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今日、前々から行きたかった足利氏の本拠地たる足利市の史跡を巡ってきました。↑足利学校足利は、言わずと知れた室町幕府を作り上げた足利氏の本拠地で、隣には新田氏の本拠地”新田荘”があります。新田の方は、あさくらゆう先生が存命中に何度か足を運んでいました。というのも、あさくら先生が調べている人物が新田の方にいたことから、レンタカーを借りて何度か行っていたんですね。その際、中世の武士道を調べていた都合で新田義貞に興味があったため、利害が一致して一緒にに行っておりました。足利市はその都度通過する
hikiyose3333onInstagram:"ご覧いただきありがとうございます✨この投稿に共感いただけたらいいねやシェア保存してもらえると嬉しいです💖毎日の生活にスピリチュアルを生かす✨最強の開運&お祓いで幸せを引き寄せるヒントをお伝えしています!5月2日(土)蠍座満月(02:23)一粒万倍日お釈迦様の生誕・悟り・入滅を祝うウエサク満月と言われる5月の満月🌕天界と地上の間の扉が開くとされサイキックパワー全開の満月自分の再生…297likes,1comments-
嵐が丘(1988)1988年日本英題:ONIMARU原作:エミリー・ブロンテ監督:吉田喜重脚本:吉田喜重製作:高丘季昭出演:松田優作(鬼丸)、田中裕子(絹)、名高達郎(西の荘光彦)、石田えり(妙)、萩原流行(秀丸)、伊東景衣子(紫乃)、志垣太郎(無明聖)、今福将雄(市)、高部知子(絹(娘))、古尾谷雅人(良丸)、三國連太郎(東の荘高丸)ほか製作会社:西友企画:高丘季昭プロデューサー:山口一信撮影:林淳一郎美術:村木与四郎音楽:武満徹録音:久保田幸雄照明:島田忠昭
のめしこき日記さん、令和八年丙午卯月廿九日癸酉合掌『辺野古事故と「教え子を再び戦場へ送るな」』「教え子を再び戦場に送るな」は、戦前・戦中に子どもたちを戦争へ送り出した反省に基づき、日本教職員組合(日教組・連合系)、全日本教職員組合(全教・全労連系)が…ameblo.jp『辺野古事故と同志社国際高校の平和教育』同志社大学にはチャペルアワーという時間があり、大学の授業期間中、学生や一般人を対象に、今出川キャンパスで週4回、京田辺キャンパスで週3回、キャンパス内の教会…ameblo.j
昭和と聞いて思い浮かぶのは?▼本日限定!ブログスタンプタイトルのような疑問(といよりド忘れw)が浮かびまして、早速ググりました。64年まででしたね。実質、62年1か月とのことです。昭和って長いイメージがあるけど、昭和より長い年号はあるのかな?ググったところ、昭和が最長でした。2位が明治、3位が応永、平成は4位だそうです。逆に短い年号をググったところ、鎌倉時代の「暦仁(りゃくにん)」と出ました。2か月半ほどだそうです。これは悲しい歴史か?と思い、理由をググ
##植木剪定のキャンセルからVR体験へ今日は植木剪定のために業者が来る予定でしたが、朝になって急に「職人の手配ができなかったので、また後日にしてほしい」との連絡が入りました。今日はこれで空いた時間を利用して、気になっていたVR技術の進歩を体験しに横浜へ行くことにしました。###鎌倉でのVR体験少し前、鎌倉歴史文化交流館でVR技術を活用したアトラクションを体験しました。この技術は新市庁舎のイメージを掴むためのイベントでも使われており、まさに進化を遂げています。鎌倉には鎌倉時代から残る歴史
