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ご訪問ありがとうございます!NPO法人京田辺音楽家協会理事長、ピアニスト竿下和美です2023年2月末にステージ4肺腺癌、余命一年半と診断を受けましたが、がん細胞と共存生活は4年目に突入!エンドレス抗がん剤治療を受けながら音楽活動を行っています◼️2023年3月~抗がん剤+免疫チェックポイント阻害薬◼️2023年11月~CBDCA+PEM療法+ベバシズマブBS併用◼️2025年8月~ドセタキセル+ラムシルマブそして現在~4次治療へ◼️2025年12月末~単体治療・アブラキ
日曜日だからか執刀医じゃないけど先生が来て「明日は検査ですね〜」「えっ?」「聞いてないですか?あれ?手術したのは…うん、明日気管支鏡の検査です。聞いてないですか?」「はい、何も聞いてないです。それって痛いですか?」「眠ってる間に終わっちゃうので大丈夫ですよ」気管支鏡の検査なんて聞いてないよぉなんか終わったあとに咳すると激痛だとかってネットで…AIも同じこと言ってる…これで痛みから少しずつ解放されていくんだろうな耐えられる痛みで本当に本気で良かったって思ってたのにまた新たな痛
病気になりわたしに連絡してきた父なんでわたし?と思いました必要な時期にそばに居てくれなかったしわたしが育つための養育費ももらってないむしろ家庭から逃げた事実同じ苦しみのなか生き抜いた兄には今さら父の看病ことで迷惑はかけたくない兄も結婚後、自分の家庭において父親としての振る舞いがわからず常に葛藤している同じ傷を抱えているな、と感じます父は母にも頼ったみたいだけどわたしが関わらないように言いました父の行いで苦しんできた母父の借金をひとりで返済した母父が弱っていたらで
【治療歴】☆2018年10月肺腺癌ステージ4と診断される。EGFR遺伝子変異。胸椎、脳、リンパ節に転移あり。骨折寸前のため骨転移部の固定手術後に放射線治療10回☆2018年11月分子標的薬のタグリッソ80mg服用開始。☆2022年3月腰椎に転移。放射線治療5回☆2023年10月腰椎に転移。放射線治療5回☆2024年7月胸椎、肋骨に転移。放射線治療10回☆2024年8月タグリッソ終了(5年9か月)、2次治療ABCP療法(4クール)☆2025年1月AB維持療
2026年8月8日(土)アーモンドの「治療と仕事の両立日記」第10章今日も、生きている【第一部・完結】134歳で走った5キロ2026年1月18日、地元で開かれたマラソン大会の朝。5キロの部に、義父と二人でエントリーしていた。義父は82歳、私は52歳。スタート前、義父がぽつりと言った。「今まで自分よりも年上の高齢ランナーと話をしてきたが、自分の方が歳をとってしまった。」私は笑って答えた。「フルマラソンに出るとニュースになるかもしれませんが、体を壊しそうなので無理せず走ります。
今日は術後初めて看護師さんに洗い方とか注意を教えてもらってシャワー入れた✨️そして初めて自分の傷口を見たなかなか痛々しい💦私の体が頑張った証拠。おへその下の傷は愛娘と愛息子を産んだ証拠。お腹の数ヶ所の小さな傷は膵臓のときに頑張った証拠。そして背中の方と脇腹あたりの傷は肺のときに頑張った証拠。私はこの傷と共に娘の元に逝くまでつきあう。頑張った勲章として褒めたたえようと思う偉いじゃん、私!頑張ったじゃん、私!と、誰も言ってくれないから、自分で言ってみたそして背中とドレーンが入
父は原発不明がんでした肺がんがみつかり入院中に悪性リンパ腫もみつかり肺がんの初診時はスタスタ歩いたのに1ヶ月後の悪性リンパ腫の検査時はすでに車イスでした高齢者なのにがんの進行が早くてたぶん3回打ったワクチンのせいだろうと思いましたワクチンについて調べてなにかいい情報を集めたらこの時代だし確実に見つけられたはず少しは生きる時間を延ばしてあげられたはず父は生きたいひとだったからそれを望んでもいたはずイベルメクチンがあたまをよぎるも父のために取り寄せることもせずそれで
どの看護師さんもみんな「ドレーン抜けて痛みラクになりました?」って笑顔で言ってくる。でも…「あまり変わらないです…」と私の返事。本当に動きやすくなっただけで、背中も肩も傷もとにかく痛い。そしてなぜか胸も苦しい。横になって寝てれば痛くもないんだけど、動かないとダメって言うし今はテレビカード、時間じゃないのね!1日単位なのね!!今日の朝からテレビ見ようと♪ちょうど推しが出る朝の情報番組あるしルンルンでのそのそ歩いてカード買いに行ったら…1,000円札と小銭しか使えない。私の
お久しぶりの更新になりました!なんとか日々働けている事に感謝なんですが、最近左胸あたりが、チクチクと痛むんです。術後、肋間神経痛にやられていましたが、それに近い痛みで…痛む場所が縦隔のリンパ節を取ったあたり…いや、それより少し上💧乳房なのか…肺?なのか…肋間神経なのか…最近まではそんな痛みもなかったので現れた痛みに不安が募ります。先日、また職場の健康診断があったのでその結果を待って続くようであれば受診しようかと悩んだり…怖いなぁ…筋肉痛みたいな痛みじゃないので
酸素計も心電図?も全部外れた明日にはシャワーも大丈夫、って♪でも背もたれないと5として座ってられない。胸が苦しいのと汗だくになっちゃって💦💦これ、他の人でも同じなのかな?どうなんだろ…?夕食も食べたい気はするんだけど、胸がとにかく苦しくてあと💩が出てないのが少し気になる。看護師さんに言うと、下剤みたいなの出されて大惨事なるから言いたくないししかも明日の5時まで尿の量記録してるし。頑張れ!私の体!!
