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新・ドラゴン藤波大年表2025452010謎のマスクマン・マッチョドラゴン選手再び!「レジェンドで大人気!」ドラディション大会「藤波辰爾自伝未完のレジェンド」を発刊1月の「ドラディション・ファン感謝祭」に、久々の「マッチョドラゴン」選手が登場・●平成22年(2010)56歳1月6日この日放映のテレビ番組「タモリ倶楽部」に出演。お城のミニチュア・モデルを作る企画で各地のお城をめぐる。実際に組み立てもやって大変満足そうな藤
新・ドラゴン藤波大年表2025442009藤波・長州・初代タイガーマスクのトリオで全国を巡る「レジェンドトリオ」がどこでも大人気猪木の「IGF」にも参戦。最後は、タッグながら長州と対戦も。仮面貴族フェスタに登場。タイガーと組んでマスカラスと対戦。藤波・長州・初代タイガーの人気トリオ。全国を巡る大奮闘の年!●平成21年(2009)55歳●平成21年(2009年)55歳1月29日新宿フェイスで、ドラデショ
新・ドラゴン藤波大年表2025432008藤波さん「マッチョドラゴン」に変身、「ドラディション」大会を開催しつつ、夢の対戦を次々と実現猪木の大会で初代タイガーとも初対戦新日本プロレスの「ドーム大会」に出場。まさかの「マッチョドラゴン」に変身。各種団体への参戦、もちろん「ドラディション」のシリーズも開催しつつ、猪木の「IGF」で初代タイガーマスクと夢の初対戦。いよいよ藤波さんの団体「ドラディション」が始まります。これまで、藤波さんの誕生か
2025.12.3藤波さんは現役プロレスラー最近の試合の様子をおしらせですまずは、ファンの方の「すごい展示」の模様から枚方プロレス研究所さん「藤波辰爾展」11月30日に開かれた前日準備完了し、帰宅🚙明日11/309:15会場、枚方市立津田生涯学習市民センター4階のこの看板を目印にお越しください😊ちびっこはここでプロレスクイズに挑戦してね!プロレス体験コーナーもご参加宜しく!#つだフェスタ2025#枚方プロレス研
ドラゴンクエストウォーク目的地到着です今回はアントニオ猪木展に乱入ダーッ!"(ノ*>∀<)ノ猪木グッズの販売と併せて関連展示品を無料で楽しめますれい君はプロレスが大好き!……と言う程ではありませんが新日本プロレスのゴールデン時代テレビの前はちょっとしたリングサイドだったのだw( ̄∇ ̄*)ゞ投げたら300万円!?アントニオ猪木VSキング・コングバンディボディスラム対決バンディは200キロの巨体アントニオ猪木でも彼を投げるの無理!?実際…猪木はバンディを投げたん
新・ドラゴン藤波大年表2025402005「ノア」から三沢が参戦、藤波と組み、蝶野組と対戦。選手として、ハツラツと。「闘う社長」として大活躍。選手としてもハツラツと、●平成17年(2005年)51歳1月4日東京ドームで「闘魂祭り」大会が開催された。猪木の提唱する「アルティメットロワイヤル」も行われ、ウオーターマンが優勝。これまでの試合方法とは大きく違って、観客も戸惑った。また、長州や小島も参戦した。藤波は目立った動きはなし。
新・ドラゴン藤波大年表2025392004藤波、社長を辞して副会長に。新たな展開に。※情報の欠落おおく追加のこと混迷期の新日本プロレスを象徴する大会や事件が連発する年。その中での藤波さんは、、、●平成16年(2004年)50歳●平成16年(2004年)50歳1月4日東京ドーム大会。藤波は入場式で挨拶。猪木との引退試合?については、ガウンを着てリングに上がりながらも、体調不良ということで、試合は行われなかった。ま
