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2024.05.01父の亡くなる少し前から、うちで飼っているチワワのショコラがご飯を食べなくなってきた。14歳の老犬ペットフードを食べなくなってしまい、痩せてきた。1日のほとんどをゴロンと歩きもヨタヨタしてきている。少しでも食べれるものをと、缶詰のペットフードにしたり、チュールにしたり。お粥に魚を混ぜたり。フルーツを小さく切ってみたり…それでも、食べれる量は減ってきている父の最後の一ヶ月と重なり、みていて辛くなるうちの末っ子は犬が大好きだから、弱ってきたのを認めたくない。『まだショコ
2024.04.29ゴールデンウィークでも、シフト制の私には関係なく…仕事、家事、子育てに追われる日々。まだまだ父を思い出し、ふと泣けてしまう日々。4/17収骨も終わり、火葬場から葬儀場へ。骨壷落としそうで怖いと言ううちの末っ子。長男が待つことに。葬儀場に着くと、再度お経をあげ、喪主の挨拶。本来ならば母がやるべきなのだが、葬儀打ち合わせの時、『私は人前で話すのできないからあんた達でやって』と…説得を試みるも失敗言い出したら聞かない母…長女である姉が挨拶をすることに。
北九州市八幡西区黒崎健康免疫活性ダイエットサロンマイナスαこんにちは。院長の重松です。11/28のブログで東京大学薬学部が「みどりむし」の次にみつけた1万種類以上の物質の免疫活性率を調査してもっとも免疫活性率が高い11-1「いちいちのいち」という新種の乳酸菌を私の母に飲ませるというお話をしました。http://ameblo.jp/minus-alpha/entry-12223741705.html結果をご報告する前に母の病状を軽くご説明してお
2024.04.08肝機能の悪化で3月の抗がん剤がスキップになり、父の希望していたハイパーサーミアを受けるために4/2から民間の病院に入院している父。4/3に電話で報告があったきり、LINEも既読がつかず。電話にもでなかった昨日夜勤の前に父から着信がびっくりして電話に出ると、呂律が回っておらず、会話も少し成り立たないところがある聞き取れて分かったのは、『調子が悪い。今の状況を看護師さんに聞いてほしい』ということ。『看護師さんにかわってくれる?』と言うと、『うん。』というも無言のま
2024.04.27父を思い出し、また泣けてきてしまう。いまだに夢にも出てきてくれない父葬儀の孫たちからの手紙に号泣した後は火葬場へ。父の顔が見れるのはこれが最後。父の頬を触ったまま泣き崩れる私。母は、頭のネジが外れたように、空元気のように、変に明るく振る舞うまだまだ受け入れられない様子ふと隣を見ると姉も号泣お通夜、葬儀と私と母がメソメソしているため気丈に振る舞っていた姉が号泣。2人で手を繋いで、抱き合って、大泣き。火葬の扉が閉められたあとも2人でずっとその場に留まり泣いて
2024.04.0811:00夜勤明けで帰ってきて、家のことを済ませ仮眠を取ろうとしていると、父の入院している病院から電話が…『昨日、状態聞きましたよね?こちらの医者と向こうの病院(父が抗がん剤をやっている公立の病院)と話し合い、11日に転院することになりました。』と。『そんな話聞いてないですけど…』『肝性脳症の可能性が高いこと、肝機能がかなり悪化していることはききましたが、転院の話は何もきいてません』なにがどうなってそうなったのか…『さらに状態が悪化したということですか?今の父の
2024.04.16今日は父の通夜です14日亡くなる日の記憶があるうちに、記録を残します前回の続きです。13:50頃から酸素は10ℓへ。だんだんと呼吸数が減っていきます。その頃息子から、“15:06に◯◯駅(最寄駅)着”と連絡が。初孫でもあり、男の子の為、思い入れの強い孫。『◯◯が3時過ぎにくるから、頑張って会いたいでしょ』と泣きながら声をかける。14:00を過ぎたころ父は呼吸をするのを辞めてしまった。心拍はまだ60台。『まだ孫たちきてないじゃん会いたがってるから頑張っ
