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https://www.oldphotojapan.com/photos/351/yoshiwara-no-yujo1910年代の東京•吉原の遊女東京の吉原遊郭で遊女達が窓の内側に座っている風景。www.oldphotojapan.com遊廓は人権侵害・女性虐待にほかならず、現在では許されない、二度とこの世に出現してはならない制度です。本展に吉原の制度を容認する意図はありません。広報の表現で配慮が足りず、さまざまな意見を頂きました。主催者として、それを重く受け止め、広報の在り方を見直
24:30からのU23アジア予選観ようとしていたけど綺麗に寝落ち🌠コークハイと夜マックの組み合わせが強力過ぎる🌟その前のJKと六法全書は記憶に残ってる😺シリーズ物のTVドラマ最後まで観たの何年ぶりだろう……10年は超えてそう🙂ヒロインが老けて見えるなぁ……Google大先生に聞いてみると設定とほぼ変わらなくてビックリ……とかツッコミまくってたら最後まで観てた🌸🌺💮MCDNLDにいた子も大人びてたなあぁ……「ソレ系のお店の人」かと見間違えそうなくらい……とも思ったり朝昨日のオニオン野
横浜公園のチューリップです。チューリップは、品種によって、開花時期が異なり。しかし、おおかたは、盛りを過ぎて。花は、盛りの時を愛でるだけではない、と言った人もいますが。やはり、盛りは、美しく。前日の、激しい雨と風。それとは、うってかわった快晴。花は、青空に映えます。横浜スタジアム。公園内にある、『水の広場』。この横浜公園にも、横浜生まれの、『横浜緋桜』があります。しかし、すでに、盛りを過ぎて。岩亀楼の、『石灯籠』。『ふるあめりかに袖は濡らさじ』。この案内を読んでも、
こんにちは、元気ですか。日本史の闇に真っ向から挑む「大吉原展」開幕、二度と繰り返してはならない過ちから、日本の「売買春」を考える日本史の闇に真っ向から挑む「大吉原展」開幕、二度と繰り返してはならない過ちから、日本の「売買春」を考える(JBpress)-Yahoo!ニュース江戸幕府公認の遊廓であった「吉原」と、そこで生まれた文化・芸術にスポットを当てた「大吉原展」が東京藝術大学大学美術館にて開幕した。文=川岸徹■約250年にわたって続いた遊廓吉原news.yahoo.c
月曜日からの強風にて激しく鼻炎になりこりゃまずいなぁと思っていたら重症化し病院へ行かなければと思いつつ祝日のため諦め昨日耳鼻科に行ったら風邪の診断を受けました。熱もないし鼻も落ち着きまして咳がちょっと酷めで声がオッサンなのでお仕事は休みました。接客業で従業多いのと嫌な感じの咳なのでね。岡崎市龍城園(昭和園)へ岡崎城のすぐ横。岡崎城は、三河国岡崎藩にあった日本の城。徳川家康の生地である。別名、龍城。戦国時代から安土桃山時代には松平氏の持ち城、江戸時代には岡崎藩の藩庁
半田市繋がりで半田の遊郭跡地を。なんだか空き地が増えてたし以前あった遊郭跡の建物も解体されてました。以前は猛暑の中コロナ真っ只中に彷徨いました。暑くて死んだな。『遊郭跡地巡り清娯園(愛知県半田市)』愛知県半田市清娯園跡春扇楼末廣明治時代に料亭とし営業を始め現在の建物は大正時代に建て直したものだそう。玄関の照明が素敵でした。少し前まで入り口左側に春扇楼末…ameblo.jpベンガラと扇🪭の意匠がとても素敵な春扇楼末廣入り口の看板は取り外されましたが街灯にはまだ屋号が残ってる。
今日は、良い天気。海を見ようと思い、下津井に出かけたついでに「町並み保存地区」を歩いてみました。こちら、「下津井町並み保存地区」の説明板。この近くに、このようなものがありました。「まだかな橋欄干の親柱」というものの説明板のようです。道を挟んで、左手に、このような石柱が。「まだかな橋跡」と書かれています。説明板によると、かつて、下津井が北前船の寄港などで栄えていた時、日が暮れる頃になると「遊廓」に、船乗りたちを誘うお婆さんが居たそうで、そのお婆さんが、船乗りに「まだかな」
