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当体義抄送状本文(御書全集五一九㌻)問う当体の蓮華解(げ)し難し故に譬喩を仮りて之を顕すとは経文に証拠有るか。答う経に云く「世間の法に染まらざること蓮華の水に在るが如し地より而も涌出す」云云、地涌の菩薩の当体蓮華なり、譬喩は知るべし以上後日に之を改め書(しる)すべし、此の法門は妙経所詮の理にして釈迦如来の御本懐・地涌の大士(だいじ)に付属せる末法に弘通せん経の肝心なり、国主信心あらん後始めて之を申す可(べ)き秘蔵の法門なり、日蓮最蓮房に伝え畢(おわ)んぬ。
御大師様の事を書くと、晩年に業病を得ていた点を理由に、こき下ろすコメントが来ます。業病のような症状を身に受けられたのは、菩薩行の仕上げとしての代受苦であって、世の人達の為に敢えて身に重い病を得られたのです。世界を見てもトップレベルの聖者は代受苦にて今世を終えることが多い。御大師様は日本の大乗の菩薩における、其の嚆矢であって、他の日本の祖師方のうち最も勝れた聖者であり、御佛の御位におられる方なのです。合掌
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)592〜594頁そのとき不可壊精進勢王菩薩がほとけの神力を承(う)け、十方を観察して次の偈文を説かれました。『まことの仏子を観察せられよ、智慧と功徳との蔵は、菩薩の道を究竟して、もろもろの世間を安穏にする。無量の智慧は明徹して、禅定のこころ動ぜす、智慧はなはだ深広で、その境界は測られない。今この祇園林は、種々無量に厳飾せられ、菩薩衆は雲のごとく来集し、如来に親近して止まられる。無量の大衆海は、何者にも著するところなく、十方より此
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)591〜592頁入法界品(二)そのとき明浄願光菩薩がほとけの神力を承け、十方を観察して次の偈文を説かれました。『堅固の人を観察せられよ、ほとけの道は思議しがたく、祇園林に量りなき自在の法を顕現したもう。如来は威神力によって、無量の徳を顕現したもうを、世間はことごとく迷惑して、諸仏の法を知らない。法王の深妙の法は、無量であって思議しがたく、現じたもうもろもろの神通は、世を挙げてよく測るものがない。法の無相をさとるを以って、名づけ
菩薩にも、おへそがあるのですね・・・・・・写真1(↓):ちょっと腰をひねったポーズの日光菩薩(薬師寺で購入した絵葉書より)写真2(↓):日光菩薩のおへそのアップ写真3(↓):ちょっと腰をひねったポーズの月光菩薩写真4(↓):月光菩薩のおへそのアップ白鳳時代の国宝菩薩立像、ローライズ・ファッションがとてもお似合いでいらっしゃいます・・・おへそだけを見たら、ベリーダンサーみたいになまめかしいです・・・薬師如来の脇侍だ
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)590頁たとえば人が生るれば二人の天子がつねにその身につき随(したが)う。一を同生といい、他を同名という。天子はつねに人を見るけれど、人はかつて天子を見ない。そのように如来はもろもろの菩薩大会の中にあって大神通を現ずるけれど、もろもろの大声聞はすべて見ることが出来ない。たとえば比丘が大衆の中において滅尽定に入るようなものである。諸根を捨てず、また滅度せず、而(しか)ももろもろの大衆のことを知見しない。それは滅尽定のちからの故である。そ
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)589〜590頁たとえば人が離苦光明と名づける清浄眼を得れば、いかなる黒闇のなかでも自由に見ぬと云ことはない。彼等はよく暗夜のなかで他人の形相や動作を見ることが出来る。だが、他人は彼(か)れの形相や動作を見ることが出来ない。そのように如来は無礙清浄の智眼を逮得して、あらゆる世間をことごとく知見したまわぬと云うことなく、無量の自在神変と及び菩薩衆とを示現したもう。だが、もろもろの大声聞等はそれを見ることが出来ない。たとえば比丘が大衆の中
