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昨日10月13日は「第47回間部忌」法要に参列いたしました。これは鯖江藩主間部公の菩提寺である萬慶寺にて、歴代藩主のご遺徳ご功績を偲び、たたえるべく執り行われる間部忌法要です。本堂の有名な天井絵は、第7代藩主間部詮勝公が藩主時代に描いた作品で、1846年に地域の安寧を願い寄付されたものといわれています。風神・雷神・龍神の3枚からなる天井絵ですが、以前、先代ご住職にそれぞれの持つ意味を教えていただきました。風神には、恵み・感謝・環境。雷神には、やすらぎ・畏敬・平和。龍神には、思
午前中苦手な人とは距離を置くストレス溜めないためにも長生きするためにもと、投稿したその後父から電話があり父とふたりで菩提寺へのお参りにいく予定だったのですが、本当は忙しくっていきたくなかったのだけど姉妹はみんな行けないと拒否するから仕方なく行く事になった私なのですがそのお参りの日に親類の人も一緒に行く事になったと連絡が来た何故?その信頼苦手なのに〜姉に言ったら良かったー行かなくて
誰?と戸惑う私に男性は自己紹介を始めた坊主頭に作務衣姿のその人はおじちゃんのお寺の小坊主さんだったこの方菩提寺のご住職一家とは親戚との事ご住職やおじちゃんから我が実家の家じまいの話を聞きつけてやってきたそう小坊主さんは将来はおじちゃんのお寺を継承すること今はお寺近くのアパートに住んでいること子供が3人おりそこがすでに手狭であることおじちゃんにはお寺に残って住んでもらい自分達がここ(我が実家)に住んでお寺に通いたいことだから購入させて欲しいことを一気に話された事情
土曜日、旦那はゴルフだったため、私1人で義実家に行って来ました。前の週の日曜日に「次の土曜日は私1人で行くからね」と姑には伝えてたけど、案の定忘れてました(笑)もうね、記憶力がかなり低下してるのです。ボケては無いけど、そこは齢91。来年早々には92になる超高齢者ですからね。年齢的にコレは仕方のない事です。私が1人で義実家へ行ったのは姑が「片付けたい」と言ったからなんだけど、勿論そんな事も忘れてるよねwwwまぁまぁまぁ、それも想定内よ。で、忘れてるから片付けをしようとしない。それ
妻が亡くなって6年4ヶ月過ぎました。9月の長雨も終わり10月に入ってようやく爽やかな秋晴れの日が続くようになりました。朝のラッシュアワーが終わってから外苑前の菩提寺に出かけました。案内所で供花を求め線香に火をつけてもらい、墓前に花を供えて手を合わせました。墓参の後の東京街歩きは、爽やかな秋晴れの青山通りを赤坂まで歩きました。神宮外苑の銀杏並木はまだ人通りも少なく、静かな銀杏並木は気持ちよい散歩道、ぼつぼつ銀杏も色づき始めました。落ち葉はまだ青いけど落ちた銀杏は歩道の脇に掃き寄せられ
こんばんは。私達は大和郡山市に行きました。まずは春岳院に参拝。こちらは豊臣秀長公の菩提を弔い続けていらっしゃる寺院。本堂には、御本尊の阿弥陀如来立像を初め平安時代の仏様などがたくさんいらっしゃいます。さてガイドさんが、大和郡山市の町名の由来や仏様について解説して下さいました。ところで境内には、七重石塔と四方仏。即ち、鎌倉中期建立の七重層塔があり、その下には、弥勒菩薩や阿弥陀如来などの四方仏が位置しています。そして兜を着けた達磨さんが何とも可愛らしいです。それに以前、📻ラジオ番組
午前4時17分病院から連絡を受け、急いで病院へ。午前4時58分。父が永眠しました。そして、父が亡くなった直後から、現実は動き始めます。病院から聞かれたのは、「葬儀社さんへは連絡されてますか?」「寝台車は何時に来られますか?」……そう言われても。。。まだ、何も決まっていません。幸い、弟の友人がお坊さんで、実家の菩提寺でもあります。※菩提寺(ぼだいじ)とは、先祖代々のお墓があったり、葬儀や年忌法要などの仏事をお願いしたりするお寺のことです。午前