新・ドラゴン藤波大年表2025382003年頭から試合に出場止まらない選手の離脱社長は苦悩格闘技側の猪木との対立、嬉しい大みそかのエキシビション年頭からドームで西村と「究極の無我対決」止まらない離脱選手格闘技のイベントとの葛藤格闘技側に立つ猪木との対立社長の苦悩と嬉しいおおみそかの猪木とのエキシビションマッチ。●平成15年(2003年)49歳1月4日東京ドーム大会藤波は第一試合に登場。西村と対戦。「究極の無我対決
新・ドラゴン藤波大年表2025372002あいつぐ選手の離脱で社長も大変。猪木問答で蝶野に全権委譲そんな中、選手としても試合に出場。さらなる飛躍を目指す。東京ドームの「無我」新日本30周年へむかってあいつぐ選手の離脱で社長も大変。現場の指揮権が長州から蝶野に変わり、そんな中選手としても試合に出場。さらなる飛躍を目指す。●平成14年(2002年)48歳1月2日藤波社長が、新年の挨拶で、東京ドーム大会への参加を拒否
2025.11.20特報!「ビッシビシ応援お願いします!」2025年11月14日後楽園「ドラディション」の「無我」大会なんと!藤波の相手はザック・セイバー!20142025●さすが、ドラディション!公式ページ。この下の「試合結果」は、大会の「入場式」から、試合経過、そして、全試合終了後のセレモニー、試合結果記録、藤波インタビューまで、ぜんぶ、ぜ~んぶ載せています!仕事が早いって、素晴らしい!↓↓↓
新・ドラゴン藤波大年表2025362001印象的な「ドラゴン・ストップ!」藤波社長大奮戦するも、猪木や橋本に振り回され、苦悩の年に。ネバー・ギブアップ!藤波社長、大奮闘するも、印象的な「ドラゴン・ストップ」オーナーの猪木の意向、橋本の動向にも振り回され苦悩の年に。ネバー・ギブアップで大奮闘の年。。●平成13年(2001年)47歳●平成13年(2001年)47歳1月1日新日本プロレスの公式ホームページに、
新・ドラゴン藤波大年表2025332000闘う社長として八面六臂の大活躍自身の引退問題より、橋本の処遇をめぐり東奔西走東京ドームでルールを越えた橋本・小川戦藤波は社長として自身の引退問題よりも橋本の去就に尽力する。藤波は「闘う社長」として試合にも登場した●平成12年(2000)46歳※新日本プロレスの社長として、藤波の任務は多岐にわたるため、この「大年表」では、項目を精選して、つまり絞って作成しています。1月4日
新・ドラゴン藤波大年表20253419991999年1.4事変橋本が小川にやられる藤波は「新日本プロレスの社長」に就任突然、藤波さんが「新日本プロレスの社長」に就任する。新しい分野での活躍が大いに期待された。●平成11年(1999年)45歳●平成11年(1999年)45歳1月4日東京ドーム大会。「東京ドーム1・4事変」新日本初登場の大仁田に注目があつまる。しかし結果として、プロレスの枠を
毎日クマ出没のニュースを見ていたら私が小学生くらいの頃、猫背気味に肩を大きく上下に揺らしながら『ウーウーウー』と奇声を発した悪役プロレスラーのブルート・バーナードを、フト思い出しました。Wikipediaで見たら、40年近く前にお亡くなりになったとのこと。謹んでご冥福をお祈りいたします。小・中学生の頃は、新日本プロレスを熱心に観ていました。当初はアントニオ猪木、坂口征二、藤波辰巳らのファンでしたが『噛ませ犬』発言から、次第に長州力ファンになったものでした。
新・ドラゴン藤波大年表20253219981998年師匠・猪木が引退。その日、IWGPヘビー級チャンピオンにも返り咲く。「無我」も開催。SGタッグに準優勝1998年「無我」を主宰し、。猪木引退の日にIWGPヘビー級チャンピオンに返り咲く。SGタッグは準優勝●平成10年(1998)44歳1月4日東京ドーム大会。藤波は、凱旋帰国の西村と組み、小島・中西組を破る。この日、長州が引退戦で5人を相手に闘う。このときの長州の相手は、藤