ふくよかな如来菩薩↓描き手も少々ぽっちゃりなので似てしまったか?(笑)2024.©emi.kにほんブログ村
めちゃくちゃかわいいカカオキャットのパッケージ自分で仕入れる楽しみ🐈にゃーアルボムッレ・スマナサーラさんが瞑想のお話をしているのがYouTubeで流れていました。おかもん先生のお話が瞑想だったからYouTubeが選んでくれたのでしょう。わかりにくい話でしたが一つ印象に残ったことがあります。修行をしていてこれまで感じたことのないほどの安穏や平穏といったものを感じると修行者は悟ったと誤解するそうです。そうなると、絶対と言っていいほど悟れない。なぜなら、これまで感じたこと
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)587〜588頁たとえば雪山にもろもろの薬草があって、良医がそこへ行って見れば、よくことごとく分別して知るけれど、猟師や牧人等はつねにそこに住んでいながらそれを見分けることが出来ない。そのようにもろもろの菩薩は智の境界に入って自在の力を具足しているから、よく如来の広大なる神変を見る。だが、かのもろもろの声聞の大弟子等はただ自利のみを求めて利他を欲せず、ただ自己の安立のみを求めて、他を安立することを欲しないから、祇園にいながら而(しか)も
観音様〔観自在菩薩〕と言われてます。観は見る、自在は自分の中に在る、菩薩「仏」、つまり外に救いの対象を求めるのではなく自分の中に存在する神仏を観るように観音菩薩は説いているのです。観音様は観自在菩薩観音様はいつもあなたと一緒あなたの中の観音様にあなたが気付かないだけでもねあなたが本当に困った時は身近な誰かに変化(へんげ)してあなたを助けに来てくれる観音様はあなた自身by写心詩今日もブログを読んでくださってありがとうございます。
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)586〜587頁たとえば人が大会のうちに眠気を催して安らかに睡り、夢にたまたま須弥山頂の帝釈天の住する善見大城を見るとする。宮殿楼閣はおごそかに飾られ、百千万億の天子天女があまねく天華を散じて大地に行き渡らしめ、種々(しゅじゅ)の衣樹から妙なる衣服を生じ、種々の花樹は微妙な花をつけ、もろもろの音楽樹は天の音楽を奏し、天のもろもろの采女は美音をもって歌い、無量の天子はそのうちに戯楽している。その人が自分をかえり見ると、自分もまた天の衣服を
【風の善友会】12月17日朝8時法話LIVE今回は金剛薩埵菩薩をご紹介致します。そして仏教から見た"悪"の捉え方、何ものにも傷つけられない金剛心についてお話させて頂きます。https://vt.tiktok.com/ZS6dekLng/スケジュール0.ご挨拶1.本日の御仏2.法話3.般若心経4.教え5.一日一禅語6.消災吉祥陀羅尼#ダイヤモンド#仏教#智慧#強い#共感
綺麗よ❤️境内清掃開始🎵ゴシゴシ🎵ゴシゴシご祭神様おはようございますいつもありがとうございますいつも杖のお姉さんご参拝終わって、御神木様の処に座って🧹清掃の様子をじっと見られてるわぁイエローカーペットに❤️🎵ドンブラコったらドンブラコ🎵👵「おにいちゃん、ちょっと手を出して」🦍お姉さんどうしたのっ⁉️👵「冷たそうだから、温めてあげるよ、冷たい冷たい」🦍
深川不動堂で写経をしました。写経が終わると、書いたものを納めるのですが、持ち帰るのではなくてホッとしました。写経は仏様に納めてこないと届かないそうなのです。何十年も前に写経を沢山したのですが、それはお寺に持っていったりしませんでした。供養の為にしたのですが、届いていなかったかもしれないと思うと残念です。また、桜井さんの本で筆ペンよりも墨で書くといいとあったので、墨で書けたのは本当によかったです。○○の為と書くところがありますが、以前他で書い
