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内科に転科して再度主治医になった先生と話した内容で、その時はパニック状態で思考が追いついていなかったけど、改めて思い出しながら考えてみました。自分での理解だから合っているかどうか定かではないのですが…・何もしなかった時の余命は平均して1年。→これは受け入れるしかないです。でも、頭では理解しようとしてますがかなり辛いです。・転移の場合のステージはその時点でⅣとなる。→はい。こちらも受け入れるしかないです。血液かリンパに乗って全身に行っているのでしょう。想像するとこわいです
前の投稿からアクセス数がこれまで見たこともないような数に増えました。なんか複雑な気分です。自分では気にして無いようで、それでいてやっぱり気にしてるんですね。ちょっと感じたのは。。。。再発の患者って医者としてはめんどくさいんですかね?外科の前主治医や、内科の今の主治医の言葉を総合するとそういう風にも取れてしまいます。ちょっとした言葉の端っこに。なんか違和感があったので会話を思い出したりしてみるとそう思えてしまいます。負の連鎖ですね。「この状況で今やれる治療と言っ
昨日、MRIの結果を聞きに行きました。結果から言いますと、肝臓2箇所に何かが写っているそうです。確かに写っていました。でも、黒いのです。結論としては、内科に移って細かく観察しましょう。ということでした。会社の産業医にはなんて伝えたらいいですか?と聞いてみると。ちょっと迷って。「再発と言ってください」そうか。再発なんだな!と心では思って、「わかりました」と明るく言ってみる。その時は少しだけ覚悟していたということもあったので、普通に対応できました。でもね
2022年9月、父が遠位胆管癌と診断され、その後、手術(膵頭十二指腸切除)を経て、現在も経過観察中です。父は癌が発覚したとき84歳でした。癌が分かってから、胆管癌について書いているブログを閲覧させてもらいましたが、多くは60代以下の患者さんで、高齢者、特に80代の情報は少ないようでした。そこで高齢者の1事例として、ブログを書いてみようと思いたちました。このブログを綴っている私は40代の娘で独身、ひとりっ子。ずっと父母と同居しています。父が世帯主。60歳で会社を退職し
当初、内科の検診で遠位胆管癌と診断され、手術ができると話を聞いて安心した。というよりも不安が募りました。もちろん体に傷がつくのは嫌だったし、ましてや内臓の一部を切り取るなんて考えてもみませんでした。当時の内科主治医の見解は、腫瘍場所は肝臓からも遠く、胆管出口の近いほうにあるから、単艦のみを切ってついでに胆嚢をとってしまうくらいの手術と考えていたようです。しかし、外科に移って基本的治療方法を聞いてみると、標準術式は幽門温存膵頭十二指腸切除術でした。結局のところ、胃は全部残して肝臓の根元から
昨日、今回の遠位胆管癌の最終診断を終えてきました。造影CTと血液検査の結果から再発・転移の兆候もなく、治療完了となりました。主治医のお話によると、根治治療の手術(膵頭十二指腸切除術)と、術前および術後の抗がん剤治療がうまく行ったと見るべきでしょう。との見解でした。「あとは一生病気は出ないように」と力強く送り出していただきました。それと、今回の治療プログラム(術前化学治療3クール+手術+術後化学治療4クール)は患者側に立って見ると難易度がとても高く、最終クールを予定通り達成した人はなかなか
昨日あたりからめっちゃお腹が空くようになりました。抗がん剤治療が終了して20日弱。やっと体から抜けてきたのでしょうか?朝6時くらいに食事をして、11時くらいからすごい空腹感に陥ります。リモート勤務中なので仕事に集中しようと思いますが、昨日は冷や汗が出てきてフラフラ。もしかしたらこれが低血糖?って思えるくらいのだるさでした。たまらんかったので、冷蔵庫からガリガリくんを出して、茶の間にあった甘納豆の小袋を食べたら少しづつ良くなってきました。夜も食事が終わってケンミンショーを
