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2024.5.1のブログを一部改正致しました。『2024.1.23チノポス書道史③「趣味が功を奏して…」』前回のブログでも記載した通り三筆「嵯峨天皇、空海、橘逸勢」に関する先生のお話をチノポス・書道史に沿って御衣黄の覚書から、記します。*詳細が気になった方は著書…ameblo.jp前回のブログで小野篁が、流罪に処された(隠岐に流された)事に触れました...その時、詠んだ歌と小野篁に関して先生がyoutube上で語られていましたので御衣黄なりに、まとめてみます。
昨日のつづきになりますもう、しばしお付き合いください🙇いざない館を後にし、朱雀門まで美しいわぁ~ズームしてみました言葉はいらないですね美しいeeeしかし、少し肌寒くなってきた夕方近く靴擦れで足にマメできたし💦根性なしの私は大極殿院南門へは行かずまたズームで誤魔化すんなんだか線だらけ。横線がいっぱいあるお~っと、目の前を近鉄が通ったぁ~聞いてはいたがこんな感じなのかァう~ん残念なことだなァP
こんにちは。引き続き古都奈良の散策の続きになります。こちらは都の中央,南北のメインストリートを仕切る朱雀門。この朱雀門から更に南へ4kmほど歩くと羅城門跡があります。四神の南、朱雀方向にあることから朱雀門というそうです。朱雀門側から北方向、太極殿をみると近鉄の踏切があります。ここで写真を撮っている撮り鉄の方々が多いのです。私もチャレンジしてパシャリ。色々な車両が通るので飽きません。平城京跡の野原を近鉄が横切るのですよね。学ぶことが好きだった奈良の都人も電車を見
こんばんは!平城宮跡で復元工事中の東楼を見てきました。見えているのは、平城宮跡の南側にある朱雀門です。天平みはらし館に来ました。ここでは、VRシアターが無理で見れます。あまり知られていないのか、がらがらでしたよ。遣唐使船中に入ることも出来ます。もちろん無料。南側から北側に朱雀門を見ています。朱雀門を抜けました。近鉄奈良線が平城宮跡の中を走っています。踏切を渡ります。左が復原された第一次大極殿院の南門、その右横が復原工事中の東楼です。南門の大極門大極門を抜けると、いちばん
音頭の瀬戸にある「うずしお」からは倉橋島南側にある桂浜へ行きましたここの小高い丘にあるのが桂浜神社です今回初めて拝殿の裏手まで行ってみると立派な本殿があって1480年最修の国の重要文化財とあります再修の説の棟札によれば、時の領主平朝臣弘重・貞光・檀那平朝臣民部丞実時によって文明12年(1480)陰暦6月2日に再修された本殿は前室付の三間社流造・杮葺きで昭和57年に国の重要文化財に指定された(ひろしま文化大百科より)写真を撮ってないのですが本殿は
鎮国寺は宗像大社の近くです宗像大社と川を挟んだ屏風山の中腹にあります鎮国寺の正式名称は真言宗御室派別格本山屏風山鎮国寺弘法大師が遣唐船で唐にわたる際、大暴風雨に遭遇されました大師は宗像大神はじめ諸仏に祈りをささげたところ波間に不動明王が現れ、剣で波を切り払い、海を沈めてくださったそうです唐から帰って大師は、まず宗像大社に礼参されましたそのとき屏風山に瑞雲がたなびくのを見て「この地こそ鎮護国家の根本道場たるべき霊地」として鎮国寺を建立されたそうです護摩堂の前に
住吉大社さんに初詣…というには少し遅い1/4の備忘録です。住吉さんは今は街の中の神社ですが、昔は海のすぐそばでした。遣唐使たちは奈良からここまで大和川を下り、ここから遣唐使船に乗り込んで海に出たそうです。太鼓橋第一本宮から第三本宮まで一列に並ぶさまは、まさに海を行く遣唐使船のよう!(第四本宮のご祭神は神功皇后で、海を守る住吉神ではないのです)こちらの鳥居は珍しい角鳥居海の底をまもる第一本宮海の中をまもる第二本宮海の上をまもる第三本宮ご挨拶を済ませたところで、おみくじをば。昨
今年も宜しくお願い申し上げます。やはり年末年始、自分の仕事は特に多忙を極め、休みの日は文字通り、休んでました。年のせいもあるかな。12月は奈良めぐりはわずか2日。その他も映画1本(ちなみ「宇宙戦艦ヤマト4Kリマスタ-」)のみ。今年は同名なるかなァ。さしあたり、奈良めぐりもですが「ゴジラ-1.0」を早く見に行きたい今日この頃です。さてさて今年も初日の出を見る事は出来るのかな~何はともあれ、「長寿と繁栄を」!
