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週末に、下の娘家族が来たので、久しぶりにトトロをBlu-ray版で鑑賞。メイ、サツキのお父さんが、考古学者ということは前から分かっていましたが、下の画面に、考古学系書籍のタイトルが見えます。ビデオを写真撮影して拡大すると、纏向遺跡、とあります。纏向遺跡(まきむくいせき)は、卑弥呼の墓ではないかと言われている箸墓古墳などを含む遺跡群。弥生時代末期、古墳時代初期の遺跡として知られていますが、フツーの人は知らないですよね。学者っぽい。この本は、おそらく1981年に桜井市教育委員会が出版
前の記事の続き、2024年秋の山の辺の道の3回目です本文に入る前に一つ、前回の記事で写真を出したなら橘プロジェクトについて、検索してみましたので、その結果についてご報告です↓この写真これは、2015年に西ノ京の垂仁天皇陵の近くで撮った写真ですそのころの自分のブログ記事から転載しています今までは特に気にしていなかったのですが、ふと疑問が湧き検索してみましたすると、「なら橘プロジェクト推進協議会」というページが1番目にヒットしましたこちらです↓な
神武の東遷に関連して纏向遺跡や三輪山(大神神社)ついて生野先生の著書を読み直しているうちに、ふと閃いた!卑弥呼率いるヤマト王家は出雲奴国の大国主を倒して、奴国王家の帝都(宮殿)のあった糸島平野の葦原中国を奪った代わりに、糸島から遠く離れた島根県の出雲に壮大な大社を作り大国主の鎮魂(怨霊封じかも・・)をしている。でも、神武東遷の時のヤマト王家は最後の奴国王「大物主命」の宮殿があった纏向を破壊しその近くに新たに大和王朝の宮殿を作ったので、神武は大物主の墳墓を作らせず代わりに三輪山をご神体と
こんにちは(^o^)丿さてさて、いきなりですが、今年度の「山の辺プロジェクト(?)2025年春」シリーズを始めたいと思いますこの謎のプロジェクトは、私と学友が「山の辺の道」をしつこくじっくり回るものです初回は、2023年秋万葉まほろば線天理駅から始まり、石上神宮~天理大学あたりにあるたくさんの古墳をぐるぐる回るうちに時間切れ長岳寺に寄ったのを最後に、万葉まほろば線の柳本駅に戻って上がりとなったのでした2回目は、2024年秋「前回の続きから始めよう!」ということ