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🎌山梨のパワースポット🔥⛩最強な勝運,武田信玄を祭神とする『武田神社』(躑躅ヶ崎館)に降臨🌈🍁周辺の紅葉が素敵でした👍
山梨県の観光スポットのお話山梨県甲府市の甲府駅🚉南口の駅前のロータリーのある広場。その駅前広場にドーンと鎮座している銅像。甲府、甲斐国といったらば、武田信玄公武田信玄公之像。甲府市、山梨県のシンボルとして親しまれている銅像です❗信玄公像は、武田信玄公奉賛会が信玄公の遺徳をしのび、県民の気運を高揚することを目的に、県内外の有志1,080人から集めた浄財で建設されました。1969年に完成し、甲府に寄付され、かつて甲府駅前にあった噴水の南側に設置されていましたが、1985年に今の場所へ
資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。山梨県甲府市古府中町にある、武田神社(たけだじんじゃ)です。甲斐の名将・武田信玄公を祀った神社です。甲斐武田氏三代である信虎公・信玄公・勝頼公が居館とした、躑躅ケ崎館(つつじがさきやかた)跡に創建され、1940年(昭和15年)には国の史跡に指定されています。絵馬には、武田信玄が風雲火山と書かれた軍配を持ち采配をふるっている様子が描かれています。武田信玄は、1521年に、甲斐国(現在の山梨県)の守護・武田信虎
名称:躑躅ヶ崎館別名:武田氏館跡城郭:連郭式平城築城年:武田信虎築城主:1519年改修者:徳川氏、羽柴秀勝、加藤光泰主要城主:武田氏、河尻秀隆、徳川氏、豊臣秀勝、加藤光泰、浅野長政所在地:甲府市古府中町2611日本100名城武田神社水堀空堀大手門西郭土橋武田神社拝殿大手門東中世の甲府武田神社全図
こんばんは。今週は3日仕事しただけでまた2日間お休みだ~。どこに行こうかな。。。あ、捻挫した足のリハビリで整形外科に予約してたんだったまだ右足庇っているような歩き方してるみたい。とっとと直さなきゃね。2023年のうぽりんの夏休み(=うぽりん夫の夏休み)、まだまだ続きますようぽりん夫とは今は別の会社で働いていますが、毎年きっちり休みは同じ日程で取っています。コロナ禍になってからはお互いに自宅でのテレワークで朝から晩までず~っと一緒。なのに、年末年始、GW、夏休みまで同じ日程
躑躅ヶ崎館では剣の稽古をつける連中の掛け声が響いている。それに最近は一心不乱に薬作りをしている美月の、薬草をすり潰す音が響いていた。「おぃ、楓」俺、猿飛佐助は美月の様子を見に来た楓に声をかけた。「…美月ちゃん、最近ずっとあぁなの?」「まぁな…だから困り果ててお前を呼んだんじゃねーか」楓はため息をつき、美月から視線を外す。「私達三葉は…美月ちゃんに残酷な運命を押し付けてる」「………」「三葉の事が無かったら美月ちゃんはきっと…」「だとしても俺は、惚れた女を簡
藤枝MYFCVSヴァンフォーレ甲府を観戦するため、甲府へ。甲府のスタジアムは私は初体験でした。雨すごくて藤枝負けまくって悲しいことにあまりスタグルや雰囲気は味わえなかったけど、甲府の選手紹介かっこよかった。(横浜FCのもかっこよかった)ヴァン君とフォーレちゃんのサービス精神もすごかった。日医工グループの花火もよかった。翌日炎天下の中武田信玄像見たり信玄ミュージアムと躑躅ヶ崎館跡行って桔梗ソフト食べたり、したけど暑すぎて内容全然入ってこなかった…風林火山がもともと孫子の言葉だ
5月下旬のこと。お城を攻略すべく、甲府へ行ってきました駅につくと駅前でワインのイベントがそりゃ飲むよねーーワイナリー見学へ白ワインの試飲付き歴史ある建物の県庁へ。はい!甲府城跡新しい防災ビルを建てようとしたら地下から石垣が発掘されたようで、展示してあります。市役所展望スペースからは、南アルプスが一望!のはずが、くもり空お天気良ければ富士山もチラリと見えますよ武田神社ここは信玄公の住居の躑躅ヶ崎館跡です。ウォーキングがてら、信玄公のお墓へ。キレイに管理されていましたよ
