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〈2022.4.25「セルフ・パターナリズム」〉の再掲です(少しだけ加筆しました)。ACPについて、「将来の意思決定能力の低下に備えて、患者の意向を叶えるために話し合うプロセスの全体」と説明している文章に出会いました。「(今の自分より)意思決定能力が低下してしまった」未来の自分は頼りなげですし、今のうちに自分の願いを言っておかなければ医者からとんでもないことをされてしまうかもしれません。そのようになったら周囲の人から尊重されないかもしれないという懼れもあります。そうした思いが「今
斜めであっても「上から」であれば、パターナリズムを免れないのではないでしょうか。信田さよ子さんは「パターナリズムは、二つの要素から成り立っています。それは、「相手の意志と自分の意思が一緒であると思うこと」と、「自分の好意は善意と良識に従っていると思うこと」ですね。」と言っています(『なぜ人は自分を責めてしまうのか』ちくま新書2025)。「権力は状況の定義権である」とフーコーは言います。医者自身、患者さんに対して自分の「力」が大きいことはわかっています。でも、「権力」の圧倒的な強
〈2022.11.1「サーバントリーダーシップ」〉の再掲です。少し加筆してあります。「チーム医療」とは、たくさんの診療科の医師が集まってすることだと思う人はもういなくなったでしょう。でも、チーム医療は、受け持ち医師が中心になって、他の医師や看護師、その他のメディカル・スタッフが集まって患者さんのことを考えることだと思っている人はまだいっぱいいそうです。「医者はリーダーとして・・・・」というような言葉は、いまだに耳目にします(研修医採用試験でそのように言う医学生もいました/今はどうでしょう
松本卓也さんは『斜め論空間の病理学』(筑摩書房2025)で、「「指示」という上からの・・・・垂直的な権力の発動」は、同時に「「わたしはあなたの味方です」という水平的な横のつながりを前提としたものでなければならない」と書いています。ブレイディみかこさんは「人間って、水平な関係性のなかじゃないと、互いをケアしづらくなるんです。垂直の関係性のなかにもケアはありますけど、それは結局、義務や命令、支配や被支配にもとづくものになって、人間の本性にもとづく思いやりとか、誰かを放っておけないとかい
〈2022.11.13「「ことばを交わす」おつきあい」〉の再掲です。コミュニケーションにあいまいさは避けられません。人は、自分の想いをある言葉に託しますが、想いが言葉にぴったり納まるわけではありません。はじめから心と言葉はずれています。ある言葉に込める(思い浮かべる)意味は人によって異なりますから、言葉を受け取る人の中で言葉は話した人の想いとずれます。自分の心には、自分で意識できる部分以上に、自分にわからない無意識の部分があります。言葉にならないところで心が蠢いています。
私がコミュニケーションについて考えだしたのは医者になって間もなくからのことでした。患者さん(家族を含む)の人生をかけがえのないものとして尊重する医療を行いたいと思って医者になったのに、現場のコミュニケーションを見ているととても患者さんを尊重しているとは思えない事例を見聞きしました(医者に限ったことではありません)。なによりも自分自身が問題でした。患者さん(とりわけがんの子どもたち)の親御さんとのお付き合いが「うまくできない」ことに悩むことが少なくありませんでした。看護師たちとの間で
〈2022.7.2「並んで同じ方向を見る」〉の再掲です。医学的に正しいと思われることを説明しても、患者さんが納得してくれないことは珍しいことではありません。そんなとき、どうしても医者は自分がいかに正しく適切な判断をしているかを必死に伝えようとしがちです。でも、そうすればするほど、相手の人は遠ざかります。「あなたはわかっていない」「あなたは間違っている」とばかりに「正しい」こと(「あなたはこのようにすべきである」)が迫ってくることは、しばしばその人にとっては攻撃的なものと感じられま
