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袋田の滝(ふくろだのたき)です場所が変わると、違った表情の滝になります水量が多くて、滝も音も迫力がありました。お友達もこの迫力にビックリでした大子町の袋田の滝(ふくろだのたき)をPRする、可愛いゆるキャラのたき丸くんです滝のところに、ハート❤があります。でも、水量が多くて今回は見えずでした滝を眺める観瀑台(かんばくだい)と岩山です。岩もとても綺麗です。お写真は、吊り橋の上から撮らせて頂いていますこちらは、渡る時にはけっこう揺れる吊り橋です。ドキドキで渡って欲しいです昨年、故郷の茨城
骨に砒霜を塗り苺とハコベの葉を揉み合わせ沈と乳を焚き……死者は再びよみがえるこれ反魂の秘術術を使う前の七日間は絶食ね昔々この秘術を使って、中納言の源師仲は人を作ったんだって歌人で有名な西行法師も術を使ったけどこちらはやり方間違えて心の宿っていない生き物を作ってしまい山に放置千里が亡くなってからすぐはこんな事ばっかり調べたり考えたりしてたなあ自分が怖いなお盆だからふと思い出しちゃった雨ばっかりで洗濯物が乾かないねバクタを飲まないとカビにやられちゃいそうねバ
こんにちは。星影です。またまたちょっとお久しぶりです。最近雨続いてますね。みなさんいかがお過ごしですか?雨が多いのは梅雨だから当たり前なんですが、最近の雨ってなんだか私にとって「また今日も雨か。。。」って思ってしまう感じのものが多かった気がします。実は最近今回の引越しのきっかけにもなったご近所の方がお亡くなりになりました。元々容体は良くないということは聞いていましたが、急変してしまったんだそうです。もう2週間近く経ち私たちの生活はすっかり元に戻っている状態ですが、今回のことで
『撰集抄』の「宇津山僧」の部分が、定期考査の範囲だなどと、生徒が言い出す。西行が好きな先生だということで、確かにそれ以外、ここが定期考査の範囲だとか、理由はないだろうと思いつつ、内心「宇津山僧」が取り上げられていることには、ちと驚く。↓いにしへ、東路の方へさそらへまかり侍りしに、宇津の山辺の桜見過しがたく思ひて、奥深くたづね入りて侍りしに、いとだに蔦の細道は心細きに、日かげも漏らぬ木のもとにかたちのごとくなる庵結びて、座禅せる僧あり。よはひはよそぢばかりにもなるらんと見侍り。いかにいづくの
一日雨でしたね🌧️さて、私は木曜夜に疲れ果て母の夕食も作れず帰って来たのですがだから、昨日は何か届けるべきか悩みましたが、一応冷蔵庫には全て揃えて来たし何しろ、私が忘れ物で戻ったら自分で卵炒飯作っていたし😅行ったら、それから自宅の買い出しに行くのは無理。。。たくさん持てないから、一度に買い揃えられないの。昨日は、自分の野菜や🍉を買う、行かない…行かない…そうしたら夕食後に居眠りしちゃいました。今日も、午後に二時間も
2019年6月10日、私達のスピリチュアルなイベントの為に、東京から私達の故郷の茨城県久慈郡大子町(いばらきけんくじぐんだいごまち)に来て下さったお友達と故郷のお友達の森さんと三人で袋田の滝(ふくろだのたき)に行って来ました【袋田の滝】日本三大瀑布(にほんさんだいばくふ)のひとつに数えられる「袋田の滝」。高さ120m・幅73mの大きさを誇ります。滝の流れが大岸壁を四段に落下することから、別名「四度の滝(よどのたき)」とも呼ばれ、その昔、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士であり、僧侶で
