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1/600AirfixフィアレスFearlessの製作を開始します。古いキットをヤフオクで安く購入しました。二つ割れの船体を接着しました。古いキットなの合いは悪いです。補強にプラ板を接着しています。
こんにちは。今日は休みで朝から大和の製作をしています。ただ、疲れやすいので分散してやってます。タミヤの旧キット1/350戦艦大和をサルベージで1944年時としてセミスクラッチ製作しています。留め具を内火艇格納庫付近まで取り付けました。途中、太さが疎らになった所もあったので調整しています。艦スペの高橋ヤスヒコ氏のやり方を参考にしていますが、この作業は本当に根気勝負です。少し飽きて来ましたが引き続き留め具の取り付けをして行きます。今回はここまで。ではまた。
1944年12月の第7次多号作戦。オルモック灣に侵攻するアメリカ海軍大型新鋭駆逐艦3隻を、単艦で迎撃して1隻撃沈1隻小破1隻中破という大日本帝國海軍最期の艦隊決戦を華々しくも勝利で飾った松型駆逐艦「竹」。タミヤの松型駆逐艦1/700『桜🌸』を使用して製作しています。前回リノリウム抑え金具に係る記事をアップしましたが、その中でも取り上げた通り、松型、橘型駆逐艦にリノリウムは無かったことが既に明らかなのだそうです、とご紹介した通り。嘘のような名称ですが、松型甲板敷物配置図
1/700タミヤホーネット完成しました。
艦橋もXF-18ミディアムブルーを筆塗りしました。全体を薄めたMr.ウェザリングカラーマルチブラックでウォッシング。いつも通り拭き取りはしません。B25は出撃直前のプロペラを回している状態を再現するため、クリアファイルを4mmのパンチで打ち抜いたものを使用し、縁を黄色で塗って見ました。パンチはWAVEのHGロータリーパンチを使っています。
1944年12月の第7次多号作戦。オルモック灣に侵攻するアメリカ海軍大型新鋭駆逐艦3隻を、単艦で迎撃して1隻撃沈1隻小破1隻中破という大日本帝國海軍最期の艦隊決戦を華々しくも勝利で飾った松型駆逐艦「竹」。タミヤの松型駆逐艦『桜🌸』を使用して製作しています。兎に角ショックです。前回受講したリノリウム抑え金具に係る記事をアップしましたが、その中でも取り上げた通り、松型、橘型駆逐艦にリノリウムは無かったことが既に明らかなのだそうです。今回またもや艦艇史をご専門にされているK氏の天
こんにちは。目の方は今後、手術があるのか無いのか分かりませんが覚悟しつつ何とかなるかなです。後は、父への増悪がまたぶり返してきて気分が悪いですが、昔は自分がクヨクヨしていてダメなタイプで父がダメ出しと尊敬と存在意義を見出す事で上手く回ってました。今は病気しながらも成長してダメじゃなくなった時点で関係が成立しないのでは?って思います。20年ぐらいずっとですが父は除外してきます。なので、関係としては終わってるかなです。まぁ、早く家を出ろという話ですが、難しいので事務レベルの会話に抑えて自室で
私も間違えておりましたが、艦船模型の製作でほとんどの方が間違えているリノリウム抑え金具の表現。今朝アップした記事で追記、更新した箇所が一部あります。その箇所については赤字にしておきます。以下リファレンスからの情報です。「帝國海軍のリノリウム抑え金具は、昭和12年に真鍮製から亜鉛製に変更されました。これは朝潮型駆逐艦の「霞」と「霰」が艤装工事中、またはそれ以降の陽炎型駆逐艦からと考えられますが、正確な線引きは判っていません。帝國海軍史公文書に確認できることは、朝潮型まで
