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/秀吉に武将ら当惑?書状写し発見-Yahoo!ニュース//秀吉の自己顕示欲くっきりお手柄アピールに信長側近から返事(毎日新聞)-Yahoo!ニュース/前後一覧/令和6年2月/
昨晩、前々から靴や冬物衣料品の調達に行こうと思っていた「三田プレミアムアウトレット」へ翌日(2/8)に行こうと思い立ち、折角三田まで行くなら近辺の山城に立ち寄ろうと思い、ネットで行き先の山城を色々と検索した結果「淡河(おうご)城」(兵庫県神戸市北区淡河)に決め、縄張図をネットで抽出し予習をしました。家を9時に出て、「中国道」を西宮北インターまで乗り、そこから一般道を走りました。地図では「淡河道の駅」近辺となっていましたのでその駐車場に止めると、真ん前の段丘上に「淡河城址」と大きな看板が見え
2024.1.5.羽柴秀吉の、中国攻めの時、毛利は「備中七城」と呼ばれる七つの城の防衛線を張りましたその中でも、中心の城となったのが、清水宗治が守る備中高松城毛利軍が援軍として来た時は、既に水攻めが行われ城は水の中でした。ずっと気になりながらも、身近過ぎて後回しにしていた鷹ノ巣城跡へやっと、時間をつくって行ってきました(いつも、よく見る景色)主力を率いた小早川隆景軍(約20000)高松城から離れた江田山に陣を置きました江田山は、日差山と尾根が繋がり大軍を配置できますその先に、
明智光秀の本能寺の変までの心情を描いています。下巻は、四国征伐から始まります。土佐から起こった長宗我部元親が、四国制覇を達成します。織田信長と同盟した長宗我部は四国は切り取り次第のお墨付きをもらいます。元親は四国制覇を成し遂げましたが、信長からは約束は保反古にされ、本領土佐のみ安堵、他は没収と言われ、抗戦を決意します。この長宗我部との交渉を担当していたのが、明智光秀でした。長宗我部を滅ぼすのなら我が手で。明智光秀はそう考えます。北陸司令官柴田勝家や毛利氏担当司令官羽柴秀吉が織田家中
『楼蘭』は井上靖さんの歴史短編小説集で十二話を収録しています📕🎵井上靖さんが生涯に渡って取り組んだいわゆる西域ものの『楼蘭』や『洪水』等の作品が中心の短編集です🏜️🇨🇳『楼蘭』の中で一番好きな作品が明智光秀が主人公の『幽鬼』です🤗ストーリーは明智光秀は西上の途中で本能寺を襲撃する事に迷いが生じます🤔その光秀の前に、光秀にしか見えない自らが滅ぼした波多野一族の兵士達が現れます…😵❗しかし気付けば京へと続く道でした⚔️光秀はそこで初めて近臣達に織田信長を討つ事を告げます🔫💥そして本能寺を襲い信長
2月2日その11181年(養和元年1月17日)-後白河法皇平清盛の死去に伴い院政を再開する。1580年(天正8年1月17日)-三木合戦(三木の干殺し)が終結。羽柴秀吉が三木城を陥落させる1954年-日本航空が日本で戦後初の国際航空路・東京-ホノルル-サンフランシスコ線を開設。1971年-湿地の保護に関するラムサール条約が制定される。忌日1580年(天正8年1月17日)-別所長治。播磨国の戦国大名。記念日2021年は節分。世界湿地の日ラムサール条約調印を記念
【感動の映画『首』を観ました】映画『首』公式サイト大ヒット上映中!衝撃に備えよ。構想30年、北野武監督が放つ前代未聞の“本能寺の変“。出演:ビートたけし、西島秀俊、加瀬亮、中村獅童、浅野忠信、大森南朋movies.kadokawa.co.jpこんにちは、真右エ門窯の支配人の馬場泰嘉です。先日、北野武監督の最新作『首』を観てきました。本能寺の変を題材にした歴史劇ですが、北野監督らしい斬新な視点とユーモアが満載で、驚きと笑いと感動の連続でした。特に、羽柴秀吉役のビートたけしと明智光秀役の西
