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本日のトークライブのゲスト俳優が演じた織田信長の次男、織田信雄ゆかりの地宇陀にやって来ましたトークライブの会場の文化センターです会場に入ると、豊臣兄弟の秀長と信長がお出迎え織田信雄の生涯を案内したパネルがありました波乱の戦国時代で2度の改易を経てこの宇陀の城で天寿を全うし織田家を4代繋げた信雄の生涯ですその他色々な資料がパネルになっていました宇陀に縁のある武将たちの紹介や武士の暮らしの様子など色々とお勉強になります列に並んで整理券をゲット前から6番目の真ん中なか
おはようございます🌅歴史人タケ海舟です😊敗軍の将となり、所領を失った滝川一益は…出家して、越前での蟄居生活に入りました😖柴田勝家の領国だった越前は、丹羽長秀が新たな領主となっていました🆕一益は同僚である長秀との縁を頼り、越前に腰を落ち着けたと思われますが…そのまま、大人しく引退したのか❓と言えばそうではなく…秀吉の下、京都で政治活動を行っていました🆕関東の取次役であった経験を買われたのか⁉️一益は小田原北条氏宛の書状を出すなど、秀吉の外交活動に従事‼️洛中では茶の湯を主催す
こんにちは。このところの天気も、紅葉にはまだまだですが秋らしくなってまいりました。日中は少々暑い日もありますが散策にはもってこいの気候なので、色々と足を延ばしてみたいと思います。さてさて伊勢神宮にも程近い玉城町は田丸城址の続きにて。東側の本丸虎口より侵入。枡形クランク道は気分が高揚します。桝形を通るとき体が傾くのは私だけでしょうか。石垣だけに目を奪われてはいけません。石垣が組まれていない部分も城の大切な縄張りの一つ。子供の頃、こんな秘密基地が造りたかった。本丸小口門の
今晩は⭐️歴史人タケ海舟です😊本日より…秀吉の関白任官についてお話したいと思います🆕「豊臣兄弟!」では、いきなり秀吉が関白となるべく…元関白である近衛前久(このえさきひさ)の養子となるべく、直談判に及んだ❗️かのような描写がありました💦史実としては間違いはないのですが…問題は、この当時の秀吉が、朝廷内でどのような地位にあったのか❓という説明が省略されていたと思われます🆖先ずはそこから話したいと思います🆕天正十年(1582)に起きた本能寺の変で、信長と信忠父子が落命した段階
『令和8.10.4.阪神タイガースV2優勝』『令和8.9.19.宇陀松山城址(豊臣秀長の支城)』『令和8.10.3.凱旋門賞』『令和8.10.4.京都大賞典G2・毎日王冠G2』『令和8.10.2.…ameblo.jp『令和8.9.19.宇陀松山城址(豊臣秀長の支城)』『令和8.10.3.凱旋門賞』『令和8.10.4.京都大賞典G2・毎日王冠G2』『令和8.10.2.東大寺・市民農園物語』『令和8.9.19.道の駅…ameblo.jp宇陀松山城から下山してきました。宇陀
愛知県で行われていたアジア大会が、明日で終了みたいだ。アジア大会があったから、愛知県の大学に通っている末娘が、学校が期間中休みになっているそうで今週帰って来ていた。もう戻ってしまったけど、久しぶりにあちこち観光したりした。今日は施設利用者様の受診があり出勤だったのだが、病院の担当専門医が急きょ休みで受診が中止になって、自分も急きょ休みにした。でまあ、いい天気だったので、最近興味があり行ってみたかった場所へ行って来た。織田信長の次男で、いろいろやらかして「バカ殿様」として描かれること
【土岐定政の系譜⑭】「暮に及んで小幡城に入せたまひ、人をして敵陣の形勢をうかがはしめたまふ。かへり来り、敵すでに襲ひ来たらんとすと言上す。」(「寛政重修諸家譜」)家康は長久手の戦いに勝利すると小幡城に入った。秀吉は、長久手の敗報を知ると龍泉寺に急行した。しかし本多忠勝に行く手を阻まれるのである。その後、「家康が小幡城に入る」との情報が入ると、秀吉はすぐに朝駆けを決意するのであった。家康は斥候を派遣して、敵陣の様子を探らせた。物見の武将は戻って来る
