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皆様、こんばんは先日から追っているカフラープロジェクト。前からあるあるなんですけど情報の真偽はどうであれ、数が多いほうに世界が動いてしまうという状況を目の当たりにして、しみじみ、正しいということが正しいと支持されるとは限らない現実があるんだなって。。。思ったんです。。。それも単なる家族間のカワイイワガママとか好みのうんぬんとかそういう問題ではなく、国と国とかそういう重要な局面で、大きな動きをみせることが世界中の人々に影響を与えてしまうんだな、って思ったんです。
みなさまごきげんよう。昭和の商店街遺跡より、群馬県利根郡水上温泉の商店街です。昭和の商店街遺跡、撮り倒した590箇所Amazon(アマゾン)酒のアーチとはこのこと。みんな見たいであろうスマートボールみなかみはすでに閉業済みで、ストリートビューを見ると取り壊しでもしてるみたいです。坐山みなかみ(ざざんみなかみ)·みなかみ町,群馬県利根郡Googleマップで地図を検索。乗換案内、路線図、ドライブルート、ストリートビューも。見やすい地図でお店やサービス、地域の情報を検索できま
2026年4月29日の考察今まで多くの講釈を述べてきましたが、ここではっきり1里の正確な距離を述べたいと思います。ただし、古代人の計測ですのでかなり幅を持たせざるを得ません。伊都国から【東南至奴國百里】ですので、伊都国の場所の特定が重要です。糸島の泊に船を着けて検閲してもらった。と決めました。理由は、今でも残る泊という地名です。古語では、船を停泊させる水域を指す場所です。現代の地図では、糸島半島の中央に位置します。古代は志摩と伊都に分かれていた。ことが証明されています。ここを起点としました
前回の記事を書いてから躊躇してしまい皆さまのブログにはお邪魔して、コメントをしたりしていましたがやっと、自分の記事を今日こそ日曜日に昨年に続き今年もピアノ伴奏してくださる松原賢司先生に伴奏合わせをしていただきました今年の私が弾く曲は葉加瀬太郎作曲「悠久の一乗谷」福井市にある一乗谷を訪れた葉加瀬太郎さんがその歴史に心打たれて、この曲を作ったそうですこちらの曲を二胡で弾きます
長野滝は、古代太陽カレンダー日本のストーンヘンジなのか――。冬至には見えなかった太陽の光が、冬至からおよそ30日後――1月20日ごろ、午後3時前後。わずか数分間だけ、中央のスリットに差し込みます。偶然なのか、それとも――。長野滝では、夏至に向かって、太陽は次第に高度を上げていきます。これから、どのような光の動きを見せるのか。引き続き、この場所の太陽観測を追っていきます。鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名長野滝――「君が代」発祥と伝わる大本神社のある地であり、西郷ど
古代文明において「金」は、単なる装飾品の素材ではなかった。人類は太古の昔から、この輝く金属に特別な価値を見いだしてきた。その証拠は、世界各地の遺跡から発見される精巧なジュエリーに見ることができる。特に、メソポタミアとコロンビアの古代遺跡から出土した装身具は、「金」が持つ本当の意味を現代に伝えている。メソポタミア文明は、人類史上最古の都市文明の一つとされる。紀元前3000年頃には、すでに高度な金細工の技術が存在していた。王墓から出土した金の冠や耳飾り、ネックレスには、細かな粒金細工や薄い金板を重
橿原市光陽町八王子神社この神社のある山の反対側に忌部山遺跡、名からして気になります。
