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皆さん、おはようございます。昨日は『中皮腫公開市民講座』で一日中緊張していましたが、盛況のうちに終わることができて本当に良かったと思います。今後も引き続き、皆さんの聞きたい知りたい、そして楽しい企画をどんどんしていきたいと思います。ただ個人情報保護の観点から、特定の方にご迷惑をお掛けしたところもございました。当事者の方には、心からお詫び致します。今後はこういったことのないようにスタッフ一同努めて参りたいと思います。昨日ご視聴出来なかった方やもう一度視聴したい方については、また後日編集
皆さん、こんにちは。東京は大阪と違い、まだまだ冷える日がありますね。さて、もう3月も中盤に差し掛かりつつあります。3月20日の兵庫医科大学共催のオンライン「市民公開講座」まであと少しとなりました。既に申し込みされた方々におかれましては、2日前くらいには視聴用のURLを送る手筈となっていますので、もうしばらくお待ち下さいますようよろしくお願いします。まだ申し込みの済んでいない方におかれましては、こちらからお申し込み願います。中皮腫公開市民講座中皮腫治療における医学の進歩と治療の実際
皆さん、こんにちは。皆さん、来月の日曜日はイベント満載です。3月6日は国会議員への陳情やその他スケジュールが入っているため、暫く上京いたします。翌週13日は患者のご家族やご遺族の方々を特に対象とした「がん研究会有明病院」の清水研医師による心のケアについて講演会があります。お申し込みはこちらから<3・13>中皮腫などのアスベスト疾患のご家族やご遺族を対象とした「心のケア」に関する講演会|中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会中皮腫などのアスベスト疾患のご家族やご遺族を対象とした「心
皆さん、おはようございます。うちで採れた生卵下が従来の大きさの卵、上が2倍くらい大きい卵。この2つで朝から卵焼きを作ろうと割ってみるとやはり大きい方は双子でした。と言っても珍しくはないですねさて、仮で作った『腹膜中皮腫オンラインセミナー』のご案内。まだまだ先ですが、現在視聴者と水本先生への腹膜中皮腫患者さんやご家族からの質問を受け付け中です。視聴をご希望、あるいは現在療養中でこんな時どうしたら良いのかお悩みのことがありましたら、こちらからお問い合わせページ|中皮腫サポートキ
皆さん、こんにちは。腹膜中皮腫患者さんやご家族の方々、是非とも見て欲しい講演会です。3月27日(日)午後1時〜講演会終了次第相談コーナー講演:淡海医療センター消化器外科腹膜播種センター長水本明良医師完全オンラインにて実施致します。「当院での腹膜中皮腫に対する治療」ということで、淡海医療センター(旧草津総合病院)での腹膜中皮腫患者さんへの治療などをお話しいただけます。参加申し込みはこちらから。オンライン講演会:当院での腹膜中皮腫に対する治療について
【家族の絆が深まった日】昨日、滋賀県の草津総合病院に母親と一緒に行って来ました!あの大手術から四年が経過し、今のところ再発はありませんでした。😭半年ごとの検査もあと一年❗️頑張れよー👍「⬆️四年前の写真」今から4年半くらい前のこと、4月の誕生日に撮った写真のお腹が気になる?こんなポッコリするのかな?急に胸騒ぎがして、いつも口癖のように【私は大丈夫】って言ってた母を強制的に人間ドックに入れて検査を受けてもらいました!場所は、嫁が働く日赤病院🏥に一緒に行ってもら
久しぶりにブログを開くと何やら仕様が色々と変わっていて、不安になりますね😅お久しぶりです。もう、更新するつもりは無かったのですが、有難い事に、心配してメッセージをくださる方、同じ境遇の方、治療や草津総合病院の質問など…たくさんの方からメッセージやコメントなどを母が亡くなった3年弱経った今でもいただいております…(本当にありがとうございます😭)私は、元気にやっています😊母が亡くなって、しばらくは落ち込んだり眠れなくなったり泣いたり…情緒不安定になって辛くなって正直死んでしまおうか。と思っ
