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箱根の歴史を語るなら、やはり富士屋ホテル。明治創業のクラシックホテルは、建築美も圧巻!今日は館内見学だけでしたが、見ごたえある圧巻の世界が広がっていました。横浜たまプラーザから、花博とおいしいものを発信🍀らぴすらずりです♪秋の箱根ドライブ旅行レポ!【箱根編】富士屋ホテル彫刻の森美術館強羅公園&COFFEECAMP箱根ラリック美術館&ポーラ美術館蕎麦九十九・ホテル佳山水【小田原編】ういろう・済生堂薬局・清閑亭実は箱根・小田原にはSixTONESゆかりのスポットも
2025.3.22①=中滑川駅=竣工1914年(大正3年)?解体1950年(昭和25年)?中滑川駅は、1914年(大正3年)2月18日に立山軽便鉄道の中滑川駅として開業し、1921年(大正10年)2月20日に晒屋駅、1931年(昭和6年)11月6日に本滑川駅へと改称を経て、1932年(昭和7年)3月22日に再び中滑川駅に改称しました。1943年(昭和18年)1月1日に富山地方鉄道が発足してからは富山地方鉄道本線の駅となっています。②1958年(昭和33年)頃の写真=富山県立滑川
国立台湾博物館へ。中央ホールの美しい天井を見上げて厳かな館内へ足を進める。30元でこれは見ごたえ十分。歴史ある近代建築の優れた意匠を五感で堪能した。展示室へ移動。無形民俗文化財に通じる特異な色彩や衣服が空間を彩っている。伝統的な芸能や道具の数々。細部まで精巧に作られたお面の独特な形状が面白い。続いて向かいの古生物館へ。かつての銀行建築を活かした重厚な空間が印象的。大空間に現れる恐竜骨格の展示。過去の旅の記憶と目前の景色がシンクロする。さすがに見どころ多し。しっかり見るなら半日は必要。
2025.3.22山門①②本堂(登録有形文化財)1916年(大正5年)に宮大工の岩城庄之丈が建立しました。=藤谷山養照寺=本尊阿弥陀如来宗派真宗大谷派養照寺は滑川旧市街地のほぼ西側に位置します。藩政時代は加賀藩前田家の本陣も勤めた当地きっての有力寺院です。本堂は1838年(天保9年)の大火で焼失し、再建途中の1866年(慶応2年)に大工小屋から出火した「養照寺焼け」と呼ばれる大火で再び焼失しました。1912年(治45年)に再建が始まり、1916年(大正5年)に落成しました。棟
先月のシルバーウィークに前々から一度は行ってみないといかんな~と思っていた明治村に初めて行ってきました。愛知県犬山市にある明治村は日本各地の、その場では残せないけれども歴史的・文化的価値の高い明治時代を中心に~昭和前期頃までの近代建築を移築・修復展示した“建物の博物館”です。その敷地はめちゃくちゃ広くて建物も60以上あるそうなので、しっかりすべて見ようと思ったらとても1日では無理です今回は事前に目をつけていたお目当ての建物を中心に周りました。
2025.3.22①=田中小学校旧本館=(登録有形文化財)竣工1936年(昭和11年)様式アールデコ様式1936年(昭和11年)に滑川町立田中尋常高等小学校として建てられ、竣工当時の旧校舎は、本館、南館、北館を凹の字形に配置して、それらの間に講堂と雨天体操場を建てて各建物を廊下で繋いでいたもので、全体としては日の字型の校舎配置になっていました。2014年(平成26年)7月まで校舎として使われ、同年8月28日に鉄筋コンクリートの新校舎が完成すると北側を残して解体されました。②竣工
2025.3.22①=旧髙嶋医院=竣工1931年(昭和6年)詩人の高島高の父である高島地作が建造した医院で、滑川初の洋館建築といわれています。この時は、一族の方とお話しする機会があり、空き家で管理も大変になっていることから解体する方向で考えているとのことで、見学できる最後の機会かなと思っていたのですが、なめりかわ建物フェスがきっかけで、建物を活用する方向に変わったようです。日本全国で、古い建物の活用方法が決まって、解体ではなく生かしていく流れが広がってくれたらいいのになと思いました。
