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続け字、一筆書、連綿⋯文字と文字をつなぎながら、流れるように書いていくと、その言葉が、ひとつの呼吸をもった世界として立ち上がってくるようなー動画では、東晋時代の王献之の書をベースに、課題の参考揮毫をしています。父・王羲之とは異なる王献之の美意識を味わいながら、令和時代に生きる自分の書をつくりあげていくところに、なんともいえない、深い楽しさが。王献之の外拓の法(伸びやかでリズミカルな書風)に触れていると、書くことそのものが、時代を超えた対話のようにも感じられます。書の古
アートに触れていてふと思ったことをとりあえずメモ的に書きなぐったいわば記事のドラフトみたいなものですが、整えずにそのままシェアしてみます。w【説明不能だが、確かに通るもの】軽いノリで書き始めたが、結構おれちが、子供のころからフォーカスしとることかもしれん。具体から書くねMEIKOっていう、弾き語りてきなから始まてる、女性シンガーいる。数年ちょい前かな、ハマって。また、新アルバム出てたのに気がついて聞き始めたが、、この人の音楽の雰囲気だいすきだが、歌詞とかは、なんつか
三度寝のあと、公園で裸足で芝生を歩いた。足裏に伝わる草の感触、土の柔らかさ、風の流れ。考える前に、身体へ戻る感覚があった。旧OSの頃は、自我だけが前面に立ち、Selfは深く冥伏していたのだと思う。今は、Selfと自我が交互に現れる。十界互具のように、一界が現れる時、他の九界は冥伏している。裸足は、それを静かに教えてくれていた。📘note:https://note.com/kosukekuma💬https://forms.gle/ck47C5r7j7y2imu66#Healy
本日のレゾナンス分析は、「神経系を休ませながら、地に降りる調整」という流れが非常に強かった。特に、・ゴールドサイクル・ジオパシー・刺激Ⅶ、Ⅵ・膀胱経・結合組織・大地とのつながりが印象的。最近の私は、裸足で歩く、風を感じる、微睡む、静かな時間を過ごす、そんな感覚を自然に求めている。以前は、力み、緊張し、何とか動かそうとしていた。しかし今は、「整えば自然に流れる」という感覚が身体側へ降りて来ている。膀胱経や結合組織は、身体に染み込んだ戦闘モード解除の
今朝のコーチング分析は非常に象徴的だった。テーマは、「もう、そこまで力まなくていい」ここ数年、止まったら危険、進み続けなければ、何とかしなければ…そんな緊張で動いていた感覚が強かった。しかし今回の分析では、「整ったものが自然に流れ始める」「沈黙の中では全てがそれ自身から起こる」という流れが出ていた。最近の私は、裸足、微睡、呼吸、静かな散歩、水を飲む時間、そんな小さな感覚の中で、身体と神経が安心を思い出している。無理に押し進めるのではなく、整えば自然に流れる
人生の苦しみや不安を、自我で何とか乗り越えようとしていた時期があった。もっと強く。もっと制御し。もっと崩れないように。しかし唯識で言う蔵識(八識)は、“暴流”と呼ばれるほど膨大な生命流。七識(自我)だけで制御するには限界がある。だから人は、胸を閉じ、背中を固め、思考を過剰稼働させる。最近ようやく分かってきた。暴流は渡るものではない。下流まで下がり、海へ出ればいい。海とは、宇宙根源の法。そこへ重心が移ると、九識→八識→七識→六識→五識の流れが通り始める。すると思考や
最近の私が意識していることそれは「居つかないこと」居つかないとは考えないということ。ちなみに居つく(いつく)とは、武道(特に剣道)において恐怖や迷いにより心身が固まって動けなくなる状態を指す言葉です。その頭の中で「意味にして把握しようと」している状態を、そのときの身体感覚のみに集中させたい。居つかない身体は表現力の基礎でもあるんですが、よく誤解されやすいのが頭で意味を考えても(意味で)ムカついたり嬉しくなったり感動したり気持ちは高まるため考