母を亡くしてから、気分が沈みます。体も浮腫んでしまって・・・。イカン。こんな時、奈良へ行きたい。大好きな奈良へ行きたい。今年の始めに「唐招提寺」へ鑑真和上にお会いしたくて行ってきた。すごく幸せだったなぁ。今度は、非常にベタだが、「平城旧跡」へ行ってみたいな。画像をお借りしました。出来た頃はすごい人だったけど、もう大丈夫かしら?画像をお借りしました。こういうのじっくり観てみたいなぁ~
『ならフトペーパーハニワ(イスにすわるおとこ)』ちょっと難易度が高かったですねイスの横の透かし穴がいいです頭頂部が平らになりましたお愛嬌後ろ姿も凛々しいですこの髪型何て言いましたっけ取り敢えずポニーテールとしておきましょう『橿原考古学研究所附属博物館舟形はにわ』この船は水に浮かびますと書かれています普通にA4で印刷しましたすると中に入れるべき下側のパーツが明かに大きいどうやら原本下側の図もA4で印刷されていてそのまま切り取ってしまったのが原因とようです
今日のお株おやすみやった昨日京セラ株で儲け損なってもうたとタラレバの無限ループに陥ったため含み損が無くなったことを素直に喜べばエエのに朝から株価チェックしようとしていましたが先物あがってるーっとテンション高めで今日は祝日でしたね平城宮跡歴史公園の続き『平城宮跡歴公園東院庭園〜いざない館&イキった報告になりそこなった京セラ』半笑いのお株報告高値掴みの京セラが悪材料出尽くしで?朝から爆上がり11月はお出かけして株は放置〜とか言ってた私は今日も近場にお出かけで京セラ株価
平城京天平祭・秋2023「みつきうまし祭り」に行きました。「みつきうまし祭り」は奈良の酒と食を味わい、花を愛で、古代行事や歌舞音曲を楽しむ秋祭りです。「みつき」とは、祭りのために収穫した食や花、音楽などを献上するという古代の言葉。その対象は、自分が尊いと思う全てのものです。「うまし」には、「美しい」と「おいしい」の意味が込められています。自分のお楽しみは、「古代行事の再現」。今回は、「衛士隊の再現」です。※※※昼からの会場入りでいた
みなさんこんばんは(^○^)今回も「福岡城散策」の続きから鴻臚館跡地展示館の展示物を見学するところからです!!遣唐使船って、ご覧のように、色んな航路で、海を渡って唐に行ってたんですねーそれにしても、長安までの道のりは、かなり遠いなぁ~遣唐使の説明は、こちら↓遣唐使船の模型は、こちら↓かなり昔の船なのに、結構、立派な船ですねーこちらは、鴻臚館発見以降の調査経過です!鴻臚館で食べられた食材を使った料理は、こちら↓結構、色んな食材を食べてたんですねー鴻臚館跡の近年の発掘調査と成
住吉大社、本社に着くまでにネタがあり過ぎる。住吉大社では至るところで船の絵等を見る。ここには「遣唐使進発の地」とある。遣唐使よりも前の遣隋使から、住吉大社近くの住吉津から出発していたらしい。住吉大社のHPには、「仁徳天皇の住吉津の開港以来、遣隋使・遣唐使に代表される航海の守護神として崇敬をあつめた、とある。もしかしたらそれよりも前の、倭の五王による派遣もそうだったのかも知れない。そしてそれは、神功皇后の所謂「三韓征伐」がきっかけかも知れないよね。
復元遣唐使船2023.8.20午後5時台の様子。ここのところ、晴れた日は雲がいいアジ出してくれますねェ!※※※今日のもう1枚18時台の遣唐使船と夕景。時差をつけたら雰囲気の違う空模様が撮れ、ひとり悦に入っていました(^_^;)この日、夏のお楽しみ、夏の「平城京天平祭」に行きました。たいそうな賑わいでしたので、天平行列が始まるまで、人混みを避けて動いていました。このアングルの場所は、混雑なしです。