新たに撮影した写真を追加しました。横浜の海岸通りにはかつて4棟、3階建てのスクラッチタイルの建物が並んでいた。今も屋根が一直線に繋がり、ほぼその時の姿を保っている。右側から横浜貿易協会ビル1929年築海洋会館1929年築キッコーマンビル現存せず昭和ビル1931年築キッコーマンビルと併せて「カスタム・ブローカービル(通関業者ビル)」と呼ばれた。(AIで障害物を消去)横浜の大さん橋から海に沿って走る海岸通りには戦前に建てられた建物が残る。アメ
2025.3.22①=城戸家住宅主屋=(登録有形文化財)竣工1868年(明治元年)-1893年(明治26年)頃城戸家は江戸時代末期に神田町(現:上市町)から瀬羽町へ移り住み、味噌・醤油の製造小売りを行い、その後、金物類の小売りや貸鍋、荒物屋も併せてて営業していました。出身地にちなみ神田屋(じんでんや)という屋号を使用していました。1866年(慶応2年)の大火で城戸家は焼失したことから、現在の建物は1868年(明治元年)から1893年(明治26年)頃に再建されたものです。②③④
2025.3.22①=旧廣野家住宅=(登録有形文化財)竣工1914年(大正3年)設計岩城庄之丈施工岩城庄之丈旧廣野家住宅は、1914年(大正3年)に滑川米肥会社の取締役深井省三が滑川の宮大工の岩城庄之丈に建築を依頼したもので、昭和初年頃に廣野家が取得しました。当初は玄関前の水路に橋を架けており、周囲を川に囲まれていることから「四川亭」と呼ばれていました。②③④⑤⑥⑦⑧2階は戸を開けるとかなり開放感があります。なめりかわ建物フェスのコンサートも開催されたようで、こ
2025.3.22①=旧嶋屋=竣工住宅1886年(明治20年)土蔵1876年(明治10年)宿場街・滑川の中心である橋場・中川に面してたつかつての旅籠です。-なめりかわ建物フェス(富山県滑川市)②表から見るとあまり大きな建物には見えませんが、かなり奥行きのある建物で、部屋数も多いです。③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪襖がいい感じ!⑫2階に行ってみましょう。⑬⑭⑮⑯⑰⑱⑲⑳㉑㉒㉓㉔㉕㉖㉗㉘この襖、デザインが良すぎる!これは素晴らしいです。
2025.3.22①=旧宮崎酒造=(登録有形文化財)竣工1866年(慶応2年)もともとは売薬で財をなして酒造業を営んだ小泉屋の建物で、江戸時代後期からは養照寺と交代で本陣も務めていました。宮崎家は1875年(明治8年)に小泉屋から土地と建物を購入して、高月から移り住み酒造業を営みました。②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑯⑰⑱⑲⑳㉑㉒㉓㉔㉕㉖㉗
2025.3.22中町会館①当初は木造教会として建てられ、現在は自治会公民館として使用されています。竣工年代は不明だそうです。②③④2年連続でコジマユイさんの個展の会場として使われています。⑤⑥⑦⑧⑨
旧大隈邸門衛所早稲田大学大隈講堂側の旧大隈邸門衛所。小さい建物だが、1902年の完成で「早稲田大学で一番古い建物」と説明書きがある。東京大空襲で旧大隈邸が全焼した際、唯一焼け残った。白い壁に淡い桃色のハーフティンバーが可愛いが、完成当時もこんな色だったのか?大隈記念講堂大学のシンボル的存在で1927年の竣工。2007年に改修、耐震補強され、重要文化財に指定。おそらく一般の道路に面した建物は、大学内というよりヨーロッパの市庁舎といった印象。大隈重信像大隈重
2025.3.22①=旧ヱビス屋百貨店と旧髙木屋=竣工1932年(昭和7年)ヱビス屋百貨店は衣類洋品店として、髙木屋は下駄・履物店として親しまれてきました。-なめりかわ建物フェス(富山県滑川市)②③④⑤⑥⑦⑧⑨螺旋階段⑩⑪2階の居住空間に行ってみました。⑫⑬⑭⑮⑯欄間⑰⑱⑲⑳㉑㉒㉓㉔㉕㉖㉗㉘㉙
栃木県宇都宮市を歩く13放浪日2024年10月13日近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトにも愛されていた“大谷石”を歩いて観ています雅趣に富む建材として現在でも採石からの販売もしている宇都宮市の貴重な産業材料となっていますそして、日本国も“大谷石”を文化遺産だと認め2018年・平成30年に“大谷石文化が息づくまち宇都宮”として日本遺産に認定されました認定理由は、大谷石と共に生き続ける独自の文化が全国的にも希少であること地域住民の暮らしやまちづくりに深く根付いていること