こんばんはモリスですいやー、疲れたっっ❗️今日は朝から旦那ちゃんの転院の手続き。そしてもちろんだけど往復の高速道路の運転!クタクタです〜で、帰宅後間髪入れずにビールを飲む。笑笑吉村知事が6時過ぎに大阪は不要不急の外出自粛となり明日のレッスンはどうなるかなー。実は最近神戸や大阪、もう少し西は姫路からお越しくださるケースも多く遠方からのご参加に感謝していたところこんなことになってしまいなんとも言えない気持ちです。気を取り直して11月の紅茶教室の様子を
病気発覚後に親しい友人に「病気になって可哀想に・・」と言われました。この友人は病気になってからすごく助けられたし悪気のない言葉だと解っていたのですが私は「俺、全然可哀想じゃないよ~、病気になったの楽しんでるし」と反論。この時から数年、なぜ、反論したのか時々考えてしまいます。惨めに思われたくない、とかいろいろ理由が浮かぶけど未だはっきりしないこの時の自分の心理。でも、腹膜偽粘液腫の
最近の気温の変化について行けず身体がだ....る........い.........です。健康時でも身体に応えるのに体力の落ちた状態では・・・それにしても、朝の傘を持ちながらのウォーキングは寒かった。少し早めの退散でした。さて少し時間が経ちますが今年の草津に行ってきた話。コロナ禍の中診察日を延期するかどうか最後の最後まで悩み結局、予定通り草津行きを決行しました。このときは、まだまだマスク
セカンドオピニオンをするかどうか?と悩んでいる人がいれば私は迷いなくセカンドオピニオンを勧めます。と言いつつも私自身、この病気が判明した時周りにセカンドオピニオンを勧められたが最初はセカンドオピニオンに対し否定的だった。否定的だった主な理由は「担当医が一生懸命頑張っていてくれて信頼できるから。」「そんな先生を裏切るようで後ろめたい気持ちがある。」「担当医も医者なのだから大丈夫。どこも同じでしょ~」だった。でも、これってすごく
術後4日目から1週間であろうか襲ってくるのが腰痛でした。腰痛が襲ってくるのは事前に知っていて対策として腰にあてる枕を病院に借りていたのですが・・・・どのくらいの痛みかというと夜は睡眠薬を処方してもらわないと寝れないほど、あの腰痛は二度と経験したくない!腰痛の改善はとにかくリハビリで歩くこと。歩く距離が長くなればなるほど腰痛は改善していくし術後の体調もみるみる回復、人間の歩くことの大切さをしみじみと感じる日々でした。
いざ手術。といっても、当然のことながら手術のことは全然覚えていない。全身麻酔は初めての経験だか、正直恐ろしいと術後思った。なぜなら、麻酔を投与した後、自分の意識がフェイドアウト的に消えていくかと思っていたのですが、バッサリ?ど~ん?という感じで自分の意識が途切れていたからです。このまま目が覚めなかったらと、術後そんな思いがよぎったとき正直、麻酔の恐ろしく感じたのです。手術後、目が覚め、しばらくすると痛みが襲ってきました。身体に
手術の前日担当I医師から丁寧な説明があり、手術の失敗率とかいろいろ聞いた。失敗率を聞くと少し恐ろしくなるが虫垂炎の手術でも失敗率が数パーセントあるとか・・・・先生を信じるしかないと思うが数字を実際にの人間に当てはめると100人に何人は失敗?と考えてしまう。でも、そんな考えは直ぐ頭の中からは消え去っていました。だって、病気を治すため、わざわざ滋賀県の草津市まで来ているのだから・・次に麻酔担当の医師から麻酔の話を聞いたのですが、
米村先生に会うために秘書の勝谷先生にアポイントをとった。約1カ月ご後、静岡県の三島の池田病院とのこでした。約1カ月後、新幹線に乗り、三島駅に行きそこからタクシーに乗った。池田病院のほとんどは昭和感あふれる病院だった。(今は新しくなったみたいです)薄暗い廊下は米村先生待ちの患者ばかり、3~4時間は待っただろうか、やっと米村先生に初対面である。先生は私に会うなり「大丈夫、治るから」いろいろと覚悟し緊張していた私の目に涙が溢れてくるくのを感じました
