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初稿:2025年8月3日(日)二稿:2025年8月8日(金)追加:⓪御岩神社(茨城県日立市)の光ぴやりーはわーです前回記事(5月24日:巳の日法要)から2か月。ずーっとお仕事しておりました。忙しくしていましたが、元気です!そして、待ちに待った8月。ことしも東北・御岩神社(茨城県)へ。ライオンズパワーで増幅された東北・御岩神社の空・自然を楽しみました目次⓪御岩神社(茨城県日立市)の光①金蛇水(かなへびすい)神社(宮城県岩沼市)②龍口(たつのくち)神社(
ヴォイスプロジェクトスタッフ虹です私事で恐縮ですが、先週は義理の祖母が97歳で亡くなり家族で葬儀出席のため帰省していました。97年前は1928年です。西暦1928年は昭和3年です。激動の昭和から平成、令和と…自分自身を振り返っても子ども時代と今と世の中が大きく変わっているのに軍国主義へと突き進む時代の中で大人になり戦後の貧しさを生き延びどれほど大変な人生だったろうかと少しですが祖母から戦前戦後の話を聞いていただけにさまざまな想いが去来しました。そ
沿道に葛繁茂してミボージンミボージンマスクメロンを独り占めしぬときはどうせひとりだミボージンおっさんのステテコ履いてミボージンミボージンのり子の家の夏みかん●みさきたまゑ先日、西東京市の「茨木のり子の家を残す会」の皆さんが茨木のり子@偉大なるミボージンが女学校を卒業するまで暮らしていた西尾市の「詩人茨木のり子の会」定例会にゲストとしていらした。お土産にのり子の家の夏みかんの枝を小分けにした鉢植えを15ほど持って来て下さったので、わたしも一つもらった。そもそもは西尾市吉良町の宮
先週、たまたま本屋で見つけて購入した。茨木のり子という詩人は、学校の教科書で読んだくらいだった。ただ、その言葉の結晶の美しさやピュアな部分に引き込まれるのが恐ろしくて・・・今まで読めなかったのだと思う。この詩集の経緯について、甥である宮崎治氏は、詩の原稿を収めた箱があると聞いていた。なぜ、生前に発表しないのかと訊ねたところ、一種のラブレターのようなもので照れくさいのだと言われたそうだ。1975年5月、最愛の夫、三浦安信への思いを綴った詩篇は「Y」の箱に綺麗に原稿の状態で収められて
茨木のり子「自分の感受性くらい」ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするなみずから水やりを怠っておいて気難かしくなってきたのを友人のせいにはするなしなやかさを失ったのはどちらなのか苛立つのを近親のせいにはするななにもかも下手だったのはわたくし初心消えかかるのを暮しのせいにはするなそもそもがひよわな志にすぎなかった駄目なことの一切を時代のせいにはするなわずかに光る尊厳の放棄自分の感受性くらい自分で守ればかものよ自分の感受性くらい自分で守れ関係ない第三
【自分の感受性くらい自分で守ればかものよ】明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…自分の感受性くらい自分で守ればかものよ(茨木のり子)詩人茨木のり子は、73歳のときに『倚(よ)りかからず』(筑摩書房)という詩集を出しました。「もはやできあいの思想には倚りかかりたくない」から始まる詩「倚りかからず」を中心とした15編が掲載された本です。これが詩集として異例の大ヒット。15万部も売れたのですからすごい。きっかけは朝日新聞の「天声人語」が取り上げたことですが、それ
この写真の女性をご存じだろうか?詩人の茨木のり子さんです。1926年6月12日~2006年2月17日79歳没本名;宮崎のり子、離婚後:三浦のり子自分の感受性くらい茨木のり子ぱさぱさに乾いていく心を人のせいにはするなみずから水やりを怠っておいて気難しくなってきたのを友人のせいにはするなしなやかさを失ったのはどちらなのか苛立つのを近親のせいにはするななにもかも下手だったのはわたくし初心消えかかるのを暮らしのせいにはするな
みなさん〜こんにちは〜😄ウクレレとしちゃんです。今日は朝からお出かけ。今3時すぎに帰ってきました。今日もすてきな「言葉のお守り」に出会った。「薄情な人間には、薄情な落語しかできない。人情味のある人だから、人情味のある芸ができる。まさに『芸は人なり』なんです。」by桂歌丸ブログには、人となりがあらわれると思います。僕はみなさんが思ったとおりの人間です。今日もよろしくお願いします。🍀😄今日は帰宅後、用意していた、ブログ原稿をチェックして保存した。こんな文章です。🏝️「日
「自分の感受性くらい」という詩は、以前どこかで読んだような気がした。巻頭にあると思い込んでいたその詩は、三番目にあった。その詩を読んでみると、覚えていると思ったのは雰囲気のみで、細部はほとんど忘れていた。書店で、この詩の最後の三行を読んで、何年振りかで、詩集というものを買った。自分の感受性くらいぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするなみずから水やりを怠っておいて…………(3行×4連略)…………自分の感受性くらい自分で守ればかものよ
