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食道がんの手術では、術中に腸から栄養をいれるための腸ろうを設置することがよくあり、その例にもれず、自分も腸ろうを設置されました。手術の翌日以降、この腸ろうは大活躍し、朝7時頃から、白湯500mlに始まり、エネーボ栄養液3缶、白湯500ml、これを8〜9時間くらいかけて滴下させて、連日フル稼働していました。口から食事できるようにリハビリが進むとともに、エネーボの量(缶の数)は減りましたが、術後退院してからも、在宅で、白湯とエネーボ、の経腸液を自分でいれていました。容器の洗浄、薄めたお
こんばんは🌙今日は、外来の日11時に家を出て買い物して18時に帰ってきましたー疲れたっ朝から何も食べすに行ったので、何か早く入れときたい。納豆、イワシの缶詰、味噌汁、豚まんを少しずつ食べたら落ち着き横になりながらブログを書いてます。🏥まず採血へ採血のオーダーが入っていなくて消化器外科受付まで行き入れてもらう。採血は、お昼時で看護師さん4人でした。15分待ち抗がん剤の影響で血管がカチカチ固い、手の甲で良いですよと私。しかーし、なかなか採れず3回目でやっと採れました。かなり謝られ
「イレウスを語る」は過去に「イレウスをふりかえる」との表題を冠して記していたことの前段として書いたということにして、前回で終了しますと申し上げました。なのですが、9年前に「イレウスをふりかえる」の中で記したことの中でぜひとも再度、書いておきたいという内容がありますので、繰り返しとなりますが、もう一度書かせて下さい。それはイレウスを予防するための食生活対策、平たく言えば再度イレウスに罹らないためには何を食べないようにしたらよいか、ということです。イレウスは繰り返すことがあると仄聞します。再
さて、今度こそシリアスな話しに入ろうというところなのですが、すみません、思い出してしまいました、以前にイレウス禍のことを詳しく書いていました。2014年のことですから、今から9年前、手術の1年後です。読み返してみると、まだまだ記憶に新しかったからでしょう、ずいぶん詳しく書いていました。ただし、そのほとんどがイレウスにより激しい痛みを発症した後のことに主眼を置いて書いておりますので、今回、その痛みが生じる前のことを書いてみたのはそれほど被っていません。というわけで、この続きは2014年
移動に必要な腸ろうのポンプについて栄養剤を腸まで流すのに必要なポンプがあります。今はアミカポンプを使っています。腸ろうの場合、これがないと一定量流せません。胃まで流していた時期もありますが、嘔吐が多くて栄養が取れずに体重が減っていった経緯があります。腸ろうの場合は一度に多くを流せないので、さやちゃんの場合16時間の連続注入です。学校に行っている間以外はずっと注入しています。本当は通学バスの間も注入できたら良いのですが、看護師さん同乗でないとダメなので、下校後は速攻で
さて、いよいよこれからシリアスな話しに入ろうというところで、すみません、ちょっとどうでもいい話題を少々。やらかしてしまいました。今日のお昼ご飯にスシローに行きました。北陸の死ぬほど魚がおいしい町で育った私にとっては東京で食べるにぎり寿司というのは回ろうが回るまいがたいして変わりはないと思っています。以前にも書いたと思いますが、まだ会社勤めだった頃に有名な銀座のQに連れて行ってもらったことがあります。本当に期待して行ったのですが、実際のところは北陸の海辺の町の回転寿司にはかなわないと
1回目の術後抗がん剤治療まであと10日ほどという辺りのことです。日にちは覚えていないのですが、ともかく月曜日。実は手術の後、自宅で療養しながら次の抗がん剤治療を待つ間、鍼治療を始めていました。なんでも鍼治療によって免疫力のアップが期待できると聞いたからです。安くはないです、30分で4,500円でした。直接がんと闘ってくれるのは自身の免疫力です。とはいえ肩こりや腰痛ならともかく、免疫力アップのために慌てて鍼治療なんてどうなんだろうと言われそうですが、ともかくその頃はまさに「藁をもつ
