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こんばんは♪『サリーちゃんの脚』要介護4の母の半日デイ。1週間に1回。現状寝返りも打てない母を週1入浴させる手段で利用しています。退院後3回利用。順調だったのは1回のみ😢吐くんですわ。食道…ameblo.jp↑の結果報告です診察前に体重測定したらなんと59.8キロなんと1日で2キロもまた体重が増えていました😭浮腫が酷くて血管みえず、採血できず検査処置室から中央措置室に回されました😭点滴とるのも4人の看護師さんで30分もかかりました。そして検査の結果診断がつきまして頻
要介護4の母の半日デイ。1週間に1回。現状寝返りも打てない母を週1入浴させる手段で利用しています。退院後3回利用。順調だったのは1回のみ😢吐くんですわ。食道裂孔ヘルニアがあるので。薬も最低限まで減らしてきたけど、朝粉薬抜いてもダメです。本人には苦行になってるデイでも行かないと家では入浴はもう無理です😭今日は吐きながらも入浴はできた模様。でも、送迎の方から口頭連絡で連絡帳にも書きましたが、体重が1週間で8キロふえています!ショックでした。自分たちで入浴させていた時は
2024.05.01父の亡くなる少し前から、うちで飼っているチワワのショコラがご飯を食べなくなってきた。14歳の老犬ペットフードを食べなくなってしまい、痩せてきた。1日のほとんどをゴロンと歩きもヨタヨタしてきている。少しでも食べれるものをと、缶詰のペットフードにしたり、チュールにしたり。お粥に魚を混ぜたり。フルーツを小さく切ってみたり…それでも、食べれる量は減ってきている父の最後の一ヶ月と重なり、みていて辛くなるうちの末っ子は犬が大好きだから、弱ってきたのを認めたくない。『まだショコ
2024.04.29ゴールデンウィークでも、シフト制の私には関係なく…仕事、家事、子育てに追われる日々。まだまだ父を思い出し、ふと泣けてしまう日々。4/17収骨も終わり、火葬場から葬儀場へ。骨壷落としそうで怖いと言ううちの末っ子。長男が待つことに。葬儀場に着くと、再度お経をあげ、喪主の挨拶。本来ならば母がやるべきなのだが、葬儀打ち合わせの時、『私は人前で話すのできないからあんた達でやって』と…説得を試みるも失敗言い出したら聞かない母…長女である姉が挨拶をすることに。
実家の空巣にやってきたツバメさん巣をメンテナンスしてますよ可愛く撮れたので見てね新居用意してお嫁さん募集中の模様素敵な家族を作ってね❤️ツバメは癒しです。母を半日デイに送り出した合間に撮りました🎵ラクダ母は忙しくて、やっとマイカーのタイヤも夏タイヤに替えました。。おいおい🙄さて母の半日デイなかなか大変です。母の処方薬多すぎるのだと思う。朝6個の錠剤漢方2種とパウダーの3袋シロップ20ミリ食道裂肛ヘルニアがあるので、(なんぼほど病気あるねん😢)元々食べ物が逆流しやす
2024.04.27父を思い出し、また泣けてきてしまう。いまだに夢にも出てきてくれない父葬儀の孫たちからの手紙に号泣した後は火葬場へ。父の顔が見れるのはこれが最後。父の頬を触ったまま泣き崩れる私。母は、頭のネジが外れたように、空元気のように、変に明るく振る舞うまだまだ受け入れられない様子ふと隣を見ると姉も号泣お通夜、葬儀と私と母がメソメソしているため気丈に振る舞っていた姉が号泣。2人で手を繋いで、抱き合って、大泣き。火葬の扉が閉められたあとも2人でずっとその場に留まり泣いて
2024.04.26父の死後いろいろな手続きがあり、まだバタバタとしている。4/17の葬儀の続きです。みんなで、父の棺に花を敷き詰めた後、孫からの手紙。本来なら一番大きいうちの長男が読み上げるべきなんだろうけど、文才がないし、『俺、そんなん読んだら号泣しちゃうで無理。』と。受付や、棺を持つ人、骨壷を持つ人など孫たちもそれぞれに役割を降ったので、役割がない、姉の次女、三女が手紙を読むことに。まず初めに姉の次女。『じいじへ。いつも夢を応援してくれたね…じいじのおかげで夢に向かって頑張
