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願徳寺の隣の勝持寺にお参りしました。なおどちらのお寺も2月は拝観中止にしているようです(2024年3月現在の情報)。小塩山勝持寺(しょうじじ)■天台宗■御本尊:薬師如来■京都市西京区大原野南春日町1194■西国薬師四十九霊場第42番、通称寺の会(花の寺)679年に天武天皇の勅命で役小角が創建したと伝えられ、後に大原野神社が創建されるとその別当寺とされました。桓武天皇の勅命で最澄が薬師瑠璃光如来を刻んで御本尊としました。昔から桜や紅葉の名所で花木が保護されてきました。西行は当
上の梵字は私、隆健の筆による、サンスクリット語・般若心経からの一文字です。「ドウヤー」と発音、読みます。ブログを途中からお読み頂いた方々の為に、過去のブログを、改めてご案内させて頂いております。なお、私のつぶやきは実生活には何の役にも立ちません。謝謝。本日はお釈迦様がお亡くなりになった日です。本日は、旧暦(陰暦)2月15日です。夜空には満月が浮かびます。最も、今月は明日が望月となるようですが・・・。そして、本日は古代インドで、お釈迦様がお亡くなりになった日です。お釈迦様の涅槃
春を感じる瞬間は?青空の下で桜の花を観るとき春は「生命」が芽吹く季節でもあるけれど去って逝った先人を思う季節でもあります例えば文治6年旧暦の2月16日(新暦1190年3月23日)に没した西行法師こと佐藤義清。”ねかはくは花のしたにて春しなんそのきさらきのもちつきのころ"…と、みずから詠んだ歌の願いをかなえたひと旧暦の如月きさらぎ(二月)は新暦だと2月の下旬から4月の上旬あたりでしょうか私の母は弥生やよい3月の4日に
2月24日の撮影の今日のハイライト(*^_^*)その1です。西行法師の道枝垂れ梅(*^_^*)今年も無事に撮れました日当たりの原因か??満開状態にはならないけど今年も充分に綺麗でした(*^_^*)まあ満開でも行けるタイミングが合うかは・・・天候にもよるしね・・・春もまた荒れやすい天候だから・・・・ランキング参加中^^よろしくお願いします(^-^)/アートフォトブログランキングへinstagramhttps://www.instagram.c
先週末亡姉の墓参りに行ってきました頑張れば日帰りできる距離だけど今回は1泊ですお墓は姉の夫の出身地で姉が一度も住んだことない所にあります(身バレ防止のため詳しくは言いません)子供は小さかったので姉の死後は夫の両親が育てましたその子も今は県外に出ていて私とはお互い結婚するまで実家で暮らしてたのでこんなに離れてしまってただただ寂しいですせっかく来たので観光も有名なお寺です桜がちょうど満開でよい香りのする品種でしたこういうの見ると西行の「願は
ギター弾けないんで時間持て余してます。自分でできる改造とか実験とかは器具のある秘密基地に行くまでできないし。てなことでYouTubeみたりCDやレコードかけたりしてまったりしてます。聴きたくなる曲って、そのときの気分やシチュエーション、そして季節とかに左右されますよね。特に季節の変わり目には定番で聴きたくなる曲があります。以下僕の春に聴きたくなる曲3選です。BachCelloSuite#1Bachのチェロ組曲は小学生の頃音楽クラブで知り、以来時々かけてま
去りがたき鴫立庵や春寒しフーザンボー俳句道場の鴫立庵に来ているのですから、できれば一句詠みたいと思うのですが、思うような句ができません。いつのまにか言葉が降りて来る。そんな感じで詠めたらと思うのですが、気負いや理屈が先行すると言葉が降りてきてくれないようです。2枚目の写真ですが、西行法師の<心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮>と彫られています。去りがたき鴫立庵や春寒し
囀りや鴫立庵の石の橋フーザンボー鴫立庵(しぎたつあん)・・・神奈川県大磯町にあります。西行法師の「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮」にちなんだ場所に結んだ庵です。ここの庵主(あんしゅ)は、歴代俳人が努めます。1枚目の写真の石橋の下に沢が流れています。この橋を渡ろうとしたら、小鳥の鳴き声がしたのです。囀り・・繁殖期の春、雄鳥が発する美しい鳴き声のことです。囀りや鴫立庵の石の橋
「願わくは桜の下にて春死なんその如月の望月のころ」できる事なら、2月の満月の頃桜の下で死にたいものだ西行法師が詠んだ歌。2月4日の立春、天国に行ってしまったおじいちゃんも、そう願っていたのかなと思います。2月10日の葬儀の日は偶然にも満月で、西行法師の歌とまるで同じで、驚きました。おじいちゃんとお別れの日は、とてつもなく悲しい日でしたが、空がずっと綺麗で、龍雲も見えて、おじいちゃんはきっと迷わないでお空まで行けるのだと感じました。4月で95歳を迎える予定だ
ひな祭りです。置きものは干支の龍、牛ではありません。前の学校の空。暖かそうだけれど、すこし寒いです。🌸🌸🌸🌸🌸骨董市だったのでお薬師さんに寄って、桜の様子も見てきましたが、蕾もまだまだ。中野通りの陽当たりのところもまだまだです。桜の心配はもう少し暖かくなってからにしようと思います。いまさらに春を忘るる花もあらじやすく待ちつつ
