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前回の高野山に続いて西行所縁の地に行ってみた。ところで以前から思っていたのですが、和歌山の命名の大元は和歌からきているのになぜ和歌山県はもっと和歌を大々的にアピールしないのでしょうか?全国的にもっと広く和歌の文化を広める事で和歌山の認知度もアップすると思うんですがねえ。和歌の大御所の西行が生誕900年だって言うのに何もやってないんじゃないですか?といいう事で、この時期お約束の吉野山です去年と同じ所で写真を撮りますね(全く進歩なし・・・)奥千本の金峰神社までは同じですが
こんばんは🌇今日は主人は、長男が中学一年の時から活動しているPTAオッさんソフトボールクラブ🥎の秋の大会で、いないので私もお暇を頂いて一人で秋深まる茨城県の渓谷まで出かけて来ました🍁今日の関東地方は、ポカポカ陽気でとても暖かくて、お出かけ日和まずは、湾岸線から東京を抜けて常磐道を走ります荒川を越えて…この辺り両側0メートル地帯荒川が、雨などで洪水になると両側の住宅地は完全に水没🏘すると昔から言われています心配ですよね…東京を抜けて、まず最初に向かったのは、日
生きていくのは大変です。でも人は生きていくのです。常に生きていく理由を探して。なぜ生きる?これは太古からの永遠のテーマです。子供を持つ親はだいたいは子供の為に生きると言います。しかし、もしかしたらそれは都合の良い理由に過ぎないかもしれない。実際には自分の為に生きるというシンプルな生(性)への欲求を人は中々ぬぐい切れないものです。家庭を顧みず、泥沼不倫にはまるのもこれまた人の真なりです。瀬戸内寂聴さんも若い時、夫と子供を捨てて不倫に走りました。人間はそんなにキレイなものではな
先日、和歌山県立博物館へ西行法師の特集展を覗きにいってきた。地元出身の歌人と言う事以外あまり詳しく知らなかったけど、生誕900年記念と言う事なのでこの機会を逃すと次にスポットを浴びるのは100年後になるのかな?週末は庭木の剪定をやろうと思っていたけど、朝からどえらいエエ天気じゃないですか!仕方がないので?西行法師様を思い浮かべながら近くの縁の地に出かけてみる事にした。先ずは紀の川市にある西行法師像に挨拶をば・・バス停も「西行法師像前」ですねー近くの竹房集落にある生誕の地
このところイベント関連の記事が続いていますが今日は大磯のイベントについて。うつわの日に大磯を回っている時にこれから行われるイベントの情報紙をいただいてきました。最近町外から遊びに来られる方が増えている大磯町。知らないイベントがたくさんあってびっくりでした。今日は11月~3月までの間に行われるイベントをご紹介します。明日11月4日(日)に行われるのは第25回大磯宿場まつり(リンクあり)。会場は実家前の旧東海道の松並木です。
Bonjour明日から11月です。まるちゃんのお誕生日の月です。惟神の愛というコトバがあります。我を忘れた愛のことです。まるちゃんとの『魔法のコトバ』の絵本の完成と三輪神社に奉納させていただきます年末年始の絵の完成と来年の名古屋市博物館での展覧会の準備とすべて真心を尽くします。ケルトの時代今日は大晦日明日から新年でした。まるちゃんのいるお月さまから見れば西行法師のお歌のように常住名月です。まんまるに澄みきる月のように常にただ一つはからいなくうたがいなく
義経隠れ塔をお参り後、金峯神社右手の小道を進んで西行庵へ向かった。西行庵へ向かう道には細くて小石の多い危ない箇所があるので注意しなければならない。西行庵西行庵(さいぎょうあん)は新古今和歌集の歌人の一人、西行法師が三年間侘び住まいした庵だといわれている。西行は藤原秀郷(ふじわらのひでさと:平将門を討った武将)の子孫で元は佐藤義清(さとうのりきよ)という名の平安時代末期の武士であった。義清は鳥羽上皇を警護する北面の武士という武士の花形であったが、23歳の時に突如謎の出家をして全国を放浪し
こんにちは謎多き、西行法師、86番です西行法師(さいぎょうほうし・元永元年~文冶6年/1118~1190年)は鳥羽院に仕えていた武士としてよく知られている人物で、俗名を佐藤義清(のりきよ)といいます。左兵衛尉となりましたが、保延六年(1140年)二十三才で出家し、東北や四国など、全国を旅して和歌を詠んでいます。藤原俊成などとも親交があり、優れた歌人として賞賛されました。まだ西行が武士として上皇の御所を守っていた頃、中宮のことを好きになりましたが、この和歌は、出家した後も中宮