中世の遺跡_レレコヴィツェ城_LelekoviceCastleドブリーデン昨日の旧製鉄所から車を走らせること約20分、20kmの場所のレレコヴィツェ城_LelekoviceCastleにも立ち寄りました。この遺跡は少し小高い丘にありました。中世の城の遺跡(14世紀)と言っても、残っているのはこんな感じで少しだけ石積みが見られるだけ。。。ですが、天気が良いので気持ちいい。この遺跡の横には聖フィリッポ・ヤコブ教会。こちらの方が目立つ感じです。が、閉まって中には入れませんでした。高
朝食後は添乗員さんの案内でアルベロベッロの旧市街へ向かいました。このツアーはシチリアと南イタリアの魅力をこれでもかというくらい詰め込んでいて、毎日盛りだくさんでした。アルベロベッロの旧市街はこういう家が並んでいます。どこを撮っても絵になります。ネコもあちらこちらにいます。寄せ植えも景色の一部になっています。シチリアでも南イタリアでも独特の街の景観や遺跡を何百年も守っているのがすごいと思いました。目先の利益にとらわれるのではな
■クスコ発聖なる谷&マチュピチュ遺跡を巡る1泊2日ご予約・詳細はこちらクスコ発聖なる谷&マチュピチュ遺跡を巡る1泊2日-【公式】たびチョク|現地コーディネーターとつくるオプショナルツアーで新しい旅行スタイルの実現安心の日本語ガイド付き!マチュピチュ村に1泊し、ゆったりと遺跡観光を楽しみます!マチュピチュはペルーのアンデス山脈に位置する、標高は約2,430メートルの高地にある15世紀にインカ帝国が築いた古代遺跡です。ケチュア語で「古い峰」または「古い山」を意味します。ペルー最大
エジプトの古代都市遺跡から発掘された「巨大な太陽王」の像…刻まれた図像は何を語る?エジプト北部の遺跡から、ラムセス2世(オジマンディアス)の像と思われる巨像が見つかったエジプトの古代都市遺跡から発掘された「巨大な太陽王」の像…刻まれた図像は何を語る?|ニューズウィーク日本版オフィシャルサイトエジプト観光・考古省は4月22日、エジプト北部のテル・エル・ファラウン遺跡で、巨大な古代エジプトの彫像を発見したと発表した。【写真】発掘された「太陽王」の巨像同国最高考古評議会に属する調査隊によ
官兵衛ゆかりの藤をあとにし、有岡城跡(伊丹城跡)に向かいました。(*^o^)/駅からすぐ城跡があるって言えば、『三原城跡』を思い出しました。(*^o^)/\(^-^*)なんせ、駅から出ずにお城の跡を見れましたからね。天正2年(1574)、武将・荒木村重が伊丹氏を追放し、伊丹氏の築いた城「伊丹城」を大改築を施し、名を「有岡城」と改めたのが「有岡城」。侍町・町屋を堀と土塁で囲んだ惣構(そうがまえ)の城(東西0.8キロ、南北1.7キロ)で、難攻不落の名城とうたわれました。しかし、村重が主君の
2026年4月タイ語【フェイスブックからのタイ語】ฉันไม่รู้ว่าฉันรู้สึกอะไรในตอนนี้今私は何を感じているのか、わからないでいる。【ビリーのタイ語ノート】本音ใจจริง仏像พระพุทธรูป遺跡ปราสาทหิน排気ガスไอเสีย【つぶやきタイ語】友達を切るตัดเพื่อนSNSの友達はちょっと怖いよね。
こんにちは前回お知らせした、ペトログリフ研究者武内一忠先生のセミナーのアーカイブ見ましたが、情報量が凄かったです武内先生やTOLANDさんの動画をみていたからついていけたけども。でも、子たちへの立体や広い視点での世界の捉え方はとても素敵で面白かったです兎に角縄文人がかなりグルメで食べているものが美味しそうで、豊かな生活をしていたのを、知れたのも面白かったです!ちなみに今年の連休は、世界文化遺産に登録された日本最大級の重要縄文遺跡青森県の三内丸山遺跡や、大湯環状