YG源義経黄金伝説■一二世紀日本の三都市(京都、鎌倉、平泉)の物語。平家が滅亡し鎌倉幕府成立、奈良東大寺大仏再建の黄金を求め西行が東北平泉へ。源義経は平泉にて鎌倉を攻めようとこの小説のURL:https://ncode.syosetu.com/n1703dc/4/源義経黄金伝説■第4回西行は、北面の武士当時、同僚であった平清盛を訪れ、ある人物を平泉へ送る事を約束する。源義経黄金伝説■第4回源義経黄金伝説■第4回作飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所小説のURL:
YG源義経黄金伝説■一二世紀日本の三都市(京都、鎌倉、平泉)の物語。平家が滅亡し鎌倉幕府成立、奈良東大寺大仏再建の黄金を求め西行が東北平泉へ。源義経は平泉にて鎌倉を攻めようとこの小説のURL:https://ncode.syosetu.com/n1703dc/2/源義経黄金伝説■第2回1180年(治承4年)四国白峰。西行法師が、北面の武士、佐藤義清の折、仕えた崇徳上皇の塚に額き、約束をする。源義経黄金伝説■第2回作飛鳥京香(C)飛鳥京香・MangaAgency山田企画
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蚶満寺の山門をくぐると寺の受付らしいところがあり、300円払ってパンプをいただいて見学しようとした時に、象潟・蚶満寺ボランティア案内人と名乗る方と運良く遭遇し、彼から蚶満寺の案内をしていただいた。司馬遼太郎は、「街道をゆく秋田県散歩」の中で、かつての古い友人であり戦友でもあり、当時は蚶満寺の住職となっていた熊谷能忍氏に会うため蚶満寺を訪れた。その熊谷氏に案内されて蚶満寺を歩いているが、僕はボランティア氏に案内されて蚶満寺を歩いている。彼に「司馬遼太郎の街道をゆく」を教科書にして旅をしてい
吉野山とは大峯連山の北の端から南に続く約8kmの尾根一帯を指すそうです。そしてこの吉野山は山全体が世界遺産として登録されています。前回記事の金峯神社、ここ吉野水分人神社、これから参拝する吉水神社、金峯山寺が世界遺産登録されている寺社です。吉野山へ入り世界遺産登録された寺社巡りも出来るというのが素敵です閼伽井不動明王像から更に細い細い参道を進みます私達と同じ様に何台かが北上して行かれます不思議と対向車はありません。地図上では北上だけど、道路は大
金峯山寺(きんぷせんじ)参拝が今回の旅のメインなんだけど世界遺産の吉野山には見所が沢山あります以前、金峯山寺へお参りした際、大きい駐車場を境に、歩行者天国となっていて車は参道に入れない記憶がありました。(交通規制あり)なので金峯山寺とは逆側の場所から参拝しながら北上し宿泊予定地に早めに到着し、そこからは徒歩で巡ろう!という計画です龍泉寺から車を走らせること1時間←←道間違ったかも道は急に狭くなります。体の半分もある大きな登山バッグを背負われた登山者
良順先生を訪ねた大磯巡りの続き諸事情により本日は2本立てとなります宜しくお願い致しますm(__)m旧島崎邸を出て歩きますこの碑は?読み辛いですが、「大磯八景の一富士乃暮雪」と書かれていました。碑の近くの「ふじみはし」昔はこの辺りから富士山が見えたのでしょうかねぇ到着旧跡鴫立澤《心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮》平安末期の歌人・西行法師が大磯あたりの海岸を吟遊して詠んだといわれている歌です。江戸時代初期の1