*:..。o○○o。..:**:..。o○○o。..:*リーディング短歌書き下ろし『源氏物語』を使った心理学講座。藤壺の人生を観察する第6回講座は10月27日にオンラインで開催します。その後のスケジュールはこちらです。*:..。o○○o。..:**:..。o○○o。..:*題しらずきりぎりす夜寒(よさむ)に秋のなるままに弱るか声の遠ざかり行く西行新古今和歌集秋下472【口語訳】こおろぎよ。秋が深まり冬を目前に世の寒さも日に日に増してゆくなか
市立美術館にて松濤美術館HPより「大地を揺るがし草木を枯らす荒ぶる魂と、和歌の始祖としての繊細な美意識を兼ねもつスサノヲ。スサノヲは地震や雷、嵐といった破壊的イメージとして表象されますが、同時に既存のものを原点にもどし、新しい世界を開くはたらきとして想起されます。破壊と創造、猛々しさと繊細さといった相反する性格をあわせもつスサノヲは漂泊の神でもあり、日本人の深層に潜み、その潜在意識を支配しています。ときとしてスサノヲは天災として顕現しますが、見落としてはならない点は芸術家に霊感をあた
風邪からの気管支炎みたい、息をすると、胸が壊れた笛みたいにひゅ~ひゅ~言います、あまり薬を使えないのです、持病を悪化させるから。ただ、ただ、静養・・・風邪は私には怖い病気だとわかっていたのに……。一日寝てました、実家では蒲団だから腰がいたい何も書けないから秋の歌を少し入れますね、すぐに、げほげほなるからコメント返信できず申し訳ないです🙇み山路やいつより秋の色ならむ見ざりし雲のゆふぐれの空
ユカリノさんのFacebookに次の様な記事が‼️#YukarinoFacebook#「願はくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ」という有名な和歌の通り、旧暦2月16日に亡くなった歌人・西行。2018年は生誕900年という記念の年。本日10月13日から和歌山県立博物館では特別展「西行―紀州に生まれ、紀州をめぐる―」が開催✨西行像のほか、新古今和歌集や西行物語絵巻など西行にまつわる文化財が一堂に会します。https://yukarino.jp/articles/
こんにちはまたも、空き時間ができました簡単な一舞音ウンチクでもとブログの中で旧暦の何日とかを書くことがあります特に九星気学や、お月さまに関係あることは、旧暦では…と書きます旧暦は明治初頭まで、日本で使っていた暦です太陰暦と言い、月の満ち欠けで暦をつくっていたのです因みに、今は太陽暦。なのでそのずれを修正するため、うるう年が四年に1度できてしまうのです今の1月2月…ではなく私と同年代の方は古文など学校で習う時、月の名前を習ったのではないかなと思います1月睦月…一年の初めに仲睦
かくばかり木陰すずしき宮立ちを誰が熱たと名づけ初めけむある夏の日、西行法師の詠めるこんなに木陰が涼しいお宮を誰が熱田と初めに名付けたのだろうか千木と鰹木石燈籠大きさでいえば上野公園にある石燈籠と同じくらい?更に大きいのは多磨霊園にあるものかなぁ??信長塀そして、このたもとで西行法師はそう詠んだとか、名古屋では最古の石橋でもある二十五丁橋するとどこからか、、、ん?いやいや、ちっと待てこの日の尾張名古屋は、桜天神社を後に向かった先は、、どこもかしこも、
サンディエゴは今日が中秋の名月です。今日一日曇ってたのですが先程見たら東の空にお月様が顔を出してくれてました。私の旧姓が望月という名前でしたので満月は特に気になります。「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」西行法師の有名な和歌ですがその意味は「願うことなら、旧暦2月15日の満月の頃、満開の桜の下で死のう」という歌です。現在で言う3月中旬以降の満月の日にあたり、ちょうど桜が花盛りを迎える時期です。自ら望んだ日のわずか1日遅れで死んだ西行に、当時の人々は驚嘆したと
ドラマこの世界の片隅で最終回まさかのMAZDAスタジアム〆。北条すずさん90歳超えにもかかわらず、カープを必死に応援してました。伝説の僧侶であり歌人でもあった西行法師縁の西行桜。能の舞台でも有名ですし、勝持寺の別名花の寺の縁にもなってます。西行法師はこの岩の上で剃髪されたそう。白洲正子先生も訪れてそうですね。大雨の中の参拝になりました。歴史勝持寺は京都の西南郊外の大原野に位置し、大原野神社に隣接する。大原野神社の別当寺であった。大原野神社は延暦3年(784年)、長岡京遷都時に、奈
先日、てげぽんに依頼され、ある方に手紙を書きました。お月見の便箋がなかったので、少し早いけど、コスモスの便箋を使いました。手紙と言うより、嘆願書に近いものになっていたかもしれません。てげぽんのお願いは、全て聞いてあげたいので、しぶしぶ書きました。←矛盾してます?!(笑)送った手紙は、丁寧に読んでいただいたようで、てげぽんとテグミーそれぞれに葡萄が届けられました。と同時に、テグミーには、返事も下さいました。これは、あの、西行法師のうたったうたです。誰の仕業か、何が起きているのか、まっ
