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今治城のブログ、その2ですその2では、櫓や石垣を紹介です!最初は御金(おかね)櫓です。お金って金蔵だったから、この名前になったとか。何とも生々しいですな。鉄筋コンクリートで復元されています。内部は現代美術館になっていました。何で、美術館なの?どうして?絵画には全く興味がないので、一瞬でパスです。冷房が効いていたので、少し休憩させていただきましたけどね。外側から見ると、お堀の東側に設置された櫓です。外観が立派な櫓なのに、内部は現代美術館というギャップよ。。。大きな窓
有子山藤堂高虎築城か?有子山主郭・本丸跡秀長さんと天正8年(1580)、祐豊の子の氏政が城主の時、羽柴長秀(後の秀長)の但馬侵入によって城主の氏政は因幡国に出奔した三等三角点321mこんな堅牢な城で戦いを避け因幡へ逃げたのですか威容を誇る有子山城跡の石垣ですが、山名氏時代には石垣は存在しませんでした。では、いったい誰の手によるものなのでしょうか?一説には、有子山城の石垣は、築城の名手・藤堂高虎の手によるものだと言われています高虎の一代記である「高山公実録」には「28歳の時
伊勢神宮に参拝した日の夜は、伊勢市にほど近い所にある三重県松阪市の東横インで宿泊しました。前日の夜に少し飲み過ぎてしまい、この日の朝、朦朧(もうろう)とした状態で「神馬のブログ」(2026/10/12ブログ「午年の伊勢神宮の神馬」参照)を書き上げて、予定していた目的地へと向かいました。向かった先は、三重県津市にある四天王寺(してんのうじ)……ここに来るのは、一年半ぶりです。(2025/6/26ブログ「三面大黒天様に会いに~前編~」参照)前回は、月美結
いいお天気の2日間、津まつりで“唐人踊り”でした。毎年、笛を吹いております~※動きの激しい踊りは無理2日間、お天気を心配する必要が無かったのは、久しぶりだと思います。やっぱり晴れの特異日ですね。津まつりは以前は10月10日「体育の日」に開催されていました。そういう意味でも久しぶりでございます~雨模様だと、旗とかも出せませんからね、、、唐人踊りは、基本的に雨降りはNGです。先ずは津八幡宮にて、お祓いをうけ、奉納の舞いを披露します。その後、町中を練り歩
3日目の午前中は、今治城を楽しみます。今回の旅のハイライトです。藤堂高虎が築城した今治城にどうしても行きたかったんです結果的にめちゃくちゃ楽しみました。興奮し過ぎで、写真も撮りまくりました。なので、今治城のブログは2回に分けて、ご報告しますね先ずは、今治港に来ました。実は、もうここは城内です。お堀の船入りだったところが、今の今治港になっています。不思議発見!今治港の一番端に来ました。今も残っている今治城の内堀は、ここから取水しています。えぇ~、ここからなのぉ~?何の
◇三連休はいかが過ごされたでしょうか?当方は、花粉症からくるだろう上気道の炎症と咳が続くのとで、ジムに通う以外はどこへも行けませんでした。例年なら秋の花粉症は軽症で済むのですが、今季はひどかったです。ジムのある八幡屋公園は今日もブタクサが一面に繁茂しておりました。下記のブタクサの写真はネットより拝借しました。近々、公園に繁茂するブタクサの写真をアップする予定ですが…(鼻がムズムズですね)◆2025年12月8日(月);四国遍路39日目の最終は、今治国分郵便局を後にし、59番札
★桑山重晴(くわやましげはる/1524年~1606年)羽柴秀長・家臣団の筆頭家老。元々は丹羽長秀の与力。派手な一本槍で名を馳せるタイプではなく、「前線で粘り強く戦う軍事力」「治外法権に近い難所を治める統治力」「敵大名と折り合いをつける外交力」を兼ね備えた実戦・実務型の武将★横浜一庵(よこはまいちあん/1550年~1596年)秀長による紀州支配の出発点から関わった家臣の一人で、領国統治や寺社交渉などの「内政・行政実務」を担当した中心的な重臣(家老)武功
