われる。春の天候は安定しない。桜の開花から大分時間が経過しているが、温度が下がったり、強い風が吹いも、桜の種類も様々なので、勤務校の正門脇の桜は今日の式を迎えてくれる。これは地元の長屋門前の桜。いよいよ、新年度の生徒との出会いが始まる。
”杵築城”の見学を終え市内の観光スポットに向かいましょう。このマップの順路のように街を歩きます。住宅の細い道を進みますと、この石段の坂の所にきました。石段を登ります。関所のような感じになっていますよ。この坂は、”番所の坂”と言うそうです。門をくぐりますと、質素な建物が建ってます。これが”城下番所”とやバレル建物です。町に入る人々のチェックをしていたんでしょうね。番所から次の角に立派な長屋門構えのおうちがありました。この建物が、”大原邸”です。杵
今日の散歩おじさん地域は空全体が白っぽくかすんでいるような感じでスッキリ青空とはいきませんでしたが、日差しはタップリで気温は20℃を超えて「4月下旬並」のあたたかさになりました!さて記事の方は稲吉宿から府中宿を目指した「旧水戸街道」の続きです!前回の記事では「稲吉宿旧本陣」と旅籠だった「木村家住宅」をご紹介しましたが、木村家住宅から250mほど進んだ所にもご覧のような立派なお宅がありまして、旧道らしい風情を味わえました(^.^)↑の立派なお宅の筋向いには香取神社があり、どうやらこの辺りが宿
【25年12月28日探索・26年3月27日公開】現在地はこの辺(首都高の下)東京都足立区鹿浜足立区都市農業公園だ。この中に、東京23区内とは思えない日本の原風景があると聞いてやってきた。公園内だ。奥の建物には昔の農機具が展示されているそうだが、今回訪問していない。ほぼ同じ場所で振り返ったのがこの画像だ。公園内なのが残念ではあるが、絶対に東京23区の光景には見えない。まあせっかくだから別角度の画像も撮ろう。郵便差出箱1号(丸型)とのコラボもいいな
所在地〒694-0305島根県大田市大森町(石見銀山資料館)特徴石見銀山を管理するために幕府が設置した代官所で、長屋門が現存している。内部は旧迩摩郡役所の建物が資料館に転用され、各種展示を見学できる。感想大森地区には古い町並みも残っていて、銀山遺構と同時の散策がお薦め。
さて、ようやく冬タイヤを夏タイヤに換装しました。ただ原因は不明ですが、右後輪タイヤが何しても手ではボルトが外れず若林石油で換えてもらいました(660円也試運転に向かったのは北條家住宅(ここが主目的地ではないですが江戸時代の医師家の住宅だったらしいですこれは長屋門北條家住宅老朽化で中には入れないです(昔は入れたらしいコンビニで買ったスイーツを食べ目的地へ向かいます続きます
益田市匹見町道川に残る江戸時代の割元庄屋(大庄屋)で、当主の美濃地家はたたら製鉄を営み、周辺の数ヵ村を管理下に置いていた。主屋だけでなく蔵や長屋門など、屋敷全体が現存しているが、当日は冬期休館中だった。
今日から3月長崎県内の殆どの公立高校・県立中学校は今日が卒業式ですね。卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。㊗🎉🎁4月からは新しいステージで輝いてくださいね。読者の皆さん、今月もどうぞよろしくお願いします。さて、雲仙市吾妻町のふさや亭秀珍でカキちゃんぽんを堪能した後は、神代小路(こうじろこうじ)の鍋島邸に行ってみます。立派な石塀と長屋門が特徴的です。鍋島邸は佐賀藩神代領の領主鍋島氏の陣屋跡に建てられた邸宅です。
※2025年10月20日訪問※三ノ丸御鷹屋敷跡から本丸跡へと向かって歩いていくと、非常に立派な長屋門が目に飛び込んで来ますこちらは黒田家家臣【母里太兵衛邸の長屋門】とのことで案内板を見て行きましょう✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼この門は母里太兵衛友信(1556-1615)の屋敷の門として現在の天神2丁目にあったもので、昭和40年(1965)にこの場所に移築されました。母里太兵衛は黒田二十四騎の一人で、筑前入国後、領内の支城の一つで、現在の大隅城主になりました。福島正則から名槍日
福岡県朝倉市の秋月城跡です。ひな祭りの雰囲気がありました。長屋門に飾られたひな人形、約600体。毎回出し入れしているとか。大変ですね。ほんと頭が下がります。(夕方のまぶしい斜光のせいか、少し白つぽく映ってしまいました)(撮影2月21日)ここからは屋内(店先)にあったひな人形です。