龍島院(りゅうとういん)室町時代(天授年間)新潟県村上市耕雲寺七世審岩正察和尚により開山いたしました。その後当院八世洲山鱗芸和尚の時、寛永3年8月(1627年)京都にて永眠した柴田刈田三万石城主伊達宗高公(政宗公7男・20歳)の遺骸を当院に葬って以来、伊達家より寺領として知行を賜る。伊達家の菩提寺となってより、隆盛をきたしましたが、2度火災に罹り山門以外の建物を消失。その後、檀信徒の協力により堂宇が再建され、現在に至る。【社号碑】伊達宗高公の御廟【山門】山門の仁王
思いがけない事態が発生する度にふと思う・・人は同時にいくつもの悩みは発生しないことを・・突然目に障害を受けてから(?)毎日のように痛かった腰や脚の付け根の痛みが薄れ普通に動かせるようになっている・・?だけど目がまぶしくて両目は開かず左目だけで何とか対応できてる・・独眼竜政宗・・の心境が理解できるような気が・・?片目だけで生活する不自由さは段差が見えず足下がふらつき言葉に出来ぬ辛さがありますがそれでも要介護4の相棒の介護もあり普通に生活し
大和郡山の城下町を通りながら、春岳院に向かいます春岳院の山門春岳院の文化財の案内板境内案内図と正面には本堂高野山真言宗寺院の春岳院は、如意山春岳院と号します春岳院は元々、鎌倉時代中期に創建された如意山東光寺という寺院でした境内には七重石塔や6つの諸堂が並ぶ大きな寺院でした天正19年(1591年)豊臣秀長が城内で亡くなると、秀吉はすぐ近くに菩提寺として、大光院を建立し、位牌や墓所を管理しました豊臣氏が滅亡すると、大光院は京都の大徳寺山内へ移転大光院に代わり、秀長の位牌は東光寺
私は幼い頃に命を狙われ蘇った。医師によると奇跡がありますと、言われ母は菩提寺にタクシーで行って住職に息子が事故に遭い、もう直ぐここへ来ますと言って、断わって下さいと支離滅裂な事、言っていた。そして護符を手にして病院に戻り水に溶き飲ませ、口に注ぎ喉の音がゴクっと鳴り医師が助かりますよと二ヶ月間気絶をしていて夢を見てました野原に川が流れていて筏に人が乗り白髪のおじいさんが采配し私にはお前は、幼いのでお帰りと言われ気付いたら病院の中でベッドの上でした、母の祈りが紙を
本日は晴天也🎤よかった☀️moo大佐☆ですパパの一周忌ですた🙏朝から偏頭痛でしたがとりあえず菩提寺にある良くしたい所を撫でるとOK牧場らしいので栃木県薬師寺の【薬師寺】です西暦600年代から続く由緒ある寺飛鳥時代だよね時代の流れで室町時代あたりに足利尊氏のめいで【安国寺】になり存続を護り、ボロ寺も修繕されながらこんにちに至るとその痕跡を称え近々、祭りがあるそうですその折には足利尊氏の子孫も再訪するみたい!足利家が存続していた事にビックリなワタスですたそし
龍渓山久松寺洞雲院於大の方ゆかりの祈りの古刹令和8年9月25日(金)場所・愛知県知多郡阿久比町大字卯坂字栗之木谷32宗派・曹洞宗創建・天歴2年(948年)中興・明應2年
花山院菩提寺、成相寺28番、松尾寺29番/西国三十三所26.09/26sat.07:45-19:15(西梅田発着)西梅田から阪神高速道路に福島料金所~神戸三田IC東に、有馬富士を左回りに琴引峠タクシーに乗り換え、山を上る花山院菩提寺仁王門正面の手水に、地蔵菩薩像右に折れて石段を上り左に、花山法皇殿納経…南無花山入覚大法皇………賓頭盧さん右となりに、瑠璃光殿(薬師堂)本堂本尊薬師如来に参る右となりに、幸福の七地蔵本堂に向き合って、花山法皇御廟所本堂から
父の三回忌が近づいてきたので菩提寺がある広島のお寺へ行く日を決めるため姉と打ち合わせを兼ねて晩御飯を食べに行きました姉に会うのは4〜5か月ぶり。元気にB型作業所へ通っているのだろうか…心療内科へは月に1〜2回行っているようだけど、週2回通っていたARPは行かなくなったらしくて飲酒のコントロール(抑制)がちゃんとできるのかますます心配になるでも家族がいくら心配したところで、何の効力もないので事実上ほったらかしていますが。で、今日久々に会いましたが………なんか怪しい顔つき、目