今日はかなり地味目の話です。読売の科学ニュースを見ていましたら、日本史に関する内容が出ていて、これはかなり珍しいことです。関ヶ原の戦い(1600年)で戦国武将・小早川秀秋(1582~1602年)が西軍から東軍に寝返った際、決断が遅れたのは過度の飲酒で肝硬変から発症した肝性脳症による判断力低下の可能性があるとするユニークな説を、兵庫県姫路市御立東の脳神経外科医、若林利光さん(63)が、秀秋の当時の病状などを記した史料からまとめた。戦いで西軍側の秀秋は寝返りを誘われていたがなかなか動か
2024.04.20忌引きも終わり、今日から出勤です…働く気が全くしないしばらく夜もちゃんと寝れず、3時前後に起きてしまい、疲れが全くとれず…2023.10.13に進展型小細胞肺癌ステージ4bと診断され、半年と1日。全力で戦った父が空に旅立ちましたあまりにも急に、あまりにもあっさりと残された母は当たりどころが無く、それを私たち姉妹にぶつけてきます4/14実家から帰る車の中で『私らだって悲しくて泣いていたいのに、あんなにキレられてたらゆっくり泣けん。精神的に追い込まれるわ。』
今日は診察アンモニアを調べてもらっていたのですが167から116に下がっていました。アミノレバンが効いたのかなあ。このところ、一日2回必ず飲んでるし。じゃ、5月から仕事行けるんじゃない?と言うと100越えてたらまだ危ないって。運動も控えたほうがいいらしいって。運動ってなんにもしてないけど?いや、昼30分くらい散歩してるけど、15分くらいにするわ。何でもいいですけどーあー来月も仕事無理なのか。散歩行って頭ぼーっとして、車にひかれてほしいけど。←最低もう自宅療養勘弁してほしいわ
2024.04.19明日から仕事。今日も手続きやお礼の品を買いに。4/1417:30頃、父が家に帰ってきました自分の足で出て行った家…冷たくなって帰ってきました。明日家に帰ろうねと言っていたのに帰ってきた父はとても穏やかな顔をしていました。左から見ると微笑んでいるような顔。孫2人がしてくれた死化粧。すこしおかまっぽいけど、上手にできてました。ただ、死後、黄疸が強く出てきており、病院にあったファンデーションだと白めのものだったので、濃い色のファンデーションをなってあげたいと
2024.04.184/14に父が亡くなった日のお話の続きです。父の帰ってくる場所を母にワーワー言われながら決め、銀行やアデランスの店舗へ。ひとまず帰ってきた姉の夫が車を出すといっているのに、それをムシして、『◯◯(私)いくよ』と母お父さんが帰ってくるまであと30分ほど。そんなの今やる必要ないのに…と思いながらもキレまくる母に付き合う。車に乗ると泣き出す母。私達の前では泣いていたが、孫の前であまり泣けないから、泣きたかったんだろうな。義理の兄に、“泣きたかったみたいで、私の車でい
2024.04.17父の葬儀が終わって帰宅しました4/14父が亡くなった時の続きです。14:27頃ついに心停止。呼吸が止まってから30分近く頑張ってくれていましたが、孫2人待たずに逝ってしまいましたもー、みんな大泣き14:30主治医訪室。死亡確認辛すぎる。声を出し泣きましたナースと話し、母が、『主人は仕事が好きで、いつもスーツを着てたから、スーツを着せたい』と。私の主人と母、小さい孫たちをつれて家に戻り、スーツを持ってくることに。『家の片付けやったりしなきゃ』と
2024.04.16今日は父の通夜です14日亡くなる日の記憶があるうちに、記録を残します前回の続きです。13:50頃から酸素は10ℓへ。だんだんと呼吸数が減っていきます。その頃息子から、“15:06に◯◯駅(最寄駅)着”と連絡が。初孫でもあり、男の子の為、思い入れの強い孫。『◯◯が3時過ぎにくるから、頑張って会いたいでしょ』と泣きながら声をかける。14:00を過ぎたころ父は呼吸をするのを辞めてしまった。心拍はまだ60台。『まだ孫たちきてないじゃん会いたがってるから頑張っ
2024.04.154/14父が亡くなった。まだまだ泣いてばかりだが、忘れないうちに少しづつ記録しておく。10時頃一旦帰宅して、洗濯物や洗い物を片付け、2日間まともに寝てなく、夜付き添うために昼前から仮眠をとる。12:45病院から電話『血圧が50台に下がってきています。』と。昼間母が付き添うと言っていたのにまだ行っていないと急いで母と姉に電話をする。母は父が帰ってくる前に畑のことを少しやっていたと。法定速度を無視して車をとばす。13:10病院に着くも、先についているはずの
