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静かに生まれた赤ちゃんは、助産師さんたちのもとできれいにされ、その後、胸に乗せてもらいました。吸水シートに乗せられた真っ赤な赤ちゃん。私の娘。その時の私は、娘に対して特別な感情が湧いたわけではなく、ただ「産んだんだ」「終わったんだ」という気持ちでした。助産師さんが家族写真を撮ってくれました。今でも、部屋に飾ってある大切な写真。娘は、さっきまでお腹の中にいたからかほんの少しだけ温かく感じました。皮膚がぷるぷるで、触ったら弾けてしまいそうで、怖くて触ることができま
何事もなく、出産予定の日を迎えました。朝は、これまでと同じように食事をとります。「お昼は食べられないかもしれないから、しっかり食べてね」看護師さんにそう言われ、あと数時間後には赤ちゃんに会っているのかと思うと、急にドキドキしてきました。朝食後、いつもの処置室へ。ラミナリアを抜き、子宮口も十分開いているとのことで、予定通り促進剤を始めることに。「ゆっくりやっていこうね。あまり力まずに」医師の声は穏やかでした。出産用の服に着替え、点滴をつけます。数日ぶりの点滴が、なぜか少し懐かし
お腹は重い。寝返りも打ちづらい。赤ちゃんは、ここにいる。でも、胎動はない。とても不思議な感覚でした。怖くなって、お腹を撫でる。でも、反応はない。それでも。「一緒にいる」そう思える時間でした。この3日間は、不思議なくらい穏やかに過ごせました。明日、赤ちゃんに会える。怖い。でも、少しだけ楽しみな気持ちもありました。どんな顔してるかな、かわいいと思えるかな。そんなふうに思っていました。他の人の分娩レポを読んで必要だと思ったペットボトルの飲み物と飲むゼリー、ストローを
3日目のラミナリア。朝ごはんのあと、ロキソニンを飲んでから挑みました。「今日は無理しないよ。昨日頑張って、子宮口かなり開いてきてるから」医師にそう言われてすこし安心しました。昨日入れたラミナリアをまず抜きます。本数が増えた分、少し時間は長く感じましたが、深呼吸をしているうちに終わりました。そして、また入れます。昨日痛かったのでドキドキしました。台の下の方に来るように言われ、「お尻を下に、下に」と指示されます。天井を見つめながら、ドキドキ。……あれ?あまり痛くない。違
やることはないけれど、解剖について夫と話さなければいけませんでした。病棟勤務時代、死後に解剖を行った患者さんがいました。難病で、医学の発展のためにと生前から希望されていた方。それでも冷たくなった肌に入った傷。綺麗に縫われているのに、痛々しく見えた。その光景は、何年経った今でも私の記憶に色濃く残っています。ここまで頑張った赤ちゃん。できるだけ温かい姿で一緒にいたい。これ以上、痛い思いや苦しい思いはさせたくない。それが私の気持ちでした。夫は最初、「次の赤ちゃんのために
次の日。看護師さんからラミナリアを入れ替える前にシャワーに入ったほうがいいと言われ、朝から浴びました。昨日と同じ処置室。「夜は眠れた?」「今日は10本くらい入れたいと思ってる」医師は穏やかに言いました。「昨日上手だったから、今日も昨日みたいに力抜いて頑張りましょう」土日も、このために出勤してくれているらしくて。本当に頭が上がりません。処置台にのぼります。深呼吸をしている間に昨日のラミナリアが抜かれました。そして、また入ります。昨日より、明らかに痛い。最初は「ちょ
棺の話もありました。紙箱か、桐の箱か。大きさ的に紙箱では入らないから、桐がおすすめだと言われました。いろいろ入れられるように、大きめがいいとも。私は、大きめの桐の箱を選びました。お花やお手紙や色々入れられたので、助産師さんのおすすめにして正解でした。(紙と桐では、お値段が0一つ分違いました。すごくしっかりした桐の箱で満足でした。)翌日お届け送料無料【日本製】セレモニー用品かわいい棺赤ちゃん用エンジェルボックス死産流産エンゼルボックス火葬胎児流産死産
