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先日も、旧ソ連の軍隊格技や柔術の技を練習したと書きました。伝統武術の会がそのようなことをするのは、本来は全く不必要なことです。しかし現実に存在している問題においては、これは極めて必要なことです。伝統武術の本道を理解してみんながやっているならば良いのですが、実際はそうではありません。武術=強さと言う脳みそを1ミリも使っていないような印象論で感受するような無明の人々が、世の中には沢山存在します。そういった心と頭の不自由な人たちのために、格技の基礎を体験させることで目をさまさせて
神話学のジョーゼフ・キャンベル教授の御著書の中に「野に雁が飛ぶとき」というものがあります。雁が飛ぶときとは、社会に抑圧されていた人間性が世界とのつながりを取り戻して自由になるときのことを意味しています。そのためのメソッドというものが世界中につながる行であり、我々の行っている中国武術もそのためのものです。いま現在私が老師父から学んでいる、五祖拳においても鳥が飛ぶときというのが存在します。それは、用勁が変わるときです。中国武術では段階に応じて用勁が変わるのですけれども、五祖拳で
私のフィリピン武術と暗殺術の先生、GMレイの教え「柔術(組技全般のこと)はするな」を教条として踏まえたうえで、それでもまだ実用の可能性があるという組技の練習として、昔旧ソ連の兵隊さんたちに教わった技を会で幾分練習しました。https://youtu.be/NzXvORjvWLg現在のMMAのような、寝技になってからもぞもぞ攻防するような寝技だと、競技としては圧倒的に強いのですけれども、暗殺術やナイフや銃に対してはちょっと危険度が高すぎます。日本の警察官でも、もっとも殉職率
先日目にしたこちらの動画、非常に興味深いものでした。まぁ、私の名前が翆虎ですので、虎には比較的感受性が高いのですけれども、いかんせん中国人は虎が大好きなので、すべての虎は追ってられません。あくまで目にしたのは偶然です。また、レコメンドで上がってきたサムネイルにしても「虎拳、思ってたんと全然ちゃうかったよ」というものだったので、まったく期待していませんでした。https://www.youtube.com/watch?v=2c7mbA-QbfQこの配信者の方は、そうおっしゃ
血を吐きながらの空騒ぎの結果、結局なにも変わることなく、私は元の生活に戻りつあります。肺をやってる間は呼吸を荒らげるとダメージがあるとのことで、有酸素運動は禁止されました。加えて指も一本折れているので、運動能力はしばらく低下をしつづけます。回復に合わせた運動計画を進めながら、日々練功し、本を読み、真実と向き合って暮らしてゆく。つまりは私は、学んできたこととそれなりに叶った生き方をしている様子です。アジアの身体観、身体哲学を研究し続けて、その過程と成果を世に遺してゆきます。
喀血をするようになっていたころは、これまでとはまったく違う咳が出るようになっていました。ケンケンの鳴き声を真似しているような、一種異様な音が出ていました。普段の咽頭炎であるのならこれくらい咳が続くと喉が痛んで眠るときにも苦労をするものですが、気管支には痛覚がないために、まったく痛みはなく、むしろ体感はかえって楽なくらいでした。おそらくは肺がんが進行しても、同じ理由で痛みはないのでしょう。しかし、病気の進行と放射線治療で体は衰弱していくでしょうから、非常に苦しい思いをすることにな
肺の腫瘍について調べた後の感想は「まぁそんなものだろう」という物でした。若いころに何度も死に向かってきた経験があるためか、不安や恐怖はありませんでした。ただ唯一、これから体調がどんどん悪くなって、歩くことも大変になってゆきながら相変わらず仕事は続ける暮らしになるだろうことが、非常にしんどそうで嫌だなあとは思いました。しかもその暮らし、いまよりも手取りが下がって支出は上がって、貧乏になっている訳ですよ。それは辛い。この時、内科のお医者からは薬がもらえていませんでした。癌の
