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右京・嵯峨の天台宗「二尊院」は、角倉家の菩提寺である。角倉了以・素庵伊藤仁斎・東涯江戸初期の豪商、角倉了以・素庵の父子らが葬られている。大堰川など河川開削に尽力した了以は、工事に携わった人々の菩提を弔う為、嵐山に(嵯峨中院)千光寺を再興し「大悲閣」となした。二尊院のある嵯峨は角倉家の居住地であり、了以の生地でもある。又、江戸前期の儒学者・伊藤仁斎は京都堀川に古義堂を開き、跡を継いだ長男・東涯と共に二尊院が墓所となっている。
今日朝は武田薬品薬用植物園に行ってきました。珍しい植物ばかりで驚くばかり。植物園内にある建物も貴重な建物。温室ではバニラの香りが漂ってました。その後移動しがんこ高瀬川二条苑での庭案内。生憎の雨ですが、植物たちは元気です。ほんまに感謝しかありませんね。
今日はがんこ高瀬川二条苑での庭案内。生憎の雨ですが、植物と鴨は元気ですよ。5月から始まった川床は中止。予約されていた方々には申し訳ないですが、この天気では仕方ないですよね。働けることに感謝。
忘れてましたが、5月3日は上賀茂神社に葵を植えに行ってから、がんこ高瀬川二条苑での庭案内でした。葵は来年の葵祭に使われるそうですくすく成長をしてほしいですよね。がんこ高瀬川二条苑ではお客様がひっきりなしに庭園に降りてこられ、有意義な時間を過ごしました。ほんまに感謝しかありませんね。
がんこ高瀬川二条苑@京都市慶長16年、豪商角倉了以によってつくられた屋敷鴨川沿いにあり、庭も有名我々は和風アフタヌーンティーを注文雰囲気も良く、ゆったりでき、すべて美味しく食せた庭お飾りしたメイかわいい
ちょいと思い立って山梨へ、県立博物館と県立美術館のそれぞれ企画展・特別展を見てこようと思いまして出かけたような次第でありますよ。まずは、中央本線石和温泉駅からバスで数分の山梨県立博物館に行ったのですが、甲府駅始発で博物館を通るバスは何とまあ、河口湖経由富士山駅(富士急行線のかつての富士吉田駅)行きだものですから、わんさかと乗客が乗り込んでおり…。そのうちには相当数の外国人観光客であったとは、昨今よく耳にするインバウンドをまざまざと、ですなあ。ともあれ、博物館で下車したのはほんの3~4人でし
今日はがんこ高瀬川二条苑での庭案内の日。川床の準備も着々と進んでおります。庭もいろとりどりの花が咲いております。ありがたい限りですね。ほんまに感謝しかありませんね。
四条通から高瀬川沿いを北上すると染井吉野が多く植えられているので、満開の時には「お手軽花見スポット」になります。河原町通と賀茂川の間を南北に流れる高瀬川。ここは1611年に商人の角倉了以・素庵父子によって京の街と伏見を結ぶためにつくられた運河です。現在は鴨川において京都側と伏見側で分断されていて、上流は「高瀬川」、下流はを「東高瀬川」「新高瀬川」と呼ばれています。訪れた時ですが、地元の桜祭りがあり「高瀬舟」がありました。川を少し堰き止め、短さを増した感じで舟を浮かべ、船上からの花見
今日はがんこ高瀬川二条苑での庭案内の日。生憎の雨ですね。がんこ高瀬川二条苑では川床が設置されました。いよいよ暑い季節が到来??ですかね?雨なのでお客様は庭園には出てきませんが、植物はいきいきとしているように思えます。雨でも働けることに感謝して頑張ります。
今日はがんこ高瀬川二条苑での庭案内の日。店の前の高瀬川一之船入は桜が満開です。店の庭園にはいると眩しいくらいの新緑が出迎えてくれました。ほんまに季節を感じることができありがたい限りです。感謝。
