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緑の灯火142女の子のマーチ。茨木のり子理論社\1,40020240430(Tue)08女の子のマーチ男の子をいじめるのは好き男の子をキイキイいわせるのは大好き今日も学校で二郎の頭を殴ってやった二郎はキャンといって尻尾をまいて逃げていった二郎の頭は石頭べんとう箱がへこんだパパはいうお医者のパパはいう女の子は暴れちゃいけないからだの中に大事な部屋があるんだから静かにしておいでやさしくしておいでそんな部
その昔、詩集にハマって夢中になって読んだ詩人の中に彼女の名があったはず。単行本、新書そして文庫と1番多く買っているのも彼女かもしれない・・・それだけ胸に応える文言が多いのだ。本屋へ行くと新たな発見があるから面白い大体が単行本から文庫化されて並ぶ分文庫本。新書となると「自分が今、何に興味あるか?」問われている気がする。そこで目にした茨木のり子。(初版から45年弱経ってブックカバーを新装して)岩波ジュニア新書からなので青少年に向けて彼女自身が感動した詩をセレクトしているのがこの1冊。人の一生
11月以来の「朗読会」のお知らせです。zanaが入っている朗読の会「輪(りん)」の「朗読会」です。朗読にご興味のある方、お時間がある方は、ぜひ覗きに来て下さいね!日時2024年4月28日(日)13:00~14:30場所北九州市小倉北区「水環境館」観察窓前ホールプログラム朗読劇「手作りマダム」詩の朗読朝のリレー(谷川俊太郎)答(茨木のり子)
11/25晴れ11時頃起きて、白湯・瞑想・コーヒーとパンの朝食・洗濯。スーパーに行って帰って、ちょっと階段など掃除して、庭の木を剪定して、サラダとバナナとヨーグルトで昼食。そっから仕事。日記・読書記録・ウォールデン翻訳。ちょっと早めに読書タイム。ペクヒナさんの絵本『ピヤキのママ』『天女銭湯』、ymz先生のBLマンガ『ハッピーバースデー』を読む。そのあとミネストローネとピザトーストを食べながら白菜と豆腐の中華スープを作る。クローズアップ現代の茨木のり子特集を観る。若い人たちが『倚りかか
悩みがある迷っていることがある心配事がある困っている悩んで…考えて…こうしようと決めて…でも…またやっぱり思い悩んで…今までもずっとそんな感じで歩いてきたけれど…これからもこんなことの繰り返しなのかな…きっと、そうなんだろうな昨日、仕事帰りに書店に寄った会いたかった人に会えた…そんな気がした…「自分の感受性くらい」次の休みに、ゆっくり書店に行って、手にとりたいこの歳になると厳しいことを言ってくれる人は、なかなかいないうまくいかないことを人のせいにするな
あまりに有名な詩ですから耳元で”自分の感受性くらい”と一行ささやかれたら、反射的に”ばかものよ”って自分に向けてつぶやいてしまいそう。昨日の記事に、ブロガー「笑い仮面」さんが「あの詩を思い出す」とコメントをくださったので、(仮面さんありがとうございます!)そうね、もう一度心に響かせるのも悪くないし、ついでに記事にしてしまおうと思って、ここにご紹介します。茨木のり子さんの詩「自分の感受性くらい」です。自分の感受性くらいぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするなみ
随分、ご無沙汰しておりました。ちょうど、4ヵ月ぶりの更新になってしまいました。実は介護しておりました愛猫が、去年12月の旅立ちとなりました。最後のペットでしたので少しのペットロスと心労が重なり暫しの休眠とさせてもらいました。今年も桜を見ております。開花がいつになく遅く、入学式には散る桜も今年は満開で入学式となりサクラを愛でる期間が随分楽しめたように思います。近所のお散歩コースである空堀川下堀広苑の桜です(こちらは桜の名所になってます)一本桜
