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現在の極右化した社会においては、反知性主義、権威主義が台頭しています。反知性主義についてはあまりにも根本的な問題としてこれまで扱ってまいりましたので、今回はあえて触れません。今回は権威主義についてお話します。物を考えない人間は、根本的に自己中心の視点から離れることが出来ません。すると「世の中では偉いと言われているのだからあの人は偉いのだろう」「世の中で正しいと言われているのだからあの人が言っていることが正しいのだろう」という根無し草の身の振り方が習性化します。これが権威主義
現在の社会情勢について、久しぶりにお話してみます。トランプ政権によるベネズエラへの強襲、およびドンロー主義と自称するアメリカ大陸侵略構想、国内におけるICEによる市民の虐殺などのあらゆる法に反した行為による秩序の崩壊が続いている中、私はオンタイムで個別の事象について述べては来ませんでした。なぜなら、これはもう、ずっと前の段階からこうなるよと予測されてきたことだからです。そうなるから反知性主義は危険だよ、権威主義は危ないよ、もっと市民の一人一人が考えて行こう、と呼びかけ続けてきて、し
施術にもあらためて目を向けて行って、そちらの角度からも身体観へのアプローチを深めてゆこう、ということを前回はお話いたしました。そこから思いを馳せるなら、鍼灸においての麻酔鍼にも興味はあります。これは決して治る訳ではないのですが、即時痛みが感じなくなるために、QOLには直結しています。同じ麻酔効果を老師父は気功でなさるのですけれども、私がそうなるまでの間に別角度から予習をしておいてもよいかもしれません。また、経絡治療は東洋医学の基礎として抑えておきたいところです。それから刺さ
先日の気功指導者としてのプラクティスの会で、鍼灸医をしている師兄と会いました。私は弟分としては、非常にたちの悪いところがあります。ここぞとばかりに甘えてゆきます。今回も東洋医学についてお話を訊かせていただいたのですが、その中で面白かったのが、整復術を持っていたほうがいい、という物でした。これは実は、私も以前から思っていたのです。しかし、日本では整復は嘉納治五郎先生の政治手腕によって独占業務となってしまっていて、国家資格の所持者にしか許されていません。件の師兄は中国で修行
気がつけば、もう七年くらい日本に閉じ込められています。パンデミックからのち、足掛け二年ほどで学費の半分ほどを作り、三年間学校に通って国家資格を獲得し、その後一年間、それまでの延長戦のような、次の生活への移行のための地ならしようにして過ごしました。2026年の3月で、老師父から気功に関する指導が一段落します。蔡李佛拳はもう、師伝の内容は全部戴きました。これから一体どうしようか。そう思いながら過ごしていました。とりあえず、生活をもとに戻す第一歩としてはタイに戻って少し学び残した
今後の練習会は、以下を予定しております。2月22日日曜日代々木公園13時より2月28日土曜日港区会場13時よりhttps://youtube.com/shorts/2b0uiZ0d12E?feature=share功夫班@3500アルニス班@2500外国人@500人生が面白くなくて面白くしたい十八歳まで@無料
前回は、相方の拾徳ちゃんと武館を開くという方向に向かって進み出すということをお話しました。これまでは人に教えるということをあまり考えたことの無い拾徳ちゃん、「あまりに生徒さんが出来なくてイラッと来ることもあるだろうけど頑張ろう」というようなことを言っていたのですが、それで気づいたことがあります。クイントン・ランペイジ・ジャクソンの指導動画です。確かにそこに出てくる生徒さんは不慣れでちょっとトロいかもしれないのですが、ジャクソンは指導をしながら彼を障害者は同性愛者呼ばわりし続け、しま
先日、相方の拾徳ちゃんが言ってきたですが、女子プロレスを好きだと言うと、いまだにそれが性的な趣味であるというように取る人たちがいると言うのです。よくわかります。昭和の時代の女子プロレスというのはそういう、水着女相撲というエログロの見世物でした。これは興行主がそのように意図して運営していたのですから間違いありません。それが、少女たちに人気が出て、そのファン層から選手を志望してきてレスリング・テクニックを練習しようと言うムーヴメントが起きたときには、運営側は「いやそういうんじゃない
