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古代史上、著名な三輪山。その山頂からの日の出の光景です。元旦に唐古・鍵遺跡から、三輪山頂からの日の出は何年も見に行っていますが、今回は纏向遺跡の近くから。職場が桜井市なので、毎日三輪山を見ながら働いています。出勤時間も早いので、画像のように三輪山頂からの日の出を見ることは難しくありません。
ユナイテッド航空の14000マイルと880円で下記の特典航空券を発券し、邪馬台国に行ってきました。ちなみに私のメインカードはMileagePlusセゾンカードであり、普段これで陸マイルを貯めています。1000円で15マイル貯まるので、JALカードやANAカードより早く特典航空券に到達できます。DAY1NH3161NGO0920OIT1035DAY3NH3166OIT1925NGO2030NH、NGO、OITはそれぞれ全日空、セントレア、大分空港です。宿泊は1
ヤマト王権の始まり、「計画都市」と箸墓古墳金澤成保古来より神聖視される奈良の三輪山の麓は、ヤマト王権の発祥の地とされ、三輪山の西北には、日本初の「計画都市」ともいえる纒向(まきむく)遺跡の宮殿跡が発掘されている。また、ヤマト王権とそれに臣従した豪族の墳墓の様式とされる「前方後円墳」の初期の古墳が築かれており、そのうち最古の巨大「前方後円墳」が、箸墓(はしはか)古墳である。(箸墓古墳。写真は、桜井市教育委員会の提供)纏向遺跡も箸墓古墳も、卑弥呼の年代と一致すると見られること
2025年5月16日(金)、唐招提寺と薬師寺を堪能できたので、今度は近鉄電車に乗って飛鳥方面を目指します。近鉄電車を乗り継いでやってきたのは桜井駅。近鉄とJR双方の駅です。駅の北口には前方後円墳のモニュメントがあったりして楽しかったのですが、すぐに出るバスに乗ります。10分ほどバスに揺られてやってきたのは倭迹迹日百襲姫命大市墓。「やまとととひももそひめのみことおおいちのはか」と読みます。こうなると読み方が難しいだけじゃなく読み方を目で追うのもしんどいです。💦七代孝霊天皇の皇女のお墓と
神武の東遷に関連して纏向遺跡や三輪山(大神神社)ついて生野先生の著書を読み直しているうちに、ふと閃いた!卑弥呼率いるヤマト王家は出雲奴国の大国主を倒して、奴国王家の帝都(宮殿)のあった糸島平野の葦原中国を奪った代わりに、糸島から遠く離れた島根県の出雲に壮大な大社を作り大国主の鎮魂(怨霊封じかも・・)をしている。でも、神武東遷の時のヤマト王家は最後の奴国王「大物主命」の宮殿があった纏向を破壊しその近くに新たに大和王朝の宮殿を作ったので、神武は大物主の墳墓を作らせず代わりに三輪山をご神体と
前回に続いて神武東遷の論拠に関する説明ですが、今回は考古学的な論拠を紹介します。③3世紀終末頃、「高地性集落」が消えてなくなる!「銅鐸」が3世紀終末から4世紀初頭に消滅したのとほぼ時を同じくして瀬戸内海から近畿地方一帯、そして東海地方や越国(越前・越中・越後)にかけて造られた「高地性集落」も消滅している。これも神武の近畿東征と密接に関係していると思われる。また、高地性集落からはほとんど鉄製武器が出土せず、石製武器などが大量に発掘されていることなどから考えても、ヤマト王家の「鉄器」に
令和6年度神戸市埋蔵文化財センター秋季企画展「ヤマトとコウベ」副題:ー邪馬台国時代時代を探るー会期:2024年9月21日~11月24日(日)私は2024年10月26日と11月23日に観覧しました。記録としてメモ代わりに観覧記を作成しました。関連ブログ:『令和6年度神戸市埋蔵文化財センター秋季企画展「ヤマトとコウベ」が9月21日より始まります』令和6年度神戸市埋蔵文化財センター秋季企画展「ヤマトとコウベ」副題:ー邪馬台国時代時代を探るーが本日(9月21日)から始