7月6日に同人書作展が無事終わりました。足をお運びくださったみなさまどうもありがとうございました。私の今回の作品はこちらです「言いたくない言葉」茨木のり子詩心の底に強い圧力をかけて蔵(しま)ってある言葉声に出せば文字に記せばたちまちに色褪せるだろうそれによって私が立つところのものそれによって私が生かしめられているところの思念人に伝えようとすればあまりに平凡すぎてけっして伝わってはゆかないだろうその人の気圧のな
葡萄の会の活動の全体像を知ることができる唯一の祭典・・・それが「図書館子どもまつり」です!!今年の「第36回図書館子どもまつり」葡萄の会展示ブースでは、以下の①~④のコーナーをご覧になれます!!①幼児・小学生~ティーンズ向け書籍〔子どもまつり向け独自選書〕テーマのひとつは「戦争」。戦後80周年を迎えた今年、偶然ではありますが、葡萄の会では、戦前・戦中・戦後の世界と日本について考えさせられる読書をしてきました。当時の写真や言い伝えでは伝わりづらい当時の状況が、本でしかで
(画像はお借りしています)この詩を知ったのはもう15年くらい前か・・・いろんなことが一気に崩れ生き辛さが加速して息が出来ないような毎日の中で足掻き苦しんでいた時この詩を知った・・・私には痛い詩だった今は、その痛みはもうない変われたからじゃない私は変わっていないダメな人間はずっとダメ変わってない、変われないと思う一方で・・・開き直りなのか、諦めなのか、はたまた悟りなのか、受容なのか、私は焦ることもなく頑張らなくなった・・・なんで?どうして?何の為に?考え
●詩人・茨木のり子氏人間は、毎日の暮らしの中で、時々、書きとめておきたい「言葉」に出合う時がある。それは、例えば、本や雑誌であったり、ラジオであったり、会話していたときのその会話であったり。今回は、私はある新聞を読んでいて、そういう経験をした。「詩人・茨木のり子さんをしのぶ」コラムニスト・天野祐吉さんのコメント「自分の感受性くらい」ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにするなみずから水やりを怠っておいて気難しくなってきたのを友人のせいにするなしなやかさを失っ
短い生涯とてもとても短い生涯60年か、70年の世界に別れを告げる日にひとは一生をふりかえってじぶんが本当に生きた日があまりにすくなかったことに驚くだろう指折り数えるほどしかないその日々の一つには恋人との最初の一瞥のするどい閃光などもまじっているだろう<本当に生きた日>は人によってたしかに違うぎらりと光るダイヤのような日は銃殺の朝であったりアトリエの夜であったり果樹園のまひるであったり未明のスクラムであったりするのだ茨木のり子先日はお久しぶりのアブ
文色草子朗読組ライブ朗読教室「プルメリアの花束」生徒の皆様の自主活動の場も定着しつつあります。今回の企画も面白そうですよ。(^^)(^^)
どこかに美しい街はないか食べられる実をつけた街路樹がどこまでも続きすみれいろした夕暮れは若者のやさしいさざめきで満ち満ちる茨木のり子六月より六月の詩雨はきらいではない風情が好き傘に落ちる雨粒そして雨のかおり気持ちがおちつく街並みがけむり幻想的やけどせやけどわたしはほんまはあの人を探してるねん雨の日去っていった後ろ姿バイバ
6月になりました。6/7土曜日13:30-18:00日日花さんでの@nichinichica_photo桜緑さんの鑑定の日に@ohryoku32ご一緒させていただきます、ありがとうございます。先週届いた絵本の一部にハリーも入荷💓かわいいんです。マスキングテープは絵本とお揃い。明日も絵本入荷しますのでお知らせしますね。茨木のり子さんの詩は教科書で知りました。ラストの言葉が強烈に心に残りました。先月、茨木のり子さんの本の発注の際に若松英輔さんが茨木さんの詩を
6月の「させぼ夢大学」6月3日きょうは天気回復に向かうそうなんですが肌寒い小雨降る佐世保です。先日の話です。5月30日は大相撲、75代新横綱「大の里」の明治神宮での奉納土俵入りをテレビで観ていました。雨で残念でしたが、立派
食卓にコーヒーの匂い流れ・茨木のり子朝の一杯は何ですか?コーヒー、紅茶、普通にお茶、牛乳、ヨーグルト、白湯…起きたばかりでしたら、お水か白湯がオススメですダイエットにもいいですよと言いながら私は毎日、朝御飯前に変なものを飲んでいます特製ドリンクです。自己満足ドリンクなので、あまりオススメは出来ませんが…リンゴ酢大さじ1、オリゴ糖大さじ1を混ぜ、それを豆乳で割ったり、トマトジュースで割ったりしたものをレンジでほんのり温めるド真夏なら炭酸水で割ってヒヤヒヤ~っと飲む時々
