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新潟県阿賀野市の安田民俗資料館(休館中)に保管されてる蒲原鉄道モハ51見たで。国道49号線が磐越自動車道をアンダークロスするあたりにあんねん。蒲原鉄道本社兼村松駅を移築。立入禁止のようやが、おばあちゃんがなんかゴソゴソしてた。エライことに。屋根の一部は落ちてるようや。安田民俗資料館は、私設で民具や鉄道史料を約1.5万点収集、展示していたが、蒲原鉄道廃止後ほどなく休館状態になったようである。所有者は後継先を探しているとのことであるが、このまま朽ち果てるしか
新潟県五泉市村松城跡公園に保存されてる蒲原鉄道モハ11見たで。こちらは良好な保存状況。公園内にある五泉村松郷土資料館に、蒲原鉄道の資料が展示されてるが先を急ぎま。にほんブログ村
新潟県五泉市五泉市総合会館に保存されてる蒲原鉄道モハ41見たで。1999(平成11)年10月廃止ゆえ四半世紀経過した。ブロ友氏が現役時代の写真を貼ってた。ワテも廃止間近に行ったけど、写っているのはいずれもモハ41かいな?『蒲原鉄道ちょっと行った』ブロ友氏が日中線に続き蒲原鉄道の写真をうぷ。日中線は廃止後に、蒲原鉄道は廃止前に行ったはずやけど…日中線の写真は見当たらず蒲原鉄道には廃止(1999(平成…ameblo.jpステップがあるけど、ドア
さばんさです。今日はゆっくりする日です。自宅からは出ません。休みます。なので、いくつかブログUPすると思います。第1弾。まずは鉄道の日、こちらです↓これまでの幾度となく取り上げさせていただいた、新潟県にあった、蒲原鉄道です。1985年3月に廃止になった蒲原鉄道七谷駅。1枚目は現役時代1984年、2枚目3枚目は2018年です。わたしの大好きなサイト、風太郎さんのサイトで2025年4月の七谷駅の様子を伝えて下さいました。風太郎のPな日々Photograp
さばんさです。祝日でした。どこにも行かないと決めていたので、ちょっとした整理整頓や探し物、ちょっと本を読んだり動画を観たり、ちょっと草刈りしたり、疲れない程度のやることをこなしました。こんな日も大事ですよね。あっ、ちゃんと国勢調査もやりましたよ。今日はまずは鉄道の日、こちら↓以前も全駅を解説した、新潟県にあった「蒲原鉄道」です。わたしがこの鉄道を実際に見ていたときや、廃線跡を巡った頃には考えられませんでしたが、今の時代は、世の中にわたしの見たことがない画像や映
さばんさです。今日の台風の雨はすごかったですね。なんとか長時間にはならなかったので、大丈夫でしたが、これが長くなると、水害になります。私の住んでいる市のちょっと先には、定期的に水害に見舞われる地区があるので、ヒヤヒヤします。仕事上も長く務めているので、いろいろな判断を求められるので、本当に嫌ですわ。。。今日は廃線の日のおまけです。こちら↓1999年10月4日に全線廃止になった、蒲原鉄道にまつわる品々です。これは廃止後に村松町(現五泉市)の村松郷土資料館で行われていた、
さばんさです。今日も家の都合で速攻帰りです。この用語、学生時代以来久しぶりに使いました。久しぶりの陽ざしなしの1日で、蒸し暑いものの幸せな日中でしたね。このまま秋になればいいのに・・・。そうは行きませんね。今日も廃線の日の続き、ラストスパートです。こちら↓1999年10月4日で廃線となった、蒲原鉄道、通称村松線「今泉駅」です。1984年3月末で、蒲原鉄道線21kmの3分の2にあたる加茂線が廃止となり、残りの4.2kmが残り、そこからそれでも15年間走り続けた通称「村
蒲原鉄道ED1
