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前回は「山科追分」で終了しましたが、その続きである東海道は去年の秋「滋賀県内の東海道を歩く(22.10.3ブログ)」で、歩いており、重複するので今回からは、中山道が分岐する「草津追分」から、再出発とします。この場所(草津追分)は、過去に何回も来ましたが、見る景色は余り変わりません。今回歩く「中山道」は、左の草津川の「川底トンネル」を抜け、その先にある「商店街」を通って、進んで行きます。←中山道東海道↗商店街を10分程歩くと、信号交差点の分離帯に
勉強会の仲間から電子書籍にはなじみがないとの声生野先生が出版された最新の電子書籍の詳細なページにリンク出来ます。ぜひ、ご利用ください『聖徳太子の謎を解明する』http://www.amazon.co.jp/dp/B0CKC85YGB『神功皇后の実在性と実年代』http://www.amazon.co.jp/dp/B0CKJ7GGZB『「前方後円墳」の起源と歴史的意義について(前編)』http://www.amazon.co.jp/dp/B0CKJ8R5WF
生野先生が月刊誌フォーNETに連載してあった記事の中から、『聖徳太子の謎を解明する』に続いて、今日、『神功皇后の実在性と実年代』と『前方後円墳の起源と歴史的意義について(前・後編)』がそれぞれ電子書籍となってフォーNET社から出版されAmazonで発売開始となりました『前方後円墳の起源と歴史的意義について』は月刊誌フォーNETの2016年11月号から2019年1月号まで連載されたものです。何かと話題になりながらその真実はなかなか解明されない「前方後円墳」について、ヤマト王家の祭器「銅鏡
私たちは祈りを捧げる時、願いが聞き届けられるようにとカネを鳴らしますが、今からおよそ2000年前の人々が鳴らしたカネが、勝央町植月北〈うえつききた〉の念仏塚〈ねんぶつづか〉という畑から見つかっています。青く錆びたそのカネは、高さ30㎝ほどの前後にひしゃげた円筒形をしていて、上にはアーチ形をした平たい吊り手が付いています。偶然に見つかったため、どのように埋まっていたのかはっきりしませんが、欠けている側を上にして横たわっていたのかも知れません。銅鐸〈どうたく〉と呼ばれるこのカネは、弥生時代
うさぎ神社出雲大社にはところどころにうさぎの像があります。因幡の白兎にちなむものだそう。こころぴょんぴょんですね~さて、これからですが…出雲大社に向かうとき、こんな看板を見つけてました。この看板の左から2番目の大きな木造建築が心にとまりました。これってもしかして…古代の高層建築ということで、やってきたのは島根県立古代出雲歴史博物館。古代出雲に関する展示を行っている大きな博物館。ここにもうさぎが…!博物館の中に入ってみると目の前には大きな木の塊がありまし
ちなみに、冬至から芒種(田植えの時期)に至るまでの日数を二十四節気を使って求めると12月22日を新年の開始とすると、冬至から芒種の手前の小満まで11節気あるので、各節気の日数を15日とすると、この間の経過日数は15×11=165日となる。今日使用している太陽歴で12月22日から芒種とされる6月5日または6月6日までの経過日数を計算すると、10日(12月)+31日(1月)+28日(2月)+31日(3月)+30日(4月)+31日(5月)+5日又は6日(6月)=166日又は167日となり、二
さらに遺跡の奥へと進んでいくと、宝箱や宝石の保管された部屋が現れました。そこには、ホコリにまみれた銅鐸が横たわっていました。その姿は、古ぼれてはいてもどこか幽玄な雰囲気を醸し出していました。そしてとうとう、彼らは古びた祭壇の前へとたどり着きました。そこには、銅ーミラーレスが、どっしりと座っていました。彼女の顔色は、深い緑色を帯びていて、古来ドンな風格がありました。彼女の周りは、時さえも時を忘れたような静寂が漂っていました。彼女自身、長い年月を生きてきたため、動作は緩慢です。銅ーミラーレスは