北海道に滞在してから九州に戻ったら「今日は30度で涼しいねえ」なんて言ってる。暑いじゃん!もうサッポロに帰りたいよ〜、シクシク。明日の32度が怖い。だから(?)押して。人気ブログランキングええ、今日から通常のブログ更新です。半月の北海道休暇。って言うのに休まないでブログ書いてたのは誰だよ!隠居の身なのに何、忙しくしてんだろ、私は。久しぶりの自宅に帰って真っ先に行くのは、そう、郵便受けです。はい、皆様にご心配おかけしましたが(それとも不合格を期待してました?)無事、合格していま
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人。俗名は佐藤義清。憲清、則清、範清とも記される。1135年18歳で左兵衛尉に任ぜられ、1137年に鳥羽院の北面武士としても奉仕していたことが記録に残る。和歌と故実に通じた人物として知られていたが、1140年23歳で出家して円位を名のり、後に西行とも称した出家後は心のおもむくまま諸所に草庵をいとなみ、しばしば諸国を巡る漂泊の旅に出て、多くの和歌を残した。出家直後は鞍馬山などの京都北麓に隠棲し、1144年ごろ奥羽地方へ旅行し、
*:..。o○○o。..:**:..。o○○o。..:*リーディング短歌書き下ろし『源氏物語』を使った心理学講座。次回は、朱雀院の人生を観察する第17回講座、東京とオンラインで9月14日、15日、22日に開催します。その後のスケジュールはこちらです。*:..。o○○o。..:**:..。o○○o。..:*千五百番歌合にあはれ昔いかなる野べの草葉よりかゝる秋風吹きはじめけん後鳥羽院風雅和歌集秋上492【口語訳】ああ、そもそも昔、天地の
8月号の清書提出が終わりました。もう9月号課題です。暑いので9月という気になれませんが、課題は9月。清書の区切りがついて、やっと筆を持って練習、始動です。道のべにしみず流るる柳かげしばしとてこそたちどまりつれby西行法師変体仮名は、↓です。道能(の)へ(べ)尓(に)清水那(な)可(が)るヽ柳可(か)希(げ)し八(ば)志(し)とてこそたちと(ど)万(ま)りつ連(れ)情景を想像して、涼しく感じられれば…
#半分青い#仙吉さん追悼記念で「#半分青い」と「#雨月物語」を混ぜてみました。(↑追悼になってないという声も・・・)#半青#半分青絵#半分ホラー#全部ドス黒い#仙吉さん#雨月物語#白峯#崇徳院#カンちゃん解説:カンちゃんが唱えているのは不動明王の真言です。仙吉さんは五平餅への執着=煩悩をお不動様の炎で浄化されて無事成仏出来たのでした。。。
【願わくは花の下にて】最期まで美しく生きた佐藤義清…こと西行の和歌。。百人一首など平安末期の歌人として有名な『西行』。。“佐藤義清”。名家に生まれた義清は、若いころから和歌や武芸に優れており、鳥羽上皇の警護を担うエリート武士集団・『北面の武士』の一人にも選ばれていました。名門の武士として生まれるも若くして出家。。。関東で活躍した武将・藤原秀郷の子孫として生まれた佐藤義清。代々衛府に仕えた家柄で、鳥羽上皇の親衛隊である『北面の武士』も兼ねていましたが、23歳の若
願わくば花のしたにて春死なむ、その如月の望月(もちづき)のころ–。月に照らされた桜の下で死にたいと願う。。あまりに有名な西行の和歌だ。西行は出家僧らしからぬ程、桜に執心していたといい、桜の名所『吉野』に庵を結んだこともあり、数多くの花(桜)を愛でる歌を詠んだ。花あれば西行の日とおもふべし西行の桜になりし月夜かな狂言『花折』『西行桜』。。。世阿弥作とされる能に『西行桜』がある。京都西山に棲む西行の庵室は花の盛り。そこへ大勢の花見客がやってくる。心静かにひとり
🏔️❄️『吉野山』。。。【上千本】⇨⇨⇨【奥千本】【奥千本】‼️『義経隠れ塔』奥千本・『義経隠れ塔』(『蹴抜けの塔』)「金峯神社」社殿の東側の小道をまわると『義経隠れ(蹴抜け)塔』と呼ばれる修験道の修行場があります。吉野にてつかの間の休息を得た義経主従ですが、鎌倉の報復を恐れた吉野衆徒の心変わりにより一転、狙われる身に。追い立てられた主従はこのお堂に逃げ込みますが敵に囲まれ万事休す!しかし義経少しもあわてず屋根を蹴破りみごと脱出‼️。。ここから先は『大峯山』への
青森県青森市に鎮座しています善知鳥神社です。善知鳥神社、拝殿です。御祭神市杵嶋姫神、多紀理姫神、多岐都姫神合祀天照大御神和魂、倉稲魂命、海津美神由緒第十九代允恭天皇の御世(412~453)、善知鳥中納言安方さまが北国の夷人、山海の悪鬼を誅罰平定し此の地を治めます。そして日本の総主祭神天照坐皇大御神の御子・宗像参女神を、奥州陸奥之国外ヶ浜鎮護として祀りました。これが善知鳥神社の始まりと伝えられます。その後に善知鳥中納言安方さまは、人々に