美空ひばりさんの主演作品。牛若丸松竹映画1952年9月17日牛若丸と桔梗の一人二役。まさに時代劇だし、平安時代から鎌倉時代の頃の物語だよね。源氏の物語だよね。確かねぇ💦切なき物語であり、身分によって振り回される話でもあるよね。日本の歴史を知るのに必要な物語に思えてきた。水島道太郎さん、薄田研二さん、水戸光子さん、桂木洋子など出演。4月に発売された牛若丸と涙の白桔梗が、映画で使われたように思えてきた。
【現存最古の多宝塔…上層と下層のバランスが絶妙で、軒反りの曲線が美しい洗練された優美な姿から”三大多宝塔”の一つとされる】【兵庫県・大津市】奈良時代の天平十九年(747)に、第45代聖武天皇の発願によって良弁僧正が創建した石山寺の境内に建つ多宝塔で、国宝に指定されている。多宝塔は鎌倉時代の建久五年(1194)、源頼朝の寄進によって建立されたもので、年代の明らかなものとしては日本最古。また、鎌倉時代の当初の姿形を保っている貴重な遺構。多宝塔は、寺号の由来となった硅灰石(天然記念物)の後方の
円覚寺➀2009年12月2日の鎌倉散歩をご紹介しています。明月院の見学を終えて、次にやって来たのは円覚寺でした。▲円覚寺の碑臨済宗大本山・円覚寺と書かれています。臨済宗の元締めは鎌倉でしたか。▲北条時宗公御廟所北条時宗の墓所でもあるようです。▲円覚寺山門山門と思いましたが・・・この門の先にさらに大きな山門がありました。そして、先にある門が本当の山門とわかりました。この写真に写っている門は、通用門のようなものらしいです。▲通用門から見た風景振り返って見るとJ
〈鎌倉時代をつまみ読みっ!〉第24回鎧が重くてよろよろ?【仏法の教え】www.seikyoonline.com
明月院②2009年12月2日の鎌倉散歩をご紹介しています。明月院のご紹介を続けます。境内を歩いていて、庭先に洞窟みたいなところに差し掛かりました。薄暗い内部には石塔や人形のようなものが並んでいます。▲明月院の「やぐら」近くにあった説明板を読むと、鎌倉時代特有の洞窟墳墓だそうです。お墓なんですね。洞窟墳墓を「やぐら」と言うそうです。▲「やぐら」の内部内部にはお地蔵様や、石塔や、墓のようなものが並んでいます。このような洞窟形式の墓は鎌倉時代特有のものとの事でした。▲明
東京都府中市の分倍河原駅にある新田義貞像
お茶づけを調理師の時に作っていて、出し汁をご飯にかけて、裏ぶたにわさびをつけて、蓋をして出していました。シンプルですが、凄く美味しかったです。お茶づけの語源を調べてみました。実はお茶をかけるようになる前、平安時代や鎌倉時代には「水飯(すいはん)」や「湯漬け(ゆづけ)」と呼ばれていました。水飯:夏場に冷水をかけたもの湯漬け:冬場に熱いお湯をかけたもの戦国時代の武将、織田信長が桶狭間の戦いの前に「湯漬け」を食べて出陣したというエピソードは有名ですね。江戸時代中期に入り、煎茶が
鎌倉時代初めごろの日記に記されたオーロラとみられる光の記述を手がかりに、OIST=沖縄科学技術大学院大学などの研究チームが、砂に埋もれた樹木に当時の太陽活動の痕跡が残されていることを明らかにしたと発表しました。太陽活動が活発になると、太陽フレアと呼ばれる爆発現象が起きやすくなり、高エネルギーの粒子が放出され、人工衛星の誤作動や宇宙飛行士の被ばくなどを引き起こすことが知られています。OISTなどの研究チームは、鎌倉時代に活躍した歌人、藤原定家の日記『明月記』に1204年のできごととしてオ