船着き場から山上に上がる石段の道。昔は「西路」と呼ばれていたようです。天正三年(一五七五)五月一八日付けで、四人衆の快雄(第一座、?~一五八三)・円運(第二座、?~一五七六)・行意(第三座、?一五七九)快済(第四座、?~一五七五)は、竹生島寺領の掟を定めました。北近江の支配者となった羽柴秀吉が三千石とも言われた竹生島寺領を大幅に縮小し、三百石にしたことへの対応策であると考えられます。この掟の内容を整理すると以下の通りになります。①目録を作成したので、それに随って田地を支配すること。
こんにちは本日も12月小牧山城お土産ランキングをご紹介していきたいと思います本日は【武将印・花押印編】です🥇武将印徳川家康🥈武将印織田信長🥉花押印織田信長12月は徳川家康の武将印が1位になりました2位、3位には織田信長の武将印・花押印がランクインしていますさすが信長様もお強い、、、今回ランクインした商品以外にも、徳川家康の花押印、羽柴秀吉の武将印・花押印があります書道アーティスト池谷公智氏の作品で、どれもとてもかっこいいです⊡■
昭和に再建された長浜城◆蓮華会頭人の差定まず、竹生島最大の祭礼行事「蓮華会(れんげえ)」の頭人(祭の主役)の差定(選定)ついて概略を説明します。蓮華会の頭人は、浅井郡(現、長浜市の一部。旧、東浅井郡、西浅井郡域)に居住する人の中から、予め、人格者を数名選んでおいて、毎年十二月の吉日に弁才天の宝前において籤を取り決定します。年が明けて正月一日より七日までの間、本地である観音の宝前において修正会を勤行し、頭人へ「差シ定ムル」牛王を加持します。八日には先頭(過去に頭人になった実績がある家の人
昨年の11月29日から大河ドラマ「どうする家康」の総集編ということで「”家康”のでき事と所縁ある”お城”を振り返ろう」シリーズを始めました。途中約1ケ月の中断をしてしまい2024年に突入してしまいましたが、引続き最後まで完結したいと思いますので、「家康ファン」「どうする家康ファン」「戦国時代ファン」の方は暫くお付き合いください。<「家康」等の出来事>「高天神城」を落とした「家康」に対して、「武田勝頼」はどんどん凋落していきました。1582年1月には信濃の有力豪族「木曽義昌」が「織田方」へ
縄張奉行だった羽柴秀吉は「蛇石」と言う約10m、重さ約112トンもあった巨石を引き上げていたのですが途中で綱が切れて150人余りが挽き潰されたと記録に残っているようですそしてその石を再び引き上げて安土山山頂まで運んだはずなのですがその石を現在まで見つかっていません。そんなに大きな石ならば直ぐに見つける事が出来ると思うけれどなぁ〜⁉️
黒鉄門から二の丸までの道は石垣で前方が見えないようにしていたり何度も屈曲させた狭い道を通らせていて大手道では、あんなに無防備だったのに城内ではやはり戦いを想定した城の造りとなっていましたね。二の丸の左側には1583年、羽柴秀吉が織田信長公の為に建立した本廟があり刀や烏帽子などの遺品が埋葬されていると言われています。
土塁や石垣を食い違いにする事によって敵が城内を直接見ることができず直線的に侵入できないよう防御機能を加えた出入り口(虎口こぐち)なあった黒鉄門の先が城内と考えられます。本能寺の変の時、蒲生賢秀が留守居役として在城していました。蒲生賢秀・氏郷親子は本拠地の日野城に信長の妻子達を移動させました。その後、明智軍が安土城を占拠します。しかし光秀が羽柴秀吉に敗れると直ぐに天主・本丸が焼失しました。焼失した理由はたくさんありますがどれも確たる証拠がありません、その後、安土城は信長