新・ドラゴン藤波大年表2025321997特3月の「無我」大阪大会「観戦記」7月の「博多」「別府」の「無我」九州大会「観戦記」「お手伝い記」で~す!「無我」特集です。第8弾の大阪大会の「観戦記」と写真。そして、第9弾の「博多スターレーン」大会の「観戦記」に「お手伝いタヌ記」「写真でつづる無我・博多スターレーン大会」ですまずは、「無我」第8弾となる「大阪・ATC」大会です。観戦記は「写真」もたくさん撮りまし
新・ドラゴン藤波大年表2025321997新年にIWGPタッグ王者に「最後の悪あがき」と表現。「無我」の九州(博多・別府)大会を開催新年にIWGPタッグ王者に「最後の悪あがき」と表現。●平成9年(1997年)43歳1月1日パーフェクテレビで「サムライ開局記念番組」の再放送をする。12月31日から始まった同番組の途中であったが、「秘蔵のビデオ公開」というコーナーが年越ししで放送された。「それでは、秘蔵のビデ
新・ドラゴン藤波大年表2025311996特天龍と対戦で鼻を負傷、でも、藤波さん、精力的に「無我」を興行、その「観戦記」で~す!「無我」特集です。第3弾の倉敷大会第4弾の大阪大会のそれぞれの記録のみ。そして、第5弾の大宮大会と第6弾の東京(恵比寿)大会は「観戦記」年末の第6弾の恵比寿大会は「写真つき観戦記」です!●平成8年(1996年)42歳平成8年(1996年)★「無我」を見
新・ドラゴン藤波大年表2025311996ドームで天龍と一騎打ち、鼻に重傷をおう。精力的に「無我」の興行、他団体への進出、「新龍王伝説シリーズ」の主役、朝のテレビ小説や、各種「テレビ出演」と大奮闘の年。。ドームで天龍と一騎打ち、鼻に重傷をおう。だが、精力的に「無我」の興行、他団体への進出もすすめる。新日本本隊では「龍王伝説シリーズ」の主役をつとめ、朝のテレビ小説「ひまわり」や、各種「テレビ出演」と大奮闘の年。。
新・ドラゴン藤波大年表202530特別1995平成7年(1995年)自主興行「無我」1995.10.29待ちに待ってた藤波ファンが続々と集合「旗揚げ戦」ファンの観戦記特集!!平成7年(1995年)自主興行「無我」を主催!ついに、藤波さん「静かな旗揚げ」「新・ドラゴン藤波大年表」の特別ファイルです。「無我」旗揚げ戦の「観戦記」特別ファイルです。おことわり第30回平成7年(1995年)の大年表で、「観戦記」を
さ新・ドラゴン藤波大年表2025301995平成7年(1995年)自主興行「無我」を主催!待ちに待ってた藤波ファンが続々と集合当時の雰囲気も併せて、大年表です平成7年(1995年)自主興行「無我」を主催!ついに、藤波さん「静かな旗揚げ」●平成7年(1995年)40歳1月4日東京ドーム大会。95闘強導夢バトル7パンフレット表紙藤波は平田と組み、蝶野・サブウと対決。サブウは新日本初登場で藤波
新・ドラゴン藤波大年表20252919941994年3000試合出場記録達成!橋本と2連戦の間に、エジプト・シナイ半島をめぐる旅G1クライマックスにも出場平成6年(1994年)3000試合出場記録を達成。●平成6年(1994年)40歳●平成6年(1994年)40歳1月4日東京ドーム大会で、藤波はハルク・ホーガンと一騎打ち。パンフレット表紙(豪華大型)猪木と天龍の対戦が話題ですね。