今16:50。ドレーンが取れた。ドレーン抜くのに痛いのかドキドキしていたら…痛かった😭怖さとドキドキでベッドを握る手は汗だく5分くらいドレーンのとこいがピリピリ痛くて。でも少ししたら横になってる分には痛みは感じなくなった。それよりも何よりも…‼️肩と背中が痛いぃぃぃぃ‼️‼️‼️胸の下あたりのとこが痛みが出るかもしれない。それは神経痛だから、様子を見るしかない。でも命に別状はないからね。と。この肩と背中の痛み+神経痛なの⁉️私は手術当日が一番痛くなかったかもしれないで
昨年の7月中頃から終わり頃まで頭の3箇所肺腺癌からの転移性悪性腫瘍にピンポイントで放射線治療してもらったんだったて忘れるぐらい元気に今過ごしてる頭揉むのが大好きすぎて、直後のぶよぶよしてた所ぎゅーんって押しちゃって凹んでたところは今もほんのり窪みがあるしここたくさん当てたんだろうな、て所は触ったらわかる顔洗った時とか右の顔半分感覚が薄い感じで怖かったけど、今はそれも、良くなって治る過程なんだと信じてる以前から毛が薄かったけど、1円玉くらい円形になったところは数ヶ月後に生えてきて今は
奥さんと検査結果の説明を受け、翌週に大学病院の予約をしてもらい、CTの画像やら紹介状やらもう覚えてないけど、いろいろと書類をもらったりしたと思います。そしていったんは会社に戻りました。車で戻る途中でコンビニによって、当時買ったばかりの電子タバコのタバコとgloHyperをゴミ箱に捨てました。たしか捨てる前に1本だけ吸ったと思います。これで最後や・・・と心に刻むように、深く吸った電子タバコの味は忘れません。会社に戻っていてもたっても居られず、当時の上司に真っ先に打ち明けました。
これが筋肉痛なのか⁉️右側の背中というか肩下辺りが痛いというか重いというか、?少し苦しいというか。夕飯はご飯は2口程度で他は半分くらい食べた。歩けるから、トイレは💩したくなったら線外して行って大丈夫ですよと、看護師さんからOK出たけども……線まみれでごちゃごちゃだ
無事に昨日手術が終わった。やっぱり悪性だったみたいで「やっぱりガンでした。取ってよかったね!」と、先生に言われた。やっぱりか…なんかそれはそれでショック。ビビりまくった痛さはというと、痛いは痛いけど膵臓の時に比べたら月とスッポン!!膵臓のときはこんな次の日に歩いたりスタホポチポチしたりなんて、とても出来なかった。口を開けば目を覚ませば「あ〜痛い…」「痛い…」「イッテー」こればっかりだったから。今日は少しだけど看護師さんと歩いて、お昼からご飯も出たあとは術後スムーズに治って
7月17日に、先日行った「CTガイド肺下生検」の結果を聞きに病院へ。自分では、「進行が早いから小細胞癌かな?もし、小細胞癌であれば、薬がかなり効くらしい」と考えていた。ドキドキしながら待っていると自分の番が来て診察室へ・・結果は、なんと「肺腺癌」進行度はステージ4Aとのこと。愕然として先生に「去年の健康診断のレントゲン検査の結果は「異常なし」だったのに・・と言うと「同じ腺癌でも進行の早いものもあれば、遅いものもある。それと去年のレントゲンで癌が肋骨の影になって分からなかった可能性もあ
会社には毎月通院があるからと適当に言って毎月1回は半日サボるようにしています。これで心を安定させながら、実際は隔月か3か月に1回の通院中です。そのうちそ半年に1回に伸びるみたいなことを先生は言っていたような。それ毎回言ってないかと思いつつも、半年間隔となると逆に不安になるからやめてほしい。今日は造影CTを撮ってきました。結果はまた来週です。かれこれ何回CT撮ったでしょうか。病院の流れも熟知しており、CTの予約1時間前には到着し、まずは採血の予約を行い、その待ち時間の間にレントゲ
この医者何言ってんだろう。言ってることが全く理解できないというか、受け入れられませんでした。この部分が1cmに満たないくらいの大きさになっていて、脈を少し噛みこんでいる感じですかね。だと。大学病院に紹介状書くからそれ持って行って、正式に確定診断が下されると。いやーいやいや、冗談でしょまさか自分がそんなことになるなんて、まさに青天の霹靂とはこのことでした。でも医者がそういうんだからそうなんだろうと、受け入れるしかなかったです。とりあえずその時は自分だけでは受け止められなかっ
