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これまでの社会において、「サイレントマジョリティー(静かなる多数派)」という言葉は、どこかネガティブなニュアンスを含んでいました。「意見を持たない人々」「流されるままの群衆」「ただ傍観している層」。しかし、今、その定義が根底から覆ろうとしています。特定の団体や宗教、あるいは扇情的なメディアの誘導に左右されず、自らの足で立ち、自らの頭で考える。そんな「自立した個人」たちが、デジタルという武器を手に、静かに、しかし確実に社会のメインストリームを塗り替え始めています。1.誘導されな
APRAYERTOTHECLAY:THEGUARDIANOFTRUTH「祈り」の継承:純粋な対話を守り抜くこと真右エ門窯、馬場泰嘉(ひろかず)です。400年の歴史を持つこの土地の土、そして窯の焔。その前に立つとき、私は一人の無力な人間として、ただ畏敬の念を抱かざるを得ません。工芸の道とは、自らの我を捨て、いかにして自然の摂理と対話するかという、果てなき修行のようなものです。昨今、情報が溢れ、価値観が目まぐるしく変化(流動)する時代にあります。多様な解釈や新しい表現が生ま
世の中には「結果が全て」という言葉が溢れています。しかし、この言葉の背後にある「立場性」を正しく理解しなければ、私たちは自らの創造性を自ら殺してしまうことになりかねません。ここでは、評価側と表現側の構造的乖離について考察します。1.「結果」は常に評価者の論理であるまず明確にすべきは、「結果が全て」という言説は、本質的に評価する側の都合から生まれたものだということです。組織、市場、あるいは既存の社会システムにおいて、他者の営みを効率的に管理・測定するためには、目に見える数値や成
現代のコミュニケーション環境は、私たちに「何者かであること」を強く迫ります。しかし、そのプレッシャーに抗えず、等身大以上の自分を演出する「自己肥大」に手を染めてしまうと、待っているのは際限のない自己搾取の迷宮です。今回は、自己肥大がどのように「過度な期待」を招き、自らに無理を強要するプロセスへと変貌していくのか、その構造を解き明かします。1.「虚像」という負債の発生自己肥大とは、実力や現状を「盛る(飾る)」ことで、他者からの評価を前借りする行為です。SNSでの華やかな演出や、職
自己紹介を求められたとき、私たちはつい「自分がいかに優れているか」「何ができるか」という情報の羅列に終始してしまいがちです。しかし、成熟した大人に求められる自己紹介とは、単なる宣伝ではありません。それは、「自分という存在を、社会という大きな地図の中に正しく配置する作業」です。今回は、信頼される自己紹介に不可欠な「社会性」「他者尊重」、そして自分を相対化する「謙遜」の視点について考察します。1.社会性:地図の中での「座標」を言語化するここで言う社会性とは、自分を主観から切り離し
おはこんさん今朝の北海道、全道的では無いだろうけど、雨降りなんだぁ自然の摂理とはいえ、大変っす今日1日無理せずマイペースいよう
この自然の摂理から、意識、思想、学問科学も、<ふみ>八百万と広がって来た。その現代から、逆に、八百万から三に凝縮、結晶化させた、理論、知恵知識の<カタ、型>を、金剛石、ラピスと呼んだのかもしれない、自然、ナチュラル、単純シンプルな、ヒント<鍵>有るのでしょう。一度、魂に刻み込むと、何度転生してもその型を見れば、古代叡智へと繋がって、思い出す。イエスの磔物語は、それを強烈に焼き付ける、刺激。
「自由な服装」が認められる現代において、ファッションの選択肢はかつてないほど広がりました。ミニスカートやタンクトップで開放的に過ごす自由がある一方で、今、あえて「肌を露出しないスタイル」を戦略的に選ぶ人が増えているのを感じます。かつては「保守的」と見なされることもあった「肌を隠す」という行為。しかし現代におけるそれは、単なる控えめな姿勢ではなく、非常に主体的な「社会性」のあらわれではないでしょうか。今回は、私たちが「覆うこと」で手に入れているものについて考えます。1.視覚情
