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今年も武蔵野赤十字病院の新入職員研修で「温かいコミュニケーション」について、講演しました。話している内容が新人(それも緊張している)には少し難しいのではないかと毎年気にかかっているのですが、あまり「分かりやすい」ことを話すのもかえって失礼だという気がして(それに、言いたいことが少しずれてしまいそうで)、今年も同じ内容で話しました。それでも毎年新しいスライドが増え(このブログで書いていることから言いたいことが出てきます)、それに応じてこれまでのスライドやこれまで話していたことを減らすとい
共同親権が導入される民法改正案が衆議院を通過しました(今国会で成立しそうです)。いろいろな政治の“力学”が働いているようですし、一部修正は行われました(一部修正ではだめだと反対して、全面的に政府与党の思惑通りになってしまった入管法への反省があったのでしょうか)。とはいえ、あれほど法曹界や当事者から多くの懸念が表明され危惧されているのに、こんなに短い審議時間(=内容が薄い審議)で良いのでしょうか。その問題点や反対の動きについてのマスコミの報道も多くないので、問題点について知らない人
「医師の「上手い」コミュニケーションを、ACPが円滑に進むことにつなげたい」という趣旨の文章の後ろには、医師の説明の際にしばしば同席者と患者さんとの間に齟齬が生まれ、同席者が「うまく診療に参加できない」場合があることや、ふだん同居していない家族などにも「適切に役割を果たしてもらいたい」という思いがあるようです。そこに「患者さんの意志を尊重したい」という思い(タテマエ?)があるのは確かですが、「うまく参加してほしい」「適切に役割を果たしてもらいたい」という医療者(の都合)中心の発想が見え
ACP(アドバンスケアプラニング)が円滑に進むように、医療コミュニケーションを分析するという文章に出会いました1)。どうすれば、医療者が患者さんをACPにつなげる「仲立ち」をうまくできるかということをめざしてのことのようでした。そこに「多くの高齢者は終末期において住み慣れた家で穏やかに最期を迎えることを望んでいる」と書かれていたのですが、それだけで私は躓いてしまいました。「客観的」な文章のようですが、さりげなく価値判断的なことを言い、ある方向に「誘導」しようとしています。「住み
福田健さんが、『コミュニケーション・センス人間関係を豊かにする心と会話のスパイス』(文香社2001)という本の中で、作家/畑山博さんの言葉を紹介しています。「やさしさとは、品のいい思いやりのことではないかと僕は思っている。①それをしたら相手がどんなに慰められるかということが一つ。②そしてもう一つ。それをしたら相手がどんなに傷つくかということに敏感になること。その二つではないだろうか。」福田さんは、「朝食は八時半までです。八時半を過ぎると食堂を閉鎖します」という研修会館の館内放送を
会話分析の誕生は、社会学者のE.ゴフマン(1922-1982)に大きく影響されています。(『行為と演技―日常生活における自己呈示』誠信書房1974、『儀礼としての相互行為―対面行為の社会学』法政大学出版局1986など)人は、自分が接する人(単数/複数)に対して、自分の面子を保とうとして「演技」―「印象操作」をします(望ましい印象を強調し、望ましくない印象を隠ぺいしようとする/計画された「なにげなさ」)。目の前の人(たち)は自分の演技空間の観客(オーディエンス)です。相手に応じて「演技」
娘はアジアで2週間の臨床研修中。研修と言っても見てるだけなので…お友だち作り?夫がお世話したことがある現地ドクターを呼び出して、ちゃっかりご馳走になったりしている。積極的なのはいいところ。本当はアメリカのトップ校へ行きたかったらしいけど、そこが受け入れをやめてしまったのでアジアのトップ校へ。帰りは隣国を観光して帰ってくるそうな。いいご身分ですねえ〜。と思ったら、アジアならではの、ご遺体を使った手術のトレーニングをさせてもらえているそうな!私なんぞ想像