治療の最終クールが終わった!CT撮って来週血液検査して問題無ければこれで釈放だぁ!と勇んで病院に行った(^.^)しかし、思いっきり出鼻を挫かれてしまった💦無事にCTは終わったものの、回復場所でおなかに1か所痒みが発生😓ポッっと5ミリくらいの発疹が。造影剤のアレルギー発症かも🤧そこに医者が一言「軽症ですね」って。まぁ、これで当分無いからいいかぁ!と元気に帰ってきましたとさ。あとは来週の結果待ち😊ても、やっぱり身体はしんどいけど、食事制限も無くなることを期待して体力を回復して細マ
長かったなぁ。昨年11月に体調不良で検診して、12月に発覚。その後4回の入退院を繰り返して、3月に膵頭十二指腸切除の手術。そして約半年の抗がん剤治療でした。今日は造影剤を使ったCT検査で、来週診断結果が出ます。何もないと良いなぁ。脂質抜き生活も徐々に戻して行けるようですが、何が食べたいかな?マック。かなぁ!今は月見バーガーか。。。。。さて、もう少ししたら検査に出かけます。
このクールは今回の治療スケジュールでは最終クールですが、今回は体調もさることながら、メンタルが酷かったですね。以前主治医から「繊細なんですね?」なんて言われたこともありましたが、本当にそうなのかもしれません。2週間を過ぎた頃から、だるさがひどくなって、何もする気が起きなくなりました。とりあえず、リモートで会社の仕事をこなすだけの日々でした。ブログも途中までは書くのですが、なんか虚しいというか、虚無感を感じて投稿もせずに消す日々。4週間の経口投与が終わってもだるさが続
昼ごはん。今日はカレーうどんにしてみました。脂抜きでカレーを作るのは結構難しい。ルー自体に大量の油が使われているんで。肉も鶏にして皮は使いません。野菜はほとんど脂がないので大豆以外OK。さて、肝心のルーですが、ハウスのバーモンドカレーとジャワカレーのルーで50%オフというのがある。これは脂質が一皿分で1.7gなので大丈夫なんです。さて、食事を終えてテレビ(昼に何故か朝ドラ)を見ながら薬を飲みました。あれっ?あれっ?もしかして夜の分と間違えて抗がん剤飲んじゃった?と、その日の薬置き
今日は第7クール4日目。これまでは一番しんどい時期でしたが、今回はそれほどでもありません。夏で体があったまっているのか、夏休みで仕事がお休みだからでしょうか。何れにしても体が楽なことはとってもいいことです。さて、今日は一般病棟に移る日のことを思い出してみたいと思います。術後3日目、午後に移ることになりました。無料の大部屋が空いてなかったので、有料の部屋に移ることになりました。無料床と同じ4人部屋ですが、ちょっと広くて半個室のような部屋です。HCUから出る時は尿道カテーテルが抜けて自
今日は、化学治療第7クールの3日目です。今日あたりから徐々に抗がん剤の副作用が出てくるので覚悟していますが、今回は思ったよりも良好です。抗がん剤治療に関しては別に項目を設けて書きたいと思っています。さて、術後3日目まではHCU(HighCareUnit:高度治療室)での生活となりました。この期間は痛みがMAXで実はよく覚えていないのですが、身体の面ではかなりしんどかった記憶があります。とにかく痛みとの戦いという事しかありませんでした。でも、痛みってどうすればどこが痛いっ
比べますよそりゃ。だって不安だもの。長く生きたいもの!私の場合は二番目くらいに顔つきが悪いものだそうです。5年生存率は30%以下。落ち込みますよ。さすがの私だって。。。。昨日(8/9)、仕上げの化学治療最終クールにあたって主治医とお話ししてきました。改めて病巣の写真を見せてもらって、悪性度というか顔つきの話を聞かされて、少し凹みました。とどめは「再発・転移の可能性は?」に質問に5年生存率の資料を見せてもらって。もっと凹んで。。余命宣告を受けて帰ってきたようなもんです。
目が覚めました。ぼんやりとじゃなく、なんだかはっきりと。そして、痛みが出てきました。お腹というか体全体に。右肩と腰が痛い。不思議と切ったはずのお腹はそんなに痛みは襲ってきませんでした。背中に頑張って通してくださったカテーテルの麻酔のおかげだと思います。お医者さんなのか看護師さんなのか認識はできていませんでしたが、「無事に手術は終わりましたよ」と言ってくださってました。そういえば、背中にカテーテルを入れてもらっているときにずっとこの方が手を握っていてくれたのが思い出されました。「あ