早朝からnoteに投稿する作品「豊臣埋蔵金伝説を追え(ニ)」の制作に取りかかった。残念ながら用が出来、西宮北口に行かなければならなくなって、制作途中で自宅を出た。いい天気だ。寒さを感じない。雲一つない空、気持ちがいいぞう❗昨日に続く西宮北口行き、西へ向かう電車の行路は、六甲山の山並みを臨み、なんとなく旅情を誘う趣があるので大好きだ。大阪へ行く行路とは違った趣がある。チョイ休日気分を味わっているぞう❗場末の立呑屋を舞台にしたものから、ミステリーや伝奇ロマン、喜劇や冒険小説など、これま
満天堂の今年になって初めての新刊が完成した。「おじゃまします。」。絵本だ。著者は「たねまを」さん。色使いも素敵だが、何よりも話がいい。電車の中で、小さくなった男の子が、さまざまな人の心のドアに入り込み、その世界を覗き見るというもの。発想もいいが、覗き見た光景が心を打つ。若い男性、幼い子供を連れたママ、中年男性……。それぞれに捉え方が異なり、おざなりなものでないことに感心する。特に私は、中年男性のポロッとこぼす涙の粒に感動し、涙がこぼれそうになった。定価2200円+税。皆さん、たねまをさん
大吉原展大吉原展江戸アメイヂング2024年3月26日(火)~5月19日(日)、東京藝術大学大学美術館にて開催!桜満開の上野に江戸吉原の美が集結!daiyoshiwara2024.jp大吉原展江戸アメイヂング2024年3月から東京藝術大学大学美術館にて開催されますね。この大吉原展が物議を醸しています。私は現在、都内の大学で修士過程2年生をやっているわけなのですが、学部からずっと「江戸時代における吉原遊女」について研究しています!この大吉原展が開催されることをつい最近知り、吉原
大宮町遊廓は静岡県富士宮市にある遊廓跡です。身延線富士宮駅の東、すぐのところにあります。富士宮というと富士山の登山口のひとつで、富士信仰の拠点のひとつとして「富士山本宮浅間大社」という神社があります。富士山の頂上もこの神社の境内ということになっていたと思います。他にも浅間神社は富士山の周りにいくつもあります。そんな富士宮市ですが、昔は絹の取引や製糸でずいぶん潤っていたらしく、やっぱり遊ぶ場所もあったようです。昭和5年発行の「全国遊廓案内」によると「大宮町遊廓は静岡県富士郡大宮町字茨木に
さてと本日は昨年のADV君との『横須賀中央ダークツーリズム』の続きであり、本来の『ダークツーリズム』の目的地である当時の政府確認施設のお話。私の住む神奈川県川崎市にも旧東海道の宿場町であった『川崎宿』にも古くは江戸時代から飯盛女を抱えた旅籠がたくさんあったのは有名な話で、JR『川崎駅』の南側である現在の『川崎区(川崎國)』には、『南町』と『堀ノ内』の二箇所の性風俗店があり、当然それらを管理する『ヤ』の付く自由業の大きな事務所が映画館やラストランやコンサートホールがある『ラチッタデラ』のちょい
またまたセロ美さんと、会ってました今回は大阪です!いつもお土産をいただくのですが、千葉のお酒まで持ってきてくれました飲むのが楽しみー龍谷ミュージアムでは友達と待ち合わせをして一緒に展覧会を観たのでした。彼女は引き続き仕事があるので別れて、久しぶり、4年ぶりぐらい?五条楽園をちょっと覗いて行こうと思いました。高瀬川に架かる正面橋。昭和4年竣工。面や橋の字が変わっていますね。正面とは、かつてあった、方広寺の大仏に向かって正面にあたるからなんですね。
那覇でまず見に行った所は辻遊廓開祖の墓です。遊廓跡の近くなので、現代の遊廓の様なお店や案内所が沢山あります😍💦💦ここだけはは逝きたかった💦💦辻遊廓の跡地はもっと散策したかったけど、次の見学地に移動します。すぐ近くの駐車場が空いていなかったので、600m離れた所から車椅子を押して那覇市歴史民俗博物館に向かいましたが、地面に段差が多くて凄い大変ですかなりのダメージを受けましたが何とかたどり着けて一安心💦💦自走出来る車椅子なので娘には自由に見学させて、おいらはおいらで見学し撮
1月2日新たな職場で初売りの洗礼を受けてました。7台のレジで2時間待ちになる程。3日にはレジの打ちすぎで身体中が痛くなり(ホンマかいな)4日はちょっとだけ暇になりやっと終わったーって感じでした。布団とかラグとかの大物を袋に入れたり50円のピロピロの靴下とか山のように買う人とか、、、。カゴに山盛り靴下。そんなに履くのか?橋本遊廓大徳のメイン2階のお手洗い。男性用の小便器の奥にお客さんの相手をした後に娼妓がお客を取った後自分の局部を洗うためのお部屋が残ってました