いつの間にか自分の中に芽生えていた、蓄積した学問を惜しむ気持ちに驚いたというお話を前回はしました。それは、いつでも死ぬものだという想定で生きていたはずの自分にとっては、大きな変化への自覚となりました。功夫を始めるまでは、一秒一秒死に急いでいたというのに。そして、その速度が速いがために、私は何度も死線において勝ることが出来てきました。少なくともそう思って生きてきました。功夫は私を生まれ変わらせてくれました。そしていまは、自分のうちに価値のある伝統が蓄えられている。それ
前回でお話ししていたようなことを、老師父と話す機会が昨年ありました。私は目の前の世界情勢に、常に悲嘆、絶望を繰り返しています。そのような流れを変えることは、個人ではそうそう出来はしないというのが老師父のおっしゃることでした。もしもそれを変えようと思うなら、できることは革命しかない、とおっしゃったとき、老師父は私の内面を見透かすような怖い目をしていらっしゃいました。そう。歴史を振り返ってみるに、中国の武術結社はみな、革命組織となっています。少林寺でさえ、焼き討ちや弾圧を受けま
少林武術の機序についてはお話ししましたが、陰陽思想の語を出したように必然道家系の武術でもこれは成り立ちます。日本人のいわゆる内家拳幻想というものもだいぶ崩れてきたとは思いますが、内家拳=道家武術だというのは現実的なことではありません。太極拳も形意拳も、実際には少林拳から派生したものです。太乙教も全真教もそこに関係はしていません。そこにはやはり、武術による精神の向上という概念が存在しています。近代に書かれた、いわゆる内家三拳の経典である「拳意述真」には、武術は天人合一を目的と
仏教における身体哲学的な行の機序を一言でいうならば、それは「識の向上」ということになります。識とはすなわち認識能力ということです。私はこれを伝えるために武術の指導をしているのですが、愚民化教育で育てられた現代日本人は、なかなかこれが伸びません。識を高めるために動作や身体の働かせ方が伝わっているのでそれをお伝えするのですけれども、再生産された量産型の労働力になるために育てられてきたクローンのような日本人の皆さんは、表層の技の反復しか覚えようとはしないのです。完全に、そのようにしつ
前回の大要に引き続いて、今回はもう少し内容を具体的にお話いたしましょう。身体の行によって精神的な向上が可能だと書きましたが、これは武術ならなんでもよいということではありません。あくまで、その目的を中核とした正当な伝統中国武術に限ります。中国は広大で、沢山の民族、人々が存在します。それらの中で、攻めてくる騎馬民族や敵部族から共同体を守るための単なる戦闘手段として伝わっている武術ももちろん沢山存在します。私が行っている、客家拳法は客家族の人たちの左様な闘争技術です。また、同
前回は、神話から派生した宗教とは別のルート、哲学、身体哲学のルートの存在について述べました。今回はその、行とは実際にどういった仕組みで行われるのかというお話をいたしましょう。行と言っても、ジョーゼフ・キャンベル教授が言う通り、キリストもまたそもそもは現地のユダヤ教系の行者であったというくらいで、世界中には様々な行者というものが存在します。中にはネイティヴ・アメリカンのように、すべての人間が行者として修業をしながら暮らしているという環境もあります。ここでは私が行っているアジアの行
前回お話しした車田正美先生のフォーマットは、いまに至るまで繰り返し語られているのですが、おそらくはその原型となった作品であろうといわれているのが、山田風太郎先生の「甲賀忍法帖」です。現代フィクションにおける異能者バトルジャンルの元祖といわれているこの作品は「甲賀ロミオ伊賀ジュリエット」と名付けられた章があるように、甲賀と伊賀の二つの敵対する一族のそれぞれの若き頭目が恋仲である、という建付けになっています。江戸幕府は三代将軍となる後継者を決めるため、それぞれの方に候補者二人を賭けさせて選
前回お話ししたように、我々がフィクションの中で死や暴力を常習的に消費するのは人類の歴史に脈々通底していた深層心理の働きです。神話を創造してきた深層心理が、同じく死と性の物語を要求する。そしてそれを甘受するたびに、私たちの深層は世界が秩序をもって循環しているという安心を無意識に得ている次第です。80年代以降コンテンツビジネスの王者となったジャンプマンガでは、必ず主人公たちが死んでは生き返ります。おっと、ここで魁!男塾のことか、と思った方がいらっしゃいましたら、この機会に自分のダ