もうずいぶん前のことですが、医学教育学会の演題で、患者さんへの親近感について、電子カルテの端末をどちらに(患者さんの側か医者の側か)置くかというものがありました。「どちらが良いかというエビデンスがない」というようなことが言われていたのには少し驚きました。エビデンスというより医療者の姿勢として、端末は患者さんのそばに置いて、患者さんと医療者が同じ画面を一緒に見ることができるようにすることが、医療を患者さんと医療者とが一緒に行っていくために必要なのだと私は思っていましたから。だからこの
〈2023.10.10「お医者さま」?〉の再掲です。かなり加筆修正しています。テレビなどを見ていると、いまだに「お医者さま」と言う人がいます。目の前の医者に対しては「先生」1)と言う人が多いので(「○○さん」とは言わない)、総称として用いられる場合の言葉です。「お医者さま」という言葉が心から尊敬してのものだとも思いにくいのですが、他に言いようがなく、かつ無難なのでしょう。でも、私は「おしりがムズムズする」感じです。教師に対して「先生さま」という人が昔はいたような気がしますが、今
「患者は、医療は必ず治してくれるものだという過大な期待を抱いているのではないでしょうか」と言う患者相談窓口の職員がいました。現場がたいへんだろうということは想像できますし(本人から直接話も聞いていました)、そう感じさせられる言葉に何度も出会ってきたのでしょう。こうした患者の「勘違い」が医療を悪くしている(医療を崩壊させる)と言う人もいます。でも、こうした言葉に私はずっと違和感があります。医療崩壊の責任は患者なのでしょうか。そもそもこの言葉は、患者が無知蒙昧な民であるというところから
下記研修制度で経験した科目を沢山記入している。医学部を卒業し医師国家試験に合格した者が、2年間必修で臨床研修を行う制度です。指導医の監督下で幅広い診療科を回り、特定の専門に偏らない基本的な診療能力(プライマリ・ケア)を身に付けることを目的としています。研修期間と内容研修期間は原則2年間です。この間は「研修医」として病院に雇用され、一般の医師と同様に医療行為を行います。研修の初期(1年目など)では、以下の診療科目を必修としてローテーションすることが定められています:内科(24週以上
〈2024.7.18「信頼もリスペクトも遠のく/「患者側も理解して」?(3)〉の再掲です。一部加筆してあります。(この文章は〈2024.7.16「患者側も理解して」(1)〉〈2024.7.17「患者側も理解して」?(2)〉に続いています。)「「おいでなさいな、こちらへ、お菓子をあげるから」。祖父母の家を訪れた婦人客が幼児を手招きする。手招きは、表徴である。表徴するものは、「こちらへおいで」である。表徴されるものは「親愛」である。それは幼児にも判る。だが、この幼児は、すぐには行かない。しば
講演のあとの質疑で、「先生は『患者さん』と言っておられましたが、『患者さま』ということばをどう思います」と尋ねられたことが何度かありました。私としては、「患者さま」という言葉が日本語としてどうかと思っていますので、これまで使ったことがありません。固有名詞に「さま」を付けて声かけすることは適切だと思いますが、それも私は使っていません。「さま」か「さん」かではなく、温かく声をかけられたと患者さんに感じてもらえる言葉の表情があればよいと思っています。「患者さま」という言葉にしても、そ
〈2022.5.21「お礼とお詫びが言えなければ」〉の再掲です(一部加筆してあります)。丁寧なあいさつに加えて「お礼」と「お詫び」、この3つがきちんとできることがマナーの基本です1)2)。「お礼」も「お詫び」も、「きちんと」言わないと思いが伝わりません。なんでも「どうも」「すみません」「ごめんなさい」で済ませる人がいますが、そればかりでは困ります。患者さんから「ありがとうございました」と言われて、「はーい」などと言うのは返事ではありません。日本語には「どういたしまして」という言
7月28日の熊本地震に遭われた皆様に、お見舞い申し上げます。以下は、2022.5.20「挨拶が開ける扉」の再掲です。2016年の第48回医学教育学会大会のシンポジウム「共用試験OSCE10年を考える」で、「医学生は変わったか」と問われたシンポジストが「挨拶ができるようになったことは確かだ」と答えたことに対して、「それだけなのか」と言いたげな笑いが会場に広がりました。ここで「それだけのことしかできていないのか」と思うことは大きな勘違いだと思います。「たかが挨拶、されど挨拶