どうも、プラモデル担当の山家です。気付けばあっという間に6月…暑い日も増えてきましたね~さて、先日入荷しましたフジミ模型の艦船キット注目の新シリーズ「波シリーズ」1/700日本海軍戦艦大和(天一号作戦/昭和20年)タムタム価格¥3,800(税込)艦船模型と言えば細かいパーツを接着したり塗装もしなければならないとビギナーにはとっつきにくいイメージがありますが同社の「艦NEXTシリーズ」同様スナップフィット式と多色成型で難易度が下げられた設計(ボーナスパーツの
お待たせいたしました!舞鶴電脳工作室の2025/6/5木の新入荷棚出し情報です。前回は5/16だったので半月ぶりの入荷です。次回は6/19木の予定です。今回は、お客様から「赤いガンダムの発売日ですけどありませんか?」と言う問い合わせが多かったです。ガンダムGQuuuuuuXジークアクスは私も見ていますが、非常に良く動くのと懐かしいMSがリニューアルされて、まるでエヴァのようで、確かにガンプラが欲しくなりますね。ただ、こんなに盛り上がると思っていなかったので、入荷は少数です(水星の魔女の時は、仕
船体をXF-53ニュートラルグレイで塗装。鑑底のブラックは、ブラックサーフェイサーをそのまま使うのでマスキング。飛行甲板の白線をマスキング。極力細い方がカッコいいと思います。XF-2フラットホワイトを塗装。2本の間隔はB25の車輪の間隔と同じにしてます。船体の波模様の迷彩をマスキング。XF-18ミディアムブルーを塗装。次は艦橋の迷彩を筆塗りで行います。
こんにちは。精神科の主治医は、目が見えなくなる事が決まった訳では無いと言いましたが、仮に手術が必要になっても、前回の段階で無理矢理やるしかないという手段しか無いので難しいと思います。目の方は、なるべく持たせる事をやりますが覚悟もしなければと思います。タミヤの旧キット1/350戦艦大和をサルベージで1944年時としてセミスクラッチ製作しています。パーツが取れて中断していた舷外電路を貼り終えました。留め具をプラペーパーから切り出して等間隔になる様に鉛筆で印を付けてコの字になる様に貼り付けてい
B25を進めました。水性ブラックサーフェイサーを吹いて、XF-62オリーブドラブを機体上面下面をXF-53ニュートラルグレイタミヤエナメルのXF-1フラットブラックでキャノピー、車輪を筆塗り後に、デカールを貼りました。本体も水性ブラックサーフェイサーで塗装飛行甲板をXF-50フィールドブルーで下地のブラックが少し残る感じて塗装をしました。
大戦中期から末期の圧倒的な米軍制空下でも成果を出しながら激戦を潜り抜け、終戦まで満身創痍で戦い抜いた奇跡のハイブリッド駆逐艦「涼月」天号作戦時の最新考証工作です。アオシマ製のキット「涼月」を使用して何と!「涼月」を製作するという無謀なチャレンジ。老眼になる前に帝國海軍最期の艦隊、第2艦隊を1/700ウォーターラインで再現します。涼月14回目の制作記最新考証を採り入れて工作していきます。艤装類と取り付け始めました。0.04mmとか訳解らん小さい部品(米粒の1/20くらい)は
こんばんは。いつもご来訪頂き有難うございます。久しぶりの艦船模型製作の記事になります。途中静岡、伊勢に行っていたのと、なかなか模型製作に手が付かずちょっと放置気味でした。それでも少しずつは進んではいるので久しぶりの投稿となりました。さて現状報告になります。ウィンチ等の塗装準備。探照灯の台座の部分が狭いのでジャンクエッチングに交換したいと思います。写真は塗装する準備をしている所。台座をエッチングに交換後塗装しています。中央建造物