北条の中播磨県民センター。県議会総務常任委員会の管内調査に地元議員として出席。調査はセンターの事務のうち、総務常任委員会の調査事件を所管する県民交流室と姫路県税事務所についてのもの。Hセンター長が事情により急遽I副センター長に交代となる中での開催となったが、予定の時間を越えてもなお質問の手が挙がるなど熱心に議論が行われた。姫路県税事務の法人事業税をはじめとする県税の徴収状況など詳しい資料も示されました。これをみると法人関係の景気動向が推測されます。総務常任委員会は県税をはじめとする歳入も
今回より「文末」が変わります。(AIチャットさんの指示によるものです。)会話の後、二人は角さんからの飲み物を断るように決めました。すると、彼らは角さんと、ノクさんがお茶を飲んだ後に陽気になったり、御老公の神託を受けたと言っていることに気づきました。彼ら自身も角さんからもらったお茶を飲んでいた頃は、その奇妙な振る舞いには気づかなかったので、角さんの飲み物に含まれる、彼の体液、つまりサボテンマンエキスが人を狂わせるのだろうと察せられました。また、彼とイルマンは角さんが意図的に薬物を広めている
Title#銅鐸パステル#玉青館@gyokuseikanワークショップ今日で最終日でした。こどもたちが選ぶ色あれ?今日はいつもと色合いが違う?いつもは青が人気ですっきりさわやか系というか、そんな色合いが多かったのですがきょうは、なんか明るい?玉青館は、淡路島のいにしえからの自然に囲まれているせいか🍀ここに来ますと自然や、季節の移り変わりにおのずと敏感になるのかもしれませんね☺️感受性が強く純粋なこどもたちは特にそうなのかもしれません(*^^*)最後のワークシ
2023.08.18<銅鐸レジン教室🍀>(画像は一部です)#レジン体験#銅鐸#レジン初めての銅鐸レジン教室。たのしく、小さくキラキラするものができました🍀小学生男子も楽しんでいました☆子供たちが、手順よく素直でした😄より簡単に、よりわかりやすくよりうまくできるようにそしてもっと楽しめるようにオシエル方も、力が入ります💪今日は人数が多かったので(30人越)ひとつ工程を減らしてみました。人数が多いときは、こういうのもいいですね(*^^*)スタッフさんがご厚意で、紐をつけ
東京・上野の「国立科学博物館」が国の交付金も削減されたりで財政ひっ迫し、7日、クラウドファンディングを発表しました。目標額1憶円、館長自ら集まるかどうか懸念していましたし、私自身も「1億円か、どうかなあ」と思いながらも、些少ですが参加させて頂きました。すると今朝9日の新聞では、既に「4億円!」国が交付金を削る中、国民は「それっ!」とばかり応援。これには驚きました。横浜・野毛で生まれ育ち、小学生の時は父に連れられ、結婚してからは子供を連れて行きました。小学生の長
某所のレブリカです。お見事です。
前回まで、「鐘」についていろいろと書いてきました。↓『鐘』少し前から「鐘」についていろいろと思ったことを書いていますが・・↓『鐘と兜』前回、人は頭蓋という兜(かぶと)を被っているのでは・・??という、トンデ…ameblo.jpその中で、「鐘」は国や宗教によっては「人」として扱われる、ということを書きました。・・だとしたら、鐘とよく似た「銅鐸(どうたく)」も、同じような意味を持っているのでは?と、思えて・・(゚д゚)
【記事作成用写真集】桜井市立埋蔵文化財センター桜井市立埋蔵文化財センターにて見学撮影した写真の一覧です(2023年7月26日)。本編記事はこちら『☆資料館☆桜井市立埋蔵文化財センター』☆桜井市立埋蔵文化財センター奈良県桜井市芝58-2公式サイト(奈良県桜井市)市立埋蔵文化財センター|桜井市市内には、数多くの…ameblo.jp◎この記事は、今後の記事作成の際の転用を主目的とした自分用の記事です。当日撮影した写真すべてを画像補正等を施し掲載します。*今回は館内すべての展示