「丸福樓(まるふくろう)」は、任天堂の前身である山内任天堂の旧本社社屋などを活用した歴史的建築です。1930年に建てられた旧本社社屋は、鉄筋コンクリート造の近代建築で、昭和初期の商業建築らしい簡潔で重厚な外観が特徴です。建物内部には当時の意匠や階段、建具などが残され、任天堂創業期の歴史を感じることができます。現在は、安藤忠雄が設計・監修した増築部分と既存建築を組み合わせ、ホテルとして再生されています。新旧の建築を調和させたデザインが大きな特徴で、歴史的建物を保存しながら現代的な空間として活用した
2025.3.22廃車の建物は1955年(昭和30年)の増築らしいですが、とても戦後とは思えない!①なめりかわ建物フェスの初回に参加するために、久しぶりに富山県に行きました。滑川??なめかわ??なんて読むの?と思ったら、「なめりかわ」なんですね。=旧金川歯科=竣工1914年(大正3年)増築1955年(昭和30年)-なめりかわ建物フェス(富山県滑川市)②③④⑤⑥⑦⑧和室⑨⑩和室の隣の応接室でしょうか。⑪⑫⑬⑭⑮⑯⑰ここは診察室だったのかな?⑱
「やっぱりお着物だと、よく声をかけていただきますね♥」【着物でおでかけのご感想♡】いつもお読みいただき、いいねやメッセージをありがとうございます♥〈『着物で推し活』のエキスパート〉として、「着物で推し活」したい方を、全力でサポ出張お着付けは、大阪、北摂、豊中、吹田、桃山台、南千里を中心に活動しています。成人式、卒業式、入学式、七五三など、人生の節目に、国家資格1級着付け技能士の出張お着付けを!なんといっても、着付け教室ゆき椿🌹といえば【着物でおでかけ】♥毎月【着物でおでかけ】を企
東横線の学芸大学付近でよく知られた建造物は坂間家住宅主屋。1932年築の木造3階建て。外観はモルタル壁に縦長の上げ下げ窓を並べ純洋風。とてもきれいに維持されている。右側に階段があり、今は2世帯住宅?同駅の商店街を歩いていたら、「寫眞」の文字が右から書かれている建物が。ちょうど家の人がいたので聞くと建物は築95年、かつて写真屋を営んでいたとのこと。これは間違いなく歴史的建造物レベルだ!オーナーの意向で建造物の申請は行っていないのであろう。ネット情報はほとんどない。ショー
栃木県宇都宮市を歩く12放浪日2024年10月13日雅趣に富む建材として現在でも売り出している“大谷石”の資料を観ています假屋崎省吾さんとタッグを組めばこの様な素敵なアートにもなる“大谷石”は明治時代に輸入された西洋建築様式の建物にとって有効な建築資材となったのでした“軽くて加工しやすい”というのが最大のメリットだったのでしょう“大谷石”の存在をしった近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトは『こいつは良い!』と【帝国ホテルライト館】の建設に多用しました空間の魔術師と呼ばれ
新富橋交差点に建つ「大野屋総本店」新富町はかつての花街(三業地)で、現在もその名残りが見られます。江戸時代は武家町だったが、1868年に築地の外国人居留者を目当てにした「新島原遊廓」が置かれ、新吉原と京都の島原、大阪の新町と並ぶ規模でしたが、集客が思ったほど得られなかったことで廃止されます。但し芸妓や置屋は引き続き新富町に残り、明治5年に劇場「新富座」が開場されたことで周囲に芝居茶屋も建ち並び繁盛。『全国花街めぐり』(昭和4年)によれば「芸妓屋八十軒。芸妓二百一名。料亭六軒。待合七十
「孤独のパスタ」2569店目は、上野広小路のイタリアン居酒屋ナポリ。写真を撮りたい建物から探したが、この辺りはまだ未訪問のお店も多い😀ナポリタンセット(1300円税込み)に白ワイン(330円)を注文。パスタはナポリタンか本日のパスタのアラビアータ。辛いのは苦手とナポリタンを頼むと、ナポリタンのソーセージも少し辛い、と教えてくれたアジア系の優しい店員さん😀ありがとう、でもナポリタンを頼むしかないよね😀フロア担当はふたりの外国人。出身国が違うようで日本語で会話している。厨房の中に日本人が