おはようございます、菩薩人です😀今日(12/15日)の栃木県南部は、晴れてます☀️いつもは土曜日の午前中に配信を心掛けていますが、法事のためにできませんでした😔さて、先週(12/8土)、白鷺神社(栃木県上三川町)で、車の交通安全祈願をお願いしました⛩️祈祷では、七五三詣や初宮詣の家族と一緒でしたが、懐かしく祈願させて頂きました👏境内にはもう初詣の準備がされていて、もう新年が近いですね😉菩薩人のひとりごと無事に新年を迎えられますように🙏↑白鷺の像🪽↑日本一の鉄剣平和の剣🗡️触
ようこそ不思議整体幸亭へ初めての方は、こちらをご覧ください。弘法大師の言葉の一つに「如来威神の力を離れぬれば、十地の菩薩もその境界にあらずいわんや生死の人をや」がありますこれは、如来の不思議な威力を離れてしまえば、十地という高い位の菩薩でもその世界に安住できませんましてや、生死輪廻のうちに迷う人間の場合はなおさらだという意味です1人で何もできると思うのは大間違いだという戒めの言葉ですゆえに、「感謝!」が大切だと思いますね感謝を毎日言ってみましょう
原作:荒川弘、監督:澤田裕太郎、制作:Pieinthesky。25頭目「十勝開拓史」25頭目は「十勝開拓史」のお話。荒川弘の育った十勝の開拓の歴史、そして荒川家のひいじいさんの武勇伝とはー「こんな土地に暮らすなんてクレイジーです…」<雑感>十勝の原生林を切り拓いて一大農業地帯に変貌させたご先祖の話と、荒川弘のご先祖が足尾銅山鉱毒事件の解決に尽力した人の仲間で、警察とトラブルを起こして北海道に逃げてきた話。十勝の開拓史の話はとんでもないハードモード。しか
信濃比叡広拯院不動明王厄除不動薬師如来医王殿北辰妙見菩薩北辰星王月替り限定12月「釈迦如来」花の御朱印「12月・1月」季節の御朱印「冬季」寺社名廣拯院山号鎮座地長野県下伊那郡阿智村智里3592-4別称宗派天台宗本尊薬師如来創建817年
今日は、本家の普賢菩薩のご縁日にあたります。これも何かのご縁と思い、普賢菩薩について次のようにまとめました。普賢菩薩とは?普賢菩薩(ふげんぼさつ)は、大乗仏教において重要な菩薩の一尊であり、特に慈悲と行動を象徴する存在として知られています。普賢菩薩は、文殊菩薩とともに釈迦如来の脇侍として描かれることが多く、智慧を象徴する文殊菩薩と対をなして、「行(ぎょう)」を重視する菩薩とされています。普賢菩薩の特徴象に乗る姿普賢菩薩は、六牙の白象に乗る姿で表現されることが一般的です。この六
真理が見たくて、真実が知りたくて、本当の光が見たいなら、まずは自分が真にならなくては無理です本物の画家になりたければ、フランスへ行け!と、言うように自分が本物をわかるよう真になることが大事です仮の自分、偽物の自分、本当じゃない自分では、いつまでも真理は分かりません仮から真に、シフトしましょう全てと言って良いほどの人々が仮で生きています
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)583〜585頁何となれば、善根が同じくないからであります。彼等はもと仏を見る自在の善根を修習しなかったからであります。かつて十方世界のあらゆる仏国土の清浄の功徳を讃説しなかつたからであります。かつて諸仏世尊の種々の神変を称讃しなかったからであります。かつて生死流転のうちにおいて仏智を求める心を起さなかったからであります。かつて他をして菩提心に住せしめなかったからであります。かつて如来の種性を断絶させないことが出来なかったから
※当に法のほら貝を「ブオー」と吹いて、太鼓を「ドンドンドン」と叩いて、「邪教よ、去れ!」と言って、一切衆生の生老病死の海を度脱させてあげるのです。人類を救う100万人の法華経入門『妙法蓮華経薬王菩薩本事品第二十三』について21「当に法の螺(かい)を吹き、大法の鼓を撃って、一切衆生の老病死の海を度脱(どだつ)すべし。」当に法のほら貝を「ブオー」と吹いて、太鼓を「ドンドンドン」と叩いて、「邪教よ、去れ!」と言って、一切衆生の生老病死の海を度脱させてあげるのです。