艦船模型はお金がかかるなぁ・・・1944年12月の第7次多号作戦。オルモック灣に侵攻するアメリカ海軍大型新鋭駆逐艦3隻を、単艦で迎撃して1隻撃沈1隻小破1隻中破という大日本帝國海軍最期の艦隊決戦を華々しくも勝利で飾った松型駆逐艦「竹」。タミヤの『桜🌸』を使用して製作しています。サーフェイサー塗布まで済んでいます。対するアメリカ海軍のアレン・M・サムナー級新鋭駆逐艦「クーパー」DD-695の製作も開始させます。大きいですね。1990年代まで現役で使用している海軍があり
大戦中期から末期の圧倒的な米軍制空下でも成果を出しながら激戦を潜り抜け、終戦まで満身創痍で戦い抜いた奇跡のハイブリッド駆逐艦「涼月」天号作戦時の工作です。アオシマ製のキット「涼月」を使用して何と!「涼月」を製作するという無謀なチャレンジ。涼月13回目の制作記です。涼月の最新考察を採り入れて工作していきます。前回の公文書確認で新規に判った事。●矢矧の電子戦兵器の増設●濱風に3式爆雷投射器が両舷×2~3器設置●初霜の鋼板張替詳細は言葉の整理から行いますので、矢矧には時
大戦中期から末期の圧倒的な米軍制空下でも成果を出しながら激戦を潜り抜け、終戦まで満身創痍で戦い抜いた奇跡のハイブリッド駆逐艦「涼月」天号作戦時の工作です。アオシマ製のキット「涼月」を使用して何と!「涼月」を製作するという無謀なチャレンジ。涼月12回目の制作記です。涼月の最新考察を採り入れて工作していきます。まず大前提ですが、帝國海軍の公的記録にフリガナやアルファベット表記が残されていますが、「すずつき」ではありません。「すずづき」が制式名称です。福井静夫自らの手書きメモもそうなっ
大戦中期から末期の圧倒的な米軍制空下でも成果を出しながら激戦を潜り抜け、終戦まで満身創痍で戦い抜いた奇跡のハイブリッド駆逐艦「涼月」天号作戦時の工作です。アオシマ製のキット「涼月」を使用して何と!「涼月」を製作するという無謀なチャレンジ。涼月12回目の制作記です。涼月の最新考察を採り入れて工作していきます。我々おっさん世代はソフトバンクや楽天という新興勢力に陶酔し、全プロ野球チームで最も伝統があって歴史が長い東京スワローズや、濱の巨星ベイスターズを応援する割合が高い、と思って
こんにちは。今日は診察の方を受けて来ました。やらなかった事はOKで、今後の話については先走り過ぎだから順番にと言われました。かかりつけに戻ってから眼科医とも相談しながらになると思います。タミヤの旧キット1/350戦艦大和をサルベージで1944年時としてセミスクラッチ製作しています。舷外電路ですが、左舷側を貼り終えました。右舷側も後少しで貼り終えます。艦首の舷外電路の位置が下過ぎたので上になる様に貼り直しました。もう少し上でも良いぐらいですかね。表面が荒れたので、ペーパー当てて溶きパテを盛り
エッチングパーツの機銃を取付ました。エッチングパーツは以前作ったエデュアルドのエンタープライズ用の余りです。取付けて一気に塗装する作戦でしたが、早速一箇所紛失しました。余りもないので、他の機銃にするか、適当なパーツを付けて誤魔化します。
こんばんは。手術しないという選択を取って、やらない事による代償の重圧を感じてます。とりあえず、強行したなら手術のストレス、合併症、精神状態の悪化などQOLの維持及び向上には結びつかなかった可能性も高いです。これからの生活は大きく変化していくと思います。半年間に渡って手術の延期と間延びと発熱で心身共に疲弊している事と、大きな決断だったので、本当にこれで良かったのか自問自答してます。会社で少し嫌な事があった事もありますが、模活の方は数日出来てません。とりあえず、明日は精神科の診察を受けます。し