術前の意気軒高状態から一転して不安を抱えながらの退院となったことまでお話ししました。退院したのは確か10月の上旬くらいで、次の1回目の術後抗がん剤治療が11月だったかと思いますので、ひと月くらいのインターバルがあったと記憶しています。なにしろ11時間だったか12時間だったかを要した大手術の後で、上部消化管はずたずた状態であり、加えて食道摘出手術(体の側方から食道に接近するので肺に侵襲を生じます)と術後の自然気胸発症のため呼吸器も危うい状態なわけです。さらには、食道摘出の手術をされた方には頻
嫁ちゃんが、先日健康診断に行って採血された時のこと。なかなか血管が見つからなくてやっと探してできたんだけど、3本採るのにすごい時間がかかっちゃって。。。😅と言っていたのを聞いて、夫も闘病中何度採血され、抗がん剤の点滴で針を刺されたのだろうか?と思い出してしまった。採血室で後ろの椅子で待っていたのだけれど、その時に見ていた血液の色と、その後私の健康診断の際に採られた血液の色があまりにも違いすぎて思わず、「血液の色ってこんな色でしたっけ?」と聞いてしまった。夫の
今日のお昼、急に暗くなって風が出てきたと思ったらゲリラ雷雨⚡️何歳になってもあのピカッゴロゴロバリバリは震え上がります東京都心、雨が降ったのは26日ぶりだそう!(◎_◎;)さて、在宅クリニックの医師とのマッチングの関係で退院日が25日と決まってから介護用品の準備、衛生材料も買い揃え、何日か手当てなどの指導も受けてその日を迎えるだけだった。「退院の日は介護タクシーを頼んだからね〜」と言うと「普通のタクシーで大丈夫だよ〜」と言っていた夫。2021年11月25日
2021年11月14日「年越しは難しいと思います!」電話で無情な余命宣告を受けてしまった。夫本人には積極治療の終了の旨いつ誰が話したらのかはわからないが、今後どうするかと聞かれて、夫は“一刻も早く家に帰りたい”在宅医療を受けて、いよいよとなったら緩和病院へ入院する。そしていくつかの施設の中から夫本人が選んで決めた。院内の地域医療連携センターの担当看護師がこれからのことについて相談に乗ってくれた。もう、これからどうなるんだろうと不安で不安で私よりも二回りくらい年下の若い看
こうちゃんの水遊び💦前編3年前。外出自粛の時だったから、よくベランダで水遊びを楽しんでました。なんで腸ろうのチューブを握りしめてるんだろう。引っ張りそうで危なっかしいファイファー症候群のお子さんをお持ちで、このブログに来てくださった方がいれば、ファイファーっ子家族のサイトやLINEグループで交流していますので、ぜひご連絡くださいね。愛すべきファイファーっ子たちとともにファイファー症候群の子どもを持つ家族のコミュニティです。症候群性の頭蓋縫合早期癒合症の方もご覧いただけます。www.p
2021年11月5日電話をして指示された診察日朝起きていつものように腸液の漏れの手当てをしていたら「悪かったな〜」と突然夫が言った。「何が?」と私。「迷惑かけたな〜」と夫。「大変なのはこれからだよー」だってずっとずっとまだまだ闘病生活続くと思ってたから。。。😢「俺は、最後どこに転移して苦しんで死ぬのかなぁ?」いつだったかポツンと呟いた時があった。私もどこか重要な臓器に転移とかして命を奪われるのかなぁと思い込んでいたところがあった。そしてこの日の朝、コップの
2021年10月21日入院にてCART療法施行この大学病院には緩和病棟はなく、医師、看護師、薬剤師、栄養士などが緩和チームとして対応に当たっていた。コロナ禍で中々面会が許されない中、入院時に付き添って行った際にその緩和チームがゾロゾロと病室にやって来た。終末ということではなく、治療を受けながら苦しみを緩和するという意味合いに受け止めてください。と説明された。緩和外来や病棟はないと思っていたから、とても安心したのだった。ほとんどお世話にはなることはなかったけど。。。^^;