「お客様は神様なんて言っていたら患者が“つけあがる”」というような声がどこかから聞こえてきそうです。「過大な要求」を言う人はいます。でも「過大な期待」を持たせてしまったのも「医学はすごい」という幻想をこれまで医者たちが振りまいてきているからです。すごいんだからから「医者に任せろ」?。すごいんだからから、患者を見下ろす医者の尊大な態度が当たり前??ペイシャント・ハラスメントも確かにあります。でも、その「火種」は病気になった人の誰もが抱え込まざるを得ないものです。その火種に火を
津久井やまゆり園の事件から10年が立ちました。朝起きてテレビをつけた時、本当に驚きました。以下は〈2023.4.22「津久井やまゆり園の事件について」〉の再掲です。「・・・・容疑者は『障害者はいなくなればいい』と話していたそうです。みなさんの中には、そのことで不安に感じる人もたくさんいると思います。そんなときは、身近な人に不安な気持ちを話しましょう。みなさんの家族や友達、仕事の仲間、支援者は、きっと話を聞いてくれます。そして、いつもと同じように毎日を過ごしましょう。不安だからと
三波春夫さんが「お客様は神様です」と言ったという話は今でも有名でしょうか(若い人たちはもう知らないかも)。娘の三波美夕紀さんによると「これは自分の歌を、芸を完璧な形でお客様と視聴者にお届けしなければならないという心構えを表したものでした。「歌う時に私はあたかも神前に立って祈る時のように雑念を払ってまっさらな心にならなければ完璧な芸はできないのです」という信条でした。お客様を神様とみて、神前で祈る時のような気持ちで歌を歌う、これが「お客様は神様です」の真意です」とのことです。それ
「コミュニケーション能力」「コミュニケーション技法」という言葉にはいささか抵抗があります(だんだん馴染めなくなってきたということです)。「コミュニケーション能力」という言葉の裏には「能力主義」がありますし、その向かい側には「コミュ障」という言葉が見え隠れします。貴戸理恵さんは、「私はかつて、コミュニケーションのように『他者や場との関係によって変わってくるはずのもの』を、『能力』として個人の中に固定的に措定することを『関係性の個人化』と呼んで批判した。そこには意思疎通というコミュニケ
ここまで、オリエンテーション参加者・研修医の感想を縷々掲載してきました。優等生的なコメントだなと思う面もありますし、「否定的」な感想は全体にとても少ないのが例年のことです。講師・企画者に気を遣ってくれてもいるのでしょう。どのようなことからもポジティブなものを学ぼうという姿勢の表れかもしれませんが。「おだて」「気遣い」に乗せられているだけかもしれないと思いつつ、それでも読んでいて確かに嬉しくなります。「こんな感想を持ってくれたのか」「こんなふうに考えることのできる人がいるんだ」などとワ
「温かい病院温かいコミュニケーション」と題して、新入職員研修(3日間)で医療コミュニケーションについての話を、定年後もずっとさせていただいています。このような機会を与えて下さっている病院には感謝するばかりです。(私と「反りが合わない」院長の時代も、新入社員研修と研修医オリエンテーションのお手伝いは続きました、不思議だ。)講演をするたびに、自分としては今回の講演がこれまでで一番内容が良いと感じます。この25年ほどのあいだ、ずいぶん多くの病院や研修会でお話しさせていただいたのですが、振り
2025年12月に開院した武蔵野赤十字病院の新棟には、全室個室ということもあり、すべてのベッドにスマートベッドシステム・眠りスキャンが設けられました(〈2025.12.21「見守りカメラ」と「看護り」〉に書きました。)技術の進歩です。患者さんの安全は向上するでしょう(それでも何件かは“トラブル”があったらしい)。でも、これは「監視」技術の進歩でもあります。「看護り」の「看」と「護り」とが薄れてしまわないでしょうか。もちろん、これからも看護師は患者さんと笑顔で話してくれるでしょうし、