どうも、かめたくさんです。つらつらと記事にしてきた、7月の自転車旅ですが、今回が最終回です。大和神社をあとにして奈良公園を通過して、到着しましたのは平城旧跡公園です。復元された「朱雀門」です。時間もちょうどよかったので、「天平うまし館」でお昼ご飯にしました。はっきりした名前は忘れましたが、シルクロード・カレーみたいな名前だったと思います。旅二日目からは、気温がグンと上がって
さて続きです少し薄暗くなってきた朱雀門ひろば燈花会の灯りも〜朱雀門では19時から、乞巧奠(きこうでん)の再現用意された観覧席でそのときを待ちます乞巧奠は七夕祭りの原型牽牛(けんぎゅう)・織女(しょくじょ)の二星が天の川を渡って1年に一度逢瀬を楽しむという伝説が中国から伝わり日本の棚機(たなばた)姫の信仰と合わさり女子が機織(はたおり)など手芸の上達を願うお祭りになりました万葉集にも数種歌われていますが持統(じとう)天皇の頃から行われたそう始まりました(ू•ᴗ•
こんにちは、tenです,アメブロ投稿、1597日目です。ほんなら、今日は、何の日?8月16日は、何の日で、どんな出来事があった日なのか?記念日の由来や、関連するお花、雑学、昔話に、郷土の玩具などを、あわせて紹介していきますね。それでは、今日のお花!8月16日の、今日のお花[花言葉「情熱」《ブーゲンビレア》オシロイバナ科イカダカズラ属植物で、南米に10種ほど分布しています。可憐な美しさから園芸品種も多く、広く暖地や温室で栽培されています。名前からメラネ
おはようございますお昼間は暑くてお出かけが難しい季節になりましたなのでくうひま兄妹は夕方になってからいそいそと出かけ…平城宮跡歴史公園でお散歩しましたょ広くてきれいなのでお気に入りの場所ですひまたんも嬉しそうにダッシュダッシュ少しだけボール遊びもくう兄ちゃん、強奪魔ひまたんにボール取られるど〜良かった珍しく強奪しなかった何回も撮ってるけど、遣唐使船とはい、ポーズ何回も撮ってるけど、せんとくんとはい、ポーズ…のはずが、この日せんとくんはいなかった夕方からは室内へ
次に向かった先は、、、国営平城宮跡歴史公園です。何度か通過したりしましたが、車を駐めて中に入ったのは初めてでした。大きな公園というか広場です。お昼時になりましたので交換内のレストランでいただきました。バスタがチョーまいう~でした。無料でしたので、復元遣唐使船にも乗れました。滞在時間、1時間ぐらいでした、、、
ヒマだっピたった5円で賢くなったご主人様『福岡・長崎研修?旅行その3』ヒマだっピ『福岡・長崎研修?旅行その2』ヒマだっピ『福岡・長崎研修?旅行その1』ヒマだっピご主人様だけで旅行って許されないピーも幽体離脱してお伴することに…ameblo.jp財布を忘れた同伴のおやぢに50円貸したでも借りたこと忘れてるだろうなぁ…ご主人様も誰に貸したか覚えてないっピところで賽銭の額にもいろいろあって5円:ご縁がありますように50円:ご縁が10倍/五重のご縁…賽銭の額雑学等で検索
6月です。今回は、平城宮跡の復元遣唐使船です。背後の建物は、平城京歴史館。2010年の平城遷都1300年祭のパビリオンとして立てられたもので、閉会以後も引き続き、VRシアターの映像などで往事の平城宮、平城京の様子を知ることが出来る施設でした。「平城宮跡歴史公園」として再整備された際に閉鎖され、今は「天平みはらし館」としてリニューアルされています。その際この遣唐使船は、整備された朱雀門ひろばに移設されました。もとの写真です。それはそうと、今年は5月末に梅雨入りでした。雨の奈
春休みの奈良旅行の続き、今回で最終回です。ラウンジで朝食を食べた後は、『2023春いざいざ奈良な旅⑥(JWマリオット奈良のラウンジ)』春休みの奈良旅行の続きです。今回は、JWマリオット奈良のラウンジ等の話。部屋で少し休んた後、17時からラウンジへ。ラウンジは2階です。廊下をず~っと…ameblo.jp散歩に出かけました。出かけた先は、平城宮跡。これは朱雀門。ホテルからは歩いて15分から20分くらいです。マップを見るとかなり広いです。でも、