夫の闘病中、私は同じように癌闘病されているご本人あるいはご家族のblogを読ませていただいていた(こっそりと^^;)夫は主治医を信頼はしていたが、お互いに遠慮みたいなところがある様に感じていた。夫が主治医に先生と呼ぶことは当たり前だが、主治医も夫のことを先生と呼び、夫より年下ということもあり遠慮と言うか、気を使ってた部分もあったのかな?と単に、口数が多くない医師だったのかもしれないが。。。。😅副作用に対しても、「それなら〇〇の薬を出すので服用してください」とか「〇〇は減らしまし
病気発覚時に栄養を入れるために造った腸ろうは、最初の一ヶ月くらいは使用したがそれからは全く使わなかった。夫の左腹部から腸に繋がった30cm強の細いチューブが出ていて糸で縫い止められテープで固定していた。2021年4月の半ばからそのチューブの出ているところ(穴)から腸液が漏れ出して来た。腸液で周りが赤くただれて、皮膚科に回されステロイド剤が処方され塗布していた。はじめの方は何となく軟膏も効いて良くなったような感じだったが、日に日に漏れ出す量が増え、ただれる範囲も広がって行った。軟
災害級の暑さや大雨が続いてます。皆さま大丈夫でしょうか?夫との闘病生活の振り返りを乏しい語彙力と拙い文章力で書き出しています(^^;;辛いだけじゃないかも知れない。。。※※※3週間ごとのSOX療法を続けながら、3ヶ月自宅療養して10月初旬に仕事復帰した。コロナ禍で半分位はリモートワークで対応できたので続けられたのかなと思う。病気発覚前から年齢的にも仕事を辞めるか、もう少しセーブしてと言っていたのでこんな深刻な病気になって
入院中に1回目のSOX療法と腸ろうからの栄養が始まった。胃ろうはご存知の方も多いと思うが、胃が膨らまず食事が殆ど摂れなくなった夫の場合手術で小腸に直接チューブを留置した腸ろうから栄養を入れることになった。点滴のように衛生面ではあまり気をつけることはないが詰まらせてしまわないように前後に注射器で水を流すなどの管理が必要だった。胃ろうの場合ドロッとしたものを一気に流し込むのをTVで見たことがあるけど腸ろうの場合はヤクルトのような液体を点滴のように時間をかけて滴下注入する。退院する
2020年6月23日入院する入院の説明は2人で受けられたが、コロナ禍で面会は必要最低限後ろ髪を引かれる思いで夫を残して帰宅した。ここから私は、図書館で本を借り、ネットで検索しまくり。。私の料理のせいだったのかとかあるいは効く食べ物はないか?などなど精製された調味料はダメだとか〇〇油はダメ〇〇粉もダメそして誰もが目にしたと思いますが〇〇ジュースとか免疫を高めるためには・・・・家にある調味料全て捨ててジューサーも買おうか?って(気を悪くされた方いましたらごめんなさい)あ
分かりやすく言うと首に穴が空いていて、もし、食べ物飲み物を飲み込んだら首から出てきちゃう。と、言う感じでしょうか。一ヶ月位かかりましたが、やっと塞がりました。いよいよ食事スタートです。まずは、カロリー高いゼリー二種類。余裕で、食べれます。しかし、甘い。半端なく甘い。で、ギブです。腸ろうから、栄養剤入れてますが、わたしには、合わないらしく、いつも、具合悪くなるので、早く腸ろう辞めたくて、頑張って食べるが、朝昼晩と、半端なく甘いゼリー。地獄だー。でも、食べなきゃ普通の、ご飯に、な
ご訪問頂きありがとうございます。37歳で結婚→38歳で不妊治療開始→39歳で妊娠→40歳で女のコ出産ほぼワンオペ育児で頑張ってます以前にも少しブログで書きましたが少し前に父親が食道がんになり手術したものの予後が良くなくて手術した大学病院から見捨てられその後、自宅から車で20分くらいの小さな病院へと転院させられたのですがそこでの看護師さんの対応もよく傷口は良くならないにしても精神的にもこのまま少しでも回復してくれたら…と期待『ワンコとの触れ合い方【父親の介護問題】』ご訪
『母が膵臓癌になりました30』『母が膵臓癌になりました29』『母が膵臓癌になりました28』『母が膵臓癌になりました27』『母が膵臓癌になりました26』『母が膵臓癌になりました25』『母が膵…ameblo.jp『#今日のひとことブログ』悪いほうに転がっていく運命を変える事は出来ないのか…。何もしてあげられない無力な私ameblo.jp数あるblogのなかからご訪問&イイね👍ありがとうございます🙇♀️2023年2月より母は膵臓癌ステージⅣの治療を開始もう何度目かの悲しい出来事があり