ハナは、薫にたいしても岩太郎にたいしてもムカつく気持ちしかありませんでしたが、不思議と二人の親子の絆を認められるようになっていきました。ハナは、残りの人生を模索するようになってきます。《あらすじ》岩太郎から電話が来たのは、それから一週間ほどたった時でした。「母には内緒なんですが、二人でお会いできないでしょうか」ハナは、「もう、お宅とはまったくの無関係なんですよ。見知らぬ他人です」柔らかく言って、電話を切りました。二月に入ると寒さは一層厳しくなり、昨日から
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)582〜583頁その時、もろもろの大聲聞たる舎利弗・目犍連・摩訶迦葉・離婆多・須菩提・阿兎樓駄・難陀・劫賓那・迦旃延・富樓那彌多羅尼子等——かような大聲聞が祇園林に居られましたが、しかも彼等はことごとく如来の自在を見ることが出来ませんでした。如来の荘厳・如来の境界・如来の変化・如来の獅子吼・如来の妙なる功徳・如来の自在の行・如来の勢力・如来の住持する力・清浄の仏国土——かようなことを彼等はすべて見ることが出来ませんでした。彼等はま
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)581〜582頁かようにして十方から来集せられた菩薩等と、及びその部下の菩薩達とは、皆ことごとく普賢の行願を具足して居られるのであります。彼等は三世の諸仏の浄(きよ)らかなる智眼を成就し、あらゆる仏の浄妙なる法輪を転じ、諸仏の勝妙なる音声の経典を摂取し、あらゆる菩薩の自在を具足して彼岸を究竟(くきょう)し、念々のうちに能(よ)くあらゆる如来のみもとに詣で、自由の力をあらわして一身を一切の世界に充満せしめ、よくあらゆる如来の大衆のうちに
「般若心経」を一文ごと色々な書物や自分なりの経験から考察させて頂きます🙏「観自在菩薩」(かんじざいぼさつ)について「観自在」(かんじざい)とは自在に観じる事が出来ますか?と言う意味この「自在に観じる」は自分の事だけではなく、「他人」の気持ちも、自分の事の様に、自在に観じる事が出来る事です。例えば、物を落としてしまったり、言われた事が出来ない「子供」や「お年を召した親」に大きな声で「何でそんな事するの!」😡と、本気で怒鳴っている方がいます。その一言は、相手を想いやってますか?自
今日の1枚よければ参考にしてみてください☺️《カード》天奏楽花びら《かんのん》あなたという菩薩が誕生したことを天界では喜んでいます。あなたは、すべてを超えていきました。あらゆるものを糧として、新しく生れ出たのです。なにものにも、もうあなたは囚われることはありません。苦は歓びに変わり、塵は祝福の花となって降り注がれています。《ともしび》心から楽しみ、生きてあることを心から喜ぶ。朗らかに、のびやかに、いのちの情熱が向か
※この経を受持して広める人は、魔軍を破ることができるのです。人類を救う100万人の法華経入門『妙法蓮華経薬王菩薩本事品第二十三』について20「宿王華、此の菩薩は、是の如き功徳智慧の力を成就せり。」宿王華よ、此の菩薩は是の如き功徳智慧の力を成就したのです。「若し人有って、是の薬王菩薩本事品を聞いて、能く随喜して善(よ)しと讃(さん)ぜば、是の人現世に、口の中より常に青(しょう)蓮華の香を出し、身の毛孔(もうく)の中より、常に午頭(ごず)栴檀の
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)579〜580頁上の方、不可説の仏国土の微塵数にひとしい世界を過ぎたところに説無尽覚と名づける世界があって、仏の御名を円満普智光音と申されます。かの仏の大衆のうちに分別法界智通王と名づける菩薩がおって、世界海の微塵数にひとしい菩薩とともにかの道場を出発して此の裟婆世界の釈迦牟尼仏のみもとに来向し、そのあらゆる相好と、あらゆる毛孔と、あらゆる身分と、あらゆる肢節と、あらゆる荘厳具と、あらゆる衣服とのうちにおいて、毘盧舎那等の一切の諸仏と、