五条楽園は京都市下京区にあった歓楽街です。京阪電気鉄道京阪本線五条駅(清水五条駅)の西、300メートルくらいのところ、五条大橋の先、南側にあります。京都の花街のことは全くわかりませんが、よく、本やインターネットに出てくるところなので、ちょっと見てみようと思い、行ってきました。五条楽園(五條楽園)のあった場所は南の「七条新地」と一体にされていたころは「五条橋下」とされていたらしいです(ちょっと間違っているかも・・)。現在の平井町、都市町、岩滝町あたりのとのことです。これは五条楽園とは別
前回より続き。金山宿の街並み骨董屋さんも見せてもらいました。水路水路を跨ぐ建物!すごいな。この橋から見ました。あの建物の下の道を行きます。水路沿い。写真、真ん中あたり、わかりますか。コウモリと流水の文様。蝙蝠(こうもり)も流水も吉祥文様ですが、遊廓というサインだ、とガイドさんが教えてくれました。ここから客引きもしてたのかな。お客もここを通ったのかな。そういえば
前回のブログでは成田山新勝寺様の参拝と周辺の紅葉の様子を記させていただきました。その当日の成田駅から新勝寺様までの往復。一般的な参道では無く路地裏の道のりをまとめてみました。参拝へのスタートは京成成田駅。駅を背にしてバスロータリー出口の通りを右手に進むと新勝寺様の参道商店街なのですが今回は手前の線路沿いの路地を進みます。飲食店や雑居ビルの並ぶ緩やかなカーブのある路地。狭い路地ながらバスも頻繁に通行。歩道に停められた自転車にも気を付けながら先に進みます。台地にある成田駅
本日大阪におります。大阪で推しのライブ年内見納め。前日の四日市ではディープな四日市の歓楽街と昭和レトロ喫茶店をメンバーの1人と歩いてきました。全く興味なさげに見えた人ですが割と好きだったみたいで喫茶店ではプリンアラモードならぬショートケーキアラモードを幸せそうに食べてました🤭還暦超えてますが王子様的ビジュアルです。電線沢山の赤線跡地にディープな案内をしつつ楽しんでもらえたみたいです。時間にして5分くらい歩いただけですが。前回はダンスホール右手の方を今回は左側。
伊勢市文化政策課間の字こと増田さんから石灯籠について電話頂きました、速攻で行ってきました。石灯籠の画像を見ていただき再度、どこで見つけたとか色々と、………備前屋跡向かって右ブロックの向こう側など。間の字…たぶんですが、備前屋はかなり大きい遊廓だったからこの灯籠は、備前屋の可能性がありますなー時代は江戸ですわ。二見にある灯籠図鑑と照らし合わせながら、同じのは無いですな。💬明後日の合同伊勢音頭はどーですか?と…ご心配されてました。場当たりしたんですか?そんなこと、私
この爺さんはマスダヤに養子に来たそうで実家は、なんと!古市。古市の修道小学校に通っていたとな!私の先輩やん。古市は戦争で、焼けて遊廓やらみんな燃えて、残ったんは麻吉やな。と聞いたら。💬ぐる〜とドーナツ型に燃えたんや🔥でな、大林寺は燃えなかったけど横の油屋は燃えた🔥💬なんと!それで貢さんお紺の墓が残ったんか。そうなるとこっちの見る目も変わるわな
松原稲荷通りは広島県三次市の歓楽街です。芸備線三次駅から北西に1.5キロメートルくらいのところにあります。赤い色をした巴橋の西詰のところにあります。三次市は広島県北部の主要都市で、馬洗川、西城川、江の川が合流するところにあり、船運の要になっていました。その後も芸備鉄道が開業し、後に福塩線、三江線が集まる鉄道交通の要にもなりました。しかし、その地形故、たびたび水害が発生し、昭和47年の大水害では江の川沿いの街とともに水没したそうです。サンパチ豪雪やたびたび起こる洪水をきっかけに、こ
尾道市遊廓(尾ノ道市遊廓尾道久保遊廓)は広島県尾道市にある遊廓跡です。山陽本線尾道駅から尾道本通り商店街を西に、アーケードを抜けて駅から1キロあまり行った場所の海側にあります。尾道市久保1丁目、2丁目あたりでしょうか。久保新開(くぼしんがい)とも呼ばれているそうです。尾道は、昔から瀬戸内海の東西南北の海路が交わる交通の要衝で、現在も今治に渡る「しまなみ海道」の起点にもなっています。余談ですが、向島や因島には造船所がたくさんあり、私の祖父も前回の戦争中に徴用されて向島の日立造船で働い
