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名前?いやそれって君っていう物語の題名だろ?僕のはゴンタ3号っていうの悲劇で喜劇で疲れるけど面白いかなシナリオなしで演じなきゃいけないんだよねえ?みんな同じだって?それ渾身の演技なの?なんだリハかと思ったよごめんごめんそれでね結末は臨終なんだけどそれ以外わからないんだよねなんかワクワクするよそれも同じかぁやっぱそうなんだぁねえ教えてよ君の物語名前をね戸籍とかのじゃなくてさ使い捨てのハンドルネームとかじゃもちろんなくてそう魂の名前の方のね
夜寝る前、読むべき本がない場合、私は日本の民話集をよく読んでいます。最近、あらためて目から鱗だったのはアイヌです。というか、これに関するすごい事実を発見したのですが、その内容はこんなブログで公開するような内容ではなく、本が書けそうな発見なので公開はしません。「少なくとも、私の中での絶対的事実は、日本の民族の中でアイヌが一番優れているという事実です。」松前藩や明治政府のヤツラは最低。昭和に入ってもか…アイヌの習俗の中に、イオマンテというのがあります。説明するのめんどうなの
特報・人類は遂にフリーエネルギーを手にした!フリーエネルギー機器発売!ZPowerがすべてを変えた!最後:ビデオ2019/01/14に公開ハザールの臨終が確実になってきました。これは凄いことです。我々はもう奴等から、べら棒に高い電力を買う必要がなくなります。原発も火力発電も風力発電もそして太陽光発電装置さえ必要がなくなったのです。コップ21もパリ協定も糞くらえ!石油メジャーよさようなら!原発マフィアグッドバイ・・・以上シェア♦
歳をとるとね、やはり忖度もされますしね、あまり若い人を潰すかのようなことも、しないしね。で、、かつては凄い美人だった家内もね背中がまがり、肩を落としたおばあちゃんに、なってしまうね。それが、人生の年月でしてね。だから、まあ、にんげんはもう、50才を超えるとね、よほどの政治家みたいなさ、水戸黄門みたいなこと以外には、もう、できなくなるのよね。。そこでね、みんな、先輩がみな死んだあとにね、じぶんが偉くなっていた、としてもさ、愛妻も病だったり、するわけだからさ。奧さんを
212年18日暦の上では秋ギリギリの所で夏の暑さを乗り越えた母の身体はボロボロになっていた食欲なんて湧かないかもしれない(食欲という本能的欲求が無くなるのかも知れない)、でも夏の残り物で作ったボワゼリー🍓は食べてもらえた。そして夜兄貴/アサンタ/あたし、そして旧友エゴン・ガリアルド氏が見守る中、いよいよ…最期の時を迎えた薄れゆく意識の下、何とか最後の言葉を発して安らかな顔で眠るように息を引き取った212年18日、アルディス・チュリキン死去享年23(69歳相当)普段は迎えに来
今日は大好きだった祖母の命日。人は天に生かされているんだなぁと学んだ日でもあります。「親の死に目に会えない」の意味を間違えていて後悔の念を抱いている人自分を責め続けている人それは違いますよ。本来の意味を知れば、あなたは孝行息子、孝行娘だと分かります。笑顔で令和最初のお正月を迎えましょう
こんにちはあなたはあなたのままでいい介護者介護職応援コーチの恵子です義母が入院から旅立ちまでのこの半年振り返ってみてあらためて対人援助の自分の仕事について考えました人それぞれのその間のいろいろな状況に合わせて援助する仕事病院の先生、看護師さん、介護士さんワーカーさんなどなどそれぞれの機会に支援してくださったり相談にのって専門的にアドバイスをくださいました私達家族が不安、戸惑いでいっぱいの時どんな言葉や態度で救われたか心に残るのは『その人自身として患
家族の死に目にあえなかった。もっと家族にできることがあったのではないか。私も遺族外来を行っていますが、それらのつらさを伺うことはしばしばあります。特に日本では心停止や呼吸停止をもって死と判断する傾向が強く、その瞬間だけに間に合わないと衝撃を受けるご家族も少なくないと感じます。しかし本来看取りとは一連のものであり、ある一点を指し示すものではないですし、むしろ臨終よりも前にできることはたくさんあるのです。また「何もしてあげられなかった」と悩んでいるご遺族の話を第三者として伺うと、非常に多く