昨日、あんなに辛そうな顔をして眠っていた妻今日、面会すると昨日よりさらに元気になったようで…私が集中治療室に入っていくと「パパ」と笑顔を返してくれた…思えば、こころなしか?点滴によるものか?治療のせいか?顔にも張りが出て、皮膚の表面にも水分がいきわたっているように見えた私は仕事にかまけて、この人はいつまでも私の傍にいてくれると…思っていたでも、恩恵をうけていながら、一緒いたのに、黄疸、胃の不調、腕や胸部の赤い発疹等の身体の変調も気にかけてあげていなかった男は一般的にそんなも
2024.04.10今日も姉に呼ばれていたので実家へ。夜病院から『急変しました』と電話がくるのではないかと、ヒヤヒヤして何度も目が覚める。二日間まともに寝れてないのでキツイ今日も父に合わせて欲しいとたのんだが、今いる病院は癌の治療に力を入れており、がん患者が多いため、コロナ感染のリスクを減らしたいからと、面会はさせてもらえなかった。今日は父の介護用ベッドの場所決め。昨日も話し合ったが、母との意見の食い違いがあり、なかなか決まらず。今の状態のまま帰ってくるとなると、肝性脳症を起こしており
2024.04.20忌引きも終わり、今日から出勤です…働く気が全くしないしばらく夜もちゃんと寝れず、3時前後に起きてしまい、疲れが全くとれず…2023.10.13に進展型小細胞肺癌ステージ4bと診断され、半年と1日。全力で戦った父が空に旅立ちましたあまりにも急に、あまりにもあっさりと残された母は当たりどころが無く、それを私たち姉妹にぶつけてきます4/14実家から帰る車の中で『私らだって悲しくて泣いていたいのに、あんなにキレられてたらゆっくり泣けん。精神的に追い込まれるわ。』
2024.04.14私たちは13日を魔の13日と読んでいます。父が進展型小細胞肺がんと確定診断された日も13日。父の父(私からしたら祖父)が亡くなったのも13日。昨日、呼吸状態が悪くなり、なんど“おじいさ、お父さん連れてかないで”と祈ったか。酸素も朝までに5ℓまで減量でき、無事に魔の13日は超えられました明日は家に帰ってこれる日。頑張って父は早くラクになりたいと思っているかもしれない。でもそれでもやっぱり、まだ一緒にいたいと思ってしまう。家族の自己満足かもしれないけど、家に帰して
主治医と家族の話は、ロクな内容ではありません。今回の不吉な予感は、娘の眠い💤という話前の状況も、重なっておりました。しかし、私は肝性脳症から目覚めた自信がみなぎっておりました。不思議です。亡父が、肝性脳症から目覚めることなく亡くなった時、主治医が目覚める確率はほぼ無いと言っていたから。目覚めればいいけれど、と。異常なアンモニア値だったらしいです。でも、私は目覚めた‼️それが、何よりもの自信でした。まったく根拠はありません。約束の時間が近づき、夫と娘が病室に来ました。主治医の話も、3回目
2024.04.184/14に父が亡くなった日のお話の続きです。父の帰ってくる場所を母にワーワー言われながら決め、銀行やアデランスの店舗へ。ひとまず帰ってきた姉の夫が車を出すといっているのに、それをムシして、『◯◯(私)いくよ』と母お父さんが帰ってくるまであと30分ほど。そんなの今やる必要ないのに…と思いながらもキレまくる母に付き合う。車に乗ると泣き出す母。私達の前では泣いていたが、孫の前であまり泣けないから、泣きたかったんだろうな。義理の兄に、“泣きたかったみたいで、私の車でい
2024.04.17父の葬儀が終わって帰宅しました4/14父が亡くなった時の続きです。14:27頃ついに心停止。呼吸が止まってから30分近く頑張ってくれていましたが、孫2人待たずに逝ってしまいましたもー、みんな大泣き14:30主治医訪室。死亡確認辛すぎる。声を出し泣きましたナースと話し、母が、『主人は仕事が好きで、いつもスーツを着てたから、スーツを着せたい』と。私の主人と母、小さい孫たちをつれて家に戻り、スーツを持ってくることに。『家の片付けやったりしなきゃ』と
2024.04.154/14父が亡くなった。まだまだ泣いてばかりだが、忘れないうちに少しづつ記録しておく。10時頃一旦帰宅して、洗濯物や洗い物を片付け、2日間まともに寝てなく、夜付き添うために昼前から仮眠をとる。12:45病院から電話『血圧が50台に下がってきています。』と。昼間母が付き添うと言っていたのにまだ行っていないと急いで母と姉に電話をする。母は父が帰ってくる前に畑のことを少しやっていたと。法定速度を無視して車をとばす。13:10病院に着くも、先についているはずの