続いて騒動のもう片方の相手町年寄高木家への裁定です事件の引き金となった高木家に対しては徹底した厳しい処分が下されました使用人への厳罰です蔵屋敷に押し入り刀を奪った首謀者の惣内・又助ら8名に対して「斬首(死罪)」です高木家は断絶です亡くなった当主・高木彦右衛門の不徳および使用人の管理不行きを重く見なし家財・屋敷没収の上一族は長崎追放(財産没収・家名断絶)です天領・長崎で絶大な権勢を誇った豪商・高木家はこの裁定によって完全に破滅することとなりましたそして切
昨日は長い雨降りが終わって、台風一過のピーカン✨家族でお墓参りに行きました♪久しぶりの菩提寺は相変わらずきれい💖ところが驚いた事に、毎年おしゃべりを楽しみにしていた大黒さんが、今年5月に亡くなっていたんです。電話をしてもどなたも出なかったから、ん?とは思ってたのですが。みずこ地蔵にもお花を🌸住職が出て来たのでお布施をお渡しして、大黒さんはお留守なのかなと思い、「大黒さんにもよろしくお伝えください」と言うと、実は5月に
今日は地元の菩提寺の『大施餓鬼会』という法要がありました。毎年10月1日にあります。旦那はこの地区の檀家の代表(役員)になっているので参加して来ました。たくさんの僧侶が集まり、100人ぐらいの参列者がいるとかこの地区では檀家が10戸ほどあります。参列しない家の塔婆と記念品を預かってきて配らなくてはならないので、結構大変(ほとんどが不参加)でも、それも徳積みってことで頑張っています。「健康だからできること!」なんて珍しく良いこと言いながら(アスペ細川もたまにはまともなことを
前回(12/25)は芝の増上寺の「三解脱門(さんげだつもん)」(通称「三門」)の今昔を紹介しまいした。今回は増上寺にある「徳川家霊廟」についてです。昭和7年(1932年)発行のポケットサイズの写真帖から(九代将軍の霊廟?)徳川将軍家の菩提寺となった増上寺には、二代・六代・七代・九代・一二代・一四代の六名の将軍と、その正室側室および子女三二名の墓が造営されました。5万坪を遥かに超える敷地面積だったそうです。二代将軍徳川秀忠(台徳院)の墓は、本堂の南側に秀忠正室・崇源院(すうげんいん
神様と人をつなぐ日本かみさまアカデミーの香坂琉月(こうさかるな)です❗ブログ記事はシェア大歓迎です!神友の輪が広がりますように和の国の神さま姓名判断Amazon(アマゾン)武蔵野角川ミュージアムに行った次の日福岡県へ飛びました。福岡「もちょり場マルシェ」「和の国の神さまカード講座」にご参加いただきました皆様ありがとうございました!::::::::::最終日に遠出して神社参拝して帰ろうと思っていたのですが台風の影響で飛行機が欠航の騒ぎに!
22日に夫が旅立ってからすぐに、葬儀を行いたかったのですが、菩提寺の法上様のご都合や、葬儀場のスケジュールが合わなくて、5日間も先になりましたが、いよいよお通夜の日となりました。夫の遺言で家族葬にしてほしいと言われていたので、皆様にはお知らせせずに本日まで来ております。午前中は、月曜日の朝8時30分までに出さなければいけない。一般質問の原稿を執筆。息子家族5人が我が家に早めに来たので、落ち着かない。中二の孫娘が、アクシデントがあり怪我をしてしまい、急遽平塚市民病院で診てもらうことに。そん
昨日は亡き義母の納骨式でした☔☀️私たち夫婦と義妹と娘家族6人揃って手をあわせ一連の儀式を執り行いました🕯️🪷そして私たち夫婦と義妹とは前から墓じまいを相談していましたお墓は札幌市街中心部にある菩提寺の境内にありその同じ境内にある合同墓堂に今回ご先祖様や亡き義父らを移すことになりました墓じまいの供養もして頂き同時に義母も合同墓堂に納骨となりました一人娘は嫁ぎましたので後々私たち3人も納めて頂く予定これで永代供養となる訳です🕯️🪷