S&Mスナイパーの、まったく直接的に性的欲求と繋がらない美意識高めのお耽美性は、深層心理の神話感性に由来しているとお話しました。吹雪の日本庭園で縛られて放置されている女性たちは、明らかに冬、夜のモチーフと性のモチーフの一対を示しています。参照リンクhttps://hagamag.com/wp-content/uploads/2019/11/11053101_842659295782142_6471218781356010100_n.jpgまた、そこには生贄という要素も見て取れる。
前回お話したように、人類は世界とはどのような物だろうという素朴な疑問と食べ物に恵まれたらいいなあという願いから、性と死の神話観を想像しました。それが土台となり、性と死の要素の置き換えによってさまざまな祭祀や呪術が派生しました。先にこれを、文学におけるエロスとタナトスのテーマだと言いました。人類の深層心理が性と死の神話を生み出した以上、あらゆる時代のあらゆる人間には同様の心理が存在します。私が中学生くらいの頃、アダルト・コンテンツは高価な物でした。古書店で安価で手に入るものは
前回までは、死による性の祈願という祭祀ないし呪術について述べました。これは死と性が対の概念であるためです。夜と昼、冬と春も同様です。この概念は、やがて広がりを見せてきます。例えば日本のアマテラスの尊の岩戸隠れの神話には、太陽神であり豊穣の女神が岩戸の中に隠れた結果、世界が暗闇に包まれたということが語られています。これには上述した対の構造の典型を観ることができます。この時、闇の世界に置かれた神々は太陽の女神を呼び起こすために、芸能の女神であるアメノウズメの命による裸踊りを開催
ラテン・アメリカの古代文明では、人間を殺して生贄にささげる風習がありました。これは太陽が人間の血液によって燃えているという神話があったからです。つまり、彼ら熱帯の地域の生命を支える太陽を維持するには、人間の生贄が必要だというサークル・オブ・ライフ観、およびエロスとタナトスの皮膚感覚的理解が存在していたというわけです。これは地域的なローカライズがあるものの、昼と夜、光と闇という太陽の運行を中心とした、春と冬の神話の変奏であるといえましょう。特徴的なのは、この人々の生贄の選別方法が
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前回お話しした、エロスとタナトスの神話=春と冬の神話のモチーフは、これら季節の変化がある地域のほとんどに及んで存在しているとみなされます。以前お話ししたアーサー王物語は、キリスト教化される前は古代の土着神話でした。聖杯伝説は不毛の荒野となったブリトンに生殖を祭る神器をもたらすことで春の訪れを叶えるという物語だったということです。聖杯と呼ばれるものは古代では女性器を意味した大釜、聖槍に置き換えられたのはファルス(陽根)でした。地母神の大釜に陽根の力を注ぐことで、そこには繁殖が起き
神話と宗教の違いを明文化したところで、次にお話を進めましょう。生と死の機序を設定したところで、神話というものは成立します。これは文学的テーゼとしてはエロスとタナトス、すなわち性と死と表現されるものですね。ちょうど日本語では性と生とが同じ発音となりますが、これは意味的にも重なっているのです。なぜなら性こそが生の根本だからです。既存の命がただ生きているだけではいつか死に向かうだけでおしまいです。世界観であるという神話の機能を果たすには、医療用語でいう再生産が不可欠となりま
前回、サークル・オブ・ライフという概念についてお話ししました。生命の円環、流転という世界観ですね。この概念を中心として、地には死者たちの魂のいるところがあるのだろうとか、天にはこれらを差配する存在がいるのだろう、というように世界観が補強をされてゆきます。これはネイティヴ・アメリカンだけではなくて、世界中の人々の共同体で自然発生しています。神話が深層心理に由来するからだとされています。ネイティヴ・アメリカンの人たちと同じ自己救済欲求と世界を知りたいという欲求がそこに人類を導く