病気の発覚の3ヶ月前頃だろうか夜、就寝の為にベットに横たわると右脇腹にやな痛みが走った。「虫垂炎?」をまず疑った。しかし、高校生の頃軽い虫垂炎?の状況になったことがあり、その時は気持ち悪さを伴っていいたので虫垂炎ではないと感じた。その後スマホでいろいろ調べたり、セルフチェックをしたが該当するものが見合ったらなかった。この痛みは2~3日で消えていった。再度、現れたのは病気発覚前の1ヶ月前位だった。このときも2~3日にで痛みは消えてい
なぜ他の先生は処方してくれないのか?それは単に専門が違うだけだと思います。逆にM先生に腹膜偽粘液腫について聞いても先生は困惑されるのではないかと思います。M先生の専門はIBS(過敏性腸症候群)を中心に専門とする先生で、米村先生と同じくTV等でも活躍されている先生です。私の術後の後遺症は米村先生や他の先生の専門外だったということだと思います。私は腹膜偽粘液腫は専門家の米村先生に、腸を切った為の後遺症は専門家のM先生にお願いしたということです。M先生
コレバインは元々、腹痛や下痢の為の薬ではないみたいです。コレバインはコレステロール値が高い人の為に作られた薬で、その副作用が下痢に効果があるみたいです。(素人ですので明言はあえて避けさせて頂きます)私は草津総合病院での手術で胆嚢や腸(虫垂が付いていた辺り)を切除しています。その為胆汁のコントロールがうまくできなかったり、もしくは腸が手術で弱ってしまっていて胆汁が小腸ですべて吸収できず大腸に胆汁が届いてしまう、胆汁が大腸に届いてしまうことで拒絶反応的な反応
担当医の先生の話では手術により腸が弱っているので腹痛や下痢を起こすとのことでした。時間がたてば治るとも言われましたが半年たっても治らず、地元の先生にはたぶん治らないかもしれないと言われ「まじか~、草津まで行って手術した意味あったのかなぁ~、今後どうやって生きていけばいいの」と重いが浮かび、涙が出る思いでした。でも私は諦めません。なぜなら、夕方は普通に暮らせているからです。何か原因は他にある、絶対方法はあると信じ、ネットで情報を探しました。しかし、専門の情
私は、虫垂粘液嚢胞腫から腹膜偽粘液腫という病気になり、手術は、滋賀県の草津総合病院で米村豊先生にお願いしました。手術をし2年が過ぎましたが今までのことを書きたいと思い、ブログを立ち上げたのですが、特に私が書きたいことは、術後の後遺症です。盲腸が付いている辺りを切除したため下痢が止まりませんでした。それについて書けたらと思います。ただ、後遺症について書きますが、米村先生や術式についての批判ではありませんので....米村先生や術式については当然リスペクト
此方が不精にも係わらず、いつもいいね、コメント、メッセージ、フォロー頂きありがとうございます。ドアを触らず感染リスク軽減、大阪の町工場が3日で開発医療は間接的に関係している程度だがライフライン関係とのことで、先日うちの会社にも届いたアルミ製の感染リスク軽減グッズ(使い方はKファクトリーさんサイト参照)。実はワシの会社のロゴが画像の指の下に隠れてる。病院はわからんけど、企業向けのはその企業仕様ということなんかもね。代金を支払うと言ったが受け取らなかったと聞いている。今、小
久しぶりの草津入りです。本日、MRIと採血、ポートフラッシュを済ませました。明日は朝一で米村先生の診察です。再発がありませんように🙏今回は最後のHIPECから4年半になりますので、今回パスできればあと半年で完治判定が得られます。あと一息です。なんと再び保険にも入れるようになります(笑)とは言え、最初の再発はこのタイミングでしたのでドキドキです。5年の壁は厚いのです。最近は食欲、体力も付き、仕事も順調にできていますが、唯一引っかかるのは謎の粘液排出です。何故か腸と繋がってないの
お久しぶりです!2カ月前くらいに一度、記事を書いたんですけどなぜかいつも通りのそう長くもない記事なのに、4万文字の制限オーバーです!って出て、コピペしてやりなおしてもダメで放置しましたもうすぐ、ストマ閉鎖から1年。ぶっちゃけ10月くらいまで、「またストマに戻った方が楽なのでは」って思い悩むくらい不安定だったんですけど、急に11月くらいから安定し始めまして。外食をしても、お腹を壊すということがだいぶ少なくなりました。あと量が食べれるようになりましたね。9月までは女性が食べ暮れる普