お仏壇の閉眼供養の報告とお礼を兼ねて伯母達に連絡をしたついでに墓じまいのプレゼンもしていく高齢になってしまった伯母達は今はもう崖の下にある実家のお墓参りも叶わず残してほしいとは言わなかった従兄姉達も同様満場一致で墓じまいする事となったまずはご先祖様のお遺骨の行き先を決める菩提寺に新しい納骨堂が完成したばかりでちょうど募集しており早速申し込みした一区画100万円也墓じまいをするには市役所に行って「改葬許可申請書」を貰い必要事項を記入したら管理しているお寺のハンコを貰っ
終活の情報整理、3つ書こうとしたら手が止まった話📝「終活のために、整理しておくと安心な情報を3つ書いてみる」そんな話を聞いて、母のことを思い浮かべました。葬儀の費用は姉に託してある。菩提寺のことも聞いてある。うん、ここまでは分かる😃では、3つ目は?考えてみたら、「もしものとき、最初に誰へ連絡してほしい?」は聞いていませんでした。でも、知らなかったことが分かったからといって、落ち込まなくていいんですよね。次に母と話すときに聞けばいい。そう思ったら、情報整理が少し気楽になりました🌱終活
さて波ノリは、波数がめちゃくちゃ少なく諦めモードで入水。長時間浸かるも3本だけしか乗れず終了。ま?本日の目的はお彼岸は留守にしていたので菩提寺に参り納骨堂に供仏とお線香。からの十勝神社に参拝目的達成したので自宅に帰って歯医者さん行きましょう。
暑さもすっかり遠のいたので街歩きの再開!ということで、この日は春日局ゆかりの地へ。徳川家光の乳母を務めた斎藤福。のちに家光が三代将軍に就任すると将軍お局様として大奥を取り仕切るようになる。そして将軍家光が天然痘に罹るとその治癒祈願のために伊勢神宮に参拝し、更に藤原福子として上洛。その際に時の天皇から「春日局」の号を賜る。その春日局の終焉の地に行ってきた。場所は地下鉄大江戸線「本郷三丁目」の駅から歩いて10分ほどのところにあるお寺さん「麟祥院」。住所でいうと文京区湯島四丁目になる。開基
こんばんは都内はまた雨になりました☂️台風26号は沖縄に接近後、東日本に進む予報です。これ以上、先日の被災地の被害が広がりませんように🙏✨さてさて、8月の帰省時の記事の続きです。今夏は母のサポートで長く滞在。産土神社・菩提寺・教会、全てにお参りして来ました🙏✨🙏産土神社⛩️子どもの頃は近くに住んでいました。今も帰省の度に参拝しています🙏✨手水舎💧夏は風鈴とほおずきが飾られてました。季節毎に風情を感じる設えにして下さってます。御神木🌲✨…子どもの頃は鎮守の森で遊んでました。その頃から御
お墓参りに行きました。お供えやお布施を用意して前日にお花を買いました。義実家と私の実家の分です。母は存命だけど私が名代です。菩提寺の円満寺(仮)にはいつもは車で行くのだけどお彼岸は檀家さんの集まりがあります。渋滞に巻き込まれて時間に遅れては行けないので電車で行きました。曇りだったけど途中少し雨がパラパラしていました。菩提寺の最寄駅に着いたら地面がけっこう濡れていました。雨が上がっていて良かったです^_^お墓に着く頃には日が差
昨日、名取市の菩提寺へ墓参に行きました。さわやかな秋晴れで、気持ち良かったですね。ツクツクボウシ、ミンミンゼミの鳴き声が響き、たくさんのトンボが飛び交ってました。夏の終わりと秋の始まりが交錯する感じでした。今年は、菩提寺の彼岸花は少なめでした。もう彼岸花の時期が終わってしまったのかも。金木犀の甘い香りも漂っていました。このところ私生活では良くない事が続いています。早く平穏な日常生活を取り戻したいですね。でも、これは【転機
うちの菩提寺では、お彼岸にお布施を渡すとお返しをくれます。仏壇にお供えするちょっとしたお菓子と、今回は泡ハンドソープでした。いくらぐらいか調べたら🤣500円くらいの物のようでした。なんとなく嬉しい。ちょうど洗面台に置くのによさそうです。以前は豪華な寺務所や拡張を続ける墓地の敷地に拝金的な臭いを感じないでもありませんでしたが、考えてみれば東京の一等地で墓地管理料は安いし、お寺の中でお花やお線香も適価で求められて便利だし、実はとても良心的なお寺なのではないかと思うように