さばんさです。年齢的にもテレビっ子のわたくし。帰宅するとまずはテレビをつけます。(我が家のリビングは地上波用のTVとYoutube用のTVが並んでいます)今日は「鳥人間コンテスト」がやってました。そちらも見ながらのブログです。(Youtubeも好きですけど、やっぱりTVを見てしまいますね)本日も廃線の日、こちら↓加茂駅からずずーってさかのぼって来ましたので、再登場です。1984年3月31日で廃止になった蒲原鉄道加茂線、そして1999年10月4日で廃止となった蒲原鉄道
さばんさです。今日はさっさと帰宅。事情で机に向かう時間です。ドラマが始まるまで、このまま静かに机に向かいます。(もうひとりの人は週末の資格試験に向けて試験勉強をしています)なので、おとなしく今日も廃線の日の続きです。こちら↓遠~くに写っているのが、1984年3月末で廃止となった、蒲原鉄道加茂線の西村松駅です。画像の右下は1985年8月7日とあります。なんでもっと近くで駅を撮らなかったのかは不明です。おそらく廃線後翌年の帰省時に自転車で近距離を走りまわったときに
さばんさです。久しぶりにちょっとリビングで玉砕していて、こんな時間になってしまいました。ちょうど今日は順番的にいちばん馴染みのない駅になりました。今日も廃線の日、こちらです↓1984年3月末で廃線となった、蒲原鉄道加茂線「寺田駅」です。これだけなんです。駅を写した自前の写真は。これは、良ーく見ると1988年8月10日の日付が入っていますね。これまでもお伝えしたとおり、この廃線を辿る自転車旅は、3回チャレンジしています。過去2回は途中までで、3回目に晴れて
さばんさです。今日は更新をするつもりはなかったのですが、この話題から。昨日テレビ東京で放送された、「ローカル路線バスの旅W」。長野県の車山高原から福島県の磐梯熱海を目指すという難関ルート。間はいろいろありましたが、後半、新潟県の長岡→東三条駅→加茂駅とやってきました。そこからショートカットして五泉方面に向かいたい、そして会津若松を目指す、という場面でした。蒲鉄が廃止された直後だったら、加茂から村松、五泉にいくバスがあったので、蒲原鉄道バスが大活躍しているところでしたが、もうと
さばんさです。妙に眠たい今日の朝。歳なので休日の朝もいつもどおり目が覚めるのはいつも通りですが、普段は眠くてもリビングに来ると目が覚めるのに、珍しくぼーっとしています。徐々に行動を上げていきましょう。今日は廃線の続き、こちらから↓1984年3月31日で廃線となった、蒲原鉄道加茂線「高松駅」です。この駅から旧村松町(現五泉市)に入ります。ここから西村松駅までの駅が、1983年当時の乗車時に写真がありません。上の写真は、当時済んでいたところにあってよく通っていた
さばんさです。中休み週でしたので、比較的あっという間の週末です。まあ、難題はまだまだ片付いていず、気持ち的には何にも晴れない週末ですが、一旦休みましょう。もう少し続けましょうか、廃線の日、こちらです↓1984年3月末で廃止になった蒲原鉄道加茂線、土倉駅です。駅といっても、駅名表示板のどアップだけです。1983年に加茂線に乗ったときに車内から撮りました。小学生の私は、その日、村松駅から乗車しましたが、そこそこ乗客のいた車内からカメラを向けることをちょっとためらって
さばんさです。暑さにすっかりやられてきましたね。日中なんだか力尽きて眠くなることがちょいちょいあるようになってきてしまいました。ぐっとこらえてなんとかお仕事終了ー!本日も廃線の続き、こちらです↓1985年3月末で廃線となった、蒲原鉄道加茂線「冬鳥越駅」です。昔から知っている駅名ですが、改めてこう書いてみると、なんだか風流な地名です。上の画像はもうおなじみ、1984年8月に車窓から撮影した冬鳥越駅です。指が入ってます!この看板の後ろはすぐにちょっとしたテーブル