奈良まほろば検定(*^_^*)第196回(*^_^*)新しいシリーズ③の答え:エの纒向遺跡纒向遺跡(まきむくいせき)国指定史跡奈良県桜井市の三輪山の北西麓一帯にある弥生時代末期から古墳時代前期にかけての集落遺跡・複合遺跡。纒向遺跡は、奈良県桜井市の三輪山の北西麓一帯にある弥生時代末期から古墳時代前期にかけての集落遺跡・複合遺跡。国の史跡に指定されている。2世紀末から4世紀前半にかけての大和の遺跡である。一帯は前方後円墳発祥の地とする研究者もいる。その他、邪馬台国の中心地に比定
纒向遺跡近くから見た三輪山です。秋も深まってきました。
先日、久しぶりに伊弉諾神宮に行って来ました。行ってびっくり‼️拝殿の屋根の葺き替え工事ですっぽり覆われていたのが、取り払われてピカピカの檜皮葺きの屋根が眩しかった〜❣️❣️菊の御紋も太陽の光を受けて輝いてました✨以前はこんな感じでしたから、全然ちがいますね、びっくり‼️帰りに、境内のお土産屋さんでいいもの見つけました💓大きな桃のキーホルダー🍑ベリービッグ😆😆😆7〜8センチはある〜😆伊弉諾神宮には、伊弉諾さまにちなんで、桃のいろんな授与品があるんですね😆これ
邪馬台国は畿内説を推します。魏志倭人伝の通った行程は、福岡市あたりから陸路で福岡東か大分まで行く。そこから船で四国に渡る。伊予(愛媛県)のどこかから、陸路で中央構造線沿いを行き、続いて吉野川沿いを行き、船で紀ノ川を北上すると奈良盆地につく。連合国だから、西側地域は比較的平和だったかも。桑の木を育てて絹を作ってるから、扇状地である纏向遺跡(桜井市)のあたりにはうってつけ。狗奴国は桑名。陸路を通ってきて戦いを挑んだと思う。壹与(とよ)が和平を結び、崇神天皇の娘・豊鍬入姫命(も
松木武彦著:「古墳時代の歴史」のP105まで読んだ。なんとなく弥生時代、古墳時代は戦国時代のような戦乱の世では無い気がする。隣のクニに略奪に行くと言うことはありえても、遠征して領土を広げるとかは無いと思う。じゃあ仮に戦争に勝って、どう支配するんだい?王がいて地元に帰って、切り取った地域は誰が治める?言う事聞く?これは距離的にも物資的にもインフラ的にも遠征して領土を広げる効果があまりなさそう。自分たちの収穫物が乏しい場合、略奪に行くぐらいしか考えつかない。自分のところの土地を実
奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡から出土した3世紀前半のイヌの骨をもとにつくられた復元模型の名前を公募して愛称がきまりました^^「こまき」ちゃんです^^(卑弥呼がペットとして飼っていたかも?)左から、松井正剛櫻井市長・こまきちゃん・ひみこちゃん(ゆるキャラ)纏向遺跡は、邪馬台国の卑弥呼の宮殿かもと言われている大型建物跡の東側で犬の骨がみつかりました。骨の分析から1歳半以上の若いメスと推定されているそうです。卑弥呼と同じ時代・同じ空間を生きていたかもしれない「こまき」
因みに今回梅原さんの手紙から大幅に加筆している。元々の文章もA4四枚という大作だったから読むの大変だったろうな、と思いつつ・・・しかしコレ誰か面白いんか?ま、オレが楽しけりゃいいか。続きから。~~~~~~~~~~~いよいよこれからが邪馬台国の話。その所在については九州説と畿内説が有力と言われております。九州説は江戸時代の朱子学者、新井白石が地名の読み方だけで調査するという暴挙に出た挙句、筑後国山門郡の山門が「やまたい」と音が似てるというのが根拠、というアホみたいな説で
(一財)橿原考古文化財団、友史会主催のツアーに参加。JR桜井線(万葉まほろば線)巻向駅集合。その近くの纏向(まくむく)遺跡辻地区を起点に、9ヶ所の古墳を巡る10kmのツアーだ。300人以上と思われる老若男女の参加者の数に驚く。3箇所目の箸墓古墳が見どころ。日本初の大型の前方後円墳だ。長さ20mとも30m(測り方に寄るので諸説あり)とも言われる。古墳の後方に見える嵐山がポイントと、案内講師の橿原考古学研究所の課長が力説している。研究者らしく話が長いが、大勢の参加者も熱心に聴き入る。夕方4時