お陰様で14年目に突入します。最初の緊急手術からは丁度12年目。余命1年宣告されて無治療になってから12年目。米村先生のHIPEC1回目から11年半。「腹膜偽粘液腫」はHIPECをしても生存確率5年が50%と言われる中、良く生き延びてます。緊急手術の半年後に飛び込みで1回目のHIPECを実施。確かにヘビーな手術でヘロヘロになりましたが、信じられない事に半年で仕事復帰できました。ところが4年半で再発。2回目のHIPECで腸の長さが足りなくなりオストミーになり身体障害者の仲間入りし
滋賀の草津総合病院にて腹膜偽粘液腫の手術を受けてから、1年と1か月。その治療の日々で作ったストーマの閉鎖から半年が過ぎようとしています。ガンのほうは今のところ、再発無し。偽粘液腫の手術から約7か月後のストマ閉鎖時に再発無し、さらに先月、地元の婦人科の主治医が触診とエコーで診てくれて、「異常無し」とは言ってくれたけど、不安でMRIとか撮りたい・・・w以前は本当に、8時間の切除手術を受けても3~4か月で、「はい!再発!」の日々だったので、疑心暗鬼ただ私の場合は、腹膜播種まではいっ
皆様、約1年の間、私の不定期更新ブログを読んで下さいましてありがとうございました(後で画像を色々添付するので、先にばぁば〈デブ期〉とゆづの花火写真)初めは手探りの中情報探しの為に始めたブログでした。そしていつからか母も読者になっていて‥きちんと完結してほしいと言われました。【同じように苦しんでる人が居るのかもしれないんだから、あんた更新ちゃんとしなさいよ。】そう母に言われました。本当は完結なんてしたくなかった。だって、完結は終わりを意味する。ずっとずっと、記録を残したかっ
47歳、女性。2017年12月、近医受診後、胆嚢癌の診断。2018年1月、腹膜播種の確認。その後徐々に状態悪化、卵巣出血など併発。9月18日、当院入院後、同日夜死亡された。部検時、腹腔内はほぼ腫瘍で占拠されているような状態。腹水はなし。胸部は肉眼的には著変ないものの、横隔膜の左胸腔側には腫瘍の播種像を認めた。脾臓および腎臓は、用手剥離可、肝臓、膵臓、十二指腸は一塊となっており剥離は不能であった。骨盤腔も腫瘍に占拠されており、既存の卵巣組織の確認は不能、子宮はかろうじて子宮口が確
2018年の6月初旬に、滋賀の草津総合病院にて、米村先生に腹膜偽粘液腫の手術をしてもらい、もうすぐ1年です。2019年1月に、闘病過程で出来たストーマを同病院で閉鎖手術し、その時に「再発無し」という診断を貰っていました。ただ、25%程度で5年以内に再発する可能性はあるとは言われてまして、継続して定期的な検査は必要です。しかし、草津総合病院は遠い!なにせ、我が家は群馬ですしかし幸いな事に、「検査程度ならやってあげるよ」と、元々3回、手術をしてくれた地元の主治医が言ってくれていたの
19日、朝8時頃に母が居る病院へ向かった。正直、眠れたのか、眠れていないのか‥よくわからないまま朝を迎えた。病室の前には葬儀屋さんが居た。「この度は、ご愁傷様でございます。」そうか‥ともちゃんは死んだんだ‥。病室へ入って葬儀屋さんは合掌し、母の遺体をベッドからストレッチャーに乗せ白い布のようなもので全身を覆い、病室を出た。霊柩車までは、主治医も同行した。母の主治医は、本当に素晴らしい先生だった。最初はハイパーサーミアで知り合った先生。物腰は柔らかく、真面目な優しい先生
予定時刻を大幅にこえて、銀色の小さなトレーを持って主治医は戻ってきた。『お待たせしました‥。予想をはるかに超えた状況でした。』『摘出した腫瘍などは、ご家族にきちんと見せます。こちらが卵巣です。』と主治医が言った。銀色のトレーの上には、私の掌ぐらいの大きさの卵巣‥だったものがあった。卵巣は破裂していて、直接的な死因は、ここからの出血だったらしい。破裂した卵巣の中にはBB弾のような黒い塊がいくつもあった。『この、黒いのが、癌です。』主治医はそう言った。‥こんなも