養老孟司さんと内田樹さん、この二人の思想家の対談なのだから、話の方向性は想像がつく。そして期待通り。あえてこのブログで要約を書くまでもない。いや、そんなものは存在しないのだ。話は一つのキーワードから思わぬ展開を示す。予定調和などないのだ。二人が、それぞれの立場で身体感覚でとらえたこの世界を、ことばとことばでぶつけあっているのだ。心地よい言葉の応酬。知的だ。タイトルは何かつけなきゃいけないんだろうけど、立ち返る場所、ねえ。日本人、ねえ、、、日本人にフォーカスした部分もある
最近、呼吸を肺の上部へ入れると、喉・首・胸前面、さらに肩甲骨周囲まで強く硬くなっていることに気づいた。ソマティック的に見ると、これは単なる筋緊張ではなく、「心臓を守る防御」だった。前面は“感じ過ぎない”ために閉じ、背面は“崩れない”ために支える。旧OSでは、身体感覚→我→思考→行動となり、感じる前に自我が制御していた。しかし最近は、身体感覚→Self→我→思考→行動の方が自然だと感じる。我は不要なのではなく、Selfと統合されることで、現実世界との翻訳機として機能する。すると
学ぶは真似る言葉を真似る、姿勢を真似る、動作を真似る真似ると言語情報だけでない身体感覚として入ってくる身体感覚として入ってくるときに、その人の思想や信念も漏れなく一緒に入ってくる人から学ぶということは、そういうことだと思うそして、その思想や信念が入ると、特に真似したり学んでないことまで伝わってくる「一を聞いて十を知る」とは、こんなところからきているのではないかと、想像するコーチング・セッションの中では、クライアントさんの動作や姿勢、言葉をコーチが真似をすることがあるクライアントさ
ひとくちに「行書」や「隷書」、「篆書」といっても、その中には実に多様なデザイン、すなわち書風があります。たとえば、王羲之と李邕では、同じ行書でも線の表情や構成感が異なります。こうした古典の書風をベースに課題をアレンジしていくことは、書技術の向上はもちろん、いまここにいない書き手と、いまここで対話するような営みを楽しむことができます。古人の書きぶりを臨することで、その生きざまに触れながら、自分の言葉として、立ち上げていく。そこには、時空を超えた不思議なコミュニケーションがあります。この
今回は、「時間が経つほど動けなくなる」本当の理由について、もう少し深堀りします。「少し時間をおいてから考えよう」これ、よくやっていませんか?すぐ一息ついちゃう。(↑これ、過去の私)実はこれ。かなり高い確率で、そのまま動けなくなっちゃいます。どうしてでしょうか。時間が経つと、「冷静になる」からではありません。ストーリーが完成してしまうから、ストーリーが固まってしまうから、なんです。自作自演?例えば、何か行動して、うまく
今朝はHealyフィットネスプログラム「深いリラクゼーション」を掛けながら二度寝。すると、喉の奥の“蓋”のような感覚が静かに開き、気道いっぱいに空気が広がっていく感覚があった。無理な深呼吸ではなく、身体が「通して良い」と判断したような自然な感覚。その空気の中に、・Self・情報フィールド・源のようなものまで含まれているようだった。以前なら意味づけを急いでいたかもしれない。だが今は、「ただそう感じた」と静かに観察している。最近ずっと、・呼吸が深い・裸足が気持ちいい・水が美
こんにちは。福岡市内にあるカウンセリングルームL’atelierdetmk〜tomokoのアトリエ〜のtomokoです。L’atelierdetmk〜tomokoのアトリエ〜は福岡市内にあるカウンセリングルームです。ホロスコープやタロットカード、ハーブやアロマを使って「ありのままで美しい”あなた”」が自分らしくいられるためのメッセージをお届けします。理由は分からないのにしんどいとき特別な出来事があったわけではないのに、なんとなく疲れる。人と会ったあとに重たさ
最近、ChatGPTに「君は何で現象を見ているのか?」と聞いた。返答は瞬間だった。構造・過程・力学・物語・象徴・身体感覚・関係性・極性・階層……。これは敵わないと思った。人間が一生掛けても整理し切れないものを、AIは瞬時に織り込む。だが、その時気付いた。「全部、自分の中にあった」のだと。AIは、それを高速で映し返しているだけだった。では、人間は何をするのか?境涯を高めること。そのためにはまず、呼吸する。食べる。ウンコ💩する。散歩する。祈る。眠る。そして整ったら仕