今日は昨日の朝時点の天気予報より回復はやく、まじめに皿洗い洗濯していると陽がけっこう降り注いできていました。高野山行けてたかも~しかし昨日までの三連勤で家はわりとわや(大げさ)になってました。からきちんと家事をした私はえらい。さらに晩御飯の下ごしらえ(野菜切り)までやって出かけました。10時半ごろの新快速、三宮で普通西宮北口で特急、十三で特急と乗り、河原町に着きました。6時に家に帰りつけるよう京都
今日はがんこ高瀬川二条苑での庭案内。今日暖かい陽射しがあったので、桜が今日咲きました。そろそろ桜も各地で咲いてくるでしょうね。春の便りに感謝。
その一族を弔う為に、角倉了以によって建立された寺院は何処か?文禄4年7月、関白・豊臣秀次は養父の秀吉と対立し、紀州高野山で切腹した。翌月、その首級を前に、秀吉の命で三条河原に於いて秀次の妻子が多数公開処刑された。その遺体は同地に葬られ「悪逆塚」や「殺生塚」などと呼ばれたピラミッド状の高塚が築かれた。しかし、その後鴨川の洪水で高塚は荒廃する。慶長16年、角倉了以が高瀬川を開削した時、塚の地に新たに秀次一族の墓所を造り、その傍らに
今のところ電子書籍のみの出版です。POD出版(紙の出版)はもう少しお待ち下さい。空と海のキャンバスAmazon(アマゾン)大谷は史上最高額の詐欺事件を引き起こした仮想通貨FTXの広告塔になったことがある。投資家たちから訴訟を起こされていたが、決着がついたのだろうか。あれだけ稼いでおきながら危ない橋を渡ってまで金が欲しい理由は一体、何なんなのか。それにしても日本人は国民性だから仕方がないとは言え、有名人に対して少々、盲目的になりすぎやしないか。何でも受け入れてしまっている。バイア
がんこ高瀬川二条苑での庭案内。雨だからこそ、苔が元気です。ほんまに植物ってすごい😆⤴️ですね。ブラタモリでも撮影された場所。ほんまに感謝しかありませんね。
今日はがんこ高瀬川二条苑での庭案内。雨になりましたね。植物にとってはこの雨は貴重ですね。庭園も花で賑やかになりつつあります。春もそこまできてますね。感謝。
嵐山・千光寺を建立した江戸初期の豪商と云えば?嵐山に千光寺(大悲閣)を創建したのは、角倉了以である。代々土倉を経営していたので「角倉」が屋号となり、了以が「角倉」を本姓とした。了以と子・素庵は角倉船を仕立てて安南(ベトナム)方面に朱印船貿易を展開し、巨万の利益を蓄積し茶屋家・後藤家と肩を並べる京都の豪商となった。大堰川をはじめ、富士川・鴨川・高瀬川などの水運を開発した。千光寺には了以の木像が安置されている。
がんこ高瀬川二条苑での庭案内。樹齢260年の紅梅が見頃。春もすぐそこまできてますね。ほんまに感謝しかありません。
2024/3/5(火)がんこ高瀬川二条苑で楽しい昼食元は、戦国時代から江戸時代初期にかけての京都の豪商であった角倉了以の別邸跡で、その後、山縣有朋(明治の元勲)の別邸などを経て、現在は大岩邸ととして伝わり「がんこ高瀬川二条苑」となっている。だから庭が素晴らしい。今日は小雨模様であったが帰り際には一時止んでいたので老木の梅などのショットが撮れた。なお、角倉了以は、私財を投じて山城の国(今の京都)の大堰
国際日本文化研究センターの角倉研究プロジェクトでご一緒していた若松正志京都産業大学教授の研究によると、近世の角倉了以と素庵を記した資料には保津川・高瀬川の開削を中心に記載されているが、それほど多いわけでもなく、朱印船貿易に至っては「鎖国」という状況下の影響からか詳しく記された資料は見られないそうです。ただ、近代の明治時代に入ると、河川開削の土木事業を中心に「公益」という要素が加わり、学校教育の教科書に登場するようになり「およそ学問・芸術に志す人は、常に公益を広め世務を開くことを勤しべ
