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誕生日の翌日の早朝…なぜか下のムスメと山梨県甲府市にいた。たまに湧き上がる武田信玄公の足跡めぐり。武田信玄の居城だった躑躅ヶ崎館の目の前に穴山信君の屋敷跡がありました。ここからは武田家の家臣のプロフィールも記載しますが、没年を見ると長篠で散ったのか、甲州征伐で散ったのか、はたまた生き延びたのか?とかもわかると思います。穴山信君(1541~1582)天文10年(1541年)生まれ、穴山氏7代当主として甲斐武田家の御一門衆に列する。幼名は勝千代、後に梅雪斎不白と号し、武田二十
今回は、甲斐・信濃の領国開発にチャレンジ!村上義清や小笠原長時が南北信濃に分かれて統治していたシナリオもあるけど、安定した領国開発したいので、武田信玄にしました。甲斐・躑躅ヶ崎館(甲府城)信玄堤が築かれていたので、この状態で進めます。ぶっちゃけ、信虎・信玄(晴信)の武田2代がいなかったら、甲府市は田舎町としてスルーされてたかも。北信濃・海津城(葛尾城)信濃川(千曲川)がめちゃくちゃ長い!村上義清が治めていたが、真田幸隆の応援で北信濃を制圧できた。なお、東南には小諸城が支城になって