伊賀上野城、城内展示3回目のアップです。訪問時はちょうど雛まつりが近づいている期間だったのでお雛様もたくさん飾られていました。築城の中心的存在の藤堂高虎氏やその後廃城になったお城を私財を投じて復元させた川崎克氏などの遺品や業績の展示が充実していました。文豪、横光利一氏が旧制三重大三中学生の頃高石垣の横で逆立ちしたという場所に川端康成氏が利一のことを詠んだ歌碑のことについても展示されていました。
大河ドラマ『豊臣兄弟!』を楽しみにして見ており、豊臣兄弟や信長・光秀などの中心人物の配役もいいのですが、脇を固める役者さんたちも個性的な面々が揃っています。秀長の家臣・藤堂高虎役の佳久創さんもその一人で、元ラガーマンのガタイの良さを活かして、身長190㎝・体重120㌔と伝わる筋骨たくましい高虎を見事に演じられています。藤堂高虎は、1556年1月6日に近江国犬上郡藤堂村(現:甲良町在士)の土豪藤堂家に生まれ、幼少の頃から大食漢で気性も荒く筋骨逞しい身体であったとされます。“在士”は、高虎の
さわやかウオーキング🚶関ヶ原の歴史と自然を巡るウオーキング🚶スタート駅/東海道本線・関ヶ原駅🚶コース距離/約5.3キロスタート関ヶ原駅コースマップ藤堂高虎・京極高知陣跡福島正則陣跡関ヶ原古戦場開戦地今日はここまでまた明日~
伊賀上野城の城内展示、スマホでかなりの枚数を撮影しました。それをこれからアップします。伊賀上野城は藤堂高虎が築城されましたが慶長17年(1612年)に暴風雨で崩れたそうっです。そしてその崩れた天守閣を川崎克氏が昭和10年(1935年)に再建されたそうです。戦後の鉄筋コンクリートの再建されたお城とは少し雰囲気が違いました。床や階段は木造で再建されていました。
こんばんは。ヨシ!週末だしかも3連休じゃんね予定ないですけどねスーパーの百均、ハロウィンの棚で見っけ!何年か前から見かけるもふもふのハロウィン仕様黒い子選びました翼はラメでキラキラ✨️かわいいそう言えば今夜から『津まつり』本番は明日からで、前夜祭です今年のゲストは津市(三重県)と縁深い藤堂高虎を演じてる佳久創さんがやって来てくれます昨年の森香澄さんほどの知名度はないですかね長い歴史ある祭りで、連日すごく盛り上がります行ったことないし、明日も行かないですけどね
戦国時代の歴史が好きな私。この時代の大河ドラマはいつも見ていますが今回の豊臣「秀長」はもともと大好きな題材であり毎週見ています。その中に大河ドラマではちょっと珍しい存在が活躍していてうれしいです。「藤堂高虎」…ご存知でしょうか?小説なんかではよく取り上げられる存在ですが、なかなかテレビでの活躍機会はあまり無い印象です。私がこの人が好きな理由の一つに、幾多の戦いを経て人生の幕を閉じる時の描写が徳川四天王「本田忠勝」と全く逆なことです。本多忠勝は生涯無敗、傷一つ
伊賀上野城のお城の内部の展示も充実していました。枚数が多いので何回かに分けてアップしたいと思います。さすが忍者の郷、壁にその姿が見えます。藤堂高虎の兜
ちょっと時間が出来たので上野までお出かけ散歩。もうじき終わってしまうこの美術展めざしてお山に向かいます。開館一時間後を狙ったのですが、川の流れのように人が集まってきます。閉会間際はダメだと常識でしたが。チケットを買ってから入るまでは一時間じゃ無理ですね。上野駅中と出口でチケットはプチ事前購入出来ますが、買わなくて良かった。帰るのも癪だったので、お隣の上野動物園お散歩。未だどんよりとした空。紅葉とは言い難いのですが、まだ10月なのに秋の気配。何
こんにちは、旅行好きウーマンSenkaです。いつもご覧いただきありがとうございますやばい、大学芋の美味しさに手が止まらないさて、今治城が見えてきましたよ。藤堂高虎公像狛犬の足元に咲いていた紫の花が愛らしい御朱印帳に書いていただき(右)左は書き置きをいただきました吹揚稲荷神社こちらも書き置きをいただきましたさぁ、松山に帰ろう~
