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当ブログに来てくださったあなたへ、お会いできて嬉しいです。太字は過去記事へのリンクです、よろしければお立ち寄りください。青春は自分を探しに出る旅の長い旅の靴ひもを結ぶ暗い未明のおののきだ(伝説/「茨木のり子詩集」所収)わたしが高三の秋、体育教師が教えてくれた一節です。気が付けば、あの頃の恩師の年齢をとっくに超えて。靴ひもを何度も何度も結び直し、長い間歩いてきました。ずっと自分を探してきたけれど、未だに見つけられません。ところで。道で靴ひもがほどけてしまっ
愚濁庵さんのブログリンクさせて頂きました🌼『"恋文"桜京子さんのリブログ記事です。』☆『”恋文”桜京子さんのリブログ記事です。』女性道をまっすぐに歩んでおられる桜京子さんのリブログ記事です。久しぶりに茨木のり子さんの詩に触れさせていただきました。新川和江さんとともに、私の好きな詩…ameblo.jp🌼詩人茨木のり子ご紹介してありますブログ訪問リブログ先いいねフォロー愚濁庵さんのブログいいねコメントフォロー宜しくお願い致します(__)m(_
久しぶりに平日の1人時間を過ごしています平日休みはちょこちょこあったけど用事があったりで、1人時間が作れず…やっっっと1人になれたよー実に5月ぶり、半年ぶりの1人時間!!!カフェに行くより家にいたくて自家製のミネストローネと美味しいパンとコーヒーでのんびり朝ごはんしていますミネストローネ美味しい😋💕ここ数年、自分の頭で物を考えることができなくなったなーと思います。(サラッとヤバい発言)日々のタスクに精一杯で何かに追われるように日々が過ぎる〜日々の雑務に追われる事で肝
今日は神奈川県の江の浦測候所へ。美術家の杉本博司さん設計野美術館です。美術館からのバスのお迎が9時45分、早く着きすぎた😓ヒマなので久しぶりにブログを更新。ただの駅からの景色ですが、海に向かって開けていて素敵だったので。茨木のり子さんの詩も飾ってありました。にほんブログ村
先週の華道のお花は、銀香梅、百合、スターチスでした。銀香梅は、ギリシャ神話では御神木とされていて、結婚式のブーケにも使われる縁起のいい木です。5月に白い可愛いお花が咲きます。ハサミで切ってみるとレモンのようないい香りがします。余ったので挿木にしてみました。育つといいな。🍀実家の庭のスズランノキです。世界三大紅葉樹なのだそうで、葉が真っ赤に紅葉します。白く垂れ下がった数珠繋ぎのような花が咲きます。とても甘くいい香りです。ムラサキシキブの実です。この色の実を見ると秋を感じますね。💜先日
珍しい本を見かけたのでポチッとしました。与謝野晶子の真実の母性と副題が添えられています。与謝野晶子は双子を含む10人以上の子供を出産しているはずで、そのうちの一人のお嬢さんは、我が家の近くの大農家の養子となり立教女学院に通っておられたと思います。彼女の書き残した言葉にしかし私が母となったことは決して絶対的ではなかった。子供の母となった後にも、私は或一人の男の妻であり、或人人の友であり、世界人類の一人であり、日本臣民の一人である。また思索し、歌い、原稿を書き、衣と食とを工夫し、その他あらゆ
10/1720:26牡羊座満月です🌕スーパームーンの満月をぜひ見てくださいね。今回のホロスコープはとても賑やかです。月と太陽は火星とTスクエアを、また冥王星ともTスクエアを組みグランドクロスを形成しています。心の奥底にある欲望とエネルギーが感情や意志を揺さぶります。ぐるぐると考え続けてしまったり、闇雲に動き続けたりと葛藤に次ぐ葛藤という形ですが、エネルギーが溢れるとても創造的な配置でもあります。自分の行動や欲望の軸となる信念をしっかりと見つめそこだけは手放さないこと。
茨木のり子の詩より「ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするな~」。心が乾くのは他人のせいではなく、自分が心のケアを怠ったからだと諭します。日々の忙しさに追われ、私たちは他人や周りのせいにしがちですが、自分の心は自分で豊かにしなければいけませんよね。
こんにちは🌰『この国の空』を鑑賞しました画像はお借りしました🙏正確にははじめの3分の1ほど見逃し途中からの鑑賞です過去にも観ていてなんなら文庫本も読んだはずですが語れるほどの感想を挙げられません今覚えていたいことを書き記します※以下、ネタばれ気味でしてますいつ死ぬかもしれない戦時下人の本能は研ぎ澄まされて生きるか死ぬかのときだとしても少女は自分が恋愛も知らず大人の階段を上らずに一生を終えるかもしれないことに抗いたくなる…のか?解釈に自信なし主人公里子役の二階堂