糸崎松浜遊廓は広島県三原市にあった遊廓です。山陽本線糸崎駅の東、500メートル位のところでしょうか。線路を渡った先、児童遊園みたいなところがあり、このあたりが入口です。とても古い港の東側に当時の建物が残っていました。「全国遊廓案内」にも、貿易港としてたいそう栄えていたことが書かれています。とてもきれいな場所です。港の西側には「住吉神社」があります。また、街区の西端あたりに、古い医院跡があり「ここで働いていた人の健康管理をしていたのかなー」なんて思っていました。訪
日本は江戸時代からエロ変態がちゃんと今に受け継がれてるねꉂ🤣𐤔江戸時代からアダショ(アダルトショップ)が存在してて【四目屋】という表向き薬屋でアダルトグッズが売られてたんだよ🍄ディルドが職人の手作りでかなりのお値段と😳💗宅配もやってくれて箱の中に中身がみえないように工夫されて配達されてたってꉂ😂【張形】🍄ディルドは大奥御用達【鎧形】🍄が勃たない人用【通和散】ローション【鎧形】元祖コンドーム。動物の皮で作られて紐で縛る。ほとんど使われてなかった感じ💦【朔日丸】ピル。機能してなかった
あっとゆう間に2泊3日の東北の旅が終わってしまい更に1週間も過ぎてしまった。もっと色々いけたのじゃないかとゆう反省点も多いが飲んだくれた自分が1番悪い、、、(●˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾でも、調べたんだけど案外ディープな場所って見つからんかった。帰ってきてから仙台の赤線の写真見つけて項垂れました。あの圧巻の赤線の建物から商店街方面に歩くと出会えるこの旅館?だったのかなと思わせる建物。沢山の方が投稿されてます。色々と大好物が詰まってます💕そしてここもね鼻息荒く写真撮
☆☆連載☆☆韓流時代小説名もなき花~月下に花はひらく第3話ある日、光王と香花が暮らす町に旅芝居の芸人一座が町にやってきた。一座の幼い少年たちと知り合いになる。その幼い少年が同性愛好者の貴族にさらわれ。。☆これまでのお話☆香花(ヒャンファ)は14歳。早くに母を失い、下級官吏だったた優しい父と二人暮らしであったが、その父も病気で失った。かつては名門として栄えたキム家であったが、今は没落の一途を辿るどろこか、香花に婿が見つからなければ、断絶になってしまう。香花は没落した実家を
しばらくバイク記事ではないので、興味がない方はスルーしてください。現在関西を爆走中8泊9日・・みなさまのブログへのコメントが相当遅れます、訪問は帰宅後の楽しみにしまーす。海岸沿いの料亭から一本はいり市役所のお向かいさんに新開(しんがい)新地があります。昭和三十年頃の全国女性街ガイドによると50軒180名ほど、市中には400名ほどおり、芸者はわずか20名。目の前に今も造船所がひしめいているので戦後も色町として賑わっていたようです。市役所や税務署の隣に私娼窟、は時々あります。
伏見の長建寺と月桂冠記念館金澤成保京への水運・物流、酒造で栄えた伏見の町中に、長建寺がある。高瀬川につながる濠川と、そこを行き来していた「十石舟」の舟着場、月桂冠の醸造所(大倉記念館)が対岸にあり、伏見の町ならではの景観を味わうことができる。ご本尊に、弁財天をお祀りしていることから、辨財天長建寺として知られる。長建寺の由来と特色山門は、くぐるだけで福を招く「山門迎福」の門とされ、建築はユニークな形式で「竜宮門」とよばれる。下層の「袴腰」は黒、上層の「楼」の壁は朱の色で
去年?一昨年?某局の大河ドラマでフィーバーした岐阜城のお隣犬山城国宝ですが2004年まで個人の所有のお城でした。観光地と化した城下町は人でごった返しなのでスルー。1本西の通りが花街跡になります。通りの長さを考えると1軒のお店の規模は小さからずですが軒数はかなりあったのかなぁと思います。観光地になってる城下町も古民家などの古い街並みを活かしているのでこちらの花街の通りもその流れで残っていければと思います。残念ながら犬山で1番有名?であろう妓楼跡の長屋は解体され更地になりた