【自分の感受性くらい】茨木のり子〔1926-2006〕大阪府生まれ、愛知県育ち。戦後詩を引率した、日本を代表する女性詩人。〔童話作家、エッセイスト、脚本家〕『わたしが一番きれいだったとき』は、多数の国語教科書に掲載され、彼女の最も有名な詩の一つであります。個人的には、口先だけの者や目先の金を追う者、また自分の努力不足を棚に挙げ不平不満をあげるばか者に向け、皮肉たっぷりに現代的にも通じるのがこの『自分の感受性くらい』ではないでしょうか?同情より軽蔑されている事に気がつかない人達に捧げま
自分の感受性ぐらいぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするなみずから水やりを怠っておいて気難しくなってきたのを友人のせいにはするなしなやかさを失ったのはどちらなのか苛立つのを近親のせいにするななにもかも下手だったのはわたくし初心消えかかるのを暮らしのせいにはするなそもそもがひよわな志にすぎなかった駄目なことの一切を時代のせいにはするなわずかに光る尊厳の放棄自分の感受性ぐらい自分で守ればかものよこんにちは♪関西在住アラフォー・すみれです。突然のこれは
今日のことば茨木のり子さんの言葉人間には行方不明の時間が必要です。(詩人・エッセイスト・脚本家)
***茨木のり子さんの詩集『倚りかからず』。二頭の蝶々が載った表紙の装丁が美しい。『倚りかからず』はこの詩集に収録されている作品の一つから付けられた題名。たったこれだけの短い言葉で茨木のり子さんが伝えたいこと、そして世の中のできごとに対するスタンスが窺い知れるから面白い。倚りかからずもはやできあいの思想には倚りかかりたくないもはやできあいの宗教には倚りかかりたくないもはやできあ
満開の桜の花びらをすべて吹き飛ばそうとでも言うような風と雨。明日にはどうなっているのか・・・茨木のり子の詩に「さくら」というのがあった。ことしも生きてさくらを見ていますひとは生涯に何回ぐらいさくらをみるのかしらものごころつくのが十歳ぐらいならどんなに多くても七十回ぐらい三十回四十回のひともざらなんという少なさだろうもっともっと多く見るような気がするのは祖先の視覚もまぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょうあでやかとも妖しとも不気味とも捉えかねる花のいろ・・・
繊細な感受性は才能だよ。^^今日は私の大好きな茨木のり子さんの詩をご紹介します。自分の繊細さに振り回されて辛い思いをしていた頃にひどく心に沁みた。繊細だからこそ小さな事に気づき感じて疲れてしまう。大勢と楽しく遊んでいても、何でもキャッチしすぎてしまい帰るとグッタリ。繊細ゆえに傷つきやすくて人が怖くなることもあった。だから1人で自然を見ていると安心した。自然は優しいから。何も言わないけれどあたたかいから。自然という友達がいるから大丈夫。そう思った。以下、茨木のり
茨木のり子さんの詩、「ギラリと光るダイヤのような日」に、こんな一節がある。~世界に別れを告げる日人は一生をふりかえって自分が本当に生きた日があまりにも少なかったことに驚くであろう。指折り数えるほどしかないその日々のなかのひとつには恋人との最初の一瞥のするどい閃光などもまじっているだろう。~僕はどれくらい本当に生きた日があっただろうか。それこそ指折り数えるほどの幾日かしかなかったかもしれない。ただ、人とは違う道を随分と歩いてきた。苦難や逆境、修羅場も
大人になるというのはすれっからしになることだと思い込んでいた少女の頃立居振舞いの美しい発音の正確な素敵な女のひとと会いましたそのひとは私の背のびを見すかしたようになにげない話に言いました初々しさが大切なの人に対しても世の中に対しても人を人とも思わなくなったとき堕落が始まるのね堕ちてゆくのを隠そうとしても隠せなくなった人を何人も見ました私はどきんとしそして深く悟りました大人になってもどぎまぎしたっていいんだなぎこちない挨拶醜く赤くなる失語症なめらか