ディスカッションの最後で話すことを予定していたパワーポイントについては、配布資料として全員に配りました。配布資料には、次のような説明を添えました。①医療の本質はケアである。ケアとは、身の回りの世話を含めて、人が人を見守り(看護り)、その人の生きることを支えるということ(人間の暮らしのすべての場面に当てはまる)。ケアする人も、ケアを受ける人からケアされるという、お互いにケアしあう(支え合う)関係にある。②CureとCareと二項対立的に言われることがあるが、CureはCareの一部。
レポートを読んでみて、どの人もBSL、オリエンテーションでの看護実習、そして現場での研修を通して看護についての認識が深まり、看護師と協働する姿勢を持っていることを、企画者として嬉しく感じました。何人もが「感情労働」(「燃え尽き」につながります)としての看護に注目していたのも心強く感じました。看護師が感情労働を強いられる原因の一つ(それも大きな)は医師なので、この先、気を遣ってくれると期待しています。同時に、医学教育に関わってきた者として歯痒い思いもしました(「内心忸怩たる思い」
【3.この先、どのようなことを心がけようと思っていますか?】「看護師はものすごく広い目で患者のことを把握しているので日ごろから看護師とのコミュニケーションを大切にし、気づきや違和感を気軽に共有してもらえるように心がけたい。」「看護師と医師では、患者について持っている情報や得意としていること、背景知識が異なっているので、お互い尊重しながら働いていきたい。また、チーム医療という言葉に囚われて自分が判断すべきところで他責思考になるのではなく、医療を行う上では医師の指示が必要であるからこそ適
【2.病棟実習や実際に現場に出て、気づいたことや考えが変ったことがありますか?】「食事や排泄状況など患者さんの日々のちょっとした変化を詳細に把握されていて、医師は病気の治療に目がいきがちだが、入院生活の質の向上にも常に気を配っていると感じた。また、患者も様々な状況の方がいるので、せん妄や認知症の患者への対応など、想像以上に大変な場面が多くあると実感した。」「現場で見て驚いたのは、病棟では、看護師が24時間体制で患者の些細な変化(表情、発言、生活動作など)を観察し、それが医学的に何を意
例年、このセッションもグループディスカッションで行っているのですが、今年は諸事情のためディスカッションができなかったので、レポートを出してもらい(3つの質問に答えてもらいました)それを全員にフィードバックしました。当初は、全体の印象についての講評にしようかと思ったのですが、興味深い記述が多かったので、一部は要約し一部は原文のまま掲載して返しました。要約したものでは、原文の「です、ます」調を「だ、である」調に代え、「看護師さん」「患者さん」の「さん」を無くしています。「です、ます」調
2022.8.13の文章の再掲です。医療面接演習終了後のフィードバックの際に、学生に「もっと患者さんに話させなくてはいけないよ」と言う医者がいます。インフォームド・チョイスを語る際に、「患者に選ばせる」という人がいます。医療コミュニケーションを語るのに、「患者に質問の時間を与える」という人がいます。ああ、「お医者さま」って偉いんだなとあらためて思い、こんな言葉で医療が語られる日がこなくなるように模擬患者の活動のお手伝いをしてきた身としては、いささかがっかりしてしまいます。医療
私が担当するセッションの開始時間より少し早めに会場に着いてしまいましたので、その前のセッション「2年生からの講義」を講義室の後のほうで「さりげなく」聞いていました(講師をしている研修医に私の姿は目に入るのですから、とても嫌だろうということは重々承知しながら)。講義は、実際にある症状を抱えた患者さんが来院したときの診断の進め方/検査の選択/上級医への相談のタイミングと仕方についてでした。その中で、外来で患者さんを「帰宅させる」「入院させる」という言葉が何度となく出てきました。「させる
「同期のみんなの経験を聞いて、日常のさまざまなところで倫理的な問題があると思いました。言動の一つ一つに配慮を心がけたいです。」「他の同期のエピソードを通して、今後不注意で患者さんを傷つけることがないようにしようと、気が引き締まる思いでした。」「一人一人のエピソードを聞くのがとても興味深かったです。それぞれ医療に対して感じた疑問点や感性が異なるのだと実感しました。」「同期のみんなが倫理的に問題だと思った様々なエピソードを聞くなかで、自分はこんな医師にはなりたくないと思う反面、慣れ