この年末年始に、私が子供の頃に観ていたアニメ「燃えろ!アーサー」のユーチューブ一気放送がありました。これは私がまだ幼稚園にも入らないころにやっていたアニメーションで、アーサー王伝説をモチーフにした物語です。オープニングでは、原作者としてサー・トーマス・マロリーがクレジットされているので「アーサー王の死」が下敷きであるようなのですが、本編最後まで見た所、その要素はまったくないことがわかりました。作劇としては、マンガ水戸黄門などのように古典をアニメーション化したものではあります。
とうとう、以前にも触れた恐怖映画「ガンバの冒険」を観て参りました。生まれたばかりの私の人生に、初めて死や絶望を突きこんで来たのがこのガンバ。映画版は、過去に作られたTVシリーズのダイジェストだったようですが、それはすなわち、過去に私を恐怖のどん底に突き落としてくれた最恐ヴィラン、ノロイとの再会だということです。もう、過去のトラウマを直視するためにこそ劇場に朝一で行った次第です。私ももう大人ですしね、ここでの記事を書くような大人になっている訳ですよ。そこで、必然物語の意味を無
前回は、私の得意武術が蔡李佛拳から五祖拳に変わりつつあることをお話しました。これはどういうことかと言いますと、一言で言うなら用勁です。蔡李佛拳の用勁は、鉄線勁というくらいで体内に力の線を作って用いるという物です。これがすこぶる勝手が良い。前回のお話を引き合いに出すなら、他派の拳を本門としながら、懐刀として蔡李佛拳を持っているというパターンがあるというのは、この鉄線が使いやすいからだということでしょう。蔡李佛拳は革命兵士の調練武術だけだったあって、誰にでも出来るところが評価さ
以前にもお話した通り、師父が蔡李佛拳から一歩退かれました。私もそれに伴って師父からの教伝では客家拳と太極拳を中心の稽古にシフトしています。先日その客家拳の中の直歩拳という登路を練習していたところ、後ろから師父が「虎はまっすぐにしか進めない」と呟かれました。虎といえば私のことです。何しろ翆虎と名付けてくださったのは師父ですから。そこでちょっとハッといたしまして。これは、何か私の生き方について十代な示唆を与えようとなさっているのではないか?どういうことだ?最近私はどうし
正当な伝統中国武術においては、決して答えは直接教えてはいけないということについて前回はお話いたしました。私はいつも稽古中に「愚者のすることは全て陽だ。賢者のすることは全て陰です。表象に囚われてはいけません。本質を理解してください」と繰り返しているのですが、みんな表象のことばかり見ています。戦後愚民化教育に育てられていて、事象から抽象化をすることが極めて不得意なのです。それよりも表象を暗記して反復すること、あるいは暗記して反復するように見せることだけに専心してしまうのです。暗記テスト
本年度は昨年の疲労を回復させてかつさらに前に向かうと目標を書いてきましたが、今日までのところ、年始と共に体力の回復具合が良い感じで、日々武術と体作りが行えています。武術に関しては、昨年と同じく槍をほつほつと行いつ、蔡李佛では老架の國字拳を打ち、また白鶴拳の三戦系列複数と五祖拳の三戦、および課題套路の天罡拳を打っています。蔡李佛では鉄線勁と称して体内に強い線を張ることを用いるのですが、白鶴拳、五祖拳では吞吐が要訣となっており、呼吸と十二経脈を強調させるということが必要とされます。この
私は、ちゃんと生徒さんたちに教えてしまう師父なのですけど、これは非常に珍しい存在です。珍しい上に、もしかしたら邪道であるのかもしれません。中国武術の師父たちは、とにかく物を教えません。その教えないということに問題を感じて、真面目にやる人にはちゃんと出来るようになって欲しいということで教える師父になりました。しかし、最初から教える師父として始めた結果、生徒さんたちの質の低さが極めて目立つという結果になりました。まだ何も出来ていないのに人を取って教えようとし始める者、自分も何も
