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朝食時、つけたままのTVから「沁みる夜汽車」が流れる。NHKの再放送番組らしいが、前にも一、二度目にしたことがあった。鉄道にまつわるちょっとした心温まるエピソード…という10分間の番組。今朝の題名は「乗客が見守った最後の電話~JR長崎本線」。主人公(投稿者?)の傍で中年夫婦が言い争っている。看護師の投稿者には、会話から親の臨終で病院へ駆けつけるところと分かる。妻は必死で夫に電話をかけるよう頼むが、車内であることを気にしてか夫は頑なに拒む。主人公が声をかけようかと躊躇っている
終末期の病棟に移ったので、私の臨終に誰が立ち合うかを決め、病院から連絡してもらわなければいけない。このような内容をブログに書く事は、不遜で不快に思う方もいるだろう。お許しを願いたい。臨終に立ち合う事を「看取り」と言うが、私は、これまで家族も親友も一人も看取ったことが無い。そして、私には家族がいない。もし、妻や子どもがいれば、看取って欲しいと思う。今年の正月、母が亡くなった。私は白血病で入院しており、看取れなかった。母は2年前から認知症になり何もわからない状態になっていたが、一人で寂
《新古今和歌集・巻第六・冬歌》644題知らず源重之白波(しらなみ)に羽(はね)うちかはし浜千鳥(はまちどり)悲しき声は夜(よる)の一声(ひとこゑ)☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆題知らず源重之白波の上に、羽を交わし連れ立って飛んでいる浜千鳥よ。悲しい声は夜の一声であるよ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
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まずは、謹んでご冥福を心よりお祈り申し上げます。御歳を考えると近いうちいつかは‥と思ってましたが、逝去の報にはやはり衝撃でした。百貫坊様に御塔婆壱七日から七七日まで願い出いたしました。あなたが『仏法の本義からいっていらない』とご本仏様を凌駕するような発言で否定された御塔婆供養です。大聖人様より多大なるご加護を賜われるよう祈っております。恐れ多くも、日顕上人様の御遷化の際、ご遷座式、御密葬式、御本葬に参列が叶い、慎んで御尊顔を拝させていただきました。日顕猊下のご臨終に対して云々申すな
特報・人類は遂にフリーエネルギーを手にした!フリーエネルギー機器発売!ZPowerがすべてを変えた!最後:ビデオ2019/01/14に公開ハザールの臨終が確実になってきました。これは凄いことです。我々はもう奴等から、べら棒に高い電力を買う必要がなくなります。原発も火力発電も風力発電もそして太陽光発電装置さえ必要がなくなったのです。コップ21もパリ協定も糞くらえ!石油メジャーよさようなら!原発マフィアグッドバイ・・・以上シェア♦
【御書本文】相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ(生死一大事血脈抄全1338)【通解】心して強盛の大信力を出し、南無妙法蓮華経、臨終正念と祈念なさるがよい。生死一大事の血脈をこのことのほかに求めてはならない。
幸せは現実世界が思い通りになることではなく、この心から善の思いを起こしてゆくことによって生み出される。これが仏教が分かるということです。これが分かれば、どんなに現実世界が思い通りにならなかったとしても、それに腐ることなく、いつも善いことに励むようになります。でも、多くの人は心の世界に気づくことはありません。それは罪悪によって、すでに不安に満ちた世界になっているからです。だから、不安を見ないようにする為に我を作り、我を崩さないようにして安心して生きているのです。そして、多くの人は我の世界
《世界の勝利の元后ーシスター・マリア・ナタリア・マグドラナー》死にゆく人を助ける方法「わたしを愛し、わたしのために命を捧げる覚悟ができている司祭たちよわたしの言うことを聴きなさい!魂が肉体から離れようとしている臨終の人のベットに呼ばれた時、文句を言ってはなりませんすべてを置いて、その魂を救うために走りなさい!」にほんブログ村
ダバオ市今月の電気料金、一時帰国で17日間不在デスタ、「ー5.32㌷/ー14円」「マイナス」デス。月末に届く請求書デスが、8月は届かなくて、仕方なく「Gcash/電子マネー」で、20㌷払い(入金)し、その過払いが「ー5.32㌷」いつの間にか、メーターNoも変わってて、『ァれ?』デスタが、支払い用の、「アカウントNo」はそのまま、それでボクのメーターNoと判り。なんか、ややこしいケド、ま、支払いナシでOK。水道料金、使用量1㎥計150㌷(390円)コレを