お腹の痛みが落ち着いた頃、看護師さんが来てくれました。赤ちゃんが産まれた後の話をしに。「産んだ後、何かやりたいことはありますか?」やりたいこと……?何ができるのかも、分かりませんでした。聞いてみると、・母子同室・抱っこ・沐浴・手形や足形を残す・家族写真を撮るそんな選択肢があると教えてくれました。「会いたくないという人もいるし、強制ではないからね」そう言ってくれました。正直、何をしたいか、何をするべきかよく分かりませんでした。だから私は言いました。「できそうなこ
ラミナリアを入れ終えて、部屋に戻りました。夫は一度、家に荷物を取りに帰りました。ひとりで病室に残されます。やることもない。検索魔にも、もうなりませんでした。ただ、ぼーっとするだけ。眠れたら楽なのに、前日にたくさん眠ってしまったせいで、横になっても眠れません。その代わりに、どんどんお腹が痛くなっていきました。生理痛のような、子宮がぎゅっと収縮する痛み。痛かったら痛み止めを飲んでいいと言われていたので、看護師さんにお願いしました。持ってきてくれたのは、ロキソニンでした。
MFICUから、病棟の一番端の個室へ移動しました。ナースステーションからも遠く、隣の部屋にも人はいないみたいで、赤ちゃんの泣き声やモニターの音が聞こえない部屋でした。それだけで、救われました。看護師さんから、旦那さん泊まって行ってもいいけど、どうするか聞かれました。夫が何も迷うことなく泊まると言いました。荷物もないのに。翌日も仕事なのに。即決でした。そのことが、何より嬉しかったです。大きなお腹はそのまま。でも、何をしても胎動はありません。静かな部屋で夫と2人、
それからしばらくして、夫が来ました。目が真っ赤でした。きっと、来るまでずっと泣いていたんだと思います。「頑張ったね」抱きしめられて、また涙が溢れました。夫もボロボロ涙を流していました。寂しいのは変わらないけど、一人で泣くよりも、二人で泣くほうが、心が楽に感じました。改めて、エコー室で夫も一緒にエコーを確認しました。画面に映る赤ちゃん。そこにいるのに、動かない。音もない。静かな、静かな画面。鼻を啜る音だけが、悲しく聞こえました。先生から説明を受けます。「頑張った赤ち
転院先で迎える、はじめての朝。看護師さんに起こされて、採血とNST(赤ちゃんの心拍をみるモニター)をしました。大学病院ではやっていなかったNSTを、ここでは1日3回行うと聞いていました。少し探すのに時間はかかったけれど、トクントクンちゃんと、聞こえました。その音を聞くだけで、「生きている」と分かる。それだけで、安心できました。朝ごはんは白いごはん。大学病院はパンだったので、なんだか新鮮でした。量が多いな、ふりかけ買おうかな。そう思った瞬間、ドンッと、いつもより
振り返ってみると、11週で異常を告げられた日から、この子と何度も試練を乗り越えてきました。一緒にいれば、また乗り越えられる。どちらにしても難しいなら、少しでも長く一緒に頑張りたい。でも正直、帝王切開をして亡くなったら次の妊娠に影響が出るかもしれないという思いもありました。私は、私を一番大切にしてしまう。それも本音です。「もう少し、一緒に頑張りたい」そう伝えると、「君がそう思うなら、それがいい」と夫。しばらく経って、先生が戻ってきました。「どうしますか?」夫が言
転院先の病院に着き、色々済ませて産婦人科病棟に向かいました。ナースステーションの入り口で、担当医と看護師さんが待っていてくれました。「途中で何かあったかと思って心配しましたよ」と。のんびりしすぎていたみたいです。部屋を案内され、着替えてすぐエコー。久しぶりに夫も一緒に。先生は無言で、何度もジェルを足しながら丁寧に見ていきます。長い。とにかく長い。腰が限界になってきて、一回中断してもらおうかとおもっていたところで、「お顔、こんな感じだよ」と突然、4Dエコー。3Dは見慣
転院先は、車で1時間半。「久しぶりの夫婦の時間だろうから、急がなくていいよ」そう言ってくれた転院先の先生の言葉に甘えて、私たちは少しだけ自宅に寄りました。3週間ぶりの家。玄関を開けた瞬間、自分の家なのに、少しよそよそしいにおいがしました。夫と、3週間分のハグをしました。あたたかくて、安心して、このまま病院行くのやめちゃおうかななんて、一瞬、本気で思いました。でも、滞在したのは10分だけ。現実は待ってくれません。途中、久しぶりに2人でごはんを食べました。車の中でも、特に