東大出身で批評家としての活動が目立つ大島育宙さんが、先日ラジオで非常に共感できる発言をされていました。それは「全てのことに関しては、判断をつけるには学習が不可欠である」ということです。私も、何をするにもとにかく物を学んでからそれを足がかりに考えてゆくタイプですので、極めて納得のいく、まともなお話に感じられました。このお話に関して育宙さんは「自分の感性だけで選択出来ることなんで、自宅で使う洗剤の銘柄くらいですよ」とおっしゃっていて、それも納得を感じた次第です。感性だけで選べるのっ
先日、また師父からお呼びがありまして、稽古をつけていただきました。その時、久しぶりに師父が功夫茶を入れてくださいました。今年(2025年)、師父は蔡李佛拳の教授を引退すると言われていましたが、本当にそうされて客家拳法の追及に専念なさるようでした。あとのことはよくよく頼みますと言われたものですが、やはり私はこれからも変わらず、正しい人に、正しい内容を伝えてゆくことになるのでしょう。私が師父の下を初めて訪れたのはまだ三十代の頃でした。それからいまに至るまで、師伝の蔡李佛の套路を
昨年は、三年通った学校生活で心身が疲労し、かつ俗世で無明の大衆の間に漬かっていたことの消耗が一気に顕在化した年でした。過労と俗臭に淀んで春先までは中々身体が動かず、また不調感が長く残ったものです。のみならず、いざ活動を開始しようと思ったらインフラであるバイクの故障、PCの故障、最後にはスマホの故障と次々と出費があり、しまいには貯めていたタイ旅行への貯金までがレートの激動で激減してしまい、計100万円ほどが飛んで行ってしまいました。そのような中でどうにか失われた諸々に現状復帰をもたら
前の回では、東洋武術の根本的な思想についてお話しました。あれは決して特異な物ではありません。中国武術においては極めて当たり前の思想です。とはいえ、実際には技巧に凝った門派や西洋体育に近づいた門派も存在しています。また、そういう訳ではないけれども、一部特例があるというものも存在します。私個人の見解からすれば、例えば震脚系の武術などは極めて技巧的で難解な動作を伴います。自然の動作とは言い難い人為を感じます。また、私が行っている五祖拳や白鶴拳、白眉拳などは入口が非常に難しい。
前の記事で、江戸時代の武術書に書かれた漢籍の素養についてお話しました。今回は、その中に出てきた内容についてお話します。この書の中には、武術の極意は天の理にあるとされています。決して筋肉や作戦のうちにあるということは書かれていません。西洋思想とは違うのです。天の理と人の一致。すなわち天人合一です。これは私たちの会の目的でもあります。しかしその天の理には形はない。形は無いので器に入れる必要がある。その器に入るのは陰陽の変化である。ではそれを入れる器とは何かという
前の記事では、いま読んでいる昔の武術書についてのお話をいたしました。そこで書かれていたことは、私が長いこと考えてきている、武術によって道を得て天と合一するという目標、そもそも少林武術にあるコンセプトについてのお話です。この、天との合一、無為自然の生き方という目標について、ちょうど最近老師父から視点の変わるお話を伺ったのです。私はこれまで、天と融合するには己を捨てて無、虚になってゆくことが大切だと思って来ました。しかし、先日の老師父からの講義で、天地の力を我が身に盗むことが天人合
ちょうどいま読んでいる古い武術書が、私の長年の課題について触れています。私はいつも、中国武術、少林拳は禅の修行であり、勝敗の道では無いと説き続けています。そこには中華的な天の思想があり道教、儒教、佛道の三道の昇華として天との合一ということが志されている物です。しかし、実は武術と天道の修行にはまた齟齬もある。ということをこの武術書は書いています。曰く、〝禅僧は輪廻を嫌い、寂滅の悟りを求めて、初めから死んだつもりになって生死の観念を脱却した者である。だから禅僧は多数の敵に囲まれてそ