こんばんは!COCOです。善光寺参りの後は、いよいよ戸隠神社へ。移動手段はバスだったので長野駅からアルピコ交通のバスで1時間ほどで戸隠神社栄光社に到着です。5日間使用できる戸隠高原フリー切符(2600円)を購入。(長野駅〜戸隠方面への1往復と戸隠エリアのフリー乗車券と行きか帰りのどちらかに善光寺に降車できる券)平日だったこともあり、その時間にバスに乗車していたのは4人だけ。私の最初の目的地の栄光社で降りたのは私だけでした。1日目、ツキノワグマがこわかった私は心細く
平塚中継所から小田原中継所まで走ります。この4区、つなぎ区間っていうイメージがあり、大体毎年テレビ中継観てても、飽きてきて5区の山登りに備えてちょっと外出したり用事を済ませたりして、どんなコースかほとんど印象に残ってません。でも、走ってみたら歴史の宝庫。同志社大学設立者の新島襄終焉の地。西行法師ゆかりの地。他には吉田茂旧宅や島崎藤村旧宅などもあり、時間があれば立ち寄りたいところがたくさんありました。しかし、疲労プラス雨も激しくなりまさに修行そのもの。何とか小田原に入り宿泊先のビジネ
カトンテールでございま〜す♪5月4日自宅へ戻っております☆GW帰省レポは、また後ほど…一旦みちのく桜旅〜芭蕉西行に導かれてへ戻りますね〜!4月24日仙台の宿へ荷物を預けて…仙台⇒高速バス⇒中尊寺(岩手県平泉町)一番早い仙台駅発8:30に乗車。2時間弱で到着しました!中尊寺駐車場近くにも立派な枝垂れ桜ソメイヨシノも満開な中…憧れの月見坂を登りました☆月見坂へは…途中から合流
カトンテールでございま〜す♪令和からも宜しくお願い致します!みちのく桜旅4月23日続きです☆予告編のタイトルでも迷いましたが…桜と海⁉︎桜の海⁉︎松島海岸駅から登って20分位。西行戻しの松公園公園内にはカフェもあります昔、歌人の西行法師が諸国行脚の途中、松の大木の下で童子と出会いました。童子と禅問答(禅宗の修行法の一つ)をして敗れた西行法師は、松島へ行くことを諦めたと言われています。西行戻しの松公園と呼ばれています白
摂津の国(今の兵庫県)の名勝・鼓ヶ滝を一人の歌詠み(歌人)が訪れた。噂通りの名滝で、見とれると共に沢辺に咲いている可愛らしいタンポポが目を惹いた。タンポポは古来から鼓の小児語でもあるので、歌人は持って来いの題材だとこの情景を詠むことにした。そこへ一人の樵が通り掛かった。「こんにちは、歌を詠まれているだか?わしは柴刈りに行くところだ。せいぜい良い歌を詠みなはれ」と言って山へ入って行った。推敲の結果、“伝え聞く鼓ヶ滝へ来てみれば沢辺に咲きしたんぽぽの花”という一首を詠んだ。我ながら良
今日、4月25日(水)から高田保雄画伯の回顧展が、画家ゆかりの地である大磯で開かれています。10連休、お近くの方はぜひお立ち寄りください。花は美しいが装ってはいない必要以上の物は何もない(保雄)文藝春秋画廊や、開運!なんでも鑑定団で有名な永井画廊などで多く個展を開催していらっしゃいました。大磯役場ロビーには、M100号の海の絵「滄浪(そうろう)」「涛声(とうせい)」大磯の4会場は★大磯城山公園旧吉田茂邸地区管理休息棟「如庵と城山の花」(織田信長末弟織田有楽斎ゆか
今日の百人一首は八十六西行法師「なげけとて月やはものを思はするかこちがほなるわが涙かな」(うつけ者よ月が嘆けと言ったか物思いにふけれと言ったか月にかこつけ溢れおちるこの涙このわたしの涙うつけ者のうつけ涙よ)(うつけ者)自分に言ってみる「うつけ者」私は今何処に立っているのか何をしているのかやらなければならない事があるではないかそう思いながらも動けないでいるなぜなのだろう「うつけ者めが」自分に言ってみるああ何かが抜き取られ