今晩は🌙歴史人タケ海舟です😋秀長と信吉…改名の話の続きです✏️羽柴小一郎が、それまでの名乗りであった長秀を秀長に改めた時期は…⁉️天正十二年(1584)の小牧長久手合戦の頃とされています🆕この前年に、今で言う肩書きに相当する官途名(かんとめい)である美濃守を名乗り始めていた秀長ですが…今回は名前を変えることになったのです🆕何故改名をしたのか⁉️はたまた、何故この時期には改名したのか⁉️「豊臣兄弟!」のストーリーでは…もう一人の長秀こと丹羽長秀が…「前から思っていたのだが、
【土岐定政の系譜⑬】「十二年三月尾張国小牧山にをいて豊臣太閤と御対陣のとき、郎等井上九左衛門正祇をつかはして敵の形勢をみせしむ。正祇堤の叢に隠れてこれをうかがふのところ、葦毛の馬に乗たる敵一騎はせ来る。」(「寛政重修諸家譜」)「天正12年3月、尾張国小牧山において豊臣太閤と対陣したとき、定政は郎党の井上九左衛門正祇を遣わして、敵の様子を偵察させた。正祇は堤の草むらに身を隠して敵の様子をうかがっていたところ、葦毛の馬に乗った敵兵が一騎、こちらへ駆けて来た。」
こんにちは。しかしよく降りますね。9月の尾張はほとんど雨。千葉や先日の名古屋豪雨の際には多大な被害が生じているとのことですが、私も26年前の東海豪雨で車を浸水させてしまいましたのでお見舞い申し上げます。さてさて雨の合間を縫って行ってまいりました久々の城巡り。三重県は伊勢神宮にも程近い玉城町にあります田丸城址。名古屋からは近鉄にて松阪で乗り換え参宮線で田丸駅へ。ディーゼルの力強い音がいいですね。単線のローカル鉄道なので日中は1時間に1本。丸岡へ行った時の反省を活かして時間配分を
おはようございます🌤️歴史🏃➡️タケ海舟です😋滝川一益のお話、気づけば五回目となりました(^^;;天正十年(1582)十一月…羽柴秀吉は織田信孝と柴田勝家に対抗すべく…信孝のもとにいた三法師に代わり、織田信雄を名代に擁立‼️事実上の織田家当主とする‼️というクーデターを敢行しました‼️間髪を入れず、勝家に譲っていた近江長浜領に出兵してこれを奪取‼️さらに美濃国に侵攻‼️信孝が本拠としていた岐阜城を包囲しました⚔️清須会議の結果、信孝は美濃一国を与えられていたのですが…伊勢
みなさん、おはようございます本日もゆるっとお付き合いくださいませ②の続きです『田丸城』に到着駐車場🅿️がちょこっとわかりづらい中学校が目の前にあるので中学校を目指せば迷わないかも田丸城は、南北朝時代に北畠親房が築いた砦が始まりとされるお城🏯戦国時代には織田信雄によって石垣や三層の天守が築かれました現在は石垣や堀や天守台などが残っていて続日本100名城にも選ばれているところであります虎口とはお城の出入り口のことココは本丸に入るための重要な場所敵が簡単に入らな
いつの間にか9月も終わりですこちらは雨も少なくまだ暑い日が続いています日中は30°を超えることが多くっていつの間にか時間だけが過ぎてしまっていましたそれに何よりもパソコンが変わって覚えるのに必死でした「豊臣兄弟」も「アッ」という間に「小牧・長久手」も終わってしまってやはり秀長だけでは難しいのだなぁという感じですメインはやはり「奈良」「大和郡山統治」だと思うので10月からはやっと「羽柴美濃守秀長」大河ドラマ「豊臣兄弟!」日曜夜8時onInstagr
こんにちは☀️歴史人タケ海舟です🙂本日は、滝川一益編の四回目です🆕秀吉が主導する織田家の新体制において…構想外となった一益は…失地回復を期して、秀吉と対立する織田信孝と柴田勝家に与することを決断しました🆕一益の妻が勝家の妹という親族同士であった❗️というお話は前回いたしましたが…また一説では一益の娘が信孝の妻(妾妻)だったとされており🆕何れにしても、親族・縁戚関係を結んでいた面々と結んで、再起を図る道を選択したのです❗️しかしながら、反対勢力の動きを察知していたのか…三法師
おはようございます☀️歴史人タケ海舟です😉三好信吉のお話の続編です🆕不倶戴天の敵から使える味方(家臣)へ‼️信長にとって、三好康長は特殊な存在だったと思われます🆕四国政策のパートナーを土佐の長宗我部から阿波三好家に変更するにおいて…三好一族の長老で、同地にも影響力を有している康長は…まさしくキーパーソンでした‼️三男で伊勢神戸家を継いでいた信孝を康長の養子としたうえで、彼を総大将とする四国征伐軍を編成‼️四国切り取り次第を止めるように‼️とする信長の沙汰に従わない長宗我部元親を