夜になると怖くて泣く。明日がくるのが怖い。もう既に右側で1回経験してるのに。だからこそ怖いのかも。もしかしたら明日死ぬかも。赤ちゃんの状態が悪くなるかも。とか考え出したらキリがなくて、、周りを見たらマタニティフォトとかマタニティアートとかマタニティ旅行とかしてる人もいて羨ましくなって、なんで私だけこんなつらい思いしなきゃいけないんだっていう感情が芽生えてきて苦しい。旦那くんに電話したら落ち着いた。手術当日。朝ごはん、水分も抜きでしんどい。体に入るのは点滴のみ。10時半頃から手術が始まるのでそれ
それからも、毎日のエコー。私にもはっきり分かります。頭や足は週数通り。でも、お腹周りだけが明らかに大きい。日に日に。それでも、胎動は、しっかりありました。エコー中もよく動いて、先生に「じっとしてね」と言われるほど。その姿が、たまらなく愛おしい。でも同時に、怖かったです。もし、この子を失ったら。そのときの絶望を自分が耐えられる気がしなかった。だから、声をかけるのをやめました。お腹を撫でるのもやめました。赤ちゃんに対して、感情を持たないように。自分を守るためです。
数日後。恐怖のエコーの時間を終えると、医師から、また「ご主人も一緒に話したい」と言われます。赤ちゃんに何かまた見つかったのかと胸がざわつきます。でも今回は、少し違いました。早い週数でペースメーカーに対応してくれる病院が見つかったというのです。約1週間ぶりに夫に会いました。入院当初は「全然会えないのが寂しい」と思っていたのに。赤ちゃん状態が悪いおかげで毎週のように会えてしまう。それが、複雑でした。転院先の医師とビデオ電話で三者面談を行いました。その医師が最初に言
退屈だった入院生活も、2週間。数日毎に交換する点滴の針は、漏れたり、失敗したりして交換する場所が見つからなくなってきました。25週を迎え、約束通り私はMFICUから一般病棟へ移りました。個室は1泊1万円以上。正直、そんな余裕はありません。当然のように大部屋へ移ります。今まで自由だった空間はなくなり、常に誰かの気配がある生活。交流はないけれど、なんとなく事情はわかってきます。妊娠高血圧。妊娠糖尿病。切迫早産。双子妊娠。待合室では「みんな何かある仲間」と勝手に心強
医師からは続けて、今後について説明を受けました。・生後早期からのペースメーカー治療が望ましい・ただし24週で産まれたからと言って、ペースメーカーを埋めるのは難しい・この病院では32週頃から可能・より早く対応できる病院があれば転院を検討したほうがいい・ただ、胎児水腫になっているため、子宮内で亡くなる可能性もある・緊急帝王切開もあり得るが、週数が足りなければ救えない想像はしていました。でも、厳しいということを言葉にされると、やっぱり苦しい。夫は、ずっと私の手を握っていま
24w3d。エコー後の医師から「今後の話を、ご主人も一緒にしたい」と言われました。その一言で、心臓がぎゅっと縮みました。きっとあまりいいことを言われないだろうと、怖くて前の日の夜は、ほとんど眠れませんでした。翌々日、久しぶりに直接会う夫。夫は会えたことを喜んでくれているのに、私は怖くて仕方なかった。安心と恐怖が同時に押し寄せて、また涙が出ました。(不育症を経験していると、“夫も一緒に”という言葉がどれだけ重いか分かりますよね)医師の説明は、とても丁寧でした。・完全
はじめまして。みにゃんです。黒猫が好きです。実家に飼ってます🐈⬛このブログを書いておこうと思ったきっかけは、誰かの気持ちに寄り添えたらと思って、書き始めることにしました。私は、現在27wの初産妊婦24歳で、26wで赤ちゃんに胎児胸水が見つかりました。予定日は5月中旬。まだまだ先の話。今は、東日本で1番信頼度もある病院で入院中です。胎児胸水が、見つかるまでも持病である免疫力疾患やRHマイナス型なのもあり、不安や壮絶な戦いがありました。その記録として、このブログに残して発信して同じ思いを