おはよ〜(*´∀`*)ノ"♡山梨県甲府市にある、武田家ゆかり「武田神社」の御朱印帳&御朱印です。裏の刺繍が若干右肩下がりなのが残念。御朱印は至ってシンプル。これで数年かけて通った、行きたかった山梨県内の寺社仏閣は全て行きました。行けば行くほど武田家の栄枯盛衰を感じる事が出来ました。信玄公&勝頼公があと10年遅く生まれてくれば、武田家が天下統一していたかもしれません。安らかにお眠りください。では、(*^-^*)ノ~~マタネー
#躑躅ヶ崎館#武田信玄#武田神社武田家の本拠地「躑躅ヶ崎館」に行ってきました。今回の甲斐攻めのメインディッシュです。いまは武田神社となっているようです。ここは県道6号線から北に折れて、武田通りを真っ直ぐ進むと正面に見えてきます。この武田通りって当時もメインストリートだったのかな…城下町の雰囲気が漂っています。ここが正面入り口です。大勢の観光客で賑わっていました。この右手に駐車場がありますが、既にいっぱいでした😇…駐車場はこの他にも、正面左手へ行くと二箇所あります(案内看板もあり)。そちら
トップページ都道府県別索引へ山梨県の索引へ武田神社の東側に広がる大手の曲輪群を見に行ったついでに、すぐ北の竜華池畔に構える遊亭も見に行って、すっかり満足して降りてきた次は、ふたたび団体旅行中のシーンに戻って武田神社の北の方に広がる遺構たちを見に行ったようすを。この時の見学時間、残り20分…💦→現在位置(Googleマップで)北の方は発掘調査なうのところが多いが、南端付近に敷かれた歩道から発掘現場を見学できるようになっている。曲輪の中に入ることは出来ない。入口は公園のような
トップページ都道府県別索引へ山梨県の索引へ最初に躑躅ヶ崎館を訪問したときは団体旅行中で、武田神社の見学時間約40分で出来るだけ広い範囲を見て回らなければならなかったので、所在を知っていた大手、北側の曲輪群、そして西曲輪をサ〜ッと見て回っただけだった。翌週の追試ではゆっくり時間を取ることにしたので、この機会に北東にあるという躑躅ヶ崎遊亭を見に行った。→現在位置(Googleマップで)惣堀北虎口から見える竜華池の築堤が、既にハンパない存在感を放っている😂遊亭に行くにはこの築
トップページ都道府県別索引へ山梨県の索引へ躑躅ヶ崎館は甲斐守護から戦国大名となった武田信虎が永正十六年(1519年)に築いた城館で、それまで東の方の石和にあった川田館から移ってきて本拠地とした。翌年には詰城として要害山城も築かれ、居館と詰城が整うこととなった。後を継いだ武田信玄、勝頼の時代を通じて本拠地であり、この時代に西曲輪などが増設されたとされる。武田氏が滅んだ後も天正十八年(1590年)に甲府城が築かれるまで徳川家康が甲斐国経営の拠点としており南西の梅翁曲輪は武田氏滅亡後の造成
躑躅ヶ崎館…跡地には武田神社が建つ戦国時代の信玄の居館です。信長の野望をやってたら一度は目にする激ムズ漢字。……がさきやかた!子供の頃、ネットの無い当時、この漢字は10年くらい読めないままでした。漢和辞典で調べれば良かったんですけどね社会人になって読んだ武田信玄の本のフリガナで正解を知った気がします。つつじがさきやかた!ツツジは、ひらがなか、カタカナでお願いしたいてゆーか、100名城では武田氏館で登録されてます。簡単でわかりやすいし、そっちでイイじゃん。とゆうことで、今回
5月1、2日と山梨県をいろいろ回ってきましたのでおいおいアップしていこうと思います。静岡と隣接してはいるものの、西部からは遠くてなかなかいけませんでしたが、昨年中部縦断道路が開通して多少は行きやすくなりました。まずは武田神社。山梨県民の誇り、甲斐の虎武田信玄を祀ってます。学生のとき以来30数年ぶりに訪れました。当時はまだそこまで歴史に詳しくなかったんでお参りしただけだったけど、実は神社周りがスゴいもともと武田信玄の父信虎から息子の勝頼まで3代の居城だったものを、武田家滅亡後に徳川家