☆桜井市立埋蔵文化財センター奈良県桜井市芝58-2公式サイト(奈良県桜井市)市立埋蔵文化財センター|桜井市市内には、数多くの文化財が残されています。埋蔵文化財センターは、文化財の保護および調査・研究を行う施設で、館内には、市内各地からの出土品を紹介する展示収蔵室もあります。www.city.sakurai.lg.jpわずか200円(大人一般)で素晴らしい展示物が見られて…涼めて…(笑)こんな有意義な時間を過ごせる所はない!子供さんがおられる方はぜひとも。夏休み宿題が捗
滋賀県野洲市小篠原字大岩山出土■「銅鐸」の認識についてのコペルニクス的転回まだ多くの人々に知られていないようだが、「銅鐸」は「簡易天文観測装置」であるとする説がはやし浩氏により2013年にユーチューブアップにより発表された。装置の設置の仕方や使い方などについて、「上部のつるつる面(「銅鐸」学では「舞」の部分)の水平をとること、装置の「鈕」(ちゅう)と呼ばれる部分を正確に南北方向に向けること、そうしておいて、つるつる面に落ちる太陽光の影を見て太陽の南中時の高度を測り、人々は季節を
2023年7月17日月曜日海の日一宮の発掘調査あの頃の発掘現場1「八王子銅鐸」発見の記~26年前のあの日あの時~講師:樋上昇氏愛知県埋蔵文化財センター調査課主任専門員一宮市博物館愛知県一宮市大和町妙興寺2390一宮市博物館–一宮市博物館の公式ウェブサイトです。愛知県一宮市博物館のウェブサイトです。www.icm-jp.com愛知県埋蔵文化財センター-公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センターは、
前回は、弥生時代から奈良時代にかけての出来事に関してのお話が、途中で終わってしまいました。前回ご説明した下図「弥生時代末頃の日本の勢力図」に関して、九州地方の状況についてから、お話しします。[弥生時代末頃の九州地方の状況][卑弥呼連合国家に属さない国]北端と南端を除いた九州地方と、四国の西部分には、卑弥呼の連合国家に敵対する勢力があったと考えられます。これらの地域には、朝鮮半島から対馬海峡経由で日本に渡来してきた朝鮮人が主体となって、国家を形成していたと考えられます。弥生時代当時の九
山陰の旅2(前回より続く)さて、腹ごしらえも終わり、折角なので出雲大社に参拝。「いずもおおやしろ」が正式名称だそうです。初めて知りました。全国でも珍しい下がり参道(知る限り、国立の谷保天満宮も同じです。)広い境内に長い参道。観光客も多い。背後の山、八雲山(これも八雲山)がきれいです。大国主大神の「ムスビの御神像」出雲大社のしめ縄はもっと大きかったような気がするのですが、初回の時のインパクトが大きすぎたのでしょう。
昨日、インターネットTV“Will-BeStation”より生放送させて頂いた『歴史のお話』“銅鐸”特集、御覧頂き、ありがとうございました。日本の歴史上、弥生時代の約400年間にしか存在しなかった数々の銅鐸。何故、忽然と姿を消し、たまたま寺の建設工事現場でこれを掘り出してしまった飛鳥時代の人々が、『見た事も無い物』と言ったぐらいに記録や記憶にすら残っていない??そんな銅鐸の“一隅を照らす”事が出来れば幸いです。▼見逃したというアナタ!こちらから、録画を御覧下さい!↓↓↓
本日、6/19(月)PM8:00〜インターネットTV“Will-BeStation”より、「歴史のお話」“銅鐸”生放送!▽日本の歴史の中で、ある時期のみで造られ、その後、完全に姿を消してしまった『銅鐸』とは…??※YouTubeライブで放送!『Will-BeStation』をチャンネル登録しておけば、PM8:00〜の放送開始と同時に、お知らせが届きますよっ!↓↓↓↓↓https://www.youtube.com/live/XsJ1Mu_7U2U?feature=s