8月3日月曜日、6回目の全脳照射。いよいよ2週目に入り、今週残すところ5回頑張れば終了。週末はデカドロンの影響で少し体調良く家族と笑って過ごすことが出来た食事も、あんなに食欲がなくて、吐き気もあって、身体がどんどん痩せ細っていき、また!終わりが近いような気がしてブルーな日を過ごしたのに。週末は少なめではあるけど、ちゃんと食べることが出来た⤴︎この時、yuyu-tsuは、デカドロンってすごいなぁと単純に考えていた。時間通り受診して、無事に6回目の全脳照射を行った。週
こんにちは毎日とても暑い日が続いてますね本日8月5日無治療で4ヶ月月1回の検査でした。やっぱりドキドキ朝9時から血液検査とレントゲン10時には診察が終わったようです。検査結果は大きな問題は無しcea1.1レントゲンも問題無しでした。ただなぜか?好中球が低いそしてリンパ球が高いなぜ?何か細菌🦠にでも感染してるのか?家の主人抗がん剤治療してる時も…好中球が基準値より低い事…ほとんど無かった前回の血液検査も基準値内。たまたま今回だけかなー???とりあえず、様
再検査を受けたのはおそらく8月ごろ。すごく扱ったと思います。奥さんに促されて仕事の合間を縫って、検査自体はCT撮ってすぐ終わり、感想としてはこんなもんかぐらいに思ってました。後日結果を聞きに朝から病院へ。どうせ映ってたのはなんかの陰で、CT撮ったら問題なかったってことだろうと思ってました。とっとと終わらせて仕事に戻らねばと、その頃は仕事のことしか考えてなかったような。でも全然呼ばれなくって、かなり待った記憶があります。行ったときはあれだけ混雑していた周囲も、閑散としつつあった
週一回、頑張って車で30分の所までドラム教室に通ってます。何か習い事したくて、楽器をしたくて太鼓叩きたくて、ボケ防止にと笑、あれこれ探してたどり着いた教室では、最初は割と高齢な先生。色々言われながら頑張ってましたが、まさかの脳梗塞で亡くなるという…。(;ω;)で、次の先生は若〜い!息子より若いのではないかな。長髪を束ねたミュージシャン。今年の冬で3年目になります。が、なかなか上達しない😭😥今はあいみょんのマリーゴールドを多分卒業できたくらいです。(初心者級)で、生のドラムと、家の電
ついに来た、手術当日。昨日は寝たり起きたり…大部屋でトイレの横だから、他の人がトイレに入る度に目が覚めて、凄い勢いて水が出るからそれで起きる朝一の手術だから、6時以降は飲食厳禁⚠️病院で乾燥することもあってか、めちゃくちゃ喉が渇く💦目の前の人は2日前におそらく手術。で、昨日大部屋に戻ってきたんだと思うんだけど、弱々しい声で「痛みは6くらい…」言ってた。咳払いもできないみたいで弱々しい。6かぁ…2日目の朝で6かぁ…私の今日の午後、そして明日はどうなるんだろう……うぅぅ怖いよぉぉ
思い返せば遠い昔のように感じるしそうでないようにも感じる。当時、私は47歳。某市役所の基幹システム移行プロジェクトのプロジェクトリーダーに抜擢され、2年がかりで対応に追われていました。プロジェクトの2年からはマネージャーに登用され、なりたくてもなかなかなることができなかった管理職の看板に満足しきりでした。そんな矢先、会社で受けた健康診断の結果通知が私の手元にわたってきました。それは毎年受け取るものよりも明らかに厚さが違い、分厚いものでした。封を開けると「要再検査」の文字が目に入っ
入院生活が始まりました。レントゲンを撮ったり、血液検査をしたり。生まれて初めて足の付け根の動脈から血液検査を看護師さんは「少し痛いけど、細い針だし、普通の血液検査の時と同じくらいですよ〜」と。うそつきぃぃぃとんでもなく痛い…初めて注射で泣いたかも。何度かやり直しされて…「痛いの弱いのにごめんね。痛かったよね…」「私じゃダメそうだし、また痛い思いさせちゃうと困るから、別の人に変えますね💦」と。腕はよく看護師泣かせのようで、採りにくいとは言われる。足もダメだってことか……その
【治療歴】☆2018年10月肺腺癌ステージ4と診断される。EGFR遺伝子変異。胸椎、脳、リンパ節に転移あり。骨折寸前のため骨転移部の固定手術後に放射線治療10回☆2018年11月分子標的薬のタグリッソ80mg服用開始。☆2022年3月腰椎に転移。放射線治療5回☆2023年10月腰椎に転移。放射線治療5回☆2024年7月胸椎、肋骨に転移。放射線治療10回☆2024年8月タグリッソ終了(5年9か月)、2次治療ABCP療法(4クール)☆2025年1月AB維持療法(