「もと躑躅ヶ崎館の武田神社」に立ち寄り参拝。良い写真が撮れるように、勝守を授かってから記念写真撮影を(^-^)。ここまで来たらやはり、武田氏の菩提寺・恵林寺や武田勝頼の墓のある景徳院にも寄って帰りましょう(*^^*)。
城を観る[YouTube]今回は...(撮影2024/02/13)【城を観る+】《躑躅ヶ崎館》2024〜武田氏三代の居館!躑躅ヶ崎館跡を観る〜【城を観る+】《躑躅ヶ崎館》2024〜武田氏三代の居館!躑躅ヶ崎館跡を観る〜《躑躅ヶ崎館》[読み方]つつじがさきやかた[撮影地]山梨県甲斐市[撮影日]2024/02/13[撮影者]バイソン[BGM]Dreamland(writtenbyshimtone)[YouTube]城を観るhttps://youtube.com/@sirowomir
此度(こたび)、武田信(のぶ)直(ただ)が出陣しなかった由(よし)は二つある。ひとつは城の普請(ふしん)を始めるからである。相川(あいかわ)の躑躅ヶ崎(つつじがさき)に新しい武田館(やかた)を造(つく)ったはいいが、まだ有事(ゆうじ)の際(さい)に詰(つ)める城がない。躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)は狭(せば)まった小高(こだ)い場所にあるとはいえ、平地にあるため防御(ぼうぎょ)は山城(やまじろ)とは比べ物にならないくらい脆弱(ぜいじゃく)だ。此度(こたび)の国人(
<速報>2泊3日(3/6~8)の「春のお城めぐり」ツアーをスタートし、本日帰宅の途中です。行き先は、1日目は長野県、山梨県の2県、2日目は長野県上田市・千曲市の山城めぐりをしまして、1日目の夜は山梨県大月市に宿泊しました。天気を気にしながら起床して、3/7は「岩殿城」へ向かうべく、7時半に大月駅前から登山口近くまでバスに乗り、雪で滑りやすくなった登城路を途中ツルっと滑りながらもやっと登城できました。本来は、表側(北側)の岸壁が見える所からの登城が一番「岩殿城らしい」のでしょうが
明日から、2泊3日(3/6~8)の「春のお城めぐり」ツアーをスタートさせます。その準備として、予定表を作成し、各お城のある行政や観光協会にお願いしてパンフレットや資料を送っていただくとともに、余湖さんの山城「縄張図」を見て見所ポイントをチェックしながら予習をして備えました。行き先は、長野県、山梨県の2県ですが、伊丹から羽田までマイレージを使用して7時5分の飛行機でフライト。まずは東京駅からは、JR東日本の乗り放題切符「旅キュン早割パス」(10,000円)を使用して、長野新幹線で
武田神社は武田信玄公を御祭神とする神社です。甲府駅からは緩やかな上り坂を歩くと30分くらいかかります。バスを使うと10分くらいですちょうど年始であったため、初詣客でごった返していました。かなりの待ち時間になりました神橋を渡ると鳥居があり、武田神社本殿に入れますこの地は武田信玄公の館である躑躅ヶ崎館跡付近にあります
12月上旬の平日一泊二日山梨県〜静岡県に行って来ました甲斐善光寺の次は甲斐武田神社www.takedajinja.or.jp武田信玄を祀った武田神社へ武田氏三代が居館とした躑躅ケ崎館跡甲陽武能殿で、お稽古されていました拝殿澄んだ音の水琴窟三葉の松葉、境内に沢山落ちていました金運のお守りを頂きました5へ続く
※武田氏館全体図…主郭、西曲輪、北曲輪、味噌曲輪、隠居曲輪、稲荷曲輪、東大手曲輪(馬出)、梅翁曲輪(南側、徳川期に増設)…周りは完全に宅地化されていますが、中世居館遺構がほぼ完存しています武田氏館(躑躅ヶ崎館、武田神社)に行きました!3️⃣100名城No.24武田氏館(躑躅ヶ崎館、武田神社)には、今回初めて行きました。室町〜戦国期の遺構がほぼ完存する全国的にも非常に珍しい城であることがよくわかりました😃※武田氏館東大手復元土塁…巨大な山のような土塁…宅地、水