信長は天皇の行幸を計画していたらしく通常、城の出入り口は1箇所だけですが西枡形虎口以外の正面には平安京の内裏と同じように三門にしたようです。石垣で用いた石塁は東西約110mありましたが江戸時代以降、水田に使用されて石塁の大半が消失した為築城時の高さは不明です。残っている礎石も僅かの為、大手門がどの場所で規模や構造もわかっていません。当時、大手道を歩く人達に思いを馳せ両側にあったとされる前田利家や羽柴秀吉の館跡を見ながら登ります。
今週は被災地能登周辺は寒くなるようで。スキー場とか夏場の渇水を考えたら、全く雪が降らないのも問題がありますが、今年の能登地方の場合は厳しい状況ですので、あまりドカ雪にならないことを祈ります。ということで、暖かそうな旅行記というかお散歩記録。三重県亀山市で開催された「さわやかウォーキング」に参加しました。2023年6月4日撮影。この時は「花しょうぶまつり」が開催されており、コースもそれに合わせたものとなっておりましたが、まず撮ったのは、あじさい^^;こういう背景で撮るのはなかなか
2024年1月15日--------------------------------------------歴史を学べば、出会いも学べるかもしれませんね。恋の出会いは歴史では解決不可能かもですけど。2023年1月15日--------------------------------------------半兵衛、秀吉との出会い。歴史を変えていく瞬間でもあったのですね。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)1,894〜3,410円
(リマスター版)造山古墳3(岡山市北区)2019年3月20日渡り廊下のような長い前方部の崩落現場を過ぎると緩やかな斜面に差し掛かり、数本の巨木が待ち構えます。高度差10ⅿ余りの後円部へ登り詰めると径200ⅿ余あろうかとみえる平坦部が拡がります。古墳全体は三段築成で、表面には葺石がふかれ、各段には円筒埴輪も立て並べられていたようです。残念ながら墳丘上には一切の痕跡は見当たらず、ほのぼのとしたピクニック広場のようなそっけなさを覚えます。墳頂には隆起斜道(後円部に登道)や掘割墓道
史官~太田和泉守~摂津・丹波11回目九月二日その夜、荒木村重が五・六人を召し連れ、伊丹城を忍び出て尼崎城へ移った。九月四日羽柴秀吉殿が播磨から安土に上って来た。羽柴「備前の宇喜多をお味方に加えることにいたしました。上様の御朱印をいただきたいと思います」信長「伺いも立てずに勝手に宇喜多を味方にするとは何事だ」信長様は大変立腹され羽柴殿を播磨へ追い返した。九月十日播磨の御着城・曽根城・衣笠城の兵どもが一手となり三木城に兵糧を搬入しようと企てた。すると三木城の城兵
こんにちは本年初の商品紹介は、新商品の【小牧山城クリアファイル】です🏯小牧山城は、織田信長が美濃攻めの拠点として築城し、後の小牧・長久手の戦いでは、徳川家康の陣城となりました🏯美濃攻めの拠点として1563(永禄6)年に築城され、わずか4年しか使用されなかったものの、山頂の本丸を三重の石垣が取り巻き、中腹に多数の曲輪が、山麓に城下町が形成されていたといいます。家康はこの城を大いに活用し、1584(天正12)年、羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康連合軍の間で行われた小牧・長久手の戦
画像引用元:eiga.com◼️監督:北野武◼️出演:ビートたけし西島秀俊加瀬亮中村獅童◼️2023年131分北野武が構想に30年を費やして監督・脚本を手がけ、「本能寺の変」を題材に壮大なスケールで活写した戦国スペクタクル映画。武将や忍、芸人、農民らさまざまな人物の野望と策略が入り乱れる様を、バイオレンスと笑いを散りばめながら描き出す。天下統一を目指す織田信長は、毛利軍、武田軍、上杉軍、京都の寺社勢力と激しい攻防を繰