にかほ市象潟町にある古刹「蚶満寺」。庫裏で拝観料を支払い、本堂脇から「史跡庭園」に入ります。小舟をつなぎ止めていた「舟つなぎの石」。200年ほど前まではここが海岸だったという名残です。かつての象潟は、松島のように九十九島を浮かべる風光明媚な景勝地だったそうです。1804(文化元)年の大地震で隆起して干潟に変わり、今は陸地となっています。「西行法師の歌桜」。「象潟の桜は波に埋れて花の上漕ぐ海士の釣り舟」という和歌を詠んだとされます。
願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ西行法師は、この和歌の通りの亡くなり方をされたらしいと聞くにつけ。。。黒柳さんの”徹子の部屋”でも母上との会話に言及されて「亡くなる時はこんな状態が良いねなどと話していた通りになった」と仰っていたのを聞いて私も母と「寝たまま亡くなるなんて良いよね」と亡くなる前にはそんな話をして居た事を思い出した。母は7月に亡くなったが、夫の兄や母の幼馴染も、時を同じくして相次いで亡くなった。母も入院後は1度だけ私に「
🅱️📚📘ーーーーーそっすねそれじゃ5分でカタ付けてみましょうか虚ホロウ化が進み崩れゆく一護の内面世界その中で黒衣の男は叫ぶ早く私を引き抜け!一護の顔を覆い尽くす虚の仮面!限界を悟ったテッサイは縛道の禁じ手を使い一護を封殺しようとするのだが・・・爆音💥と共に絶望の縦穴から飛び出した閃光!降り立った硝煙の中から現れたのは・・・死神代行篇-64🅱️64BACKINBLACKバック・イン・ブラック暗黒回帰死神への道黒衣の男が叫ぶ!どうした!早く私を引
「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」西行如月(2月)望月(満月15日)太陰暦2月15日は西行忌平安~鎌倉時代の歌人西行は桜の花をこよなく愛し月の和歌も多く残しています🌙「願うことは桜の花が咲く下で人生を終えたい釈迦が入滅した陰暦2月15日の頃」この和歌を詠んだ十数年後西行は2月16日に入滅釈迦と同じ日ではない、翌日であるところにも西行の思いがあるのかと…「如月望月の茶会」西行に思い
2024年2月15日今日は何の日か春一番名附けの日1859(安政6)年2月13日、壱岐郷ノ浦の漁師53人が五島沖で突風に遭い全員が死亡した。それ以前から、郷ノ浦の漁師の間で春の初めの強い南風が「春一」と呼ばれており、これが「春一番」の語源とされている。春一番の語源には他にも諸説ある。1950年代からマスコミがこの言葉を使用するようになって一般でも使われるようになり、1985年からは気象庁が春一番の発表を行っている。かまくら秋田県横手市で行わ
2024.2.15一日一季語西行忌(さいぎょうき《さいぎやうき》)【春―行事―仲春】朝粥のさくら色なり西行忌中野京子釈迦の入滅の日は2月15日。平安時代の歌人・西行法師は、出来ることなら同じ日、桜の花の下で死にたいと願い歌を残した。『山家集』や『続古今和歌集』に収録「願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」「如月」は「陰暦2月」。「の」は連体修飾格の格助詞。「望月」は「満月」。「の」は連体修飾格の格助詞。「如月の満月」で「釈迦が入滅した陰暦2月15日の満月
相撲甚句の元唄「西行法師」これは「名古屋甚句」の歌詞であるが、ここで作者の小島貞二は「名古屋の犬」と比較しているが、私は元唄の相撲甚句は「西行法師」そのものだと思う。♪西行法師がはじめて東に下るヨー途中尾張の国で名も高い熱田の宮えと参詣するそこで法師の申すには東を向いても風が来る西を向いても風が来るこんなに涼しいこの宮を誰が熱田と名をつけたそこへ神主飛んできてもしもしそこな法師どの西へ行く人なぜに東にやって
大磯の鴫立庵。ここは西行法師が大磯海岸を詠んだ句にちなんで建てられた俳諧道場。辞世の句で好きなのがこれ。西行法師の「願はくは花のもとにて春死なむそのきさらぎの望月のころ」享年46歳。「咲き誇る桜の花を見ながら死にたい」と詠んで、しばらくしてその通りに亡くなりました。これもイメージング...そして引き寄せ...今日の関東は薄曇りで様々な境界線が曖昧な、不思議な空模様でした。だからなのか、ふと寄ってみた大磯鴫立庵で西行の譜を思い出し、最後はどんな想いで逝ったのか心を寄せてみたくなり
[書遊び]「徒然草」<九十二段①・或人>⭐lightです。『或人、弓射る事を習ふに、諸矢(もろや)をたばさみて、的(まと)に向ふ。師の云はく「初心の人、二つの矢を持つ事なかれ。後(のち)の矢を頼みて、始めの矢に、等閑(なほざり)の心あり。毎度、ただ、得失なく、この一矢(ひとや)に定むべしと思え」と云ふ。』卜部(吉田)兼好(訳)ある人が、弓を習う場で、対の矢を手にはさみ持って的に向かった所、師が言われた。「初心の人は、