願わくば桜の下にて春死なんその如月の望月の頃におのずから来る人あらばもろともに眺めまほしき山桜かな…いずれも西行の歌ですがその歌われている「花」とは「山桜」のことだそうです西行法師ではないですがおそらくこの私も桜の下で果てるのでは…と思っています遥か昔、まだ高校生だったころに見た夢をその夢の中の光景をずっと覚えているからです夢の中で私は黒塗りの箱の中から舞い下りる桜の花びらを見ていましたひらひらと絶え間なく…それは美しい光景でし
5月九州ツアーのお知らせ熊本チャリティ講演挨拶・感謝・マナーがなぜアスリートに必要か~消えた古代五輪の謎~☆地方ツアーの決まり方☆
信州も桜吹雪が舞う頃となりました。儚くも美しい桜の姿の時季……今日はこんな物語を。穏やかな呼吸でちょっと心の休憩に。「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」西行法師ある妃は思いました。「私も満開の桜の満月の頃を自分の最期にしよう」西行法師の詠んだ情景のあまりの美しさ、妖婉さに心を奪われた妃はそう心に決めたのです。妃の命の願いの時計をその時セットしたのです。それからは毎年毎年桜が咲き満開になりやがて散り行く姿に見惚れるよ
願わくば花のしたにて春死なむ、その如月の望月のころ勝持寺は、西行法師ゆかりのお寺で西国薬師四十九霊場、通称花の寺と呼ばれています。西行桜は枝垂れ桜で現在は3代目の桜です。鐘楼の隣にあります。4月7日撮影京都市西京区大原野南春日町私の写真はPIXTAでも見られます。京都フォトギャラリーへ
この日4件目の参拝となりました。南方遠征はハードルが高く、この機会を逃すと・・・という思いと桜の名所という情報を頂いていたので迷わず向かいました閉館時間のこともあり先に本坊庭園へ。弘川寺は役行者により開創されました。のちに天武天皇勅願寺となっています。天平9年には行基が修行され弘仁3年には弘法大師が嵯峨天皇の命により中興されました。歌人の西行法師終焉の地としても知られています。本坊内には歌聖西行法師の掛軸がしんみりと掛けられていました。「願わくは桜の下に
お天気もよく日中は暖かそうだったので昨日購入したまるごとパスを使ってまたもや街中を出てみることにしました。てかね、朝市の時間に起きれなかったんです。あははは。まー昨日は山側に行ったので今日は海っぺたを攻めることにしました。松尾芭蕉が詠んだ松島やああ松島や松島やの日本三景の1つ松島です。無季(季語のない句)としても有名ですね。秀句の後になんですが仙台まるごとパス仙台→松島海岸が片道410円なので昨日のニッカウヰスキーとこれで元が取れました(万歳)***決
いよいよ奥千本へ。義経かくれ塔源義経は兄である源頼朝から逃れるためにこの塔へ隠れたと言われております。更に石畳が続きます。西行庵へやっと奥千本に到着この標の近くに西行庵があります。西行庵鎌倉時代初期に西行法師が俗界を避け、この地に住まいをしたところと伝えています。この辺りは広場になっており、数グループはお弁当を食べていました。遠く、紀伊山地を望みます。訪れた時期は奥千本はまだ開花してませんでした。この標、そして先の景色を望むと改めて世界遺産大峯奥駆道に来たのだと感じまし
ステーキを食べてお腹も満足。次は温泉に行こうじゃありませんか福島駅から福島交通飯坂線に乗ります。ビルとビルの間に電車のりばって電車の中は温泉仕様です。運転席の入り口には、のれんがかかっています終点の飯坂温泉駅に到着です駅前広場には、松尾芭蕉さん飯坂温泉に立ち寄ったそうです。日本最初のラジウム発見の地ラジウムって、何だ???温泉街をぶらぶら歩きます。でも、誰もいません。ガラ~ン歩くこと5分、到着しました。芭蕉と曾良入浴の地これは、貴重なものなのか?すぐ横には、