本日のHealyレゾナンス分析は、全体として「静かな再統合」がテーマとして強く出ていた。ここ最近続いていた、外界との接触による揺れや緊張感。その中で、身体と神経は確実に“新しい安定点”を探し始めている。特に感じたのは、「無理に前へ進もうとしなくてよい」という感覚だった。以前のOSでは、焦り、不安、義務感によって無理に動こうとしていた。しかし今は違う。静かに休み、呼吸を深め、身体感覚を通しながら、必要なものだけを選択する流れに変わってきている。レゾナンスの流れからも、・境
「longing」という単語が気になって調べていたら、「強く恋しく思うこと」「切望」「帰りたい、会いたい、触れたい…という深い願い」と、結構強い気持ちの表れだと知った。あの形容詞の「long」と、一体どこで噛み合うのだろうかと不思議に思った。long=長いlong=恋焦がれるlonging=長く伸びるような想いつまり、“心が遠くへ伸びていく感覚”を表す言葉のようだ。どこか、まだ届かないものへ向かって。私の知っているlongは「長い」だったけれど、英語って、
2026年度版渡辺松男研究2の26(2019年8月実施)Ⅲ〈行旅死亡人〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P125~参加者:岡東和子、A・K、T・S、渡部慧子、鹿取未放レポーター:岡東和子司会と記録:鹿取未放192橋脚にぶちあたりたる凩のきらめくなかに風の歯が見ゆ(レポート)凩が橋脚に(ぶちあたる)というのだから相当強い風であることがわかる。しかしその凩を(きらめく)と表現している作者の心には、自然への憧れや
これは少し前のわたしの記録です。この3年間、わたしのカラダが、「このbodyをどうやって直してきたか」を、自分の感覚と見た目の変化を言葉にして振り返ってみようと思う。喉の奥に真っ直ぐ、太い軸が、できた。今月に入ってから、オステオパシーの施術中に感じる「からだの動き」が、とても大きくなった。なにをやっているか?が、とてもわかりやすい。オステオパシーの先生から「前の身体にいま戻ったら、
HSP・対人支援者のための、神経系から整えるボディマインドアプローチ。皆川公美子です。「なぜ、わかっているのに変わらないのか」「なぜ、関わっても同じところで止まるのか」──その“詰まり”を神経系×発達・愛着の視点から読み解き、人が機能する状態へと還るサポートをしています。これまでに、のべ8,500名以上の方に伴走。人を支える仕事に携わる方や、対人支援・マネジメントの現場で「あと一段、精度を上げたい」と感じている方へ。****************身体
動画は、小学生の皆さんと硬筆の稽古をしているところの一場面。児童生徒のみなさんに指導する際に、特に大切にしているのは以下の三つです。①ものの見方、考え方→単純作業に陥らず「よく考える」稽古をしているか。(論理力思考力の向上に繋がっているか)②からだの活かし方→手先だけに偏ることなく「よく動かす」稽古をしているか。(身体感覚の向上につながるか)③場とのつながり方→独りよがりにならず「よく話す」稽古をしているか。(コミュニケーション力の向上につながるか)書き方は書き方だけの練習だけでは、上手
『ダイエットとマルシェのはなし』前回の記事『「整う」という感覚』『身体感覚のはなしのつづき。』『身体感覚のはなし。』『境界線のはなし。』前回の記事はコチラ『新しい季節に”こんにちは”』…ameblo.jp6月14日マルシェに出ますー。『「整う」という感覚』『身体感覚のはなしのつづき。』『身体感覚のはなし。』『境界線のはなし。』前回の記事はコチラ『新しい季節に”こんにちは”』前回の記事はコチラ↓『集中力…ameblo.jp今回の記事と関連するはなし頑張る方向のはなしなん