私たちは根底に見捨てられることに対する不安を抱えています。見捨てられることが怖いから価値を求め、自分は価値のある人間だから大丈夫だと安心しています。しかし、この価値のあるものは、死んで置いてゆくものばかりなので、臨終に価値を失い、価値のない人間になってしまう。そして、見捨てられるのではないかという不安を苛まれ、苦しみ続けなければならないのです。この見捨てられるのではないかという不安は、生きている間に解決しなければならないもの。その為には、価値を失っても、自分で自分を見捨てないようにしなけ
必死に走り救急の受付に飛び込むと少々お待ち下さいと言われ個室に案内された。すると救命処置をした医師が現れ「申し訳ありません。ご主人は最後の力を振りしぼり自分で救急車を呼んだ後、心肺停止となったようです。救急隊員と何とか蘇生しようとしましたが…」と言われその場にいた医師、看護師、救急隊員数名に頭をさげられた。なに?なぜ?どういう事?全く私は状況が理解できなかった。臨終確認をと促され処置室に行くと穏やかで綺麗な顔をした寝ているだけのような顔の主人がストレッチャーに横たわっていた。「〇時○
9月22日(金)国際サイの日🦏お早うございます♪シェアします😊山本周五郎の言葉です。「人生五十年〜」って言われてたのが、今では百年という時代になりました。短いのか長いのか人それぞれでしょうがただ、いつも思うのは自分の人生の責任は、自分にしか取れないって言うことです。あの人が悪いからとか国の政治が悪いからとか自分の不遇を嘆いては自分以外のもののせいにするのは簡単です。でも、結局それを受け入れたのは自分なんだから、嫌なら拒否すれば良いだけのことです。人からの悪口は
母親救急車🏥🚑️止めて❗このまま臨終可能性です❗AM8:30新しいケアマネージャー相談します❗そのままブログ止まる可能性です❗今までありがとうございました❗
びっくりした時、もう!寿命が縮まった、という定型分がある。今日国道を走行中、間近になってノロノロと脇道から出てきた白いワンボックスにイラッとして「30分寿命が縮まった」と言ったら、妻は「30分なら大したことない」とのこと。私は、「臨終間際の30分時短なら、苦しい時間が短くてお得🉐?それとも雰囲気台無し?」帰宅後、寿命が縮まるのは元気な時の時間か、病後のなくなるまでの時間か、設定はどちらかという設問をしたところ、おくゆかしい妻は「そんなの
おはようございます。9/5に病院から連絡があり仕事休んで即かけつけました。翌日、お姉ちゃん体育祭。末っ子宿泊研修。どうかもう少し待ってね。末っ子帰ってくるまで待ってね。母に伝えてました。お願いも聞いてくれて、先週1週間が終わりました。今週は仕事中に病院から連絡が血圧が測定できなくなっている。チアノーゼ有り。しかし、呼吸は落ち着いてます。早退して病院へ。手は思ってたほど冷たくない。昼前に弟も駆けつけ母と一緒にいましたが、なんの変化もなく落ち着いているので弟は仕事へ戻りまし
たまに、末期癌についてネットで調べてみたりします。ほんと、今さらジローラモなんですけどね。そうしたら、結構ヤヴァイじゃあありませんか…まあ、罹患後3年以上ですから、あたりまえだのクラッカーですね。食欲面にしても、やたらとしんどいことにしても。「そろそろ、さようならっ」な状態のはずなんですよね。うーん…なのに、今日も生きてますしな。本人ながら、「まだかいの?末期じゃないんか?」と思います。さすがに年は越さないだろうなあ。去年もその前もそう予測したけどだってさ、ステⅣっすよ、もう切
《新古今和歌集・巻第六・冬歌》600雨後冬月(うごのとうげつ)といへる心を良暹(りやうぜん)法師今はとて寝(ね)なましものをしぐれつる空とも見えず澄(す)める月かな☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆「雨後の冬月」といった趣を良暹法師今は、月も曇ったし夜も更けたからというので、寝てしまおうと思うのに、また、しぐれていた空とも見えないで、澄んでいる月であることよ。☆☆☆
《新古今和歌集・巻第六・冬歌》599五十首歌奉りし時寂蓮法師たえだえに里分(さとわ)く月の光かな時雨(しぐれ)を送る夜半(よは)の村雲☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆五十首の歌を差し上げた時寂蓮法師とぎれとぎれに、里を区別して照らす月の光であることよ。時雨を送る夜中の村雲で。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴︎✴︎✴