2024.04.13進展型小細胞肺癌ステージ4bと宣告された時から今日で半年。今日の夜勤明けで、しばらく介護休業にはいる。手続きの紙をだし、病棟スタッフに挨拶。14:30姉から電話『熱が上がってて酸素2ℓで始めたって。ケアマネに酸素も手配してもらうようにたのんだよ。』『先生が週末も家族会えるようにしてあげて』と言ったから土日も面会していいってと。(思いやりも何もないと思っていた主治医。たまにはいいとこあるじゃん)現在いる総合病院では、面会規制が緩まり、平日のみ一回に2人(中学
2024.04.19明日から仕事。今日も手続きやお礼の品を買いに。4/1417:30頃、父が家に帰ってきました自分の足で出て行った家…冷たくなって帰ってきました。明日家に帰ろうねと言っていたのに帰ってきた父はとても穏やかな顔をしていました。左から見ると微笑んでいるような顔。孫2人がしてくれた死化粧。すこしおかまっぽいけど、上手にできてました。ただ、死後、黄疸が強く出てきており、病院にあったファンデーションだと白めのものだったので、濃い色のファンデーションをなってあげたいと
あまりにも腹水胸水がつらく、予約外に外来に行って、採血(久しぶりに腕から取れた)、レントゲン🩻を撮ったら予想通り胸水が増えてて、入院のボーダーラインに近づいてました。腹水も妊婦健診と間違われるくらいにぽっこりしていたので、サムスカを処方してもらえました。普段いく調剤薬局では取り寄せになるとのことで、今回だけ病院近くの調剤薬局にいくと、おなかをみて、おめでとうございます!何ヶ月目ですか?とwいやー赤ちゃんだったらいいんですが、これ全部腹水なんです、という慣れたやりとり
2024.04.11主治医のいる地元の総合病院へ転院。9:30に『今病院出発しました』と連絡が…11時着と言っていたのにもう出た道が混んでなければ10:30前に着くじゃん大急ぎで母と姉に電話して、地元の総合病院へ向かう。10:30前に着くとすでに前医の車が到着しており、父の姿がない受付をして入院手続きをする。病棟へ上がると主治医からの説明が。•肝臓の状態がよくない。•ビリルビン値は9(通常1.5未満)(この前会った時に黄疸もでていたから、高いだろうとは思っていた。)•
肝門部転移しかも、門脈枝閉塞に胆管拡張どうなるんだろう調べると門脈が閉塞すると、門脈圧亢進症になる。食道や胃、直腸、へそ横に静脈瘤ができる。食道や胃のそれが破裂して出血する。腹水がたまる。胆管閉塞だと黄疸になる。また黄色くなるのか…肝性脳症になる。とかいろいろ書いてある。早くなんとかしないと。食欲がないのであまり食べられない。食べても門脈が閉塞してるから、どっちにしろ肝臓には栄養があまり行かないと思うけど。ホントにこれは深刻ではないか?昨日、主治医は困った感じだっ
2024.04.0910日に病院に父の状態を聞きに行く予定が、一日早められた。どーしても本人に面会させてくれた頼み、父に会えることに。母と姉と3人で合わせてもらうことになるが、帰り泣いてしまい40分運転できそうにない…主人が休みをとってくれ、送り迎えしてくれることに。ICの予定が早まったこと、急遽勝手に転院(主治医のいる病院へ)決まっていたこと、肝性脳症をおこしていること。相当状態がわるいのだろう。行きの車から3人とも大泣きハイパーサーミアの為入院している民間の病院につくと、すぐ
まだ、4人部屋で使いっ走りをしていた入院中。(余命宣告をされた後も、少しの間入院していました)その頃は、救急で昏睡していた時間がとても短かったことは何となく理解していました。でも、結局今もどれくらいの時間かはわかっていません。聞くのも邪魔臭くて、気づいたら3年。とにかく救急搬送されてから、目覚め、病室に移されるまで1日経っていなかったことは、事実だったわけです。そこへ、アンケート週間です!と看護師さんがアンケート用紙を持ってきました。その頃、羽ばたき振戦も少し治っていたので、そのア