言葉が、甘えを焼く。茨木のり子『自分の感受性くらい』――これは詩だけど、僕には刃だ。怠さや弱さを静かに切り落とし、「まだやれるだろ」と心に火をつける。ーーーーーーーぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするなみずから水やりを怠っておいて気難しくなってきたのを友人のせいにはするなしなやかさを失ったのはどちらなのか苛立つのを近親のせいにはするななにもかも下手だったのはわたくし初心消えかかるのを暮しのせいにはするなそもそもがひよわな志にすぎなかっ
まだ10代の頃、常に沸々とした感情を内包していた少年時代だったように思います。その得体のしれないエネルギーを稽古でガムシャラにぶつけていましたが、そんな頃に読んだ一編の詩が心にストンと落ちて、そこからは少しだけ心穏やかに過ごせるようになりました。何でも気になったものはとりあえず経験してみることでそれが人生の指針になることだってあるかもしれません。兎角、悩みが多い10代にはぜひ読んでほしい一編です。
5月17日土曜日。晴れ時々曇り。欠伸のよく出る日だった。体も怠くて腰の調子も戻らない。それほど食欲も湧かず、ずっと寝転がっていたかったが母とランチへ行く約束があった。お店の予約時間は11時。ちょっと早いが12時の予約は出来ませんということだったので。母はオムライス、わたしと夫は土鍋ハンバーグ(カレーソース)をいただいた。食べながら、母から東京の姉一家の話などを聞いた。ひとり暮らしをしていた姪と甥が家に戻って来たという。毎月の家賃の節約のためだろうか。確か甥は求職中だったが姪も
おもちゃ箱をひっくり返した様な日々を過ごしております。今日、地元で有名な、ボランティア活動をされている方からLINEをいただいた。最近はブログお休みされている様で、とあって、前回はいつだったんだろうと確認したら、もう約2ヶ月前。何してたんだろう?いやいや、ただ忙しかっただけなんだけど!あそこにも行ってみたい、と思いながらも行けず!どうにかお誘いいただいたカフェのランチ会だけは、ちょうど時間が取れたので予約を入れた。そのお店のママにも、お久しぶりお元気ですか?と言われる始末。ガチャ
今、私の精神状態がわたわたでして、なかなか本が読めないです。なんとか読んでるのが『自分の感受性くらい』とか、『君のクイズ』でしょうかいつもよりペースダウンではありますが、とっても面白いです。茨木のり子さんの『自分の感受性くらい』は背筋を伸ばして、読んでます。この方はすごい詩人だと思うんですよね。戦争、敗戦。そうした出来事を女性の視線で描くって本当に難しけれども、それを言葉に落とし込むことをしてきた。彼女の言葉のような生き方ができたら最高かもしれないと思う私です。おそ
ご訪問くださいまして、有り難うございます。れっつごうです(^^)皆さま、GWはいかがでしたか。私は、大阪・関西万博に行ったり、山歩きに行ったり、おかげさまで楽しませていただきました(^^)明日から仕事なので、今、ちょっぴりブルーな気分ですが(^^;・・・で、だいぶ期間が空いてしまいましたが、精神科医・泉谷閑示さんの新書、「普通がいい」という病を紹介・解説しています。今回で5回目、最終回です。「小径を行く」という講から、引
茨木のり子「自分の感受性くらい」全文自分の感受性くらいぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするなみずから水やりを怠っておいて気難しくなってきたのを友人のせいにはするなしなやかさを失ったのはどちらなのか苛立つのを近親のせいにはするななにもかも下手だったのはわたくし初心消えかかるのを暮らしのせいにはするなそもそもがひよわな志しにすぎなかった駄目なことの一切を時代のせいにはするなわずかに光る尊厳の放棄自分の感受性くらい自分で守ればか
アンドレア・デッラ・ロッビア(1435-15-25)「受胎告知」1476-1477(部分、白百合と天使ガヴリエール)ラ・ヴェルナ修道院(アレッツォ)岡村嘉子氏提供創作叙事詩創作叙事詩・解題って、何だろう?凪沙/なぎさ創作叙事詩叙事詩という言葉がついてるけど、叙事詩/epicじゃないらしい詩という言葉で締めくくられてるけど私、詩とは何か、よくわかんないこの
表題作を読みたかったのだ。詩の良し悪しはわからないけれどがつんときた。一節を引用する。初心消えかかるのを暮しのせいにはするなそもそもがひよわな志にすぎなかったそんなことないと反論したい自分もいるが外罰的・他責的思考は否めない。どうすればよかったのか考え直さねばならない。短い詩だ。暗唱できるようになろう。
ずっとほしかった詩集が手に入った。茨木のり子『自分の感受性くらい』単行本は価格が高騰してT君には買えなかった。それが先月ひっそりと文庫化していた。気づいたときにはすでにAmazonでベストセラーになっていて遅れまいと飛びついた。どうしても読みたい詩があったのだ。姉がやなせたかしに育てられた詩人でもあるので(朝ドラ「あんぱん」楽しんで観ているようだ。)詩にはなじみがあった。T君が詩集!と姉も喜んでいる。