明日から、化学治療の最終クールです。あと1ヶ月で解放される。一応、喜びと捉えます。しかし、長かったような、やっぱり気持ちが落ちていくのも度々ありました。けど、あと1ヶ月の辛抱です。気持ちは老衰するまで再発・転移のないこと。さてさて、話は戻って手術当日です。ほとんど眠っていたのでめっちゃ短い1日でした。時間的には。。。。。胆汁を体外に排出するために胆道ドレナージを行っていました。カテーテルは鼻を通して体外に。これが結構苦痛で、というより人間の尊厳が落ちていくという感覚に襲われてい
今日は抗がん剤治療のインターバル10日目。体調はかな良いです。この2週間のインターバル期間に体調を整えて最終クールに向かいます。やっぱり抗がん剤の回数が増えることに体力が落ちていくのを実感します。脂を制限することで摂取カロリーが減るのと、それを補うために炭水化物が増えるので、意図しない肉が増えていくのです。私としては筋肉が欲しいのですが、脂肪が増えていくのでした。さて、本番の手術をするまでの間、胆管炎を3回ほど起こしてしまいました。その度にERCP(内視鏡的逆行性胆道膵管造影)を
特に感慨はありませんでしたね。自分自身には。。。。。それよりも妻が泣くだろうなって。その覚悟ができるかなって意識の遠くで考えてました。その日は朝10時の予約だったので、8時くらいの家を出ました。病院について、主治医にと面談できたのは10時半くらいだったと思います。ERCP結果の内容と、ステント留置、病理検査に出したってお話でした。私は胆石か担砂だと思っていたので、それこそ淡々とお話を聞いていました。そしておもむろに病理検査の結果を話し始めようとした時、一瞬顔が曇って、大き
発症前。昨年の11月には93kgあった体重が今は76kg。いやいや、貧相なジジイになってしまいました。5度の胆管炎ののち、3月末に手術を行なって83kgまで減量?してました。膵臓の一部と胆嚢を取ったので、当面は脂質制限の食事を心がけてくださいとすじいのお告げ。とりあえず脂さえ取らなければとタンパク質中心の食事に寄せてました。1日30gまでですよ!と追い討ちのお告げ。当分は大好きなマックもお預けですな!まぁまぁ、タンパク質中心となると、鶏肉と大豆がまずは思い浮かびますね。鶏肉、豆腐
今朝のエスワン3錠の内服で6クールめの経口摂取が完了しました。やっぱり4週間は長いです。そして今回は結構しんどかった。2週間休んで最終クールです。今回の投薬はこんな感じでした。・エスワンタイホウ(TS-1)抗がん剤朝晩3錠・リパクレオン150mg消化剤毎食後2錠・ウルソデオキシコール100mg胆汁制御毎食後2錠・ビオフェルミン配合散1g整腸剤毎食後2包
先日血圧のクスリが無くなったので家の近くの内科へ2月末に紹介状貰ってそのまま入院になったのでそれ以来ぶりです看護師さんがびっくりしながら喜んで対応してくれて父もなんか嬉しそうでした先生は淡々としてる人なんで頑張りましたね体力があったんですねって言いながら今後の事を含め歩いて体力や足腰の筋力を戻して下さいと体重も減ってくれてちょうどいいからキープしてくださいときっちり指導してました(笑)父も苦笑いしてましたが足腰弱って動けなくなると人間ほんとダメになるからね
親父の手術が終わって2週間半経ちました一応順調のようです自分が3月末体調崩して昨日今日と引きこもって寝てました変わりに弟に病院に行ってもらって話を聞いてもらってきました術後3週間位で退院の目処が立ってくるみたいだけどいつ頃になるのかなぁ今後の治療の方針はある程度決まってるけどどんな形になるのかなぁと気になるとこです頑張って手術をしてくれたので回復して何事も無く今後の生活が送れる事をほんとに願います入院で桜が見れないから写真を取って見せてあげようと思って散る前に
術後1週間経ち点滴がいろいろはずれましたお腹のドレンは残っているのですが首や腕の点滴や背中の麻酔がはずれだいぶ身軽になったと父も喜んでおりました痛み止めは飲み薬に変わり栄養は食事を少しずつ取れるようになりつけっぱなしはなくなりましたトイレなどは自分で行けるようになり面会もカフェスペースまで出てくるのでそれも歩行の訓練となりますしんどいピークは超えたようでホッとしています熱も上がっていないのでひとまずは術後順調に回復しているようですあまり気は抜けないですがね術後の