セラミック・フィロソフィー:深化の五段階MANIFESTOOFCERAMICPHILOSOPHY伝統を土壌とし、カオスに秩序を刻む。表現とは、悠久の伝統という大地に立ち、吹き荒れるカオス(混沌)の中に、己だけのコスモス(秩序)を打ち立てる孤独な旅路である。真右エ門窯が歩んできた道は、単なる技術の継承ではない。それは、土と炎という抗えぬ自然の摂理に対し、人間がいかに「意志」を介在させ得るかという、終わりのない対話である。【S:聖域】——超越的調律器という形態を超え、魂を震わせる「
世の中には、自分の頭の中にある正義や理屈が「唯一絶対の正解」であると信じて疑わない人がいます。しかし、自分の論理に盲信し、他者の見えない論理を否定する姿勢は、厳しい言い方をすれば極めて「稚拙」です。今回は、論理の盲信と「論破」の不毛さ、そしてそれらを超えた先にある「共に言語化する満足感」について考えます。1.「見えない論理」を否定する稚拙さすべての人間は、それぞれの経験や環境に基づいた、その人なりの「固有の論理」を持って生きています。たとえそれが自分から見て非合理に思えても、
現代の出会いにおいて、マッチングアプリはもはや欠かせないインフラとなりました。しかし、その利便性の影で、本来の目的を歪めて利用する「タダ乗り勢」の存在が無視できない問題となっているように思います。今回は、彼らがどのようにシステムをハックし、真剣な利用者のリソースを収奪しているのか、その構造を分析します。1.「友達探し」という名の防衛線プロフィール欄に散見される「まずは友達から」という言葉。一見すると慎重な人間関係の構築を求めているように見えますが、実態は「恋愛感情の提供をあらか
□はじめに現代はSNSの普及もあり、誰もが「自分を価値ある存在として示したい」という引力にさらされています。しかし、この引力が強すぎると、学びの土台となる「無知の知」や、人間関係の潤滑油である「謙譲」の精神は容易に損なわれてしまいます。私たちが先達から真に学び、成長するためには、自身の内側にある「自己顕示欲」「承認欲求」「自己正当化力」を冷静に切り分け、制御する必要があります。1.学びを阻害する「三つのノイズ」を切り分ける人間関係や学びの場で、私たちの「無知の知」を曇らせる
さらに詳しい自己紹介はこちらこんにちは触りすぎると悪化しちゃうんだよね。皮膚もカラダも子どももパートナーシップも人間関係も。なんでも。だって、花や野菜を植えて触りすぎたら枯れちゃうよね😂植物も、カラダも、家族も、関係性も。自らを守るチカラがある。元に戻ろうとするチカラがある。成長するチカラがある。はじまりから終わりのプロセスは自然に進んでいく。全部自然の摂理が教えてくれる。なんとかしようとがんばらなくても、今はそうなんだなーって受
「良かれと思ってやったのに、なぜか人が離れていく」「もっと仲良くなりたいだけなのに、会話が続かない」もしあなたがそんな違和感を抱えているとしたら、それは「自己の確立」と「承認欲求」のバランスが崩れているサインかもしれません。今回は、寂しがりやな人が陥りやすい「人間関係の空回り」の正体と、そこから抜け出すための法則について深く掘り下げます。1.寂しがりやが仕掛ける「余計なこと」の正体人は寂しさを感じたとき、無意識に「自分の存在を証明しよう」と動きます。しかし、自己が確立され
季節には、四季という流れがあるように人間にも氣の流れがある。知っていると計画が立てやすいしやるべき事が明確になる。大きな流れが掴めれば人は対策も取れるし起こりそうな事が想定できるから対処もしやすいと言うものだ。人間の氣の流れは目に見えない。目に見えることに慣れていると善きも悪しきも想定外だと騒ぎ立てる。それは、本当に想定外なのだろうか?単なる準備不足ではなかろうか?それでも人は、目に見えることにしか食いつかない。目に見えることに対して一喜一憂する。もう一段