ジョーゼフ・キャンベル教授の神話学によれば、もっともプリミティブな段階で神話が生み出された心理学的機序には、生命の円環を信じたかったから、というものがあるそうです。狩猟採集生活においては、自分たちの生活の生命線は100パーセントが外部からの獲得に掛かっています。要するにすべて運だということです。そのような中で、文字通りの生存競争が行われていて捕食したものが糧を得て生きてゆくことになります。ネイティヴ・アメリカンの生活においては、主要な食料となるのはバッファローでした。白人種
最近、うちの会では複数名が同時に棍の練習に入っています。その中から、棍を学ぶと発勁がより理解しやすいという声が出ています。その通り。そう言ったところが中国武術の面白いところです。古武術の棒では本当にただ振り回しているだけで、なんの意味合いも感じられませんでした。中国武術ではその門派の発勁と直結している。そのことが分かった上で兵器を行うと、ただ武器を振るのとはまったく違う面白さが味わえます。私自身、ちょうどいま客家拳法の棍法を教わっているところです。これがまた、非常に
先日の練習は久しぶりに室内で行えましたので、また寝技のアート(基礎技術)を行いました。今回は、メインで行う中国武術の摔(投げ)の後に報復で行う形で練習しました。この時にこの時に行った技は膝への関節技です。最近のMMAではもう使われていないかもしれませんが、昔は比較的行われていました。私も餓狼伝の時代にはこれのおかげでずいぶん助けられたものです。何しろ打ち倒されても投げ倒されても、下からこれが使えたら逆転することが出来ました。当時一般の格闘家が使っていたのは柔道かレスリン
老師父がおっしゃるには、道教系の気功の呼吸は吸うときにお腹を膨らませて、吐くときに下へと込めてゆくのに対して、仏教系では吸うときにお腹を凹ませて、吐くときに膨らませるとのことです。確かに、師父から教わった謝明徳大師のタオ系の気功では、老師父の仏教系の気功とおなかの膨張が逆のようです。初めはこの、仏教系のお腹の使い方に違和感がありました。体感でもそうでしたし、エゴの部分でも同様です。なんというか、これを発勁の時の運気として考えたときに、打つ前に縮んで打つときに大きくなるというのは
先日、これまでにないほど老師父に深く質問が出来る機会がありましたので、私たちが教わった気功の中核となっているコンセプトはなんでしょうかと思い切って訊いてみました。すると、禅と医だ。という答えをいただけました。そして次いで、少林拳は禅・武・医だと教えてくださいました。これは、ここまで私がたどってきた道の答え合わせのようなお言葉でした。中国武術は瞑想の手段であり、行であるという観点から探求してきたことは、十一年ほど前からここで書いてきています。ただ、禅と武のみではなくて医がある
円卓の騎士の東の代表であるガウェイン卿はこの物語ではほとんど活躍をしません。ランスロット卿とのライバル対決などは描かれないのです。また魔法使いマーリンも、作中の人々から尊敬はされているものの旧来の社会観におけるリーダーとして以上の活躍はありません。ローマ帝国が着てキリスト教を残して行ってから彼の魔法であるドルイド教は弱体化しており、神々が滅んで行っているのだというのですね。ですのでやはりこれは、価値観の変化の時代を描いた物語となるのです。結末では、ドルイドの神々は完全にブリ
前回では最大のヴィランであるモルドレッドについて触れました。ブリトンの統一によってサクソン人の侵略から国を守り平和な国土を築くというアーサーの願いは、トリストラムとイゾルデを火あぶりにするような苛烈な処分や、悪の化身であるモルドレッドでも、彼が王の血を引いている限りは保護して祀り上げなければいけないという苦悩に満ちたものとなります。ずいぶん複雑なジレンマが重なっていますが、これはまさに5世紀を舞台にした政治合戦絵巻なのです。アーサーの悩みの種を列挙すると以下のようになります。・サ