2019年12月20日(金)午後9時00分某病院にて母が旅立ちました。入院して10日目の事です。病院から呼ばれた時には間に合わず死に目には間に合わなかったのですがモニターも0を指しており、旅立ったばかりだったのかまだ温かかったんです。死亡原因は胸膜炎及び無気肺入院した時には左肺が胸水で肺が完全に潰されており、体力が無いためにドレナージをするにもリスクが大きいので薬を使って様子見している最中に急変しましたからね旅立つ2週間前に施設で会った時、「お父さん頼むね・
Vol.147こんにちは!遺言コンシェルジュの長谷川幸子です。(^_^)/現在も被災している皆さまに心からお見舞い申し上げます。「一般臨終遺言」以前ご相談を受けた事例をご紹介します。森山さん(女性:仮名)のご主人は不運にも交通事故に遭われてしまいました。救急車で病院に運ばれて今にも命がなくなるという状態だったといいます。救急車の中で、付き添っていた森山さんに、遺言しておきたいことがあるとおっしゃったといいます。すぐに意識を無くされて遺
亡くなった日の明け方、母からの電話で起こされた。「お父さん、血圧測れないくらい落ちてきてる。できるなら、早く来て。」もともと、この日朝から向かうはずだった。時刻は午前3時半過ぎ。慌てて、夫と子供たちを起こし支度をしてもらう。私は震えが止まらない。まだ真っ暗な中、140キロ先の地元へ出発。悪天候で、もし夫がいなければ、無事にたどり着けたかどうか…病院に着いて、父はまだ逝かずに待っていてくれた。何度も呼吸が止まっては復活し、心電図が平坦になっては復活し。まだまだ死にたくなかった父の
2019/12/6発行夕刊フジドクター和の臨終図鑑中曽根康弘元総理大臣
雑感今週も強い気持ちで焦らず怒らず淡々とよく考えて決定したことは途中で考えを変更しない参照引用偉人の言葉人間が臨終に際して、子孫に熱中する心を伝えることができれば、無限の価値ある財産を残したことになる。トーマス・A・エジソン限りなく心を打ち込んでかかれる事柄であれば、人間はたいていのものに成功できるチャールズ・シュワップ強い信念によ
ついこの間100才を迎えたおばあちゃん肺炎から入院生活を送っていて交代で付き添っていたのですが昨夜安らかな眠りについてしまいましたその日の私は仕事帰りに公園にウォーキングに出かけて野良ちゃん(多分)と仲良くなり、うちに帰って夕食を作って、食べてそんな普通の一日を過ごしていた夜に突然、病院からおばあちゃんが危篤との連絡。病院の近くに住んでいる私が真っ先に駆けつけてから数分で息を引き取ってしまいました。延命措置を希望していなかったので、しばらくして先生がいらっしゃって説明をしようとし
今年もあと1か月わずか(ちっちゃな月がみえるかな~)人が死を迎えるとき死ぬときに後悔するそんな風に聞いたり、思ったりすることあります後悔するといっても何を後悔するのかそれは、どうしてやらなかったんだろうしなかったんだろうという後悔だそうですあんなことしなければよかった、という行ったことに対してではなくやらなかったこと行わなかったことに対しての後悔行い
りた市民葬祭の香西文章です。本日もブログをご覧いただきありがとうございます。本日の大阪は曇りでした。明日からお天気がくずれるようです。体調にはご自愛くださいませ。さて、末期の水(まつごのみず)はご存知でしょうか?臨終近い人の口をしめらせてあげる水のことです。(現在では臨終後に行います)末期の水をとることによって家族は肉親の死に直面する心がまえをもちます。末期の水をとる順番ですが、臨終に立ち会った方全員が、故人の口をうるおしてあげます。(新しい筆か、箸の先に脱脂綿をまきつけ
延命拒否って言葉に抵抗を感じてきた。延命という人間の努力、親切、そして生きるチャンスを拒む、ってことをイメージさせる、厄介な医療用語。自分の大切なひとに、一分一秒でも長く生きてほしいのは人情で、「延命やめてください」と言うのはね、苦しいのよ。延命は「標準治療」と思われてる。断らない限り延命やりますっていう社会の常識があって、臨終のとき心臓マッサージを受けないのは非常識、手落ち、みたいに思われるかもしれない。静かな臨終を迎えることは社会の非常識なのか。そんなにわるいことな
209年1日〜2日あたしは無事農場管理会への復帰を果たしたどんな状況でも時間は正確に流れるし、生きとし生けるものの意思とは無関係に新年を迎える今年は白夜があって、エルネア杯が開催される両親ともに出場予定ただ、父は白夜まで保たない…取り敢えず出掛けようデートまたデートまたしてもデート!デート三昧で1日を過ごした翌朝父、危篤覚悟はしていたけど…取り敢えず差入れを携えて実家へ急行あんた等、こんな時に何してんのw一気に肩の力が抜けた…2人とも別れを恐れていないみたい小康状態