「従順」という言葉に対し、現代の私たちはどこか「自分を殺して相手に合わせる」「主体性の欠如」といったネガティブなイメージを抱きがちです。しかし、複雑化する現代の組織や人間関係において、今こそ再定義されるべきなのが「意思を持った従順」という概念です。これは単なる無関心や諦めではありません。むしろ、強い自律性に基づいた「戦略的選択」としてのスタンスです。1.「無関心」と「合意・同意」の境界線組織における「従う」という行為には、本質的に異なる2つの性質が存在します。・受動的な従
『感覚』って、人によって違う事が多いのだがぁ〜( ̄▽ ̄;)場合によっては“気遣い”が必要になると、思うんだわ~例えば、複数で外食に出掛けたりした場合なんだがのう~出てきた料理に対して、美味しいと感じるのなら幸いなんだが…(´Д`)“残念な味”と感じた場合である「うわっ!この料理って、あんま美味しくないねぇ」↑と、非常に「素直」に感想を述べて良いのかどうか?いくつか種類がある料理の中の、一品での感想で…( ̄0 ̄)/もし他の人間が、まだ箸をつけてない料理の場合は
このブログはカタカムナ国学講の講義を自分用にメモしていますカタカムナを勉強していると感受性が豊かになる固定概念はないいろんなところで役に立つ順応の仕方自分に関係ないかものところでも、まに摩尼宝珠の因果関係はつながっている全く無関係ではないカタカムナ言靈解稲荷の言靈で読み解くカタカムナ──フトマニと火水の超法則が明かすアカシックレコードと宇宙樹の秘密Amazon(アマゾン)p138はじめは悪い事と感じられることがおきる赤ちゃんが生まれる時は
いつもご覧いただきありがとうございます😃アラカンの気になる眉下話題ですが、苦手な方はスルーしてくださいね。アラカンでもこうなるって☝️1つの事例です😊5月6日にいったいちごの森ゆるりの森のガーデンです🌸『連休④日目続編✨』ファームを歩くと目の前に美味しそうなものを売っている建物発見👍😋店内の様子✨🥰どんなお店かな🏡『森のファームのデザート』歩いているとこんな看板みっけ💕しかし…ameblo.jp『森のファームのデザート』歩いているとこんな看板みっけ💕しかし私はこっちに
私たちは毎日、テレビや新聞から流れてくる情報を「ニュース」として受け取っています。しかし、その中身を冷静に分析したとき、そこに「真実を伝える」というジャーナリズムの魂は残っているでしょうか。今、マスメディアが陥っているのは、視聴者に媚び、権力にへつらい、庶民を都合よく誘導するという、極めて利己的なスパイラルです。1.「平等・公平」の喪失と、視聴者への過剰な迎合本来、メディアの存在意義は、多角的な視点から「平等・公平」に事実を伝えることにあります。しかし、現在の報道現場からその姿
「ここだけの話ですが……」「私、実は視(み)えるんです」ネット掲示板、SNS、あるいは飲み会の席。私たちは定期的に、刺激的な都市伝説や超自然的な能力を語る人々に出会います。これらを単なる「オカルト好き」として片付けるのは簡単ですが、その心理を深掘りしていくと、現代人が抱える肥大化した「承認欲求」、そして大人になっても形を変えて生き続ける「中二病」の影が見えてきます。今回は、この「見えない力」を語る心理の正体を考察します。1.終わらない「中二病」:設定としての能力かつて
「自分よりも周囲を優先している」「和を乱さないように、いつも空気を読んでいる」一見、思慮深く謙虚に見えるこの振る舞いが、実はその場の「自由な空気」や「他者の笑顔」をじわじわと蝕んでいるとしたら……。今回は、自己が確立されていないことによる「過度な同調」が、いかにして周囲への「自己正当化の強制」へと変質し、コミュニティの活力を奪っていくのか。そのメカニズムを深く考察します。1.「周りの目」は配慮ではなく、鏡に映る自分を見ているだけ「周りの目が気になる」という言葉を翻訳すると
「学校は勉強するところ」「会社は仕事をしてお金を稼ぐところ」「家族は安らぎの場所」私たちは物事をシンプルに理解するために、場所に一つの「ラベル」を貼って安心しがちです。しかし、実際にはその裏側に、私たちの人生を形作る「隠れた効能」や、無意識のうちに背負っている「見えない義務」が複雑に絡み合っています。今回は、当たり前の日常を少し違う角度から読み解き、提示された目的のさらに奥にある「本当の役割」を考えてみましょう。1.学校:知識以上に「社会のOS」をインストールする場所学校