2025.3.201階ホールと2階に続く階段。①②③④⑤⑥⑦2階ホール⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑯⑰貴賓室米国人商人が宿泊した部屋で、建物の部屋の中で最も贅を尽くした造りとなっていますが、傷みが激しいことから、中には入れず、部屋の外から眺めることしかできません。⑱⑲天井は、絹布に金泥・銀泥で雲を描いています。⑳ホールの横には二間続きの和室があります。外観は洋館ですが、その中にうまく和室を組み込んでいますね。㉑欄間㉒㉓㉔床の間の横にドアが??これは、戦後、
栃木県宇都宮市を歩く11放浪日2024年10月13日【大谷資料館】で“新たな神秘”に出会い感性のキャッチボールをして観ています生きていくのは執行猶予この猶予を存分に自分らしく生きようと思っています先人の人生で使われた機械を見つめれば先人の苦労がきっとあったのだと思い偲び先人の苦労を糧に今まで生きられたのだと感謝をする先人のように立派に生きようと負けじと必死に生きようとしても掴みたい栄光はあの光の様に遠いいずれはあの光の下で輝きたいと願って後ろを振り返って観れば今
2025.3.20①=旧石川組製糸西洋館=(登録有形文化財)竣工1921年(大正10年)設計室岡惣七施工関根平蔵この建物は、石川組製糸の創業者である石川幾太郎が外国人商人を招くための迎賓館として建設したものです。石川組製糸は1893年(明治26年)に創業し、1894年(明治27年)から蒸気力による器械製糸を導入すると日清戦争、日露戦争などの戦争特需も相まって急激に成長しました。最盛期には入間市に3工場、狭山市、川越市、福島市、愛知県、三重県、福岡県にも工場を持ち、1922年(
重要文化財である日本銀行本店の見学ツアーに行ってきました!無料だけど、なかなか予約の取れない日本銀行本店の見学ツアー。1か月半前に1枠だけ空きを見つけ、10月1日の朝9:30の予約ができたので夫と行ってきました。警備も厳戒で、当日の9:15〜9:25の間に受付をしないと入れません。それなのに・・・我々は半蔵門線に乗るときに逆向きに乗ってしまい、最寄駅の三越前駅の着いたのが、9:24!地下鉄を降りて、階段をダッシュで駆け上がり、ハァハァしながら守衛さんに謝って、ギリギリで入れて
青森屋でタルトを食べてから鶴岡観光へ。鶴岡で楽しみにしていたのは致道博物館。致道博物館Officialsite....www.chido.jp致道博物館は江戸時代~明治期辺りの建物が集められているところ。昔の建物が好きなので、是非行きたいと思いました。13時頃到着駐車場から近代建築っぽい建物が見えます。案内板。8つの建物と庭園があるとのこと。入って最初に赤門に行きました。赤門は↑の看板の①~⑧に含まれていません。赤門と言えば東大、
中京区、三条麩屋町通を下がった繁華街にもスグの場所に、突如現れる謎の館。外観から洋館であることはわかりますが、鬱蒼とした緑の蔦に覆われすぎてて若干“魔女の館”か!?と立ち止まってしまうほど(笑)こちらは、昭和11年(1936年)に建てられた『旧革島医院(旧革島外科病院」』。昭和モダン建築の傑作で、国の登録有形文化財にも指定されています。施主・革島彦一医師がドイツ留学時代に感銘を受けた蔦の絡まる館を、自ら描いたスケッチをもとにあめりか屋が設計・施工した建物。円
2025.3.20①=日本基督教団武蔵豊岡教会=竣工1923年(大正12年)設計W.M.ヴォーリズ武蔵豊岡教会は、プロテスタントのメソジスト派の教会で、1889年(明治22年)7月2日に創立しました。最初の教会堂は、豊岡1丁目に建てられましたが、現在地に1,000坪の敷地の献納を受け、1923年(大正12年)5月6日にW.M.ヴォーリズの設計で礼拝堂が建立されました。欅材を多用した堅牢な建物であったことから、関東大震災でも無傷で済んだそうです。2014年(平成26年)に入間市駅