昨日も病院に行きちょうど親父の検査が終わった時に会えました術後3日なんでやはり不安定なのは変わりなく熱が上がったりしているようです血液検査をしてまた薬を変えたとの事成分的にも必要なものを得るために輸血もしたようです本人言わないけどかなり苦しいのじゃないかなって感じます取り立てのCTを先生と二人で確認しながら繋いだ腸の部分も綺麗で血管含め機能しているので最悪の事は避けれてます最悪は血栓が出来て腸に血液が行かない場合繋いだ腸が腐ってしまうと怖いことを言ってまし
明日の手術の為に今日から父は入院ですいろんな事が不安で不安で仕方無かったけどとにかく家族としてやれることをやりました手術までの検査や食事薬の管理や散歩や話し相手とにかくやれることをの精神でサポートさせていただきました手術だからってプレッシャーをかけるのではなく日常生活を少しでも楽しく出来るよう心がけました本人も頑張らないかんなってそんな事言ってました顔色も良くなってきて食事もある程度は取れるようになってきてホッとしてますあとは明日の手術が無事に終わるだけです術
おはようございます。アップが遅れたのには色々あって、私のせいで母がちょっと…昨日は、一昨日に腹水を結構抜いて身体の水分バランスが悪かったのが血圧低下と(最高が70代っぽい)眠気の原因でずっとウトウトしていました。夕方スッキリしてきていざトイレに行きました。行くときは問題なく、終って立ち上がるときちょっときちんと立てる自信がなかった。そこでズリ落ちちゃって、床に倒れ込んでしまいました。椅子より低い踏み台があったのでそれには何とか座り、それから娘と高い椅子に座らせようとしたけど無理で、訪問看護
こんばんは。2/1備忘録11時くらいに訪問看護師さん来る。血圧が低くて測れなかったけど、それ以外は大丈夫。義従妹も来てくれる。ちょっと安心。お守りの続きを作る。次は顔の刺繍と本体に引っ付けますがこれで終了。言葉は元気と合格に。元気には夏に作ったとんぼ玉を入れて元気玉にして試験中私が持っておきます。いずれは娘に渡すので。13時に葬儀社が来る。以前ダンナの葬儀を基準に見積もりを作ってもらう。嫌なことは私が準備して、お金も準備して置いとかないとね。ここまでする私に母が驚いていました。
こんばんわ。遅くにすみません。1/31備忘録昨日寝方が変だったのか、ちょっとしんどい。9時半に起きて、朝は御座候一つ。途中甘ったるいけど何とか食べきる。11時半くらいに訪問看護。例の手作りお守りを作るための材料を持って来られ、ダルマのお守りを2つ作ることに。胸に書く文字を一つは必勝、もう一つは何にするかの宿題になりました。ずっと持っていられる言葉を入れようねと。中にお手紙とか入れられるようにちょっと開けて手縫いしていきます。そのままお風呂に入れてもらい、スッキリ。お昼は何にも食べたく
こんばんは。読んでいただきありがとうございます。ようやく起き上がれるくらいに復活。備忘録はやっぱりコメントなしにしますね。読み流してくれるだけでもありがたいので。あまり眠れなかったのかぼーっとしていました。目の焦点も合わないし。ケアマネさんとヘルパーさんが来られて今後のことと、ベッド周りの備品の交換についてお話し。介護の変更申請を待たずして、実費でいいのでテーブルを追加とマットを褥瘡予防のものに変えてもらうようにしました。で、私の車は二人いる叔父のどちらにもらってほしいので、先日左側後
こんばんは。遅くにすみません。今日は母親と叔母と交代の日。二人が顔を合わさないように時間調整。母親は金曜日までいてくれます。それからしばらくこちらへいてくれます。どっちがどうってわけじゃないけど、二人とも記憶力が心配。本当に家から出られなくなりました。土曜日は姉夫婦、姪っ子が来てくれて…お風呂に入りましたが風呂からたちあがれなくなり、今緩和の看護師をしている姪っ子が一緒にお風呂に入ってくれて出してくれました。これからは訪問看護師さんがいるときに入るようになります。しかし、姪っ子のダン