五木寛之孤独のすすめおはようございます。竹末です。さて、2017年に出版された古い書籍ですが、高齢に入ってどんな生き方をしたらいいのかと思って、参考までに読んでみました。五木さんもすでに御年94歳になられるんですね。いまから9年前85歳に上梓した本ですから、時代の錯誤はありますが、ご本人は気持ちはそんなに変っていないでしょう。読んでいてうんうんと唸るようなところもあり共感できる本じゃないかなと思います。人間最後は一人。仮に子供や嫁さんがいて悲しんでくれる
今朝は晴天す。寒暖差のある日々が続いていている。。ここ、数日間はこんなこともあり、探鳥どころではなかったので、久々ブログを開いたが。。春月よ本を読むから降りて来いあるとき酔っぱらって、橋を渡ていたら、春のお月さんがボ-ンと眼の前にあった。黄色く明るくでっかいのが。それで。「春つきよ」って呼びかけた、本当に声を出して。眼に映る景色を写し取る。映画のようなワンシ-ン。。シニアとなると様々の人生を経験し今がある。健康で元気な人、持病と向き合う人、そして要
ビジネスインフルエンサーや商業思想家と呼ばれる人々の言葉が、かつてないほど強い影響力を持つ現代。彼らの刺激的な発言は、停滞した社会に風穴を開ける力を持つ一方で、その「不安定さ」が多くの人々を翻弄し、社会のノイズとなっている側面も無視できません。なぜ彼らの意見はこうも揺らぎ、中身が薄く感じられるのか。その構造的な裏側と、私たちが持つべき防衛策を考案します。1.商業思想家が「不安定」になる構造的理由彼らの意見がコロコロと変わる背景には、思想的な深みよりも「市場原理」を優先せざるを
昨日彼氏様から何故自傷行為がダメな行為なのか、理由が聴けた。人間は傷を自然に治す能力がある。それなのに自分を傷付けてしまう行為は自然の摂理に反する、と。傷付いた傷がそのまま残るなら傷を付ける事にそんなに気にしなくてもいい。それに心が痛いから体に痛みを与えて痛みを上書きするって言うのも2倍痛いだけだと言っていた。確かに(`・ω・;)私には一旦立ち止まって整理する事が大事だと言っていた。自傷行為が何故ダメなのか、この歳でようやく分かった気がする。自傷行為に走ってしまうのはどうにかで
「何の不自由もない生活」――。それは多くの人が憧れ、目指す一つのゴールかもしれません。経済的な不安がなく、選択肢が無限にあり、思い通りの環境が整っている状態。しかし、実際にその「満たされた場所」に足を踏み入れたとき、私たちは予期せぬ息苦しさを感じることがあります。それは、一見パラドックスのような「不自由のない人生という不自由さ」です。なぜ、すべてが揃っていることが、私たちを縛り付けるのでしょうか。その正体について掘り下げてみます。1.「選べる」という名の重圧現代におい
1.「パンがなければケーキを」の現代的再来「生活が苦しいなら、副業をすればいい」「今の環境に不満なら、自己投資して転職すればいい」SNSやビジネスの場でよく耳にするこれらの言葉。一見すると前向きなアドバイスに聞こえますが、その本質はマリー・アントワネットが(実際には言っていないにせよ)放ったとされる「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」という言葉と何ら変わりません。パン(=今日を生き抜くための最低限の余力)がない人に対して、ケーキ(=環境を変えるためのリソースや投資)を
今の時代、どの組織も「若返り」や「ダイバーシティ(女性登用)」という言葉を掲げ、躍起になっています。しかし、その現場で起きているのは、清々しい進化ではなく、言いようのない「無理感」と、個の不在ではないでしょうか。今回は、組織が陥りがちな「目的と結果の履き違え」と、今本当に求められる能力の本質について深く考察します。1.「結果」を「目的」にすり替える愚まず、私たちが認識を正すべき大前提があります。それは、世代交代や女性登用は「目的」ではなく、正しく組織が運営された先に現れる「結