岩槻城は太田道灌が築いた城、と今まで頭にインプットされていた。ところが近年、成田氏が築城したという史料が見つかったことで、今のところ両論並立となっているらしい。かつては川と沼と町屋を取り込んだ総構えの壮大な平城だったと言われているが、今はそのほとんどが公共施設や住宅となっていて、往時をしのぶものはわずかに、移設された門や一部残っている土塁、空堀だけとなっている。黒門と呼ばれる長屋門。農家の長屋門より小ぶりな感じだが、武家の門という雰囲気が伝わってくる。元々どこにあったのかは不明らしい。
☆明治天皇行幸時の休息所江戸時代、この場所のすぐ北の道路は青梅街道の旧道で、街道沿いには一帯の名主を務める中田家が屋敷を構えていたそうです。『明治16年(1883年)埼玉県飯能の近衛師団演習統監に向かう途中、1時間ほど中田秀吉(村右衛門の父)邸で休息された後、名馬「金華山」に乗り換え、反応に向かわれた。1週間後には、小金井の観桜会へ向かう途中で同邸に立ち寄られた。この2階の行幸に際して金七拾円が下賜され、感激した中田氏は小金井桜を買い、青梅街道経由で荻窪の邸に荷馬車で運んだという。以降、明治
パワースポットさんぽ🐾【大石内蔵助邸跡長屋門】赤穂城跡を後にしてさらに歩みを進めるとほどなくして大石内蔵助邸の長屋門が見えてきます。静かに佇む正門。当時の赤穂での大石家の家格や威厳のようなものが伝わって、背筋が伸びるような思いがしました。門の内側に続く空間や、中で暮らしていた人々の様子を思い浮かべながらその場での時を過ごしました。説明板には長屋門の歴史や刃傷事件の報せに駆けつけた家臣がこの門扉を叩いたことが記されており、長屋
昨日の満月は完璧でした浄化されながらのウォーキング昼間は不登校児支援ボランティアおうちでおみくじを作ってきてくれた子がいて私もチャレンジさせてもらうと・・・満月パワーか大吉でしたおめおめ~おめって書いてあるRちゃんありがとうそして今日は節分近くの和風公園へ節分祭に行ってきました嵐の前の静けさ↓どんど焼きも先月行われたようです行きたかったな・・・続々と人が集まってきました冷え込む寒さの中まず最初に瀬谷区の三味線奏
四国には大きな家が多いそれも長屋門が付いた家が多い20240618阿南市
冬の海が見たくて、忽那諸島の島と島を結ぶフェリーに乗った。忽那諸島は、ほぼ全域が瀬戸内海国立公園に含まれる歴史を秘めた海域。いつの間にか目の前に赤い桟橋の港が現れた。▼そこは、忽那諸島の一角を担う睦月島(むづきじま)の「睦月港」。忽那諸島の有人島の中では主島の中島本島の東に位置するという。
市内でも散策したことがないさいたま市見沼区付近の第二産業道路から少し入った辺り。とてつもなく大きな長屋門を見つけました。西側には正門もあります。こちらのお屋敷は東側に正門西側に長屋門敷地も広く全て塀で囲まれています。自宅から比較的近い緑区内の長屋門高さはそれほどでもなくこじんまりとしている印象。見沼区の長屋門の方が総じて大きいかな。いずれにしろ長屋門を維持して後世に残して行くのはお金も労力も半端ないのでしょう。写真2枚目、3枚目のお屋敷は、現在お住まいで
目白庭園4mの滝と紅葉2026年1月8日(木)13時10分~14時50分目白庭園赤鳥庵六角浮き見堂池に映る景色池の広さは500㎡、深さは1.2mの大池高さ4mの滝毎分3トンの水が流れています石組みの素晴らしさサザンカ結婚記念写真撮影の名所長屋門の塀西武線踏切電車が走る
目白庭園紅葉と六角浮き見堂2026年1月8日(木)13時10分~14時50分目白庭園六角浮き見堂池に映る景色石塔青空雪吊り池園内の道赤鳥庵
目白庭園長屋門入口2026年1月8日(木)13時10分~14時50分散歩道ビオラスイセントランペットエンジェルスパンジー目白庭園塀長屋門入口赤鳥庵池と青空六角浮き見堂池に映る景色雪吊り
広見公園ふるさと村の桶代官長屋門を見学しました。内部には当時の生活用品が展示されていました。
この長屋門は、厚原植松家の表門で、江戸末期のものとと伝えられる富士市内唯一の長屋門だそうです。植松家は、今から800年ほど前、植松家2代兵庫之助信継がこの地に移り開墾を行い、代々飲料水や田畑のかんがい用水を供給する鷹岡伝法用水を管理してきたので、植松家は樋代官と呼ばれていたそうです。