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天正十二年(1584年)三月六日、織田信雄の居城である伊勢長島城にてそれは起こった。『ぐぎゃ~』噴水がごとく、首が無くなった岡田重孝の胴体から血が吹き上がり、あっという間に室内が真紅に染った。冒頭の呻き声とも悲鳴とも区別の付かぬ声は、血しぶきを上げている胴体の足元に、ごろんと落ちた重孝の頭より発せられたものだった。その横に座している、浅井長時と津川義冬は一瞬のことで何が起こったのか解らずに首が無くなった同輩を見つめて唖然としていた。そんな二人に対しても間髪を入れず刃は襲ってくる。
今回の内容は、ブログではなくて「時空を超えて~歴代肖像画1千年」というメールマガジンです。2006年から年に1~2回の不定期で配信しています。文字数は16,000弱ですので、原稿用紙にすると40ページ分ぐらいになります。時空を超えて~歴代肖像画1千年No.00022019年09月28日発行★歴史上の人物に会いたい!⇒過去に遡り歴史の主人公と邂逅する。そんな夢を可能にするのが肖像画です。織田信長、武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康、ジャンヌ・ダルク、モナリザ……古今東
8/18(金)に「青春18きっぷ」を使い、岐阜・愛知3城巡りに出かけました。1城目の「竹中氏陣屋」から2城目の「清州城」(愛知県清須市)へ向かいました。JR「清洲駅」で下車すると、所々に「清州城」への道案内が出ていたので分かりやすく約15分位で「清洲古城跡公園」へ着きました。「清州城」への道案内↓「古城跡」内には「信長」を祀った「信長社」がありましたが「古城址」碑を見落としてしまい、そのまま「五条川」を渡る「大手橋」手前に到着しました。「古城跡」内に「信長」を祀った「信長
明治維新時に東北諸藩が結成した「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城紹介をするシリーズです。当同盟は、「薩摩藩」「長州藩」を中心とした明治新政府が、幕末に「京」や「江戸」で受けた取締りの報復もあって、「会津藩」と「庄内藩」を“朝敵”にしました。新政府に“朝敵”の赦免嘆願するべく東北諸藩が一丸となって結成されたのがこの「同盟」でしたが、それを拒否されたことから「同盟」が軍事化していきました。本日は、「天童陣屋」(山形県天童市)をお届けします。天童陣屋絵図この陣屋は
本能寺の変とはなんだったのか65/??本能寺の変の全体像11/?2024/05/20ここでは近い内に「本能寺の変の全体像01~10」を読んでいる前提で、その話を進めていく。織田信長の人事。前回の続き。-仮公認は結局認められなかった、または厳しい処置を受けて当然だった枠-水野信元みずののぶもと※本能寺の変の全体像07で先述荒木村重あらきむらしげ※本能寺の変の全体像07で先述松永久秀まつながひさひで※本能寺の変の全体像