※武田氏館(躑躅ヶ崎館)配置図…主郭(中、東曲輪)と西曲輪を中心に建物を配置していました。武田氏館(躑躅ヶ崎館、武田神社)に行きました!2️⃣100名城No.24武田氏館(躑躅ヶ崎館、武田神社)には、今回初めて行きました。室町〜戦国期の遺構がほぼ完存する全国的にも非常に珍しい城であることがよくわかりました😃※主郭庭園案内板…神社建設時に主郭の遺構のほとんどは壊されましたが、発掘調査で庭園跡が発見されました。池泉式庭園と考えられ、立石組み遺構、青と白
※戦国最強の「軍神」「武田信玄公銅像」武田氏館(躑躅ヶ崎館、武田神社)に行きました!1️⃣100名城No.24武田氏館(躑躅ヶ崎館、武田神社)には、今回初めて行きました。室町〜戦国期の遺構がほぼ完存する全国的にも非常に珍しい城であることがよくわかりました😃※武田神社の巨大な石柱武田氏館(躑躅ヶ崎館、武田神社)日本100名城No.24武田氏館(躑躅ヶ崎館、武田神社)は、JR甲府駅の北側にあり、現在、主郭部分には、
※河尻秀隆公の墓「河尻塚」案内板…前は草ぼうぼうで、信玄公火葬墓はきれいに整備されてるのにこの扱いは…ほんとに甲府市指定史跡なんですか?と聞きたくなる有様です河尻秀隆公の墓「河尻塚」戦国武将の墓・供養塔シリーズ戦乱の時代は、おおまかに言うと応仁の乱(1467年応仁元年)から大坂の陣(1615年)までで3つのカテゴリに分類されると思います。1️⃣戦国時代応仁の乱(応仁元年1466年)から室町幕府の滅亡、織田信長政権の成立(天正元年1573年)
※山形(懸)地名の由来と山縣塚案内板武田二十四将「最強の赤備え」山県昌景公の墓パート1️⃣戦国武将の墓・供養塔シリーズ戦乱の時代は、おおまかに言うと応仁の乱(1467年応仁元年)から大坂の陣(1615年)までで3つのカテゴリに分類されると思います。1️⃣戦国時代応仁の乱(応仁元年1466年)から室町幕府の滅亡、織田信長政権の成立(天正元年1573年)2️⃣安土・桃山時代織田政権(天正元年1573年〜天正13年)豊臣政権(秀
※原隼人佐昌胤公の供養碑…草がぼうぼうで標柱の看板までしか行けませんでした。左手にわずかながら見えるのが昌胤公の供養碑です武田二十四将原昌胤公の墓戦国武将の墓・供養塔シリーズ戦乱の時代は、おおまかに言うと応仁の乱(1467年応仁元年)から大坂の陣(1615年)までで3つのカテゴリに分類されると思います。1️⃣戦国時代応仁の乱(応仁元年1466年)から室町幕府の滅亡、織田信長政権の成立(天正元年1573年)2️⃣安土・桃山時代織田政権(天正
武田神社を参拝した後、信玄ミュージアムに行きました。ここも2年ぶりです。大河ドラマどうする家康パネル展武田信玄だけで無く、武田勝頼、山県昌景、穴山信君、千代のパネルもあると良かったのに…常設展示室は無料。武田氏が治めた時代、徳川氏が治めた時代の様子が分かりやすくパネルで紹介されています。甲陽文寛〜甲斐武田2019ー2023〜高坂美慧さんのブログ↓『信玄ミュージアム「龍虎相搏つ武田信玄と上杉謙信」後期展示スタート❣️』おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありが
モミジと再会した後は、2年ぶりに武田神社に行きました。今年は、武田信玄公没後450年。前回は、武田信玄公生誕500年。武田神社甲斐國総鎮護祭神武田信玄躑躅ヶ崎館跡に大正時代に創建。信虎、信玄、勝頼の三代が居住し政治の中心でした。紅葉が綺麗です手水舎武田水琴窟甲陽武能殿御神木武田神社には、三葉の松があります。普通の松葉は二つ。三葉の松は、黄金色になって落葉し財布に入れると金運アップがあるとか…三葉の松高野山から種子が飛んできたそうです。高野山の三葉の松は、三鈷