昨日眠くて上げられなかった記事久々に昨日仕事終わりに模型をしましたまずは1/350のボヤーリン平日に進めるようなもんじゃない(戒めで、ホビーロードで買ったフライングバナナ機内だけ作りました塗装3種あって迷う…おまけ昨日の昼はカレーうどん
艦橋を進めました。レーダーはファインモールドのW.W.II米海軍・戦艦/巡洋艦用レーダーセットから。マストトップのCXAMレーダーは、ファインモールドのレーダーセットにないので、ジャンクのエッチングパーツからそれらしいのがあったので、枠をプラ棒で作って、それらしく再現しました。マストは、0.4mmの真鍮線と0.3mmのピアノ線B25もパーティングラインを除去タイヤを0.3mmのプラ板を1mm径のパンチを使って抜いたのを貼り付けました。パンチはHG精密ホールパンチ(1.0)を使ってます。タ
アンカーは極細チェーンに置き換え。キットのモールドをカットして、ピンバイスで穴を開け0.88mmのエバーグリーンのプラ棒を差込み、チェーンを巻き付けます。プラ棒の上に、キットのモールドを再接着。機銃はエッチングパーツに置き換えますので、ノミで除去。飛行甲板下のブルーワーク類は、取説では飛行甲板裏に貼り付ける指示ですが、船体合いがキツくなるので、船体に接着したほうが良いです。今回は、目立つ飛行甲板周辺と艦橋だけに手摺のエッチングパーツを取付けます。ファンネルキャップは、裏からリューターで
エレールのフランス潜水艦ロビーが完成しました元はナチス・ドイツ海軍の沿岸用Uボート?鹵獲されたのか、戦利艦としてWW2後フランス海軍に編入されたのか、日本語で読める情報が少なすぎてあれですけど、戦後フランス共和国海軍の潜水艦のようです1950年にはこの全身真っ黒のスタイルになったようですスケールは1/400、値段は740円(駿河屋販売価格)とお手軽なキット1/400ですらこの大きさなんだから、実物は相当小さいと思われます今って国内・海外問わず模型は異様に高
大戦中期から末期の圧倒的な米軍制空下でも成果を出しながら激戦を潜り抜け、終戦まで満身創痍で戦い抜いた奇跡のハイブリッド駆逐艦「涼月」天号作戦時の工作です。アオシマ製のキット「涼月」を使用して何と!「涼月」を製作するという無謀なチャレンジ。涼月11回目の制作記です。涼月の最新考察を採り入れて工作していきます。「涼月」を進めます。昨日の記事の通り、亜鉛シルバーで鎖錨甲板とリノリウム色での塗装をしたところ、大型ニッパーが落下して、艦尾の旗竿、爆雷投下軌条が破壊されました。取り敢えず
大戦中期から末期の圧倒的な米軍制空下でも成果を出しながら激戦を潜り抜け、終戦まで満身創痍で戦い抜いた奇跡のハイブリッド駆逐艦「涼月」天号作戦時の工作です。アオシマ製のキット「涼月」を使用して何と!「涼月」を製作するという無謀なチャレンジ。涼月の最新考察を採り入れて工作していきます。本日は考証編。満を持して職権乱用です(笑)海軍軍艦史の専門家(著名研究者)のリファレンスを受けて涼月の形状を正確にしたいと思います。このカードは大和最終時の飛行甲板連装機銃6個説と9個説
読者のみなさまお疲れ様です。今回は航空母艦翔鶴の話題です。予定通り仕上げをして完成としました。それでは完成画像をどぞ。タミヤ1/700航空母艦翔鶴なんとかなったかな。艦載機があると空母のかっこよさが爆上がりしますね。てな感じで、今回も無事に完成。おつきあいありがとうございました。
ある程度船体を組み立てたので、タミヤの曲面マスキングテープ3mmを側面に貼付けてサーフェイサーの厚塗りによる溶接跡を追加しました。こちらは外でMr.サーフェイサー500の缶スプレーで行いました。