さばんさです。今日はやる気がありますので、外出用事が終わりましたので、初の3ブログ目です。廃線の続き、こちらです↓1985年4月1日に廃線となった、蒲原鉄道加茂線の七谷駅です。上の写真はこれまでと同様、前年1984年8月に全線乗車したときの写真です。駅名表示板を中心に撮影し、途中下車ができなかったため、車輌や駅舎があまり撮れなかったのですが、この駅は交換駅で列車の行き違いがあったため、加茂方面に向かう列車を撮影できました。行き違いの仕組みが分かっていれば、自
さばんさです。平日お休み。これからちょっと用事ででかけてまいります。すきま時間があったので、本日早くも2記事目です。続いても廃線の日、順を追っていきます。こちら↓1985年4月に廃線となった、蒲原鉄道加茂線の「狭口駅」です。引き続き写真は前年の1984年8月に乗車した際に車内から撮影したものです。乗車した当時は、列車や駅舎ももちろんですが、「駅名表示板を撮る」ということが好きだったので、このような写真が多く存在します。(ちなみにこの当時小学生でした)この
さばんさです。代休日。昨日はブログ更新の後からうたた寝してしまい、ちゃんと寝たのは午前3時すぎ。朝は目が覚めてしまう年寄りなので眠いです。さあ、どうしましょう。まずはこれを書きましょう。今日は廃線の日、こちら↓1985年4月に廃止となった、蒲原鉄道加茂線の続きです。こちらは加茂駅から4つ目の駅「駒岡駅」です。この写真は前年1984年8月の写真です。そう、駅のホームの真後ろが学校のプールだったのは記憶にあり、車中からこの写真を撮ったんです。もううっすらの記憶で
さばんさです。今日は朝からなんだか体調がいまいちだったのですが、うなぎのぼりに元気になりました。気のせいだったのが気持ちから来るものだったのか、分かりませんが、なんだか自分の体なんて分からないものです。さて、今日は鉄道の日、こちら↓1985年4月1日に廃線になった、蒲原鉄道「東加茂駅」です。写真は廃線3年後の1988年の夏に撮影したものでした。廃止前年の8月に私は蒲鉄加茂線に往復乗車をしていました。その時は途中下車はしなかったので、車中から駅名表示板
さばんさです。前ブログのとおり、AquaTimez、20周年記念生配信を見終わりました。なので、もういっちょ更新しましょう。鉄道の日の続き、こちらです↓蒲原鉄道「陣ヶ峰駅」です。こちらは1984年当時の電車の中から、駅名表示板を撮影しました。下に信越本線の線路が写っていますね。この駅は国鉄加茂駅を出発して1駅目にあります。しばらく信越本線と並行して走り、高度を上げて、国鉄線と道路を鉄橋で越えたところにある駅でした。廃線から現在に至るまで、ホームが
さばんさです。半日仕事&歯医者定期健診が終わりました。今週も終わり。いろんなことがありますが、一旦休憩しましょう。本日は昨日の続き、蒲原鉄道の日、こちらです↓1984年8月16日の蒲原鉄道線「加茂駅」です。この年、この日に小学生の私は祖父母宅に帰省しており、蒲鉄に乗りたくて、一人で村松~加茂~村松と旅をしたのでした。カメラも祖父母宅にあったもので、使い方もよく分からず、どんな写真がよいのかもまだ分からない頃、おもむくままの小旅行でした。村松から加茂に向けて
さばんさです。花の金曜日「花金」(超古い死語です)、とはいかず、明日は月1回の土曜日出勤日。ただ、半日ちょいで早退の予定です。まだまだやる気のでないわたくしですが、歯医者の定期通院ですので、仕方がありません。今日は久しぶりに鉄道の日、こちらにしましょう↓新潟県五泉市にあった、蒲原鉄道の旧村松駅です。写真はお借りした物ですが、いつの頃でしょうか。明らかなのは、1980年11月にこの駅舎は取り壊されましたので、その前ということです。蒲原鉄道は、当時の新潟県中蒲原
いまから30年以上前蒲原鉄道村松車庫で見かけた有蓋車『中京地区ローカル私鉄訪問③三岐鉄道丹生川駅にある貨物鉄道博物館(閉まってました)』三岐鉄道丹生川駅にある貨物鉄道博物館あいにく閉まっておりました『中京地区ローカル私鉄訪問②三岐鉄道に乗車丹生川駅まで移動』三岐鉄道保々駅にて211…ameblo.jpこの間訪問した、三岐鉄道丹生川駅に隣接する貨物鉄道博物館で展示されていた古い有蓋車、もともと蒲原鉄道から移送されてきた、と説明にありましたが、昔の写真をほじくり返すと、蒲原鉄