“言葉”についての、いろいろな言葉。(〈2022.8.25病むとはどういうことか(11)通過点の光景〉にも書きましたが、それに追加しています。)神田橋條治さんは、道元の“不立文字”という言葉を「真実は言葉では捉えられない、言葉を使えばかえって真実から遠ざかる」という意味として紹介しています(禅の教えとは少しずれるところもあるようですが)。(『神田橋條治医学部講義』創元社2013)「人は、言葉を、真実を表すために語るのではない。人はウソを作り出すために言葉を用い、隠れるための城
語ろうとしない患者さんは分析者の視野から抜け落ちてしまい、その思いは宙に漂うばかりです。仏教では「最も愚かなコミュニケーションは言葉である」と言うそうですし、コミュニケーションの裏をかくのも言葉です。自分の言葉が分析されていると感じたら、それだけで不愉快になってしまう人もいるかもしれません。「ちゃんと言葉にして語り合わなければ、通じるものも通じない」ということも確かですが。精神科医の宮地尚子さんが提唱する「環状島」は海に浮かぶドーナツ状の島で、内側に内海があります。(『環状島=
自分が病むという「嵐」の中に患者さんはいます。聞いたこともない医療用語に取り囲まれます(ネットや本で調べると、ますますわからなくなります)。医療者に向かって何をどう話せばよいか分かりませんし、「適切な言い方」を考える余裕もありません。そのような中で「口走ってしまう」自分の言葉が「緻密に」分析されるのは、楽しいことではありませんし、ますます何も言えなくなりそうです。患者さんは、・思っていることを話すとは限りません。・言いたいことがあっても我慢して黙っているかもしれません。・思ってい
(以下は〈2022.5.27〉に書いたものに加筆したものです。会話分析については〈2022.11.11〉にも書きました。)コミュニケーションというと、どうしても言葉のやり取りに受け止められがちです。「話す人」、「聞く人」、その間を媒介する言語の三者の関係として。話す人が、それまでの人生を踏まえてその言葉にどんな「思い」「意味」を込めているのか。たくさんの意味合いをはらんでいるその言葉は、どの意味を、どのように、どれくらい伝えられるのか。言葉を聞くほうは、それまでの人生を踏まえてそ
こんにちは。ワークライフバランス支援センターです臨床研修医や若手勤務医を対象にしたシンポジウムのご案内です。日本医師会は、5月11日(土)午後1時30分から「未来ビジョン〝若手医師の挑戦”」と題したシンポジウムを開催します。若手医師の取り組みを参考に、国民の信頼に応えていく医療の在り方について考える機会にしてもらおうと事例報告や意見交換が行われます。当日は日本医師会公式YouTubeチャンネルにてライブ配信が行われるとのことです。詳しくは日本医師会の公式サ
本田美和子さんは「「広い面積で、ゆっり、優しく」触れること、これがユマニチュードの『触れる』技術の核心です」と書いています(『ユマニチュード入門』医学書院2014)。以下は、〈2022.5.27~28「「ふれる」ということ」〉に書いたことの一部です(少し加筆)。人間の五感の中で視覚と聴覚とは高級感覚とされますが、それは「対象から距離を置いている」感覚でもあります(鷲田清一『メルロ=ポンティ可逆性』講談社19971))。視覚は、見る者-見られる者の接触不可能性を基礎にしています。
認知症ケアについて“ユマニチュード”ということが言われるようになりました。以下、LIFULL介護ホームページからユマニチュードとは「人間らしさを取り戻す」ことを意味するフランス語で、フランス発祥の認知症のケア技法のことです。「人間らしさと優しさに基づいた認知症ケア」を表現する言葉として、日本でも注目を集めている考え方です。“人間は生まれながらにして自由であり、尊厳と権利について平等である”という理念を実現させる手段としてケアの技術を捉えているのがユマニチュードです。
アサーション・トレーニングも一時流行りました。自分自身を大切にすると同時に相手のことも大切にするさわやかな自己主張のことと言われます。平木典子さんによると(『自己カウンセリングとアサーションのすすめ』金子書房2000)、自己表現には4つのスキルが必要だとのことです。自分の気持ち・考えを正確にとらえる周囲の状況や相手を観察する要求や希望を明確に表現する言葉以外の信号を活用するそして