今年のアカデミー賞の日本のメディアは、どうしたの?日本の作品が2つ、受賞した。そればかり繰り返し、歓びの一色だった。最後に付け足しみたいに、最多受賞はオッペンハイマーでした。と、一言それだけ。何でなの?日本の2つの作品が受賞したからなの?それとも、オッペンハイマーが原爆の父だから?今日から、日本で上映が始まったと思う。実験場の先住民、広島・長崎の沢山の方々の命を奪ってしまった原爆。オッペンハイマーの苦悩など…と思っていたけれど、1つの感想コメントに目が留まり、気持ちは変わった。
Metisという女性シンガーがいて、『梅は咲いたか桜はまだかいな』というわたしの好きな歌がある歌詞が好きで、一部書かせていただくと・・・『誰の上にも歩き始めるために桜🌸は咲くのさ全てに意味があることのように君に桜🌸は咲くのさ』ここで(2度目の)ブログを書きはじめて・・前に書いてた時は、(自分から)他のブロガーさんにコメントする・・・ってこともほぼ無かったように思う今は、思わず(まるで友達に)話しかけるように、ついコメント書いてしまうことがしばしば・・・失礼してたら、
幼い頃から両親や祖母から法華経を学ぶそして母の勧めで茶道に出会う運動大好き。日本の歴史や文化好き🇯🇵名古屋在住芦屋です「自分の感受性くらい」1975年(抜粋)"ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするなみずから水やりを怠っておいて駄目なことの一切を時代のせいにはするなわずかに光る尊厳の放棄自分の感受性くらい自分で守ればかものよ"DefTechのMicroさんがYouTubeで語っていて倍速ですがすごいドキッとしました…そして、高校生の時にイベントで
軽い芝居が好まれるから笑いの芝居がみんな好きだからって役者さんによく言われるんだけどさ。舞台で。毎回、いやいやいやって思ってる。お芝居好きなお客さんは重い芝居も好きだしなんなら重い芝居のほうが好きだしわかりにくい芝居もひっかかるものがあればなんとかついていこうとがんばるし。お芝居好きじゃないお客さんは最初から芝居なんてみてないし。もういいじゃん、ほっとけば(笑)芝居終わったら起きてもらって。しゃべり続けるのだけはカンベンだけど。何も言わないお客さんの方が圧倒的
안녕하세요?藤原です先日のレッスンの時に生徒さんが「ハングルの旅」という本がとても素晴らしいという話をしてくれました。この本は以前も他の方から教えてもらって、読まなきゃ!と思いながらつい時間が過ぎてしまい…今回私の生徒さんからおススメされ、偶然にも他の先生のレッスンで別の生徒さんもこの本についてお話しされていて、これは運命かも今度は忘れないうちに~!とすぐに買いました。噂通りこれはもう、素晴らしい本でした。もっと早く読んでおけばよかったと後悔までしています
自分の感受性くらい自分で守ればかものよという詩のフレーズ。茨木のり子氏の詩です。初めて触れた時には、がつん!と来て...う...と考え込みました...。この詩が含まれている詩集は、本棚の一番目につくところにあり、たまに眺めて、ふぅ...と考えをまとめることもあります。力強く、厳しくて、しかも優しい...。結果、誰かの評価とか誰かのため、とかではなく...己は何がしたいのか、何を成したいのか、を大事にできないで、世のため、とか無理な世界がある、ということなんだろう
※一年前に書いた記事を再構成しました。ーーーーーーーーーー茨木のり子さんの詩にはじめて出会ったのは中学生のとき。衝撃でした。自分の感受性ぐらい自分で守ればかものよ茨木のり子詩集「自分の感受性ぐらい」(1977刊)より引用茨木のり子さん。魂を揺さぶるような言葉で、人間の本質を描いた詩人です。有名な「ばかものよ」も決して他者への攻撃ではありません。「自分の可能性をもっと信じなさい」という優しさからの言葉です。茨木のり子詩集(岩波文庫)