皆さんこんにちは今回は蒲原鉄道の保存車モハ41を見ていきますちなみに前回モハ11の記事もあるので是非見てくださいこちらがモハ41です、二枚窓のまるで国鉄80系のような顔が特徴です横にはミラーがついており、右の窓にはワンマンの文字がありますねドアは3ドア片開きで、全長は16.7mと蒲原鉄道の車両の中でも結構大きいですモハ41と蒲原鉄道の社紋蒲原鉄道の社紋はレールの断面とバスのハンドルがロゴに書かれていますそうそう、蒲原鉄道はバス事業もやっていますというより今は蒲原鉄道線が廃止にな
皆さんこんにちは!今日は蒲原鉄道の保存車両モハ11を見ていこうと思いますそもそも蒲原鉄道とは何かというと蒲原鉄道は1922年から1999年まで存在した新潟県の私鉄で磐越西線の五泉駅から城下町の村松を経由し加茂駅までを結んでいた路線です!その路線で使われていた車両がモハ11ということですでは早速見ていきましょう!これがモハ11系の顔です京都鉄道博物館に保存されている国鉄80系みたいな顔をしていますね自重は19.2トンと表記されています首都圏で活躍しているE233系がだいたい30
It'sbeensolong...定刻きっかりに列車が出る朝には着くはずだあの娘を最後に抱きしめたのはもう遠い昔俺はふるさとに帰るそこでは愛が俺を守ってくれる列車は快調に走るこれでいいんだ汽笛が響き渡る街は飛ぶように過ぎ去り樹々の間を吹き抜ける風の匂いを感じる誰もが飛び出してきて俺を迎えてくれるこんなにいい所がほかにあるかい色々な土地に暮らしたけれど、ここが最高だった裏庭のドアには暖かな陽が降り注いでいる車輪が力強く回るたび待ち焦がれ
Julia'slaststand...ジュリア…君は僕にある基準を課した君のもとへ行き僕は請うどうかもっと愛してくれとジュリア…君ほどの人は見つけられない君が自分でそう言ったよね他には誰も要らないよ君の愛なしじゃ生きていけないそれがなければ抜け殻なんだ僕には君がいてくれなければ…ジュリア…君は心をくるわせるだけど僕は君の構想の一端僕の断片に夢を見るその間だけの男でしかないんだお願いわかって、僕にとって君がどんなに大切な人かということを
カシオペヤとこぐま座です。撮影地は冬鳥越。廃線になった駅の跡です。蒲原原鉄道の電車を前景にしました。6月の夜遅く昇ってきたカシオペヤを撮ったものです。カメラはマミヤ645にレンズは35mmF3.5。ここは空は暗いので星の写りはいいです。
全国のローカル私鉄で見られた武蔵野鉄道の車両も、平成に入ると稼働するのは蒲原と一畑の2社のみでした。一畑電鉄70系(旧.モハ301形)は2ドアセミクロスシートの快適な車両でしたね。クハ100形(旧.クハ1231形)にはドアエンジンが無く手動ドアが新鮮でした。まさか、平成の世に「手動ドア」の電車が走っていたとは・・おそらく、私の年代でいちばんの馴染みが、蒲原鉄道のモハ61(旧.クハ1231形)でしょうね。1985年の路線短縮で、五泉・村松間の1閉塞となってからも主力車両でしたので、撮る機
新潟県加茂駅から村松駅を結んでいた鉄道路線。営業キロ21.9K駅数15全線単線・電化昭和60年4月廃止。自家用車の普及に伴い利用者が激減。村松駅改築記念乗車券加茂駅新設記念乗車券思い出の鉄道線北陸鉄道松金線は当初馬車鉄道として明治37年11月営業開始、昭和18年10月に北陸鉄道に合併される。昭和30年11月野々市から松任間5.2K廃止粟津線やはり明治44年に馬車鉄道として粟津温泉―符津(新粟津温泉3.5K開通電化問題に温泉電軌昭和18年北陸鉄道に合併される。昭和3