おはようございます☀️歴史人タケ海舟です😊シルバーウィーク、如何お過ごしてしょうか⁉️瀧川一益のお話の続きです🫲関東の領地を放棄して帰還した一益に対する織田家中の目は厳しく…清須会議によって発足した織田家の新執行部から外されたばかりではなく…領地配分の対象からも除外されてしまいました😭関東の領国を失ったとはいえ、それまでの織田家への貢献度から見ても、一益はこれに変わる新領を賜って然るべきだ❗️という想いからか、四宿老に領地配分のやり直しを求めたのですが…せっかく得た分け前を減じ
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「豊臣兄弟」見てますかぁ〜いよいよ家康さんが動き出したねってことで第35話の感想ぉ!ついに徳川家康が羽柴秀吉との対決に出ましたね。形は織田信雄に加勢する…と言うことで秀吉と対するけど…まぁ、これが後々に…ねこの戦に出てきたのが、三好信吉…これが後の豊臣秀次なんですね〜秀吉さんのお姉ちゃんのトモさんの子なんだけど、過保護じゃね?小牧長久手の戦いと呼ばれた戦。両者はほとんど睨み合いでしたが、先に動いた秀吉方は信吉を大将に池田恒興が付きました。しかし…家康方
「モコちゃん、お散歩行く?お散歩」飼い主さんが「お散歩行く?」と声をかけると耳がでっかくなっちゃった!「お散歩行く?お散歩行く?お散歩」お散歩という言葉の度に耳をパタパタと大きくするモコちゃん。飼い主さんの“お散歩”という言葉に興奮し、『よく聞かなきゃ!』と思って耳を立てているということなんだそうです。ミッキーマウスみたいな耳になったワンお散歩ワードは聞き逃さないワンワン【豊臣兄弟35話】家康という強力な後ろ盾を得た信雄が、
いつもお付き合いくださり、ありがとうございます。日光、久しぶり~嬉しかったなあ9月に入って、からっと晴れた日って何日あったでしょうか。雨になったり、突然晴れたり、洗濯物もまともにできないし、洗濯、楽しかった~アジア大会を意識したのか、戦略的に作られたシルバーウィークだけど、遊びに行ける連休を作っても、日々の生活が苦しい人には邪魔な連休。というわけで、ちょっとした晴れ間こそ、私の小さな旅のはじまりはじまり~笑まずは名古屋市内にある信長関連の史跡を歩いてみました。ま
今晩は🌙歴史人タケ海舟です😊先週の「豊臣兄弟!」では、小牧・長久手合戦の始まりから終わりまでの話が描かれました🆕そして、この回で織田家中における…羽柴兄弟の先輩、同僚(ライバルともいうべきかもしれませんが…)であった三人の武将が退場となりました🥲😿まず最初に🫲清須会議の四家老の一人であり、信長の乳兄弟でもあった池田恒興について…当初はあまり目立った武将ではなかったのですが…叛旗を翻した荒木村重一党の掃討に活躍❗️その功により摂津国における村重旧領の多くを与えられました❗️信
今回、ついに小牧長久手。羽柴軍VS信雄・徳川連合軍。そして、この戦の中心ばかりでなく、飛び火した地方の様子も描いてくれて。北陸では、かつておやじ様のもとで同僚だった前田VS佐々。『今のこの様子をおやじ様が見たら』『さぞかし面白かっておろうのう』らしいwあまりにもらしい台詞!関東では、徳川に合力するはずだった北条が羽柴の策(佐竹参戦)で動けず。長宗我部は、この隙に四国の覇者になることを虎視眈々と狙い(今回も、存在感◎地図の上を敵を蹴散らすように踏んでいく。姫若子なのに鬼若子の、この
織田信雄が「無能な馬鹿殿」であるという評価が世間では一般的ですが、これは正直、司馬遼太郎と、そのフォロワーたち(三谷幸喜を含む)の演出・誇張が多分にある、という気がします。乃木希典と同じで、司馬遼太郎から無能の落胤を押されると、世間がみんな「史実」だと思い込んでしまうってとこがあって。信雄は、確かに目覚ましい戦績を挙げる名将ではないですし、政治的に上手く立ち回れる抜け目なさもないです。しかし、それなりに気骨を見せ、その場その場では頼りにされ、身分ある貴人として天寿と全うし、子孫は小なりとい