“コーチング”を職員教育に取り入れる病院が出てきてから、だいぶ時間が経ちました。奥田弘美さんは、コーチングのポイントを次のようにまとめています1)。(『メディカルサポートコーチング入門―医療者向けコミュニケーション法』日本医療情報センター2003)〈コアスキル〉聴くこと人は聴いてもらえないと動かないので、相手の話は最後まで聴く/白紙の心で聴く。質問する相手の中から考えや行動を引き出すために、開かれた質問/未来型・肯定型質問で
研修医教育についての講演スライドの続きです。こんなことをお話ししていたこともあります(最近ではこのスライドは使っていません)。【軽度発達障害の子どもとの接し方】・「悪い子」のレッテルを貼らないほめて、「やる気」を出させて、頑張らせる好ましい行動⇔褒められる⇔さらに頑張る・予告してから、本人の注意を引いて、きっぱりとわかりやすく指示、少しでも従ったら褒める・CCQ穏やかにcalm近くでclose落ち着いた声でquiet・してほしくない行動を注目せ
研修医教育についての講演スライドの続きです(私のオリジナルではありません)。【臨床教育における効果的なフィードバック】1.共通の目標を認識した上で、批判的でない雰囲気で行う。2.フィードバックの時期を考慮し、学習者の受け入れやすい時に行う。うけいれやすい状況を指導医がつくる。3.直接の情報をもとに行う。4.修正可能な行動に対して、どのような修正が望ましいかと明らかにする(一般論で述べない)。5.評価とフィードバックの違いを考慮し、
研修医教育についての講演では、次のようなスライドを入れています(現役でなくなった最近では、指導医養成講習会の場を除いてこのテーマで講演することはなくなりました)。指導医の仕事・研修医の力を信じて、バックアップする・研修医の力・素質を引き出し、個性を伸ばす・研修医ともに学ぶ(学ぶ姿勢を伝える)・研修医とともに悩む(患者への姿勢を伝える)・研修医とともに成長するその根底には、研修医への敬愛が必要望ましい医師の姿を、自分の姿勢で伝える・
初期臨床研修修了には、ある程度手技に習熟しておく必要があります。なかなか手技の機会に恵まれないこともあるため、オリエンテーションでリハーサルしておきます。本日は、新センター長の大藤先生指導の下、気管挿管の実習を行いました!みんな真剣に取り組んでいました!包帯法、三角巾もマスターしました!
北陸新幹線が敦賀まで開通しました。金沢や福井、富山には何度か行きました(そもそも妻の実家が金沢です)。初めて行った時には、上越新幹線で長岡経由でした。京都から行ったこともあります。1997年に“北越急行ほくほく線”ができてからは、越後湯沢経由で行くことになり、早く着くようになりましたが、日本海が見える時間は減りました。2009年には3回も金沢で講演しました。1回目の講演の帰りには寝台特急「北陸」で帰りましたが、間もなく廃止になってしまいました(2003年鹿児島大学講演の帰りに
つい先日、武蔵野赤十字病院に行った折、偶然、医学教育にも熱心な若い救急医に久しぶりに会いました。「最近の研修医はどうですか」と尋ねたところ「なんか、ビジネスライクになってきている感じですね。課題をこなして、それで終わりという感じの人が増えてきて、“ハートフル”1)な医療をしようという感じではなくなってきているようです」と言われました2)。がっかりしないわけではありませんでしたが、むしろ「やっぱり」という気がしてしまいました。医学教育では、教えられる(学ばねばならない)ことがいっ
ベッドサイドを離れて1)の談笑(前回書いたことです)によって医療者の緊張が解きほぐされることで、頑張れるということがあります。それでも「陰で患者さんのことをあしざまに言ったり、笑い話にすることは、必ず医者の退廃に繋がります。「P(精神疾患)が来ちゃった」「生保だって」といった言葉が、研修を開始してしばらくすると、研修医たちの間でも救急外来で交わされるようになります。患者さんの「勘違い」を笑うようになり、患者さんの言動を小馬鹿にしたりします。しばしば面と向かって「フンッ」と鼻で笑