松坂城を午前中に訪問したあと伊賀市に移動して伊賀上野城を訪問しました。滋賀県八日市市(現在は東近江市)の工場にに勤務していたころ一度訪問した記憶がありますが40年以上昔のことなのでほとんど記憶に残っていません。解説書によると築城は筒井定次、その後藤堂高虎が最終的に改修を行って城主となったが津城に移りお城の重要性がなくなったことでお城は未完成に終わったと記載されています。伊賀上野といえば忍者の郷で知られていますが今回はお城メインの訪問になりました。まずはお城とその周辺をアップします。
藤堂高虎公少しづつ離れた場所にあって、分かりづらい場所八幡神社の周辺に点在しているここは偶然見つけた藤堂高虎出生地藤堂高虎ふるさと館和の家定休日だった豊郷小学校旧校舎群昭和11年頃の建築とは思えない程の立派でモダンな校舎近江商人古川鉄治郎さん寄進によるもの講堂傾斜がある2階席もある戦火にも耐えたんだろうな放課後ティータイム永遠なれk−ON4EVER旧図書館2階アニメけいおんフィギュアも多数アニメの聖地には外国人観光客多い私は高校生の時軽音同好会
愛媛の南西部に位置する宇和島市。お城は現存天守12城のひとつですが、江戸時代に伊達家が築いたもので、藤堂高虎の手によるのは石垣だけです。NHK「最強の城スペシャル」で石垣好きの高橋英樹さんが目をキラキラさせていました。「藤堂高虎ー。若かったら一度はやってみたかった役です。」豊臣兄弟では佳久創さん(野球選手だった郭さんはおとうさん)が演じていらっしゃいます。1570浅井氏に仕える。姉川の戦いで初陣。1573出奔し、磯野氏に仕える。1576出奔し木下秀長
日帰りでできるお城巡りも少なくなってきました🏯父ちゃんも忙しくしてて朝には1回出かけるのをやめようと言い出しでも、考えて行けると思ったのでしょうやっぱり行こうと、行こう行こう♪名城50城の中のひとつ津城ですですが、お城がありません築城の名人と言われた藤堂高虎の像黒漆塗唐冠形兜くろうるしぬりとうかんなりかぶと津城跡冊子にはこちらが載っていますが小さなお城風の建物でした↓石垣は当時の物でしょうか??28年完成予定の整備工事をしてる様子せっかくですからキレイにして欲し
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「豊臣兄弟」見てますかぁ〜四国を平定したし秀吉さん関白になったし…ってことで第37話の感想ぉ!まずは…蜂須賀正勝正勝より小六って呼ぶほうがしっくりくるね四国平定、北國平定の恩賞の席で正勝が隠居を宣言。さらに、正勝との別れ…この後、正勝は病に倒れ、亡くなるとは…蜂須賀家は阿波国の領主となったんだよね秀長は恩賞として大和国を任されました。城は大和郡山城。家臣が揉めていると、慶が上手く収めました。慶、素晴らしい奥方になったよね大和は興福寺を始めとする僧
この旅の4城目は津城。松阪駅から近鉄山田線で津新町駅に向かいます津新町駅駅から徒歩約12分で津城到着です。藤堂高虎公像慶長13年(1608年)に藤堂高虎が入城し、城の大改修に着手し、以後明治維新まで藤堂氏の居城となったそうです丑寅櫓復元されましたが、史実を無視した観光用の模擬櫓ということです石垣石垣と犬走石垣と堀入徳門藩校有造館の正門だったものが移築現存しています。埋門高山神社藤堂高虎を祀っています。
2026年10月3日土曜日ブラタモリが京都・南禅寺の特集だったので、楽しみにしてました。(山門)今年6月に行ったときも南禅寺の山門の前の説明を見て、藤堂高虎が建てたと思ってましたが、番組では高虎は寄進した、と説明してて、建てたわけじゃなかった!藤堂高虎といえば築城の名手として有名なので山門も作るところからやったと勘違いしてました。(南禅院)鎌倉時代の遺構がのこるという南禅院、水を抜いた状態の時に見れるのかわからないけど、行けたら行こう。池は龍の形を表しているこ