『愛国百人一首』の選定された32首目は西行法師です。平安時代(後期)の歌。(著者所持の『愛国百人一首』の西行法師の絵札)宮柱したつ岩根にしき立ててつゆも曇らぬ日の御影かなこの歌は、1190(文治6)年以前の後鳥羽天皇時代に詠まれた歌です。歌の意(こころ)伊勢の神宮は、宮柱を底深く盤石の上にどっしりと立てており、少しの曇りもなく、日神、天照大神の御威光を現したまわって
◯落柿舎からさらに西へ少し行ったところに、弘源寺境外墓地が存在し、そこに、去来の墓が存在した。落柿舎のホームページには、次のように載せる。去来先生墓落柿舎の裏、北へ百メートルの弘源寺墓地内にあり。遺髪を納めたという去来唯一の記念の墓である。四十センチほどの自然石に、ただ、「去来」とのみ刻まれている。尚、去来先生墓の近くには、四世庵主の吾同・八世の栢年・十一世の芝蘭子の墓がある。◯別に、「京都を歩くアルバム」と言うページでは、次のように案内する。去来の墓
曼荼羅寺から七十三番出釈迦寺までは0.9km。霊場間の距離としては、三番目に短い、となります。勾配はそれなりにあり、出釈迦寺に上がるとああ、体温まったな、となりますね。真夏は危険を感じるくらいのこともあるかな、と。日射を遮るもの何もないです。かなりの霊蹟でして寄進も多いのでしょうかね。どんどん見栄えがよくなる。ちょっとかっこよく、を目指してみたけど今二つ・・本堂御本尊は釈迦如来大師堂です。
動画をファイル形式を変更してLINEをしたものを、自分のスマホに保存出来るか?どうか?元の動画は、ゴミ箱からも削除してあった、…、💦どない!?とスマホ屋に聞いたら、ゴミ箱からも削除してあるのは、出来ないですと。回答。でも、画像の場合は、出来るやん。なぜに?わけがわからん?けど、……なにをどうしたか?ですが、出来てるやん✌この動画をパソコンに落としてからスタジオT2さんにとりにきてもらいます。ブルーレイに敬神の歌、西行法師を入れて頂きました。スタジオT2さんに。💭追加の
昨夜は古調伊勢音頭の太鼓を見せてもらいました。ちょっとだけ。。◕‿◕。唄の始めは、……本編はナイショやで。見せもらいましたのは『敬神の歌西行法師畑喜聞作』『道中歌松づくし』土鈴椿
《新古今和歌集・巻第六・冬歌》700題知らず権律師(ごんりつし)隆聖(りゆうしやう)朝ごとのあか井(ゐ)の水に年暮れてわが世のほどの汲(く)まれぬるかな☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆題知らず権律師隆聖朝ごとの、閼伽井の水を汲んで、仏に供えることで年が暮れて、自分の余生のどれほどもないことが察せられることですよ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
《新古今和歌集・巻第六・冬歌》697題知らず西行法師昔思ふ庭に浮木(うきぎ)を積み置きて見し世にも似ぬ年の暮かな☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆題知らず西行法師昔のことを懐かしく思う庭に、年木ならぬ浮木を積んで置いて昔の世とはまったく変わった年の暮れであることよ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
むかし見し庭の小松に年ふりてあらしのおとを梢にぞ聞く西行法師新古今和歌集巻第十七雑歌中(1677)この松がまだ小さかったころから、庭にあったことを覚えている。──もう、昔のことだ。成長に伴って、いまでは幹も枝も重たそうに、すっかり曲がってしまったのだな。あれから随分、時が流れた、──松よ、きみはどのような日々を送ってきたのか。だが、なにも語らなくても、きみがこれまで受けてきた嵐の音は、その梢に響いている。Bee
《新古今和歌集・巻第六・冬歌》692年の暮(くれ)によみ侍りける上西門院兵衛返りては身に添ふものと知りながら暮れゆく年をなに慕ふらん☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆年の暮に詠みました歌上西門院兵衛新しく立ち返っては、年齢として身に添い加わって老いに近づくものと知っていながら、暮れていく年をどうして慕っているのであろうか。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
《新古今和歌集・巻第六・冬歌》691歳暮(せいぼ)に人に遣はしける西行法師おのづからいはぬを慕(した)ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆歳暮に人に贈った歌西行法師訪れてほしいと言わないでも、自然、慕って訪れてくれる人があるかと思って、ためらっているうちに、年が暮れてしまうことだ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
12月1日【月を待つ】月を待つ高嶺の雲は晴れにけり心あるべき初時雨かな西行法師ーーーーー月の出を心待ちにしていると、高嶺に掛かっていた雲が晴れ渡って時雨も止んだなんと人の心を理解する初時雨であることよ#和歌#月を待つ#西行法師