現代日本人が伝統武術を学ぼうとすると、どうしても内面的に片手落ちになってしまう部分がでてきます。それは、私たちが西洋的な社会で生育されてきたために、東洋的な思想や感性というものが、ほぼまったく欠落をしているためです。やっていることや言っていることの意味が、東洋思想の感性や知見で汲み取れない。これは中国武術に限った話ではなく、日本古武術に関しても同じです。日本が脱亜入欧をする以前の学問と言うならば、それはすなわち漢籍に由来するものとなります。中国思想の基礎が不可欠なのです。
今後の練習会は、以下を予定しております。1月31日土曜日代々木公園2月8日日曜日代々木公園2月14日土曜日新橋会場です。各回、いまだ開催確定には至っていませんので、お申込みの方はご連絡お願いいたします。https://youtube.com/shorts/2b0uiZ0d12E?feature=share功夫班@3500アルニス班@2500外国人@500人生が面白くなくて面白くしたい十八歳まで@無料太拳班@35
新年最初の稽古では、昨年の稽古のときに説明しわすれた部分も補填しました。アルニスの練習時に、他派の動きが出来る人はアレンジとして他の動作にシフトしてしまうことがあるのですけれど、そのような無数の分岐の上でプライオリティを説明いたしました。アルニスはもともと、ハロハロ文化と言われるフィリピンの精神性のもとに構成されたものです。ハロハロとはすなわち、いろいろなものをミックスするという意味です。なので、全てのフィリピン武術はスペイン剣術をルーツとするという共通項を持ちながら、そこから
今年も無事に初稽古を終えることが出来ました。基本の気功の後は、昨年から導入したアートを行いました。野外稽古のときは、ミット打ちでマイクロHIITを行います。HIIT、すなわちハイ・インテンシオン・インターバル・トレーニングは、柔道で全日本にでていた友人でも「大嫌いだ」という位のしんどいメニューです。まぁ、最も彼は柔道も大嫌いだと言っていたので機微はあるのかもしれませんが。この手の生化学トレーニングは、出来る人でも出来ない人でもその人の能力の上限に迫るものですので、決して楽になる
大きい武術と小さい武術について前回はお話しました。その中で、側面を向けるか正面を向けるかということをお話しましたね。大きい武術では側面を向けがちだと私見しています。槍衾を作ったり、陣形を組んだり、騎馬隊を相手に戦うことを考えると必然そうなります。一方で、対一をメインに想定した小さい闘いでは、割と正面を向けがちです。合戦やゲリラ戦を経てきた八極拳や劈掛拳では側面を向けるのがスタンダードですし、簡化武術である女子防身術の詠春拳では、正面を向くスタンスが多用されます。詠春の中
次回練習は1月25日の日曜日、その次は31日の土曜日を予定しています。場所は代々木公園、13時よりです。参加希望者はお申込みお願いいたします。-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.behttps://youtu.be/NafGm5BYiF8功夫班@3500アルニス班@2500外国人@500人生が面白くなくて面白くしたい十八歳まで
最近、白鶴拳をまた教わりなおしているというお話はしましたね。白鶴拳には、2つの基礎が知られています。一つは「三戦に生き、三戦に死す」と言われる套路の三戦。それから基本拳の五行掌です。私も基本好きなので、ひたすら五行掌をやりこみたいと思ったのですが、私の白鶴拳への取り組み方は、五祖拳の中の白鶴拳であり、うちは白鶴派五祖拳なので比較的大切、というようなくらいのもの。決して専修している訳ではありません。そのためか老師父から、五行掌はそんなにこだわらなくて良いと指導を受けました。
私は一日の内、半分くらいの時間をラジオを聴いて過ごしています。そのうちのほとんどはFMとなっているのですが、そこで耳にする番組の中に、スポーツ選手にインタビューをする番組があります。そこに、私の好きなスターダムのさくらあや選手が出ていました。彼女は、一見美人でちゃんとしているようですが、実は今一つ結果は出来っていないし、それほど前に前にとしゃしゃり出てくるわけではない控えめなところがあって、それほど印象が強い選手ではありませんでした。しかし、話を聴いてみると大変に天然で面白い人