命には始まりがあり、終わりがある。それは自然のこと、自然のお約束だけど、死を受け入れがたいのはひとの常。残酷とか厳しいとかさびしいとか、思うのはひとそれぞれ自由だけど、自然界では常識といっていい。ところで日本の医療現場では、病気の進行で衰弱し、回復の見込みの立たないひとが、過酷な手術を受けて手術死を迎えることも少なくないらしい。臨終間近というときに心臓マッサージなどの救命措置が、とられたりするのも標準だったりするらしい。人生さいごを静かに迎えたいと私は思うほうだけど、
皆様、こんばんは。私事ですが、真面目な話です。興味のある方だけどうぞ😆👍️➰正直今、私は先行き不安でなりません。父はかなりのお歳です。それにもかかわらず、元気に毎日のように出掛けているのは、スゴいことです。私は心身弱くて、どちらが若いのだか本当、わからなくなります。私はハッキリしていて、寝ないと持たない人です。眠りの足りない日は、体調悪くてなりません。今日は比較的、よく眠れたのですが、やはり、直ぐに疲れてしまい、電池切れになってしまいます。今日も父は1日出掛けておりまして、
みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとただにいそげる学生時代に習った斎藤茂吉さんの一編の短歌。まさに現実のこととして体感しつつ。どこか、ドラマの中の出来事のような。遠く遠く。故郷は、ただただ、遠く。焦るあまり切符の券売機を押す手が震え購入したい路線の切符が買えず。乗り込んだ東海道新幹線。車窓の景色は何一つ目に入らず。東京駅で乗り換え。東北新幹線へ乗り継ぎ。もう少しもう少し。あと2時間。不意に鳴る電話。旦那さんから。「・・・
おはよーございますここ1週間ご無沙汰でした。実は・・・義父が亡くなりました。生きてれば今日89歳の誕生日、大きな病気もなく、天寿全うしたと思います。10月1日に、誤嚥性肺炎の入院から一旦退院でき、特養に戻っていました。その2週間後くらいに、タンの吸引回数が増え呼吸が安定せず、場合によっては再入院、の連絡が来ていました。その後落ち着いたのでしばらくはまた特養で様子見、食事をさらに半分に減らし・・・、となっていました。10月末にもう一度特養にダンナおじを連れて行きました。おじがム
今朝、徳川家康が亡くなりました😅大河ドラマ「徳川三代」の再放送です日曜日早朝6時からの放送なので録画津川雅彦、西田敏行の家康秀忠親子が国政を論じる時、ドラマといえその説得力に納得してしまいます。国家とは何ぞやそれはしくみであるしくみを活かすのは法度である(だったかな?)沢山の重い言葉がありましたドラマの演出だとは思いますが臨終の床で、家康は秀忠に鼓を打たせます他の番組でもやってましたが偉大な親を持った秀忠はストレスの解消に鼓を打っていました家康はこれを嫌い度々そんな事はす
10月に入って比較的穏やかな日々を送っていましたが、父の体はどんどん癌に侵されていき、ついに全身に癌が回り痰に血が混ざるようになりました。吐血したら教えてくださいとも言われました。眠っている時間も徐々に長くなってきていました。それでも、目動かしてみてと言うとパチパチしたり?鼻動かしてと言うとムグムグ動かしたり、笑って!口角上げて!と言うと、ちゃんと言う通りに顔の運動をしたりもしてました。具合悪そうなのに、私の無茶振りにも応えてくれる、いつもらしい父が見れたのも嬉しかったです!父が話せな
ども、待ちきれなくて由真ちゃん同人誌を横浜某倉庫まで送り込んだえみしです。費用捻出のため、大事なドール(プチブライス)を売りました。10000円でした。宵越しの金は続かないなぁ・・・(T▽T)デビューを夢見て26年以上、いつまで経っても素人作家です!!もはや、プロ作家は無理だよね~~~・・と、諦めきれたらいいのにね。そこそこ幸せだから、いいか・・・・小説とか書けるし、発表する場は限りなくあるし、それこそ、同人誌出すお金ためればいくらでも本は出せます。だから・・・やめられないんだよね、
(現金書留でギャラを下さるスタジオさん・・嫌いじゃないです(笑)そして私宛の郵便、「星汝真希」でも届きます。本名違うけどね)(同じスタジオさんから昨日受け取った現金書留大雨だったからビニール包装、郵便屋さんありがとう・・。)皆さまこんにちは。この写真のギャラの分の作品は自分で見られない私です(つД`)ノ他地域で流れているはずですのでその地域の皆様宜しくお願い致します。さてさて、明日が宙ぶらりんな星汝です最初に入っていたスケジュールがちょっと大切だったので芸能スクー