おはようございます。風水師の圓山(まるやま)真央です。なんとなく行き詰まりを感じる時などに眺めては、潔いなぁと、未熟なわが身を振り返ります。自分の住む所には自分の手で表札をかけるに限る。精神の在り場所もハタから表札をかけられてはならない石垣りんそれでよい。石垣りん「表札」より抜粋じぶんの耳目じぶんの二本足のみで立っていてなに不都合のことやある倚りかかるとすればそれは椅子の背もたれだけ茨木のりこ「倚りかからず」より抜粋どちらも学生時代から
心に突き刺さった忘れないようにしようもっと若い頃に突き刺さってほしかったでも、若い頃は今よりさらにアホだったから吹き抜けただけかもしれない茨木のり子自分の感受性くらいです自分の感受性くらいぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするなみずから水やりを怠っておいて気難しくなってきたのを友人のせいにはするなしなやかさを失ったのはどちらなのか苛立つのを近親のせいにはするななにもかも下手だったのはわたくし初心消えかかるのを暮らしのせいにはするな
聴く力茨木のり子(いばらぎのりこ)ひとのこころの湖水その深浅に立ちどまり耳澄ますということがない風の音に驚いたり鳥の声に惚(ほう)けたりひとり耳そばだてるそんなしぐさからも遠ざかるばかり小鳥の会話がわかったせいで古い樹木の難儀を救いきれいな娘の病気まで直した民話「聴耳頭巾」を持っていたうからやからその末裔(すえ)は我がことのみに無我夢中舌ばかりほの赤くくるくると空転しどう言いくるめようかどう圧倒してやろうか
自分の感受性くらい茨木のり子(いばらぎのりこ)ばさばさに乾いてゆく心をひとのせいにはするなみずから水やりを怠っておいて気難かしくなってきたのを友人のせいにはするなしなやかさを失ったのはどちらなのか苛立つのを近親のせいにはするななにもかも下手だったのはわたくし初心消えかかるのを暮らしのせいにはするなそもそもがひよわな志にすぎなかった駄目なことの一切を時代のせいにはするなわずかに光る尊厳の放棄自分の感受性くらい
今朝の夫作のお弁当。おにぎり握ってた。茨木のり子さんの言葉私がこの言葉に触れた時は自分の機嫌は自分で守れよばかものがだった。衝撃だった。私の人生は他者に依存している人生だと悟った瞬間でもあった。
軽い運動、一定時間の集中した呼吸、睡眠不足。これらが私たちに引き起こす、例えば、気持ちが良い、すっきりした、判断が鈍っているなどの感じは、わずかなものです。机の角に足の小指をぶつけたり、立ちくらみで目の前が真っ暗になるなど、明らかにそれとわかるものではないので、自分から「今の感じはどうなんだ」と状態を観察しにいくことが大切です。「・・・自分の感受性くらい自分で守ればかものよ」by茨木のり子
「藤沢周平との静かな月日」後藤正治さん日経新聞2024/09/09昨日9月8日(日)の日経新聞文化の欄に後藤正治さんの文が載っていました。藤沢周平の作品について、ノンフィクション作家が文芸批評をしているいきさつや周平のことについて書かれていました。後藤正治さんの作品は茨木のり子の評伝「清冽」を購入して読んで感動したことが思い出されました。(茨木のり子は愛知県西尾出身の人で、地元で何度か特別展が開かれました。)後藤さんは周平の作品「木地師宗吉」を文芸批評の初回に取り上げた
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わたしが一番きれいだったとき茨木のり子わたしが一番きれいだったとき街々はがらがら崩れていってとんでもないところから青空なんかが見えたりしたわたしが一番きれいだったときまわりの人達がたくさん死んだ工場で海で名もない島でわたしはおしゃれのきっかけを落としてしまったわたしが一番きれいだったときだれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった男たちは挙手の礼しか知らなくてきれいな眼差しだけを残し皆発っていったわたしが一番きれいだったときわた
ご訪問ありがとうございます前回の続きです前回はこちら『本当のヒーローはかっこ悪いし、強くない?!』ご訪問ありがとうございます前回の続きです。前回はこちら『自己犠牲に見えるけど、実は自分を大切にしている生き方』ご訪問ありがとうございます前回の続きです。前々…ameblo.jpさて、ネイティブアメリカンの世界観に近い、私の住むワンネスの世界のお話をした理由は、ワンネスについて書かれた書籍やサイトに、ワンネスを感じると生き辛さから解放される、ワンネス覚醒させる方法の一つとして、自然の