娘は産まれて1年の間に手術を3回しました(詳しい経緯はこちら)今日は経管栄養中の事件について。夜、娘を寝かしつけて、あちこちの散らかった物を拾い集め注入が終わるのを横になって眺めているうちに爆睡…そして夜中。注入完了ピーピー音に寝ぼけながらキッチンへシリンジ持って水分通そうと管を探すと…あれっ?あれれれれっ見覚えのある管が、布団に転がってる…やばい。腸ろうが完全に抜けてる…腸ろうについて詳しくはコチラ寝ている娘を起こさないように、焦る気持ちを胸に押し込
炎症数値はまださがらなくて、熱はマシ血圧低すぎてやっと少しほげ〜っとしてたのも24時間持続で血圧あげる点滴中で少しマシにベット上安静はまだかかりそう腎瘻も一時的って事だけどまだ分からないやっと去年作ったストマ慣れてきたから少し勘弁少しずつ1歩1歩進むしかないねッなんせ腎瘻が抜けないか怖くてあまり寝れないボチボチ更新していきますっ🍀̖́-
退院の日を迎えました。まずは退院後の説明を受けました。主に食事の話です。胃を半分切っているので、溜めておけないから小分けにちょくちょく食べなくてはいけない。消化の悪いものは食べないように。タンパク質、炭水化物中心で野菜は後回しでいい。とにかくカロリーを増やして体重を増やすことを目指す。話を聞いていて不安になってきました。私って脳天気なんだなぁ、って思ったのですが、手術を乗り越えられれば終わり。退院すれば元気になるもの。と漠然と思っていたようです。これからなんだ、とようやく気がつきまし
今まで腸ろうから栄養を摂っていましたが、最近は体調が悪くなり次第に食事がとれなくなしました少し動いては横になる生活になり元気が無くなった母…病院に診てもらってもとくに異常は無いと言われて途方に暮れる毎日顔つきも病人に逆戻り経管栄養をやると動悸や怠くなるらしいならば、経管栄養止めてみる?痩せても元気が出るならとりあえず一旦腸ろうから栄養摂らないで食事のみで様子見にしてみました食事と併用してメイバラもしくはクリミールのすっきりタイプが飲みやすいみたいでオススメです体重は減ること無
オラフ昨日から食欲が無く夕飯が数口程度口数も少なくなり顔色も良くない熱、血圧はいつもと変わらないがなんとなく調子が悪そうどうする私…考えろ私…ど素人の私が考えても分かるはずがないが母の話しをまとめてみる唇がガサガサ足が攣る身体がふあんふあんするうーんもしかして脱水かも知れない冷蔵庫にアクエリアスがあったので腸ろうから200ml流してみる水分摂取強化夜になると少し元気になってきた食欲も少し回復してきたいつもの母に戻りつつある油断大敵今日は様子見にし
術後2ヶ月経ちました、食欲も少しずつ戻ってはきてますが食べる量が少なく食事だけではどんどん体重が減ってしまいます腸ろうを作ってるので1日2回エンシュアを摂取してもらってます今日の食事朝チーズトーストコーヒー牛乳経管栄養エンシュア昼中華丼(子ども茶碗くらい)おやつ焼き芋1/3経管栄養エンシュア夜赤魚西京焼ポテトサラダ術後は45キロだったのに今は43.8キロ…経管栄養がなかったらもっともっと体重が減っていると思います体調はたいぶ戻ってきてます掃除機かけてちょっ
2023年1月24日(火)呼吸器外科受診この前は食欲が無くて腸ろうからの栄養に頼っていたので栄養不足と脱水気味と指摘される今回は水分もマメに摂り腸ろうからも水分を入れて、少しずつ食欲も出始める1日の食事内容メニュー朝…フレンチトースト紅茶中間…経管栄養昼…お粥(茶碗1/3)白菜とカブ煮お茶中間…メイバラ夜…ハンバーグお粥(ほんの少し)お茶最終…経管栄養体重は手術前51.0キロ術後45.0キロ現在の体重
ご訪問ありがとうございます急展開です。抗がん剤治療のつもりが、お腹の張りがひどく緊急入院、手術となりました。腸閉塞です。現在、ストマ2個と腸ろうがお腹にくっついています。気持ちがなかなか、追いつきません。また落ち着いたら、blog更新しますね。りんご