2024.04.26父の死後いろいろな手続きがあり、まだバタバタとしている。4/17の葬儀の続きです。みんなで、父の棺に花を敷き詰めた後、孫からの手紙。本来なら一番大きいうちの長男が読み上げるべきなんだろうけど、文才がないし、『俺、そんなん読んだら号泣しちゃうで無理。』と。受付や、棺を持つ人、骨壷を持つ人など孫たちもそれぞれに役割を降ったので、役割がない、姉の次女、三女が手紙を読むことに。まず初めに姉の次女。『じいじへ。いつも夢を応援してくれたね…じいじのおかげで夢に向かって頑張
ずいぶん放置してました。2018724(結婚記念日だよ)夫は再入院しました。今までの事少しづつ書いていきます。去年アルコール性肝硬変の夫が退院して1ヶ月色々ありました。愚痴ります(すいません😣)冷蔵庫のチェックアイスクリーム買っておいたらなんでこんなん買ってるねんって怒られ賞味期限のチェック俺が買ったやつ勝手に食うなって言っておきながら賞味期限キレてるのにいつ食べるねんいつまでほっておくねんとかお茶が熱いだの冷ますと
昨日わからないことがわからなくて、携帯のつかいかたも、日本語も服の着方薬のしゅるいもわからなくてもうなにがなんだかわからなくなりました。完全に肝性脳症でした。おかげで人との約束も連絡できないから行けなくて。。たまに症状でるようになって、病気が進行してるのがとてもこわい。
今日は診察アンモニアを調べてもらっていたのですが167から116に下がっていました。アミノレバンが効いたのかなあ。このところ、一日2回必ず飲んでるし。じゃ、5月から仕事行けるんじゃない?と言うと100越えてたらまだ危ないって。運動も控えたほうがいいらしいって。運動ってなんにもしてないけど?いや、昼30分くらい散歩してるけど、15分くらいにするわ。何でもいいですけどーあー来月も仕事無理なのか。散歩行って頭ぼーっとして、車にひかれてほしいけど。←最低もう自宅療養勘弁してほしいわ
今日は肝性脳症が発生してから初めての定期外来。血管が見つかり難いのはいつものこと今日も採血に左右5〜6箇所刺して試して1時間かけてもとれなくて、処置室のベッドで休憩ののち温めたりしてもダメで、結局太ももの付け根から採血💉まさか今日主治医の先生と数名の看護師さんに下着を見られるとは思ってなかった。。勝負パンツはいてくればよかったw採血に時間がかかりすぎたのでだいぶ待って本日最後の診察。するとビリルビンは過去1でいい数値だったのに対してアルブミン、ヘモグロビンが過去最低
翌日病院へ。先生と面談。先生と会うのは前回な吐血以来。今の家での様子を伝える。先生は「だいぶ辛いと思います。でも、本人からは特に変わりはないとしか聞いていないんです」とのこと。私はこのアメブロで得た知識で質問しまくり。○アルブミンがかなり低いけれど、アミノレバンなどは使わないのか○腹水がたまってきていると思うけれどどのくらいになったら腹水穿刺はするのか、利尿剤はかえないのか○肝硬変になってかなりたつが、肝癌にはなっていないのか○今後はどうなっていくのか○肝性脳症がなにより怖いの
2020.2.21今日行くと夫はよく眠ってた。しばらく待ってたらいきなりの目覚めて「なんで居るん?」って何回も聞かれて「面会時間やから顔見にきたで〜」って言ったら少し微笑んで「なんで居るん?不思議やなぁ」って私が看護師さんと話してる間ずっと「なんで居るん?おかしいかなぁ?俺ボケてるんか?」ってそうやなぁとも言えないから笑ってごまかしておいたけど昨日は話せなかったのが話してる事に驚きでやっぱり夫の快復力は凄いなぁって頑張ったねでは🖐
我が家では観葉植物を育てています。ドングリポット。今の家に引っ越してきてから育てていて約6年。どんどん大きくなるのもかわいくて、夏と冬に苔の張り替えのメンテナンスをお店にお願いしたりして大切に育てていたのですが、去年の夏、突然もうお世話はできないと思って知人に譲りました。なぜ突然そう思ったのかはわかりませんが、自分の体調で頭がいっぱいになって苔がカラカラに乾燥するまで気がつかない(周りが見えてない)事を繰り返して、何かを世話するという余裕がなくなったんだと思います。もしかしたら肝