今年も帰ってきました❣️つばめさんお帰りなさい明日母が初めて半日デイに行きます❗️お風呂に入れていただきますね。入浴後の飲み物にも制限がある母打ち合わせにデイの担当者が来てくれました。びっくりしました🫢ジャニーズみたいな青年がきて若い世代が介護の世界で頑張っておられるのをみて、ほろっときました。生田斗真くんに似ていたよ。きっとばあちゃんのアイドルだと思うわ。10人未満の小規模デイでお風呂は頼みました。看護師常駐施設は大規模すぎて、母にはかえって危ないと思います。今後
2024.04.14私たちは13日を魔の13日と読んでいます。父が進展型小細胞肺がんと確定診断された日も13日。父の父(私からしたら祖父)が亡くなったのも13日。昨日、呼吸状態が悪くなり、なんど“おじいさ、お父さん連れてかないで”と祈ったか。酸素も朝までに5ℓまで減量でき、無事に魔の13日は超えられました明日は家に帰ってこれる日。頑張って父は早くラクになりたいと思っているかもしれない。でもそれでもやっぱり、まだ一緒にいたいと思ってしまう。家族の自己満足かもしれないけど、家に帰して
2024.04.13進展型小細胞肺癌ステージ4bと宣告された時から今日で半年。今日の夜勤明けで、しばらく介護休業にはいる。手続きの紙をだし、病棟スタッフに挨拶。14:30姉から電話『熱が上がってて酸素2ℓで始めたって。ケアマネに酸素も手配してもらうようにたのんだよ。』『先生が週末も家族会えるようにしてあげて』と言ったから土日も面会していいってと。(思いやりも何もないと思っていた主治医。たまにはいいとこあるじゃん)現在いる総合病院では、面会規制が緩まり、平日のみ一回に2人(中学
2024.04.12『父の退院日決まったよ。』と姉から連絡。『希望してた15日(月)相談員さんが早く動いてくれそうなケアマネ、訪問医に連絡をしまくってくれたみたい』と。これなら、意識が少しでもあるうちに帰ってこれるかも今日も少し喋ったみたい。わかっている時とわかっていない時とあるけど点滴スタンドとスロープを早急に用意してもらわなきゃベッド、ポータブルトイレ、オムツ、ラバーシーツ、起き上がりセンサーもどき、は用意できてる。食べてる途中にも意識がふわっとなくなるため、高カロリーゼリー
2024.04.11主治医のいる地元の総合病院へ転院。9:30に『今病院出発しました』と連絡が…11時着と言っていたのにもう出た道が混んでなければ10:30前に着くじゃん大急ぎで母と姉に電話して、地元の総合病院へ向かう。10:30前に着くとすでに前医の車が到着しており、父の姿がない受付をして入院手続きをする。病棟へ上がると主治医からの説明が。•肝臓の状態がよくない。•ビリルビン値は9(通常1.5未満)(この前会った時に黄疸もでていたから、高いだろうとは思っていた。)•
2024.04.10今日も姉に呼ばれていたので実家へ。夜病院から『急変しました』と電話がくるのではないかと、ヒヤヒヤして何度も目が覚める。二日間まともに寝れてないのでキツイ今日も父に合わせて欲しいとたのんだが、今いる病院は癌の治療に力を入れており、がん患者が多いため、コロナ感染のリスクを減らしたいからと、面会はさせてもらえなかった。今日は父の介護用ベッドの場所決め。昨日も話し合ったが、母との意見の食い違いがあり、なかなか決まらず。今の状態のまま帰ってくるとなると、肝性脳症を起こしており
先日硬膜下血腫で入院中だった母が退院いたしました!2ヶ月半の入院2回の脳外科手術に耐えましたしかし80代の母に2ヶ月以上の入院生活は長すぎました😢寝たきり生活が続き、リハビリもがんばりましたが寝返りもうてない状態で退院を迎えました😢認知症も著しく進みました。喜怒哀楽が激しく、特に攻撃性が強い🥲要介護4になってしまいましたとても困っている事がありました。入院中にリハビリで大抵抗して泣き叫び、騒動中に母は大切なメガネを紛失しました。要介護4全介助に近いです。テレ
