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前回からの続きです大堰川沿いを上っていくと、公園があります嵐山公園・亀山地区住所・京都市右京区嵯峨亀ノ尾町6今回は丸々、この公園の紹介なんで記事は長いです(^^;良ければ最後までお付き合いください(..)階段を登って行った先にあるのが周恩来総理記念詩碑住所・京都市右京区嵯峨亀ノ尾町公園のあちこちでは梅が咲いてきてました♪そしてこちらの公園には後拾遺集(ごしゅういしゅう)の百人一首が点在しています百人一首は古今集から続後撰集(しょくごせんしゅう)に至る十種の歌集から撰歌された
右京・嵯峨の天台宗「二尊院」は、角倉家の菩提寺である。角倉了以・素庵伊藤仁斎・東涯江戸初期の豪商、角倉了以・素庵の父子らが葬られている。大堰川など河川開削に尽力した了以は、工事に携わった人々の菩提を弔う為、嵐山に(嵯峨中院)千光寺を再興し「大悲閣」となした。二尊院のある嵯峨は角倉家の居住地であり、了以の生地でもある。又、江戸前期の儒学者・伊藤仁斎は京都堀川に古義堂を開き、跡を継いだ長男・東涯と共に二尊院が墓所となっている。
その一族を弔う為に、角倉了以によって建立された寺院は何処か?文禄4年7月、関白・豊臣秀次は養父の秀吉と対立し、紀州高野山で切腹した。翌月、その首級を前に、秀吉の命で三条河原に於いて秀次の妻子が多数公開処刑された。その遺体は同地に葬られ「悪逆塚」や「殺生塚」などと呼ばれたピラミッド状の高塚が築かれた。しかし、その後鴨川の洪水で高塚は荒廃する。慶長16年、角倉了以が高瀬川を開削した時、塚の地に新たに秀次一族の墓所を造り、その傍らに
三栖神社(みすじんじゃ)の創建年代は不詳であるが、旧下三栖村の産土神として古くからこの地で信仰されており、天武天皇、伊邪那岐大神、応神天皇を祀っている。現在の社殿は、慶長八年(1603年)に旧幕臣・角倉了以、加藤清正公の家臣・横地助之丞、郷士・藤林時次、等により造営したとのことである。御祭神:天武天皇、伊邪那岐大神、応神天皇所在地:京都市伏見区横大路下之三栖城ノ前町83鳥居イチョウの巨木京都市指定の保存樹で、高さは22mを超える巨木で、秋は一斉に黄葉