夏休みしております。現在進行形人生のなかで何度となく読み返してしまう詩〜自分の感受性くらい〜ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするなみずから水やりを怠っておいて気難しくなってきたのを友人のせいにはするなしなやかさを失ったのはどちらなのか苛立つのを近親のせいにはするななにもかも下手だったのはわたくし初心消えかかるのを暮しのせいにはするなそもそもがひよわな志にすぎなかった駄目なことの一切を時代のせいにはするなわずかに光る尊厳
茨木のり子さんの詩の中で一番好きな「自分の感受性くらい」です時代に関係なく心に刺さります私的にはこれは励ましていると解釈していますどの年代でも当てはまる詩であると思っています辛い時行き詰まった時もやもやする時落ち込んだ時情け無い時読むと前向きになれます
昨夜息子の話を聞いて切なさで胸がいっぱいになりました茨木のり子さんの詩『汲む-Y・Yに-』が浮かびました『茨木のり子さんの詩:『汲む―Y・Yに―』』茨木のり子さんの詩にはいつも、ハッとさせられます。『自分の感受性くらい』が一番好きですが『汲む―Y・Yに―』も好きです。汲む―Y・Yに―…ameblo.jp大人になってもどぎまぎしたっていいんだなぎこちない挨拶醜く赤くなる失語症なめらかでないしぐさ子どもの悪態にさえ傷ついてしまう頼りない生牡蠣のような
最近撮ったお気に入りの写真は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう写真は撮らない🤣🤣🤣🐦🐦🐦「私のカメラ」茨木のり子眼(め)それはレンズまばたきそれはわたしのシャッター髪でかこまれた小さな小さな暗室もあってだからわたしカメラなんかぶらさげないごぞんじ?わたしのなかにあなたのフィルムが沢山しまってあるのを木漏れ陽のしたで笑うあなた波を切る栗色の眩しいからだ煙草に火をつける子供のように眠る蘭の花のように匂う森で
茨木のり子「言の葉さやげ」(2023年、河出書房新社)を読んだ。末摘花はえらいな赤い鼻を気にかけながら光源氏を待っているエッセイ「はてなマーク―工藤直子の詩」に引用された詩だ。源氏物語の愛読者である私は末摘花が詩に書かれていることを知ってとてもうれしい。茨木のり子「言の葉さやげ」河出書房新社。題は「古事記」のなかの唄、木の葉さやぎぬ風吹かむとすから採られた。言の葉さやぎぬ風吹かむとすと思い込んでいた、とあとがきにある。(1975年9月)末摘花は岩波文庫版「
「わたしが一番きれいだったとき」「六月」何れも大好きな作品です。今日は8月15日ということもあり、改めて読んでみたいと思います。
今日は8月15日も阿佐ヶ谷バルトは夕方6時にオープン。普段通り、ボチボチやってます。皆さんご来店ください。8月15日ってんでボンヤリ考えてたら、茨木のり子さんの詩の一行が脳裏に。「わたしが一番きれいだったとき」の中にあった一節「まわりの人達が沢山死んだ工場で海で名もない島で」
緑の灯火165信じて「トクホ」20240810(Sat)もくじ・汲(くむ)む・AhaMoment:とつぜんの「アハー!」と閃いて悟る瞬間、またはその体験・トクホVS機能性表示食品・汲(く)む茨木のり子理論社\1,400汲む大人になるというのがすれっからしになることだと思い込んでいた少女の頃立居振舞(たちいふるまい)の美しい発音の正確な素敵な人に会いましたそのひとは私の背のびをみすかしたように
娘の大学へのモチベーションだったり受験に対する向き合い方、果ては生き方があまりにも私とは違いすぎて愚痴が止まりません。久しぶりに実家の母と電話で話しても、やっぱり愚痴が止まらず。母は「そうなんだー。」と聞いてくれました。そして、母の若かりし事を聞いたら涙なくして聞けない。成績はとってもよかったのに、その時代は「女が勉強してなんになるんだ」と言われもちろん大学には行かせてもらえず、なんだったら高校も「修学旅行いかないから行かせてください」ってな懇願し、制服も(学校が違う姉の)お
緑の灯火164鶴はヒマラヤを超える20240808(Thu)もくじ・鶴・Binge-Drinking爆飲み・身体が整う呼吸法・鶴茨木のり子理論社\1,400鶴(つる)がヒマラヤを超(こ)えるたった数日だけの上昇気流を捉(ちら)え巻きあがり巻き上がりして九千メートルに近い峨峨(がが)たるヒマラヤ山系を超えるクウクウと鳴きかわしながらどうやってリーダーを決めるのだろうどうやって見事な隊列を組むのだろう
何を隠そう、暑さに弱い私!けれど、声を出すと私も元気になります。あんまり暑いので、ワークのテーマは熱中症をプレゼンしてもらおうかとも思いましたが‥もっと涼しやかにと思い直し、私が食べたい食の随筆を取り上げました古川緑波の『氷屋ぞめき』北大路魯山人の『鱧の茶漬け』古川緑波さんは、1930年代の日本の代表的なコメディアンだそうで、私は全く知りませんでしたが、丸い眼鏡をかけた面白い人と知っている方もおられましたあめんぼ座の公演の練習も本格的になってきました。9/27㈮、28㈯