なかなか面白かった。時代考証的に、私が知っている史実と時間的にズレがあって、このタイミングでこれは。というところはあるけど、上手くまとめてさもありなんな感じになっているのが凄い秀吉の小賢しさ、家康の強かさがとっても共感できる感じに表現されていて引き込まれていった感じ。全体的にこれは壮大なコメディなんだと思って終わる感じが、誰と観ても討論にならない感じで良かったかもただちょっと物足りないと思ったのは色恋の表現が単調で乏しいせいで、それがある意味話のキーポイントなのに、展開の根底としての説得
昨日お届けしました「下土井城」下山後、方角にして北東方向で龍野市街地を抜けて約50分の所にある「篠ノ丸(ささのまる)城」(兵庫県宍粟市<しそうし>山崎町)へ向かいました。「最上(さいじょう)公園」に車を止めて登りましたが、かなり登城路は整備されていましたので迷うことなく「主郭」に辿り着きました。ただ「七曲り」の道はしんどいでした。「最上(さいじょう)公園」に立つ「案内」↓「篠ノ丸登山口」↓「篠ノ丸城」がある山↓「篠ノ丸城跡」碑(登城口)↓「篠ノ丸城」の歴史と城主についてお
書いて血潮を脳天から遠くへと意識的に導いてやらないと下手をすれば怒りやら不安やらで脳天が爆発をして仕舞う。秀吉の筆豆さはそんな処にも由縁が在りそうだ。
映画「首」です。タブーに挑戦し続けた巨匠の遺志を継いだ北野武監督の集大成的作品でもある「首」を見てきました。映画「首」です。「本能寺の変」を題材にした本作でたけしが演じるのは、百姓から身を起こし織田信長亡きあと天下人へのぼりつめる羽柴(のちの豊臣)秀吉。脚本も手がけた北野は、秀吉の駆け出しの頃を思わせる元百姓の雑兵・茂助(中村獅童)と、落語家の始祖と言われる曽呂利新左衛門(木村祐一)という2人のキャラクターを配して、浅草芸人の見習いから出発し映画人と
小谷城は戦国時代屈指の山城と言われ日本五代山城の一つに数えられています標高495mの小谷山の尾根筋に築かれた南北に長い山城です1523〜24年にかけて長政の祖父浅井亮政によって築城されたと考えられていますが正確な築城年は分かっていません長政はお市の方を娶ったことで有名ですね3姉妹の娘たちも超有名です信長にとってこの結婚は近江を同盟国とし京へ上る足掛かりにしようと思っていたのでしょうが越前国の朝倉義景と信長が争った際には長政は信長ではなく朝倉方に付いて背後から奇襲した為
覇)三好長慶:吟風弄月の雅覇)甲斐姫:東国の明玉覇)お船:主家存続の決覇)織田信長:古今無双の将覇)立花宗茂:九州の逸物覇)本多忠勝:東国無双覇)佐竹義重:天魔鬼神の業覇)石田三成:主従三世の縁覇)島津義弘:死地後生の決覇)羽柴秀吉:出世の神様©コーエーテクモゲームス
※加藤光泰公の墓と案内板…江戸中期に再建されています。巨大な五輪塔で下から「地」「水」「火」「風」「空」と刻まれています加藤光泰公の墓甲斐善光寺戦国武将の墓・供養塔シリーズ戦乱の時代は、おおまかに言うと応仁の乱(1467年応仁元年)から大坂の陣(1615年)までで3つのカテゴリに分類されると思います。1️⃣戦国時代応仁の乱(応仁元年1466年)から室町幕府の滅亡、織田信長政権の成立(天正元年1573年)2️⃣安土・桃山時代
司馬遼太郎先生が秀吉を主人公にそのなりあがりを描いた小説『新史太閤記(上下)合本版(新潮文庫)』の全体を通してのレビューと大河との比較司馬遼太郎先生による秀吉の成り上がり、小牧・長久手の戦いから家康が臣従すると一気に秀吉の死までワープ新史太閤記(上下)合本版(新潮文庫)レビュー司馬遼太郎先生の『覇王の家』を読み家康があまり好きそうでないことと、小牧・長久手の戦いから一気にその死までワープしたことから秀吉はどうかと思って『新史太閤記(上下』を読んでみました。『覇王の