御教歌我が物の人の物のといふ物の持ちてゆかれぬ金はよそ物これは我が物、人の物だといっても、臨終の時に持っていけないものがあることをお示しの御教歌です。私たちはいずれ臨終を迎えます。その時、持っていける物が自分で決めることが出来れば良いのですが、その決定権は私たちにはありません。生きている間、一生懸命働いて貯めたお金ですら持っていくことは出来ません。では臨終を迎えたとき
https://ameblo.jp/takashi55hasegawa/entry-12818715423.html『十字軍の祈り第142番―死の準備』🛡️十字軍の祈り第142番―死の準備2014年3月22日土曜日14:00イエズス:もしあなたたちが死に直面せざるを得ないとき、あるいは愛する者が死に直面せ…ameblo.jp臨終洗礼というのは神父さまでなくても、どなたでも授けることができるのですが、実際に臨終洗礼をなさった経験がある方というのは、信徒の方でも、それほど多くはないと思いま
このワークにはもう一人参加者がいます。それは真理です。真理が最も大切な人、物、場所、習慣を私が代行して書いて伏せて置きました。そこに書かれたものは一つも破られないし、捨てられません。なぜならワーク体験者の名前が全部に書かれているからです。真理が最も大切なのは目の前の人であり、その人が大切な物、場所、習慣が真理にとっても大切なのです。このことを告げると、お話していた人は絶句して、しばらく言葉を失ってしまいました。薄暗い中、別れの曲が流れていました。
昨日の夜はお話をしている人と「死の体験旅行ワーク」をしました。簡単にいうと臨終シュミレーションワークです。無常観が感じられないというので身体にかけたワークを試みました。紙に自分が大切にしている人、物、場所、習慣をそれぞれ5つずつ書いて前に置いてひっくり返してもらいます。部屋を暗くして静かな音楽をかけます。設定は仕事をしていた自分が急に体調不良になり、検査をして二週間後に末期ガンで余命幾ばくもないことが判明します。死が迫り今までできたいたことができなくなるとき、目の前の20枚のカードを破
テレビドラマなどを見ていると、親の臨終に立ち会う場面がよく見られます。親が死ぬ瞬間に立ち会っているわけです。私など、死ぬ瞬間にどれだけ意味があるのか理解できません。私から見ると、心臓が止まって死ぬのを今か今かと待っている感じに見えるのです。さて、大切なことは普段元気な時に、別れの時が来てもよいように接していることでないでしょうか。有名な小説家の吉川英治が、「仏壇とはアtの祭りをするところ」と言ってます。生きていた時に十分なことをやっていないので、死んでから仏壇
《新古今和歌集・巻第六・冬歌》592題知らず中務卿具平親王もみぢ葉(ば)をなに惜しみけん木(こ)の間(ま)より漏(も)り来(く)る月は今宵(こよひ)こそ見れ☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆題知らず中務卿具平親王紅葉の散るのを、どうして惜しんだのであろうか。木の間から漏れてくる美しい月は、紅葉の散った今夜、初めて見ることだ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「医師は病(病人)を管理するために存在する」医師の行う管理とは何かすることで、治すことではない。管理は時代や場所によるという衝撃的発言を現役医師から聞きました。生死を超える身に今生で必ず救われ、三世十方を貫く真理を管理せず、きづきを促すのが宗教者です。何の不思議か無始からの無明業障の怖ろしき病から今生で離れ、生死を超えた宗教者は臨終まで、全人類が同様な体験が出来るよう話し、書くことを使命とします。この体験の有無がその後の人生を決定付けます。真理との邂逅の体験がある迷いを抜けて目覚めたらわ
真理との邂逅がしたいではずっとしたい状態で臨終まで行くので、真理の中に既にいますとこころに刻み続けたら、ふっとそうなった時が来ます。それだけです。この人生は全て迷いでそこから抜けると定まったなら、必ず真理の世界に出られます。必ず。だから出ましたと続けて繰り返し心に落とし込んでください。自身の臨終、成功率が低い手術の前なら、その時自分が生死を超えて真理との邂逅を果たすのに身体を通して自分がいま何ができるか試みてください。真理は既にそこにあります。自力が精も根も疑いも尽き果てたとき別の地平
《新古今和歌集・巻第六・冬歌》587千五百番歌合に、冬歌源具親今はまた散らでもまがふ時雨(しぐれ)かなひとり古(ふ)りゆく庭の松風☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆千五百番の歌合に、冬の歌源具親初冬の今はまた、木の葉が散らなくても、時雨の音かと聞き誤られることよ。ひとり、古くなっていく庭の松の風の音が。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