今日の修善寺温泉は雨のち曇り。日中段々と晴れに変わる予報です。朝方は16℃、日中は24℃まで上がる予報で、今日は暑い一日になるようです。明治14年築登録有形文化財青州楼手前には鎌倉時代を彷彿させる石燈籠。その横には大きな岩も置かれています。その岩の手前で、白いツツジが可愛らしく満開を迎えています。また大きな岩の上でも可愛らしい白い花が咲いています。石斛(せっこく)です。今日はこの後「春の弘法さん湯汲み式」が行われます
チャチャが膝に乗ってきました。人間が大好きなボス猫です。昨日は名越切通曼荼羅堂へ行ってきました。行きは逗子方面のトンネルを二つ抜けた小坪口から入りました。思っていたより急坂です。15分程で曼荼羅堂やぐら群(国指定史跡)に到着。鎌倉時代から室町時代に造られたやぐらは有力一族の墓地だったようです。やぐらの中には火葬された骨を納めた穴が確認されたそうです。鎌倉時代は下々の遺体は川に流され、お坊さんなどは土葬されたのでしょうから火葬とは驚きです。やぐらの入り口には扉があったようです、時代
4月20日月曜日四頭茶会建仁寺四頭茶礼の起源は、中国の南宋・元の時代、大きな寺院にて行われていた茶礼で、日本には鎌倉時代に栄西禅師が禅と共に伝えられたとされている。江戸時代には建仁寺開山忌(ご命日6月5日)の食事儀礼の一部として行われていた。その後、栄西禅師の誕生日である4月20日に行われるようになり、より広く一般的に知られるようになった。他には穀雨古川祭(飛騨古川起し太鼓)郵政記念日女子大の日珈琲牛乳の日青年海外協力隊の日木蓮忌四川料理の日
横穴式墓地は吉見百穴のように古墳時代に見られます。鎌倉時代中期~室町時代前期に造成された横穴墓地を「やぐら」とびます。ほとんどが鎌倉とその周辺地域ですが、館山市(水岡やぐら群)、富津市(岩谷観音堂やぐら群)など内房地域にも見られるようです。以下浄光明寺の和尚さんから教えていただいたものに、今までの学びを加えたまとめです。やぐら源頼朝は有力な味方がいるのに加え、三方を山に囲われ、もう一方は海という地形は外敵から守り易いという理由で鎌倉に幕府を開きました。ただし守り易いけれど平地が
㊗️漫画「逃げ上手の若君」アニメノイタミナ再放送!早生まれでも大丈夫3月生まれ8歳新小3学童なし11月生まれ6歳新小1学童なし二学年差年子姉妹ママベビー用品ライターの松子です。「あかね噺」同様に連載当初からジャンプで読んでたけど年子育児で雑誌を読む時間がなくなりリタイアしちゃった原作アニメ一期本放送も追えなかったのよね。インスタ、X(Twitter)楽天ROOMアニメ「逃げ上手の若君」で歴史に触れるアニメ「逃げ上手の若君」
例のごとく、洗濯からスタート。行ったのは板橋区立美術館。「茶色の珍事焼絵」という展示をやっています。焼絵というのは、熱した鉄筆や鏝などを紙や絹に押し当てて絵や文字を表現した作品のこと。基本、茶色いんですが、その繊細さにはびっくりしました。まるで水墨画。展示室内の写真撮影は禁止ですが、ロビーにあった展示作品のいくつかを紹介したパネルは撮影OKでした。こんな感じというのは伝わるでしょう。文献上は平安末~鎌倉時代頃に「焼絵」の記述が
■【日本庭園を知って楽しむ】2庭園の歴史6鎌倉時代の庭園浄土式庭園が主流若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ!ひとり旅】をしてきました。旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったとこ
皆様おはようございます。4月14日(火)鳥取の天候は晴れ☀今朝の最低気温は11.5℃。今日は曇りの天候で、予想最高気温22℃の見込みです。昨日、ウオーキング中に見られた景色をご覧ください。🌸桜の花でピンク色に染まった道路🌸★河川の氾濫から集落を守るために平安~鎌倉時代に作られた川土手。クスノキ&やぶ椿などで強固になっています。鳥取市安長の「安長土手」