退院し、家に着いてからは、棺の下に保冷剤を置き、冷房も温度をできる限り下げて過ごしました(まだ暑かったので)。家で一緒に過ごせる最初で最後の1日。何か特別なことをしたかと言われると、していません。普通の、いつもと同じ時間を4人で過ごしました。この日は息子も保育園を休んだので、家でいつも通り遊びました。赤ちゃんにも声をかけながら、みんなで遊びました。特別ではないけれど、そんな普通の時間がとても貴重でかけがえのないものだと感じました。夜は、リビングに布団を敷いて、4人で寝ました
赤ちゃんを産んだ翌日は退院、そしてその次の日にはもう火葬。赤ちゃんと2人きりで過ごせるのは、一晩のみです。まだまだ暑い季節だったので、あまり長時間病室で過ごすのは赤ちゃんにとって良くないと思い、基本的には病院の保冷室?で預かってもらい、一緒に過ごしたいときだけ看護師さんに赤ちゃんを連れてきてもらいました。夜。静かな病室で、赤ちゃんといろいろなことをしました。たくさん写真を撮りました。動かないけれど、動画も撮りました。小さな小さな赤ちゃんと、手をつなぎました。棺からは出せなか
入院3日目。ついに赤ちゃんと会える日です。会いたいという思いとこの日を迎えたくなかったという気持ちの両方が入り混じって、複雑な気持ちでした。朝から陣痛を起こす薬を入れてもらい、夫にも来てもらい、出産に臨みました。陣痛は、やっぱり痛かったです。出てくる瞬間も痛かったです。でも、赤ちゃんがちゃんと出てきてくれるよう、頑張れました。午後2時10分。陣痛が始まってから約4時間後。22センチ、223gの小さな小さな女の子が生まれました。透明の皮膚。浮腫んだ体と頭。胎児輸血の影響か、
産休が終わり、職場復帰してからなかなかブログを更新する時間がありません…。さて、家でお腹の中の赤ちゃんと過ごした時間を振り返ると、思っていたよりも精神的には落ち着いていたと思います。心臓は止まっていたけれど、まだお腹の中にいてくれるので、赤ちゃんに話しかけたり、お腹をさすったりと、赤ちゃんとの時間をゆっくり過ごしていました。といっても、赤ちゃんのことを考えて泣いている時間が大半でしたが…。でも、冷静に仕事の引継ぎについて考えることができるときもありました。赤ちゃんを産んだ後は産後
一度は消えた“胎児水腫”。それでも、腹水はまた溜まっていった。⸻■エコーで告げられた“改善”という言葉腹水を抜いた数日後、状態確認のため、再びエコーを受けました。「どうか、少しでも良くなっていますように。」そんな気持ちでエコー室に入り、画面に映るわが子を、ただじっと見つめていました。先生はしばらく画面を確認したあと、こう言いました。「浮腫は取れていますね。胎児水腫の所見は、今のところ改善しています。」その言葉を聞いた瞬間
胎児水腫の説明を受けてから、私たち夫婦は悩んで悩んで、そして「やらずに後悔するより、やって後悔しよう」と小さな命のために手術を決めました。手術を決めた日から数日。それまで以上に、お腹の赤ちゃんの一つ一つの動きが愛しく、そして少し怖いほど大切に感じていました。「大丈夫だよ。ママはあなたの味方だよ。命に変えても守ってあげる。」お腹をなでながら、何度もそう声をかけました。⸻■手術当日の朝——病院に向かう空気手術の日の朝は、いつもの朝と同
専門病院で精密検査を受けた1週間後。状態の確認のため、1〜2週間ごとに健診を受けることになりました。前回の説明だけでも心が追いついていなかったのに、また病院へ向かう足取りは重く、胸の奥がざわついていました。⸻■健診のエコーで見えた“変化”エコー室に入ると先生は慎重に、時間をかけてお腹の中を確認していきました。画面を何度も戻し、角度を変え、とてもゆっくり、丁寧に。その表情は、前回よりさらに深刻に見えました。しばらくして、先生がゆっくり口
胎児輸血を行った翌朝。先生(前日に胎児輸血を担当してくださったのとは違う先生です)に、赤ちゃんの心拍停止を告げられました。「昨日の胎児輸血後は心臓は元気に動いていたと聞いている。輸血はできたけれど、赤ちゃんの貧血がすでに進んでいて耐えられなかったのかもしれない。」そんな感じのことを言われました。話を聞いている時は割と冷静に先生の言葉を受け止められました。でも「最後にお腹に針を刺したのが負担になったのかな。苦しかったのかな。痛かったのかな。最後苦しい思いをして死んでいったの