私がNHK大河ドラマを録画して見るようになったのは・・・10年前の「真田丸」からです。それから毎週日曜日の18時にはBS-NHKを必ず見るようにワクワクしたのが「鎌倉殿の13人」と「光る君へ」ですかねぇ大体のNHK大河ドラマってそんなに面白くはないのですが・・・今年の「豊臣兄弟!」も正直ちょっとなぁです。まぁそれでも録画だけはしてます。んで、今週の日曜日は小牧・長久手の戦いを描いた回。徳川家康・織田信雄連合に苦戦する秀吉それでも信雄を調略して和議を結びます。戦
今晩は🌕歴史人タケ海舟です😊先週は更新が思うに任せず…でした😔気を取り直して٩(^‿^)۶先週の「豊臣兄弟!」は秀吉兄弟VS信雄・家康の対決が描かれていました🆕戦国時代の天下分け目の戦いといえば…❓ズバリ関ヶ原の戦い❗️という意見が主流を占めると思いますが…信長亡き後の天下人は誰になるのか⁉️という視点で考えるならば…小牧長久手の戦いこそが、天下分け目に相応しい大戦であったといえます🆕羽柴軍は犬山楽田城❗️織田・徳川連合軍は小牧山城❗️それぞれ本陣を構えて対峙していたの
大河ドラマ「豊臣兄弟」の第35回を鑑賞。今回は、「小牧・長久手の戦い」でしたね。個人的に、徳川家康に、あまり関心が無いためか、この「小牧・長久手の戦い」に関しても、あまり、注意をして、見た記憶がない。かつての、この「小牧・長久手の戦い」に関するイメージ。この「小牧・長久手の戦い」は、羽柴秀吉、徳川家康の戦いで、織田信雄は、徳川家康に、秀吉と戦うための大義名分に、担がれた存在。羽柴秀吉と徳川家康は、にらみ合いが続き、膠着状態に。秀吉は、この状態を打開しようと、別働隊を、家康
🌸あさがお情報🌸9/14(月)の開花数は20輪でした~~合計1289輪となりました~~🙌ブロックに寄り添ってツユクサが広がっていますよ宅配弁当の日ひさしぶりに「さばの味噌煮」食べました😋老夫妻宅に招かれてベルギーで買ったコーヒーカップだそうです今日は思いもしないご招待にあずかりました部屋には娘さんのお子さん二人が東大と京大卒息子さんのお子さんのお嫁さんがバレーリーナひ孫が3人いらっしゃるそうです写真が所せ
今夜の豊臣兄弟です。1584年、天正12年、尾張・長久手の戦いが勃発します。羽柴軍と、徳川・織田軍との決戦です。織田信雄が挙兵しました。羽柴軍は、三好信吉が大将になりました。秀吉の姉の長男になります。徳川家康も戦う気が満々でした。大将は、織田信長の息子の織田信雄でした。信雄は、織田信長の次男です。既に、尾張は、徳川軍に先を越されていて、驚く信吉でした。羽柴軍は、大敗しました。秀吉に謝りに来た三好信吉でした。秀吉は、怒っていませんでした。ただ、何故もっと早く引き上げなかったか
こんばんは!NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」を見ましたか-!戦国時代を「豊臣秀吉」と「豊臣秀長」が兄弟で手を取り合って立身出世して、天下統一事業を成し遂げていくというのが基本的なお話ですね。今日は、18時からのNHKの放映を見ましたので少し投稿が早いです。前回は、「秀吉」の行動に不満を持つ「信雄(のぶかつ)」が「家康」に近づき、今まで色々なところで我慢を強いられてきた「家康」も密かに「秀吉」への対抗心を目覚めさせます。そして今日のお話ですが、「織田信雄(のぶかつ)」は、「秀吉
こんばんは、白黒茶々です。前回から、私は三重県の鳥羽市に来ています。😃鳥羽城跡を見学してから、予定の列車に乗るまで時間に余裕があったので………その通り道にある、伊良子清白の家というところに寄っていくことにしました。🏠️伊良子清白さんは明治から昭和初期に活躍した詩人で、医師でもありました。📝またこちらの建物は、彼が鳥羽市の小浜で23年間暮らしていた住居兼診療所であります。😲一時、多気郡大台町に移されていたのですけど、平成21年(2009年)に現在地に再移築されました。🔨入場無料で開放
今晩は🌙歴史人タケ海舟です😊私の住んでいる名古屋市は…本日の午後から大豪雨に見舞われて大変なことになってしまいました😨電車、地下鉄、市バスが全線不通状態☂️道路は冠水状態でまるで奔流‼️帰宅困難者が駅に屯して、ごった返しの状態が…今もまだ続いている所があるみたいです😱私の息子も今何とか帰って来ました😌まだご家族が帰宅できない方々もいらっしゃるかと思いますが…ご無事で帰宅されることをお祈りしております🙏お話は「豊臣兄弟!」へと移ります🆕お市の方が主催した信長の百日忌法要に…