10月スタート。めっきり涼しくなってきました。9月は雨がやたら多かったですが10月最初の土曜は快晴。8時からドライブへ。丹波篠山を目指します。100名城篠山城をめぐります。この日はいい天気。やっぱりいい天気のほうが城巡りも楽しめます。石垣がかなり立派です。いつものことですが全く城の歴史や成り立ちのこと知りません。なのでAI君に簡単にまとめてもらいました。『篠山城は、兵庫県丹波篠山市にある日本100名城のひとつです。1609年、徳川家康の命による天下
尾道からしまなみ海道を渡り愛媛県今治市へ向かいました🚗³₃気づいたらしまなみ海道の写真......なかった💦💦動画が1枚だけあったので良かった〜子供たちは爆睡してたけどしまなみ海道から見る景色は最高でしたよ☆運転手じゃなくて良かった〜♪今治は今治国際ホテルへ宿泊今回泊まったホテルで1番広いホテルでしたが部屋の写真を撮るのをすっかり忘れてて夕飯はまたホテル近くのお店で食べましたがそれを撮るのも忘れ💦朝の朝食ビュッフェもとっても良かったのですがそれも撮るのを忘れ実はその朝
昨日の昼ごはんは明らかに食べすぎー!で、そのまま和歌山城へ散歩に。上り下り2セット+銀行と郵便局まで。先週土曜日、NHKの土スタが和歌山城ホールで収録だったので和歌山城普請奉行の藤堂高虎役の佳久創さん、光秀役の要潤さん、義昭役の尾上右近さんがお越しになってました。5,600じゃ歩き足りませんなー。
目出度く関白になり、城の天守で浮かれまくってる兄弟のシーンから始まった今回。(三成、ノリが悪いなりに付き合ってあげてるのね(^_^;))兎に角、そんなこんなで始まった今回。秀吉が畿内とその周りの領地に自分の一族、配下を集中させて振り分ける中、蜂須賀小六は阿波を有することを辞退し、自分の息子に譲りました。その夜、一夜城からのいつもの4人で晩酌をしながら『遠くにきいはせん。古傷が最近痛むから、後進に道を譲るだけじゃ』という小六に、『それならば盛大に引き際を盛り上げてやるか!』と秀吉子飼
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第37回「秀長の国」の感想です。面白い回でしたね。(続きです。)大和郡山城。天正13年9月。秀長は大和郡山城へと入りました。秀長:「皆で力を合わせてよき国をつくろうではないか!」と皆に挨拶した。(回想)秀吉が「(寺や神社が)独自の法によって一国を意のままに支配し、莫大な利を得ておる。」と話すのを思い出した。「興福寺は広大な所領を有しており、百姓たちは年貢などを専ら、寺のみに納めておりまする。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第37回「秀長の国」の感想です。面白い回でしたね。(第36回のラストです。)<大坂城>大坂城からの眺めを楽しみ、これまでの人生をふりかえっていた秀吉、秀長。国割の申し渡しをするため、皆の待つ部屋へ向かった。天正13年うるう8月。秀吉は四国、北国の平定を終えたのに伴い、畿内近国の領地分配を行いました。浅野長吉が読み上げる。「高山右近允……播磨、明石を授ける。」高山右近:「ありがたくお受けいたします
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」に出てくる藤堂高虎の銅像を見に津城にやってきました伊勢・津幡初代藩主藤堂高虎は黒田官兵衛、加藤清正と一緒に築城三名人の一人と称されていますどんなお城でしょうか新しく立て直されてるけど。。。昔のお城です写真が残っていたのですね奥に進むと公園南に向かって指をさしてる藤堂高虎公この銅像よく見るでしょう~お城の石垣やお堀を撮影し津城を後に。。。藤堂高虎のもう一つの城伊賀の上野城へ。。。看板上の伊賀の文字分かりずらい