今年(2013年)の平城京天平祭1日目、空に環水平アークが現れました!最初に気づいたのは、12時頃。平城宮跡内の踏切で電車の通過を待っていた時。意外と気づいていない人が多い?立ち止まってスマホなどで撮影する人も自分以外いませんでした。「あの人、なに空撮ってんねんやろ?」と空を見上げるでもなく…平城宮跡の端々を巡って歩くスタンプラリーから、天平行列を見るために朱雀門、朱雀大路に戻る最中でした。朱雀大路にて。天平行列はすでに待機中でした。まだ行列のスタートまで時間があったので、遣唐使船と
日本の首都は現在東京です。実は明治の一時期、大日本帝国の首都機能が廣島市になったことがありました。明治天皇が廣島市に滞在なさってその時、首都が廣島市になっていたのです。臨時首都と言うそうです。臨時首都-Wikipediaja.m.wikipedia.org広島大本営広島大本営-Wikipediaja.m.wikipedia.org跡地広島市が日本の臨時首都になった日・・・広島城の中にある広島大本営跡坂の上の雲を目指す若き新生ニッポンの心意気-能率技
東寺の五重塔は京都のシンボルですが、それ以外にも平安時代からの様々な事物が大切に保存されていて、年に2回、特別公開があるんです今日は春期特別公開を見に行ってきました。今回の展示は「東寺と弘法大師行状絵巻」と題して、お大師様の生涯が綴られた貴重な資料が拝覧できます。特にフライヤーにも使われている遣唐使として唐に渡った時の絵。坂巻く荒波を小舟が進んで行くのですが、これってあながち、デフォルメじ
雨の平城宮跡を歩きました。彼方の若草山にかかっています。朱雀大路は水びたし。当時の官人たちは、雨の日ってどうしてたんでしょうかね。傘的なモノとかあったのかな?簔を羽織っていただけだったのかな。などと思いつつ、平城宮いざない館へ。ちょっと寒かったです。※※※この日は、奈良時代を祝うイベント『平城(なら)のとよほき』の二日目もかいさいされていました。また、今年は、平城宮跡歴史公園開園5周年記念でもありました。そして記念イベントの一つであったウォークガイ
法隆寺拝観後庭園の美しい「慈光院」へ慈光院は茶道「石州流」の片桐石州が建立した臨済宗大徳寺派のお寺です慈光院の境内自体が一つの茶席の風情になるように考えられていて、茶の湯で人を招く場合に必要な場所の一そろえが石州の演出そのままに残されているそうです。お茶をかじる私としては是非とも行ってみたいお寺です亭主床になっている茶室こちらの部屋でお抹茶をいただきました手入れの行き届いた綺麗な庭を眺めながら心静かにお抹茶を楽しめるととても楽しみにしていたのだけど…住職?がずっと話さ
遣唐使一行の苦難と古代の日中交流におけるロマンを描く歴史文学賞受賞の表題作をはじめ、「惜花夜宴」「すたれ皇子」など5篇を収録。70余年という短くも激動の時代、奈良時代に生きた人々のドラマ。↑ネット上の説明ね奈良時代ねえ、タイムマシンで行ってみたいなあ!いつか過去生を見てくれる人が平安時代あたりに人を教えるような仕事する女性だったかもなあ、って、言ってたけれど。奈良時代にも過去生があったかなあ。リアルに感じてみたい!今朝は早起きしました。ウグイスは1週間前よりかなり美声午後はお
越えられぬほど高く、歯が立たぬほどかたくて挫折していた小説をやっと読み終えた─おまえなんかに俺の小説は読みこなせない50年後にまた来なよ!たとえば洛陽にはいった広成らは唐帝への献上品として、銀大五百両、水織絁美濃絁各二百疋、細絁黄絁各三百疋、黄糸五百絇、細屯綿一千屯、別送綵帛二百疋、畳綿二百帖、紵布卅端、望陀布一百端、木綿一百帖、出火水精十顆、出火鉄十具、海石榴油六斗、甘葛汁六斗、金漆四斗──こういった物を贈った。(下道)真備の将来品は、種々多様なものに亘っていた。…『唐礼』百三十巻、『