『縄文土器(世界最古の土器)』2019-03-0520:10:55|古代新潟県長岡市関原町馬高遺跡から出土した深鉢型土器(火焔土器)縄文中期。東京国立博物館蔵。小中学校時時代、社…ameblo.jp『「縄文時代の始まりはいつか」の議論』2019-03-0520:24:49|古代「2018年2月8日ヤフーブログに投稿した記事より「はじまり」はいつか、は「土器」の出現で定義されるのが普通で…ameblo.jp『「日本の縄文土器が最古であっては困る国」中国』2019-0
アダムフ近郊の旧製鉄所_OldIronWorksnearAdamovドブリーデンこの週末も天気が良かったのでドライブがてら、これまで訪れていない遺跡を巡ろうと、ブルノ市街から北へ30km弱車を走らせました。たまたま通りがかった場所に『アダムフ近郊の旧製鉄所_OldIronWorksnearAdamov』の遺跡を発見し、車を停めて見学することに。天気が良いと何を撮影しても絵になります。上の写真の奥の建物がちょっとした博物館。18世紀にこの旧製鉄所でどの様に製鉄していたかを
はじめに昨晩は銀座からタクシーで21時頃に暁ふ頭公園駐車場に戻った『たぬきだに』、8時間近くぐっすりと眠ることが出来ました。本日はDAY4について綴っていきます。吉見百穴この日は暁ふ頭公園から皇居周辺を抜け、川越街道を北上、最初の目的地は埼玉県にある古墳時代後期の群集墳「吉見百穴」です。古墳時代の前〜中期は大阪の仁徳天皇陵などの巨大な前方後円墳でしたが、後期になると有力な農民などもこの様な形で埋葬されるようになりました。思ったよりも大規模で、横穴式の石
4月最後の日曜日、26日は鈴鹿八風峠へと思い期日前投票までしたのに、起きたら9時過ぎ。これから間に合うような場所ないかねえ、と考えた末に清州の貝殻山貝塚へ行った。実は2度目の訪問であるが、前回はほぼ50年前である。当時は貝殻山貝塚資料館(現交流館)と竪穴住居がいくつかあるだけの質素な施設であった。それがいつのまにか「あいち朝日遺跡ミュージアム」へと名前が変わって、立派な施設になっていたのである。入館料は300円、遺跡関係の施設はだいたいこんな値段であろう。ところがいざ中へ入りび
【26年2月21日探索・4月28日公開】現在地はこの辺向こうの方に何人か人がいる。ネットニュースで見たもののうち一番見たかったものをまだ見ていないが、その目的物かな。サイコロ状のコンクリートの塊、何だろう?小さな流れ、沢にすらなっていない大きさだが、これでも貴重な津久井湖の水源のひとつだ。撮影に熱が入っている人がいた。やはり、あそこか?石製の階段跡があった。まるで遺跡だな。同じ場所で120度くらい左側を向いた。これこそ
ご訪問いただき、ありがとうございます。イスタンブールからカッパドキアへ——風景が変わるたびに、どこか別の時代に迷い込んだような感覚になります。最初に訪れたのは、ウチヒサール城✨カッパドキアの中でも、ひときわ高くそびえる天然の岩の要塞。遠くから見たときは「不思議な形の岩山」くらいの印象だったのに、近づくにつれて、その存在感に圧倒されました。この岩は、火山灰が固まってできた柔らかな凝灰岩。実際にそっと触れてみると、指先からポロポロと崩れるほど繊細で、「人の手で掘り進められた」という歴史
私、神奈川県座間市民です^^今日は用があって市役所に行ってきました✨マスコットキャラクターのざまりん大凧祭りが有名🪁遺跡から埴輪?が見つかったみたい😳日本全国色々なところがあり、いろいろなものがありますね^^お住まいの市役所には何がありますか?