奈良県桜井市に広がる「纒向古墳群(まきむくこふんぐん)」は、まさに古代史ファンなら一度は訪れたい場所です。「卑弥呼の墓では?」と注目される「箸墓古墳」をはじめ、初期ヤマト王権の姿を映す巨大古墳が点在しています。現地を歩いていると、ただの古墳ではなく――「国家のはじまり」を告げる特別な空気を感じますなぜこの地に纒向古墳群が築かれたのか?そこからどんな首長の姿が見えてくるのか?そして、邪馬台国との関係は……?「みくるの森」では、纒向古墳群を古代首長の秘密に迫る視点から紹介しています。
森浩一著『倭人伝を読みなおす』を多少の感想を交えてまとめてみた。【邪馬台国大和説の否定】●纏向遺跡発掘を「卑弥呼の宮殿発見」と発表したことはまるで大本営発表※森氏によると、考古学では50年の幅の中でしか年代はおさえられない。三世紀後半から四世紀前半の纏向宮殿遺跡を三世紀前半(卑弥呼の時代)に絞って強弁するのは異常。●考古学的に見て三世紀後半から四世紀前半と推定される宮殿跡が纏向で発見されたとなれば、記・紀に記されている崇神天皇、垂仁天皇、景行天皇との関係を考えるべきだと主張
8月4日は「箸の日」。いつの間にか「箸墓=卑弥呼の墓」という説が市民権を得てきています。マスコミの影響もあるのでしょうか。学問的には矛盾も多く、可能性はそう高くないと考えられます。箸墓古墳(奈良県桜井市)の実年代は3世紀中頃と言われることが多いです。これは『魏志倭人伝』の記述を元にして、卑弥呼の没年代近くに比定しようとした意図が強く感じられます。3世紀中頃とした根拠は、纒向(まきむく)遺跡が卑弥呼の都であるとする説から、中国鏡、三角縁神獣鏡、炭素14年代測定を根拠とした、主に3つの説が
現在、この本を読んでいます。新・古代史:グローバルヒストリーで迫る邪馬台国、ヤマト王権(NHK出版新書735)Amazon(アマゾン)最新研究における、日本の古代史、と、言う内容のようで、読み始めたばかりですが、面白いことがいくつか。その中で、「倭国大乱」について。中国の歴史書「魏志倭人伝」には、二世紀後半、倭国では、長く戦乱が続いていたことが記されている。いわゆる「倭国大乱」です。本格的に、農耕稲作が始まった弥生時代には、戦乱によって傷つき、亡くなったと見ら
雪の箸墓古墳後円部です山ですね少し小降りになりましたこのまま真っ直ぐ登りたい柵には立て『陵墓地につき許可なく立ち入らぬこと宮内庁』この道は本来周溝だったのでしょうねということは、ここを掘れば何か出てくるかも、ここは掘れるよ柵の外は歩いていいのだろうか?後円部の周りは池なかたっけ畑?田んぼ?ここからも何か出てきそう前方部先端は遥か先ですあそこは、入口に見える管理の宮内庁職員が入るところかな?多分くびれ部いや、もっと奥かもやっ
第十一代垂仁天皇(すいにん)は、大和朝廷初期の天皇です。御父は崇神天皇、御母は御間城姫(みまきひめ)。崇神天皇の御世は大八州(おおやしま)を一つの国家のもとにおく天下統一事業を成し遂げ平和で豊かな国家が出来上がったとして「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと」と称えられているその天皇の第三皇子として、纒向瑞籬宮(まきむくたまきのみや)にて誕生されました。御名は、活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと)。在位は紀元前二九年~七十年。纒向に遷都。『国史教科書中学校
橿原考古学研究所でのイベント、4月19日から6月15日まで開かれていた「令和7年度春季特別展桜井茶臼山古墳」をぎりぎり最終日に見学に行きました。やっぱり現地に行ってみるものです。結構いろいろな気づきがありました。桜井茶臼山古墳は現在の通説では古墳時代前期前半、3世紀終盤の古墳と言われており、位置づけによっては当時最大の古墳だった可能性もある古墳です。ここに、103面の鏡の破片が副葬されていたことが有名です。ところで、この展示イベント、よか