メニューは、たった2つ。それで何百年も続いている。かん袋創業は鎌倉時代屋号の名付け親は豊臣秀吉堺を代表する老舗和菓子処置いてあるのは「くるみ餅」と「氷くるみ餅」だけ余計なものは一切なしだからこそ分かる“本物の完成度”何を増やすかじゃない何を削るかその答えが、ここにあります
板東八平家氏板東平氏は何故平家に付いたり源氏に付いたりしたのでしょうかまあ武士だからね武士は基本自分の命だけ守るのが一番だからねおお千葉氏や千葉氏が出とるそこだけ熱心に見る私ですまあね関東だからねお公家さんである京都朝廷は関係ないし好きにやってなさいというところでしょうか汚いばっちいもんには触りたくないというところでしょうかそういうところがぬかるんだよね鎌倉時代に入っていきます
頭がすっぽり入るほどの大きな茶わんで抹茶を味わう春の「大茶盛式」が奈良市の西大寺で行われました。奈良市にある西大寺の「大茶盛式」は、鎌倉時代の僧侶が当時、貴重だったお茶を大勢の人にふるまったことが始まりとされています。11日は寺の大広間に、事前に申し込みをしたおよそ20人が集まり、僧侶が直径40センチほどの大きな茶わんと特大の茶せんを使ってお点前を披露しました。そして、参加した人たちは頭がすっぽり入るほどの大きな茶わんを順番に回しながら抹茶を味わいました。茶わんは重さ5キロほど
椎木稲荷神社(川崎市幸区小倉5-3-47)(主祭神)宇迦之御魂大神(社格等)―(元々は当地の開拓民の守護神)(沿革等)祭祀を始めた斉木家が由緒書きを承継していたが戦時中の空襲で焼失。戦後、歴史ある当社が邸内社として埋もれていくことを懸念し、氏子7氏により1972年に境内・社殿を整備、由緒等を整理の上、1974年宗教法人設立。創建年代は関係文献等から江代初期に伏見稲荷大社から勧請したものだという。(立地等)旧小倉村は、大半が夢見ヶ崎(下末吉台地の残丘)の間の海
今日もAI居酒屋で一杯。本日の肴ー武士の酒貴族の酒の話を一通り聞いて、なんとなく、背筋が伸びたまま飲んでいる気がする。「なんか、自由に飲んでる感じじゃないな」思わずワタクシがこぼすと、灯大将が小さく笑った。「そりゃそうだ。あれは“作法”で飲む酒だ」盃を軽く回す。「でもさ」少しだけ間を置く。「同じ時代に、みんなそうやって飲んでたわけじゃないんだろ?」灯大将の手が止まる。「鎌倉の頃にはな——もう、武士はいたんだよ」静かに置かれる布巾。「同じ酒でも、あいつら
今日もAI居酒屋で一杯。空になった盃が、カウンターの上に残っている。ワタクシは、それを見ている。しばらくして、ぽつりと呟く。「……飲んだのに、終わった感じがしねぇな」灯大将は、すぐには答えない。布巾で手を拭きながら、ちらりと盃を見る。「終わらねぇよ」短い一言。ワタクシは顔を上げた。「終わらない?」灯大将は小さく頷く。「貴族の酒はな、飲んだ後も続く」静かな空気が落ちる。ワタクシは盃を見る。もう中身はない。それでも、どこか残っている気がする。「席を立つまでじゃねぇ」
◆阿川八幡宮◆創建:鎌倉時代御祭神:仲哀天皇、神功皇后、応神天皇住所:下関市豊北町大字阿川3710参拝日:2026年2月21日広い境内で大きな拝殿でした。境内の由緒、案内図などもあります。イヌマキ巨樹群の森がありました。宮司宅に寄りましたが無住のようで話を伺うことはできませんでした。目の前すぐ近くは「阿川ほうせんぐり海浜公園」。子供が小さいころに海水浴に来ましたよ😊