卒後臨床研修センター副センター長の西ですこの3月末で長年勤務していた徳島大学病院を退職いたします。H20年に卒後臨床研修センターに初代専任医師(副センター長)として配属されてから早いもので16年も経ちました試行錯誤しながら喜怒哀楽に満ちた毎日でしたが、とにかく楽しかったです。お世話になりました沢山の方々に御礼申し上げます。私と一緒に研修医のお世話をしていただいた歴代のスタッフや事務の皆様には本当に感謝しかありません。そして何とか長年続けてこれた最大の功労者は、やはり研修医たちのお陰
にのさかクリニック公式ブログ、略して「にのログ」院長二ノ坂建史です。年度末です。今月は、当院が研修医を受け入れている3つの病院の「臨床研修管理委員会」に出席し、当院に来てくれた全18名の研修医の研修修了を承認してきました。今年度も、毎月1または2名の研修医が来てくれました。皆、当院での1ヶ月を楽しく過ごし、多くのことを学んで、感じてくれました。彼らの感性や謙虚な姿勢から、私たちが学ぶことも多くありました。4月からは、皆それぞれの新しいステージで活躍してくれる
ずいぶん前のことですが、医師向けの情報サイトで「最も非常識な患者やその家族の言動」を医師に尋ねていました。このようなサイトそのものが5ちゃんねる的なので、まともに取り上げるのもどうかとは思うのですが、その中に「部屋の外で談笑するな」というものがありました。「談笑」という言葉で、40年以上前のことですが、ある母親の言葉を思い出しました。「器械がつながっていた頃の思い出で、気になることがあるんです。ナースステーションで看護婦さんや先生が何か楽しいことを話しているらしくて、みんなの大
広島市長が職員教育に教育勅語を用いていることが話題になりました。「教育勅語」には良いことも書かれているという人は、少なくありません(すべてを肯定するような政治家は論外ですが)。「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ(父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲良くし、夫婦互いに睦み合い、朋友(ほうゆう)互いに信義をもって交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及ぼすようにし、学問
「患者(家族)って、ずいぶん時間が経って、忘れたころに“文句”を言ってくる」とSNSに書いている医者がいました。事故があった時、診療のプロセスに不満があった時に、当の患者さん/家族はすぐに“文句”が言えると思っているのでしょうか。医者は忘れていても、患者さん/家族は忘れてはいません。性犯罪被害者に対して「どうして、ついていったのか」「どうして、その場で拒まなかったのか」「どうして、すぐに訴えなかったのか」といった言葉が投げかけられるのと、同じ構造がここにはあります。「すぐに言えばよ
古田哲也さんは、謝罪には「混んでいる電車が揺れた時にたまたま隣の人の足を軽く踏んでしまう」ようなときの「軽い謝罪」「たまたま相手の大事にしている花瓶をくこわしてしまった」ようなときに必要な「重い謝罪」とがあると書いています。重い謝罪の場合には、「それにみあう言葉遣い・態度、速やさ、責任の所在、償い」、つまりは誠意が求められるのです。(『謝罪論謝るとは何をすることなのか』1)柏書房2023)医者の謝罪がしばしば受け入れられない、かえって不快なものと患者に受け止められるのも、医者と患
ある対談集で「アイヌの出自をお持ちでオートエスノグラフィーを書かれた石原真衣さんが・・・」という言葉が出てきたところで、私は少し引っかかってしまいました。石原さんはアイヌのクォーターですが、アイヌとして育てられてきてはおらず、そのような自覚も持っていなかったそうです。でも、自分の出自を語ると、とたんに周囲から「アイヌ」として認定され、「アイヌとしての自覚が足りない」と責められたりしたとのことです。そのような彼女は自らのアイデンティティに悩み続け、そのことが『〈沈黙〉の自伝的民族