2020年6月から22年9月まで東京新聞(と中日新聞)に週一で連載されていた『よもやま邪馬台国』というコラムを興味深く読んでいた時期がありました。連載途中で気が付いたもので、終了後にこれが一冊の本にまとまったと知ったときには「そのうちに読もう」と思っていた次第。にしても、何故「そのうちに」であったかと申しますれば、話の中に出てくる遺跡や資料館、読んでいるとあそこもここもと行きたくなってしまうこと必定だと踏んだものですから、折を見てということに。さりながら、読書遍歴の流れの中で先日に映画『ま
この写真は令和7年6/7現在の状況です。この日も、大神神社で“ササユリ”だけ見て帰るつもりでした。“にゅうめん”食べてお腹も満たし、“山の辺の道”を少しだけ歩くことに。狭井神社→桧山神社→JR巻向駅まで、写真撮りつつ、のんびり1時間ほどです。↑“山の辺の道”、↓玄賓庵。↓遠くうっすら二上山。↑↓元伊勢/桧山神社。↑↓この辺り、果樹園が多い。↓三輪山、曇り空が残念…。↓二上山、箸墓古墳(伝/卑弥呼の墓)、生駒山。↑↓三輪山を望む。↓車窓より、纏向遺跡。
【仁藤敦史氏「倭国の成立と東アジア」一邪馬台国研究の現在】一邪馬台国研究の現在は、〈1邪馬台国論争—畿内説と九州説〉、〈2独立史料としての「魏志倭人伝」〉、〈3「東夷伝」の世界観の3項目〉の3項目でまとめられている。〈1邪馬台国論争—畿内説と九州説〉では、江戸時代以来の邪馬台国論争を俯瞰している。魏志倭人伝に記載された邪馬台国がどこにあったのかをめぐり、東遷説を含む九州説と畿内説に分かれて論争が展開されており、倭人伝に記された距離を信用すれば畿内説、方位
妻が亡くなり一年が過ぎた。亡くなったといっても、何も変化なし。生きていたときと、同じように毎日が過ぎる。死んだという実感は全くない。生きていたときと全く同じ。日々、人は死なないことを、実感している。さて、私は最近、ユーチューブで古代史を見ている。特に、ヤマト王権と邪馬台国の関係に興味がある。纏向遺跡は、ヤマト王権始まりの証拠のようだ。3世紀末か4世紀初めらしい。当然、箸墓はその時代より前の有力者の墓となる。奈良周辺を支配していた、祖先が饒速日の子孫たちだろう。
纏向遺跡で発見されていた骨から復元した犬について、卑弥呼も撫でたかも・・なんて記事を読むと考古学界だけでなくマスメディアの問題の根深さを痛感する。何が何でもヤマト王権の始まりを近畿にしようとすれば、本当の纏向宮殿の「主」や箸墓の被葬者を軽んじることにもなりかねない出雲、吉備、近畿に存在した勢力図を冷静に科学的な視野で考察すれば必ずわが国の古代史は「謎」ではなくなると思う。(生野先生の受け売りですが・・・)生野先生は纏向遺跡については旧奴国王家の宮殿跡だと考察され、フォーNET令和3
かつて邪馬台国があった場所かもしれないとされる纒向遺跡(まきむくいせき)にて、古墳時代前期の犬の骨が発掘されたそうだ。「精度の高い古代犬の模型を製作した」と発表したのは、纒向学研究センターと市の教育委員会だ。縄文時代から犬は狩猟の際のお供や番犬として飼われていたという。しかも、発見された犬の骨は王宮跡から出土したとのこと。倭国の要人・卑弥呼と生活を共にしていた可能性が高いそうだ。国内では、動物学的観点から骨格をベースに再現された古代犬の模型は2例目だという。中でも古墳時代の犬では初の試
卑弥呼の墓ではないかといわれている奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡から、卑弥呼の時代と思われる犬の骨が出土したそうです。そこで骨を元に、3Dプリンターで犬の姿を、復元したそうです。柴犬のような凛々しい顔つきだなぁと、思いました。卑弥呼の墓に生贄になったのでしょうか?
三輪山。神体山にして、古代史上、最も著名ともいえる山ですね、このところ、職場が桜井に変わりました。上の画像は、どれも職場近くからの光景です下の2点の画像は職場の2階から。纏向遺跡に結構近い場所です。邪馬台国大和説は支持しませんがね毎日、三輪山を眺めながら仕事しています。