「海底には陶磁器研究を飛躍的に進展させる遺跡が眠っている可能性」水中考古学の入門書、調査経験つづる国内外の海中遺跡を調査した経験をつづった「海に眠る古伊万里水中考古学からのアプローチ」(雄山閣)を、長崎大多文化社会学部の野上建紀たけのり教授(62)が出版した。まだ十分に認知されているとは言えない水中考古学を分かりやすく紹介する入門書だ。以下略・引用元読売新聞オンライン4月19日付記事以下記事詳細全文これは大発見と言えますね。
Ⅴまっすぐな道『プルターク英雄伝』1世紀のローマの伝記作家プルタルコスの著した書物で、プルタークはプルタルコスの英語読みである。ギリシャ人とローマ人の互いに似たところがある高名な人物を、一人ずつ組み合わせた22組の対比列伝と、4篇の単独伝記とを収めている。『プルターク英雄伝』で説明されたガイウスの建設したローマの道は、要約すれば次のような道であった。・道づくりに実益だけでなく、快適さと美しさを求めたこと・まっすぐな道をつくったこと・切り石で舗装するか、あるいは砂などで固い
2023年に女房が亡くなってから毎年彼女の誕生日辺りに妻(母)を偲ぶ会と称して娘と近場へ一泊旅行に行く。今回は奈良にあるNIPPONIA田原本マルト醤油を訪れた。古くからある醤油の醸造所で、今でも少し作っているようだが、当時の面影を残したまま改装されてホテルになっている。私たちは府庫と名付けられた部屋に泊まった。ここは元々資料や書籍などを保管していた蔵で、広くはないのだが雰囲気はある。古い日本の建築って日本人のDNAに刻み込まれた安らぎがある。
#グリーンハウスとは英語「greenhouse」の意味・使い方・読み方|Weblio英和辞書「greenhouse」の意味・翻訳・日本語-温室|Weblio英和・和英辞書ejje.weblio.jp昭和建築と廃屋に萌える私です。『ゆる散歩#1廃屋と昭和遺跡』廃墟や廃屋の静けさが好きです。うっとりと眺めます。『眠れる森』モノに埋もれた義実家を片付けています。義母が入院からリハビリ入所して一年。人が住まなくなった家に…ameblo.jpいぜんに見たこち
朝5時半に目が覚めました6時から大浴場が開くので、朝湯にザブンとつかって足をモミモミしてきました。15分で切り上げ身支度をして朝食会場へ(6時半開始)ビジネスホテルのごく普通のモーニングビュッフェ焼きうどんと筑前煮が美味しかったです😋今日の予定王塚装飾古墳館竹原古墳志賀島・金印公園板付遺跡福岡市博物館予定通りに、7時45分にホテルを出発🚌王塚装飾古墳館この博物館は昨年火事になり、まだ工事中で見学できませんでした。すぐそばに
日本🇯🇵の皆様、こんにちは♪いつもブログをみて頂く日本🇯🇵の皆様にとても感謝しております。今日、世界遺産であるシェムリアップのお天気は曇っております。先、アンコールワット遺跡の地方で雨が降りましたので、涼しくなります。雨の際に、私はお客様と一緒にシェムリアップの空港にいました。今日はツアーの最終日、バンテアイスレイ遺跡とベンメリア遺跡と空港送迎ツアーをご案内させて頂きました。3日間のツアーが無事に終わりました。カンボジア🇰🇭へ観光にお越ししてくれて誠にありがとうございました♪バンテ
【2026年4月27日(月)】天候:晴徒歩で南西諸島の島々をめぐる旅の50日目です。今日は徳之島の西側を南下して亀徳新港に戻り、夕方フェリーで、この旅43島目となる奄美大島に渡る予定です。AM5:30宿を出発。ほどなくして「浅間陸軍飛行場(滑走路)跡」に来ました。沖縄上陸を狙う米軍の艦載機による空撃が、日増しに激しさを増し、攻撃の前線基地を鹿児島県の万世(ばんせい)基地からこの場へ移したとのこと。沖縄特攻の第一陣が出撃以降米軍の標的とされ、飛行場としての機能を失い、若い兵士達の尊い人命が
やっぽ~(^O^)/きょ~な☆です今日もさっさとお出かけネタの続きを!まず行ったのがここ戌立遺跡(いんだていせき)です。ここは約二年ぶりですね。ここは縄文時代の住居が復元保存されています。前回は雨だったけど今回は良いお天気♪説明板この辺りには大集落があったようで、獣骨片や土器など色んなものが出土してたみたいです。ここは自由に中へも入れますからね。さぁ住居の中へおじゃましまーす♡中はけっこうな広さがあります。
天皇最期の地――大炊御門万里小路殿跡を訪ねて京都の町には、宮廷の歴史が静かに刻まれた場所が点在しています。今回ご紹介するのは、「大炊御門万里小路殿(おおいのみかどまでのこうじどの)」の跡を示す石標です。現在はその面影をとどめる建物はありませんが、この地は平安後期の宮廷史において重要な役割を果たした場所でした。この邸宅は、平安京左京二条四坊十一町に位置し、但馬守であった源高房(?~1077)の邸宅として知られています。貴族の邸宅のひとつに過ぎなかったこの場所が歴史の表舞台に現れるのは、11世紀