新・ドラゴン藤波大年表2025281993WARの天龍とも対戦開始福岡どんたくで、最後の猪木・藤波組夏のG1クライマックスで優勝反選手会連盟を蹴散らす藤波はついに、WAR、天龍とも対戦。そして、博多どんたくで最後の猪木・藤波組さらに、夏のG1クライマックス優勝。反選手会も蹴散らし、天龍をも挑発する藤波さん大躍進の年。なお、ファンの皆さんからの情報も多くなってきました。編者狂喜、なお、よろしく。●平成5年(1993年)39歳
きょう(2025.12.1)藤波さんのデビュー戦以来の試合数は3936試合になっています。(私調べ)(直近の2025.11.30の「君津市大和ヒロシ」参戦まで)-------------------------------------------------------------------------------------※ここから、2023年以降2025年までの試合記録(更新)です。更新したため、試合数が変わっています。★藤波デビュー50年記念藤
新・ドラゴン藤波大年表2025271992平成4年(1992年)新年、長州との闘い。海外へ遠征して新しい自分を探し、異種格闘技戦も経験した。新たなる藤波平成4年(1992年)新年早々、長州と闘い。海外へ遠征。新しい自分探しから、「地下プロレス」的なものも、異種格闘技戦も経験した。●平成4年(1992年)38歳●平成4年(1992年)38歳1月4日『超戦士IN闘強導夢』東京ドームのメインで、藤波
ここからは、藤波全試合ブログの記録ページです。※藤波さんの出場試合で「抜けていたもの」発見されました。★藤波デビュー50年記念藤波全試合記録2020-222025.10.25更新※本ブログの「中心」となるページです。デビュー以来50年間の記録をしています。2020年(令和2年)
新・ドラゴン藤波大年表20252619911991年リックフレアーに勝ち「NWAヘビー級」奪取!藤波20周年第1回「夏のG1クライマックス」開催べイダーと組み「SGタッグリーグ」優勝平成3年(1991年)藤波はベイダーとの選手権試合ではじまり、フレアーから世界のベルトを。20周年記念試合のあと、夏のG1初開催に参戦、ベーダーと組んでのSGタッグリーグ優勝!バラエティ番組にも出演と、バラエティに富んだ忙しい1年に。●平成3年
U新・ドラゴン藤波大年表20252519901990年腰痛による長期欠場から、奇跡のカムバックドラゴンボンバーズ「藤波辰爾」に改名年末に長州に勝ちIWGPヘビー級タイトル奪取9月25日●平成2年(1990年)36歳平成2年(1990年)腰痛による長期欠場から、奇跡のカムバック●平成2年(1990年)36歳年が明けて、1990年藤波は、腰痛による長期欠場が続く。治療に専念。常に、肉体的精
新・ドラゴン藤波大年表20252419891989年昭和から平成に長年の酷使から、ついに腰が悪化、長期欠場に夫人とともに治療に専念平成になり、連戦するも、腰が悪化。ソ連のアマチュア選手がドーム大会に参戦。猪木が参議院議員選挙当選。藤波はベイダー・ビガロら超重量級を相手に、無理して出場するも、腰がもたず、ついに長期欠場へ。思うように治療が進まず、一日中ソファーで痛みに耐えるだけの日々も。夫人の献身的な●昭和64年・平成元年(1989)
新・ドラゴン藤波大年表2025231988木村とIWGPタッグを獲得。飛龍革命から、最後の師匠・猪木との60分フルタイム。海外へ。そして3冠王に。昭和最後の年にふさわしい活躍。昭和63年(1988年)沖縄で飛龍革命から、最後の師匠・猪木との60分フルタイム。海外へ。そして3冠王に。昭和最後の年にふさわしい活躍。●昭和63年(1988)34歳1月4日東京スポーツ新聞社の「プロレス大賞・殊勲賞」を木村健吾