CAN⭐︎DOこんな可愛らしいの、見つけた。古墳銅鐸埴輪…のソックス。ケース入り付箋。もっと大きいサイズのソックスは、ハート型埴輪のとかあったんですけどね。残念。古墳グッズ、見つけたら買うてしまいますな。https://netshop.cando-web.co.jp/view/item/000000015507HD婦人アンクル丈埴輪土偶線画【公式】≪1個からお届け≫Can★Doネットショップ100円ショップCan★Doの公式通販サイトです。HD婦人アンクル丈埴輪土偶
最近“銅”の魅力にはまっています。銅といえば、排水口に10円玉を入れておくとぬめりが軽減されると聞いたことがあります。。。銅製のじょうろは世界中の盆栽ファンの間で人気だそうで、NHKのあさイチでも紹介され入荷待ち⁇https://www.news-postseven.com/archives/20150826_344475.html?DETAIL30年使える世界から注文殺到の銅製じょうろ2万2680円丹精込めた盆栽や、ベランダガーデニングの水やりに欠かせないじょうろ。一
朝日新聞(5/30)朝刊に吉野ケ里遺跡で弥生時代後期の石棺墓が出土したという記事。石蓋の表面には「×」や「キ」みたいな線があり、「被葬者を封じ込める為」と「被葬者を邪悪なものから守る為」という二つの見方が紹介されている。イザナギがイザナミに対してやった「祓いや禊」を考えると、やっぱり「死」は邪悪、不浄なものとして「×」をつけたんじゃないかって思う。確か加茂岩倉遺跡や荒神谷遺跡から出土した銅鐸や刀にも「×」が付いているものがある。生野先生はその「×」の意味を、鏡を主祭器とするヤマト政権が
芝宮のシバについて、《シブ・ソブ・ソボ・ショウブなど、鉄分の多い水に由来する地名ではなかろうか。》と書いた。長野県塩尻市宗賀に縄文期から平安期に渡る平出遺跡があり、ここの平出ノ泉から流れ出す流れを渋川という。渋川は北東方向へ流れ、同市大門三番町で大門神社の東を通過するが、この神社は、元々は柴宮八幡社といい、1952年に若宮八幡社を合祀して、大門神社となったらしい。この境内から銅鐸の完品が出土している。《銅鐸は総高六四・二センチの突線帯六区画文、東海地方に分布の中心を持ついわゆる三遠式銅鐸で
今日は夫くんと二人で、久しぶりに?島根県にやってきました。目的は、温泉でのんびり…だったんですが、その前に!その途中にあって前から気になっていたここに立ち寄ることに!↓平成8年(1996年)10月、島根県雲南市加茂町岩倉で、農道を作るためにそのノリ面となる斜面を掘削していたら、弥生時代中期から後期のものと思われる大量の銅鐸が出土したという、加茂岩倉遺跡です!↑遺跡に向かう山道車止めとして、レプリカの銅鐸が置かれているのが可愛い…この山道、そんなに急ではないんですが、遺跡まで約5
5月22日山陰ドライブ旅行初日は最初に出雲大社東隣にある島根県立古代出雲歴史博物館を観覧。この博物館を観覧したかったのは2000年に出雲大社境内遺跡より出土した宇豆柱(重要文化財)と心御柱(複製)を見たかったから。出土した時のニュースに衝撃を覚え機会が有れば是非実物を見たいと思い今回実物を見ることができ感慨深い。心御柱は後で出雲大社の宝物殿で実物を見ることができた。古代の出雲大社の巨大神殿を紹介する展示室にある再現模型に圧倒された。続いて見たかったのが1983年に荒
【英国人から見た予見のない古事記の解釈】チェンバレンが古事記を解釈するときに、日本人の研究者と異なっている点は、予見なく古事記の記述のみから解釈しようとしていることである。日本人にはどうしても古代においてこうだったに違いないという思い込み、あるいは考古学的な発掘などから得た情報があるために古事記を素直に解釈する上で妨げられているのかもしれない。古事記序論の四番目の大項目は「上代日本の習俗と慣習」。チェンバレンは古事記の中に記された習俗と慣習から、上代日本の文化的なレベルを推し量