江戸時代初期に角倉了以が手掛けた朱印船貿易を調べていると、とても興味深い書籍と出会いました。その書籍は、16世紀の大航海時代にスペインとポルトガルが世界制覇を目指し、アジアの覇権を展開した史実を綴ったもので、昭和17年に創刊されその後廃盤となった本でした。本の中には、当時、無敵艦隊を誇り世界最強といわれたスペイン王国が、アジアへ進出を図り、まずフィリピンを占領し、東アジアから中国大陸そして日本へと勢力を伸ばしつつあった時代のこと。戦国の覇者となった豊臣秀吉はその強力な軍事力を背景に
徳川将軍の月日の動向を記述し残した「徳川実紀」に、慶長8年の冬、徳川家康に初めて拝謁した人物として「角倉光好子與一玄之」という名が残されています。この年の2月12日、家康は征夷大将軍の宮下があり、同月21日に伏見城へ入洛した後に、二条城へ入った記されています。了以親子が初めて家康に拝謁したのは、家康が二条城若しくは伏見城に在城していた同年のことだと云われています。その席には新たに御家人となった織田・武田ゆかりの武士たちも同時に拝謁していましたが、彼らよりも先に、了以親子の名が
今日は亀岡城下町案内所当番の日。亀岡は朝雨が降ったようで地面が濡れていました。少し昨日の疲れが残ってますが、頑張ってまいります。感謝。
今日は会社終了後にがんこ高瀬川二条苑での庭案内。樹齢250年の紅梅がは見事に開花していました。玄関先の白梅も同時に開花。春の訪れを感じます。感謝。
「ばけもののような船じゃ!」これは歌舞伎の「天竺徳兵衛」の場面で、主役の徳兵衛が角倉船に乗船する時の様子を描いたシーンであり、角倉の朱印船の豪華さを伝えています。当時はスペインやポルトガル、オランダなど西欧諸国が世界に進出した大航海時代。日本国でも、角倉家ほかに同郷の茶屋四朗次郎や伏見家、堺の伊勢家らも朱印状を手に入れ、安南(ベトナム)やルソン(フィリピン)、タイなど東南アジアとの貿易へ打って出ました。その中でも角倉家の朱印船の豪華さは当代随一で、なんとオランダ船の倍、中国船の4
2026年、日本人の誇りを世界に示す時、角倉了以・素庵父子の偉業に刮目せよ!時は大航海時代。世界が大きく変わる動乱期。武力に頼ることなく、知恵と財力で互恵関係を築き、お互いの国に平和と繁栄を築き上げた日本人企業家がいた。その名は角倉了以とその子素庵。15世紀から17世紀初頭、ヨーロッパ諸国は新しい航海技術と航法の進歩により、世界中の未知の地域へ探検の旅にでる。世界史では「新しい貿易ルートが開かれたことで、アジア諸国にとってはヨーロッパとの交流の拡大や貿易の増加」といった世
【常在戦場】文春文庫【著】火坂雅志徳川家康に所縁のある七人の人物を描いた短編集。鳥居元忠、井伊直政を育てた井伊直虎、石川和正、大久保忠隣、阿茶局、角倉了以、牧野忠成。聞いたことがある人もいれば、そうでない人も描かれている本作。短編集のため、それぞれ深堀はされていないが、いすれもその人物に興味がわく内容。それぞれの人物を知る取っ掛かりになるには丁度良い、面白い作品。
三栖神社(みすじんじゃ)の創建年代は不詳であるが、旧下三栖村の産土神として古くからこの地で信仰されており、天武天皇、伊邪那岐大神、応神天皇を祀っている。現在の社殿は、慶長八年(1603年)に旧幕臣・角倉了以、加藤清正公の家臣・横地助之丞、郷士・藤林時次、等により造営したとのことである。御祭神:天武天皇、伊邪那岐大神、応神天皇所在地:京都市伏見区横大路下之三栖城ノ前町83鳥居イチョウの巨木京都市指定の保存樹で、高さは22mを超える巨木で、秋は一斉に黄葉
今日はがんこ高瀬川二条苑で庭園案内。暖かい陽射しがあり気持ちがいいですね。今日は庭園にもたくさんのお客様が来られました。感謝しかありませんね。
今日は会社終了後にがんこ高瀬川二条苑での庭案内。梅も一段と花を咲かせてます。ほんまに今日は少し暖かい感じ。ほんまにありがたい限りです。感謝。