ちゃんと週休2日でお休みも取れてて、そんなに残業もなく(マヒしてるとこあるので、定時より1時間オーバーぐらいじゃ残業してる感はない)疲れるような事はしてないのに、疲れてる。名古屋でリフレッシュしたのになぁ。自分のペースで動けてないからだろうな。やりたい事あるのにペース崩されてできなくてイライラが募る。人のせいにするのは楽だから、〜のせいでってイライラしてる。違うんだよなぁ、そうすると決めたのは自分自身なのよ。イライラは自分に対する苛立ちもあるね。時間は有限。もっと心地よく過ご
大人のための絵本講座を月に2回開催しています。毎回用意した5冊の絵本を読みます。それぞれの絵本の感想や気づきなどを共有する。大人は物語の内容に自分の経験体験を重ねることが多い。気づかなかった自分の感情や他の人の感じた部分の違いが面白くてたまらない。安心安全な場所であることが基本です。どのように感じたか思ったかは人それぞれ。その違いを受け入れ合うことこそがこの講座の意味です。先日、講座を終えた数日後に受講生からメールが届きました。不用
金子みすゞ名詩集Amazon(アマゾン)繰り返し読みたい日本の名詩一〇〇Amazon(アマゾン)茨木のり子詩集(岩波文庫)Amazon(アマゾン)ヘッセ詩集(新潮文庫)Amazon(アマゾン)自選谷川俊太郎詩集(岩波文庫)Amazon(アマゾン)詩集僕らは、抱き合いながらすれ違うAmazon(アマゾン)詩集すみわたる夜空のような(角川文庫)Amazon(アマゾン)特選
久々に茨木のり子さんの詩を目にして、図書館に行って借りてきた『自分の感受性くらい』ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするなみずから水やりを怠っておいて苛立つのを近親のせいにはするなないもかもが下手だったのはわたくし初心消えかかるのを暮らしのせいにはするなそもそもがひよわな志にすぎなかった自分の感受性くらい自分で守ればかものよ(一部抜粋言の葉2より)**かっこいいなぁ刺さるよね、、初めて読んだ
運命思想家の檜原有輝です。占い、運命は自分を知ることが出来るけど自分が望む後押しになるかはわからない。もし今上手くいってないなら上手くいかないだけの理由が自分の運命には事細かくでるだけ。現実は変わらない。角度を変えて今、自分がするべきことをアドバイスされることになる。それを前向きにとらえるかそれを出来ない理由として拒否するか。自分次第。逃げても何にもならないのに。拒んでも苦しさは増すだけな
吟ムツの会の蜜柑とユウウツ〜茨木のり子異聞〜お芝居みてきました。始まる前の空気観が好き。倚りかからずもはやできあいの思想には倚りかかりたくないもはやできあいの宗教には倚りかかりたくないもはやできあいの学問には倚りかかりたくないもはやいかなる権威にも倚りかかりたくないながく生きて心底学んだのはそれぐらいじぶんの耳目じぶんの二本足のみで立っていて
学生の時の実習や臨床に出て1、2年目の、患者さんとの戸惑いに満ちた手探りのつきあいだからこそ生まれてくるケアがあります。指導者がそこで若い人たちと一緒に戸惑い、一緒に迷い、一緒に悩むことが、心を通わせるコミュニケーションを育み、倫理的姿勢を育みます。どんどん「正しい」方法や答えを「与える」こと、その「至らないところ」を叱責することは、教育とは縁遠い。曖昧さ、答えの出ないことに耐える力は、一緒に迷い一緒に耐えてくれる(ほんとうのところは、どうすべきかわかっていても)先輩・指導者がいるこ
ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするな自ら水やりを怠っておいて気難しくなってきたのを友のせいにはするなしなやかさを失ったのはどちらなのか苛立つのを近親のせいにはするななにもかも下手だったのはわたくし初心消えかかるのを暮らしのせいにはするなそもそもがひよわな志にすぎなかった駄目なことの一切を時代のせいにはするなわずかに光る尊厳の放棄自分の感受性くらい自分で守ればかものよ