2024.04.0910日に病院に父の状態を聞きに行く予定が、一日早められた。どーしても本人に面会させてくれた頼み、父に会えることに。母と姉と3人で合わせてもらうことになるが、帰り泣いてしまい40分運転できそうにない…主人が休みをとってくれ、送り迎えしてくれることに。ICの予定が早まったこと、急遽勝手に転院(主治医のいる病院へ)決まっていたこと、肝性脳症をおこしていること。相当状態がわるいのだろう。行きの車から3人とも大泣きハイパーサーミアの為入院している民間の病院につくと、すぐ
看護師として少しだけ仕事に慣れてきた頃準夜勤に入ろうとすると電話が鳴りました。それは母からでかなり慌てている様子。母「お父さんが入院したの早くきて!」私「でも今から仕事なんだよね」母「そんなこと言ってる場合じゃないんだって」母の声は震え、これはただ事ではないと察したのです。ちょうどその時、同じ寮の中にいた同僚が準夜勤を変わってくれることになりました。すぐに父が運ばれた病院に到着すると力なく、ベッドに横たわる父がいたのです。私「お父
2024.04.0811:00夜勤明けで帰ってきて、家のことを済ませ仮眠を取ろうとしていると、父の入院している病院から電話が…『昨日、状態聞きましたよね?こちらの医者と向こうの病院(父が抗がん剤をやっている公立の病院)と話し合い、11日に転院することになりました。』と。『そんな話聞いてないですけど…』『肝性脳症の可能性が高いこと、肝機能がかなり悪化していることはききましたが、転院の話は何もきいてません』なにがどうなってそうなったのか…『さらに状態が悪化したということですか?今の父の
2024.04.08肝機能の悪化で3月の抗がん剤がスキップになり、父の希望していたハイパーサーミアを受けるために4/2から民間の病院に入院している父。4/3に電話で報告があったきり、LINEも既読がつかず。電話にもでなかった昨日夜勤の前に父から着信がびっくりして電話に出ると、呂律が回っておらず、会話も少し成り立たないところがある聞き取れて分かったのは、『調子が悪い。今の状況を看護師さんに聞いてほしい』ということ。『看護師さんにかわってくれる?』と言うと、『うん。』というも無言のま
3週間ぶりになりました。久しぶりに会う母はアンモニア数値が高めということもあり少しボケボケとした感じではありましたが、お花見をしたいという前向きな気持ちもありよちよちではありますが歩けました。車までの帰り道がしんどくなってしまったので駐車場整理をしていた方にお願いをして椅子を借り母にはそこで待っていてもらって車を回しました。今年も桜は綺麗です♡満開!桜の木の下でお花見をしている外国人観光客の多いこと。母は首をあげて『綺麗だね
2ヶ月以上入院していた母退院いたしました!介護タクシーは走行19.7キロで7690円でした。自宅ベッドまで車椅子で移動し、無事にベッドに母を移乗出来ました薬の山で退院処方でもらって帰った薬の整頓に1時間以上かかりました😢冷蔵庫内が要冷蔵の薬でいっぱいですこれで次回外来までの2週間分です。ラクスノースが薬価を抑えるために分包で常温保存のものから要冷蔵のシロップに変わりました。これ、1日3回カップで測らねばなりません。昼夕はラクダ母がやりますが、朝は80代の父に負担で
要介護4硬膜下血腫で2ヶ月以上入院中の母。月曜日の頭部CTの結果、再発兆候は見えませんでした退院調整に入りました地域包括支援センターには入院当初から連絡をとっております。入院中他の病院でかかっている病気を入院中に入院病院で見れるよう調整もしていただきました。また老健申し込みを2件したのも、センターのケースワーカーのアドバイスでした老健複数申し込みはこの地方ではしない慣例らしく、それでも複数を助言されたのは審査落ちの予感がぷんぷんしたのだと思います結局予感的中、落ちました
この日の画像診断ではっきりしたのはキャバリアあるあるキアリ様奇形だけ肝臓が悪い原因はわからないまま浮かない気持ちの帰り道信号待ちで横を見ると助手席のくるみは笑ってと言ってました笑いました肝生検しかない事家で注意する事は腹水と黄疸肝生検も全身麻酔しての開腹簡単には決断出来ませんでした1年後に再び画像診断をしたけどやはり肝生検以外方法はない…という事でしたのちに肝生検をするのですがついた診断名は胆汁うっ滞性胆管肝炎根治的治療法なし肝硬変から肝性脳