運動をする習慣栄養をとる習慣質のよい睡眠の習慣などそれをやり続けられることが一番大事なことだと思っています。健康が一番の資産です。例えば金メダル🥇持っていても日常が不健康ならいつもの身体がつまらなくなると思うからです。人生の大半は、日常です。今の連続です。なかなか大きな事件は、起こりにくいしかし毎日の日常の、今の「実感力の高さ」があれば幸せ(感じとれるクオリティと時間の長さ)だと思うんですよね。それには集中力のある身体状態が大切なんです。何かを
今朝、久しぶりに公園を裸足で歩いた。足裏に触れる砂、草、土の感覚。朝の陽光は暖かく、ベンチに座ると時間がゆっくり流れていた。頭で考え続けていると、人は身体の感覚を忘れていく。でも裸足になると、身体は今ここを思い出す。暖かい。冷たい。柔らかい。硬い。ただそれだけで、神経は静かに整っていく。今日は「変わろう」とする感覚ではなく、「もう流れの中にいる」という自然な感覚だった。身体はちゃんと知っている。どこへ戻ればいいのかを。📘note:https://note.com/kosu
帰ってきた途端に体が重いこれはよろしくないパターン人と科学で変化を促すそしき変容のプロフェッショナルサクゾーこと、作井大介です朝の犬の散歩の間に奥さんが片付けをしてくれていてUターンラッシュを避けるために朝食を摂る前に義実家を出る昨日から右膝と腰が壊滅的に痛い何だか体が重たい気もする道のりは順調そのもので渋滞もなくSAもスムーズに入れる早めに出れて良かったと安堵しながら帰路につく無事に自宅に着くことができて荷物を運び入れる中で
机で書く。床で書く。書法道場では、この二つをバランスよく交えながら稽古しています。床書きでは、四つん這いで書いたり、立って書いたりすることで、机書きの自分の状態“がよく見えてきま手先だけで書いてしまい、足腰や背中の力を十分に活かせていない。斜に構えてしまい、手本全体を見渡せていない⋯床書きは、そうした気付きにくい癖や偏りに気づかせてくれます。今回の動画では、懐素、黄庭堅、姜夔の書風を活かした課題のアレンジについても触れています。ただ、実際には、さまざまな古典技法の修得を早めてくれる大
瞑想って、正直つまらないです😂キラキラした変化とか、分かりやすい覚醒とか——そんなの、ない。ただ座って、呼吸に意識向けて、気づいたら全然違うこと考えてる。「今日のご飯どうしよ」とか。「さっきのLINE、なんでああ言ったんだろ」とか。で、また戻って、また逸れて。これ、何の意味あるの?って何度も思った。正直、退屈すぎる。でもね、やめなかった。理由はひとつ。最初に「これだ」と思った感覚だけは、嘘つかなかったから。続けていくと気づくんです。自分がどれだけ“外の刺激”に依存
◆書き出したくなる衝動!!◆これが私なんだなスマホで見れる文章読むだけでは満たされないいつでもすぐに手にとって見れる形に残したくなる💗💗ムダな時間にならない?コピーすればいいんじゃない?書き出しても途中でイヤになるかも…💦それでももう使わないコピー用紙に書き出す私◆書き出したくなる衝動!!◆意味ないかもしれない…それでも書き出してる時間なんかすがすがしいそして頑張って書き出そうとしない書き出したいときにだけ書き出す✨️✨️止ま
本日、某大学の短距離選手が遠路遥々、スポーツケア整体研究所に来てくれました。改善したいことをしっかり聴いてから自分の體(骨が豊と書いて「からだ」)の身体感覚に確認する方法で始めました。最初に普段履いているシューズがどれくらい體に負担がかかっているのか?また、本来なら当たり前にもらえる地面からの反力を失っているのか?実際に体感してもらったのですがあまりの結果に項垂れていました。私が開発したWT-LINEシューズを履いて同じことをチェックするとあまりの結果の違いにビックリし
今日は表現が不自然にみえてしまう人について書いてみます。表現が不自然に見えてしまう人はこうしたいこう思いたいこれはこういう意味なんだ!と考えてしまったり思考にいきがちな人。それだと表現は身体感覚(抽象の)広がり(感じとり)は消える。意味による強さ(これはこうなんです)として見えてきてしまう。どうとでも受けとれる表現や想像力を引き出す表現にするにはあくまで感覚(抽象)の状態をキープしないといけないんです。触れるくらい「明確な身体感覚」の方がそこが伝わりや