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葵祭り下賀茂神社(京都市左京区)上賀茂神社(京都市北区)五月十五日葵祭は京都三大祭のひとつで、わが国の祭のうち最も優雅な祭として知られ古典行列は平安貴族そのままの姿で列をつくり、京都御所を出発、総勢500名以上の風雅な行列が下鴨神社を経て、上賀茂神社へ向かいます。葵祭り始まる京都御所前警察官も馬に乗っての警備京都府警の粋なはからい雰囲気あります十時四十分京都御所出発長い通路を長い行列がやってくる大人子供男女牛馬が参加平安朝の衣装が綺麗下賀茂神社での儀式終わり上賀茂
諏訪大社下社御柱里曳き諏訪大社下社長野県諏訪郡下諏訪町令和四年五月十四日十五日十六日にありました注連掛に眠っていた8本の御柱が動き出すいよいよ御柱祭の最後を飾る下社の里曳きが始まり、また、秋宮から春宮へ御柱行列が差し向けられます。上社の御柱迎えの行事にあたるもので、春宮に着くと御柱大祭が行われます。注連掛から国道142号へ御柱を落とすミニ木落としが行われ出発国道142号線から旧中山道へ入った御柱は、短いながらも急な坂で木落としが行われ春宮境内へ曳きつけられ、春宮一
今宮祭還御今宮神社京都市北区(五月十五日に近い日曜日「今宮祭」は平安の昔の「紫野御霊会」に始まり、以来、由緒と伝統のある「西陣の祭」として、毎年五月今日まで営まれ続けている。この祭礼は、中世まで永らく官祭として営まれたが、今宮詣が余り華美に過ぎるということで禁止され、それとともに今宮の祭礼の方も衰えていったがこれは今宮の祭礼自体が禁止されたのではなく、祭礼に参加する京中の民衆が「夜須礼」に余りにも多く集まりすぎ、当時の政情不安でとめられたようで今宮祭自体も衰え中絶していったよう
お木曳き伊勢神宮(外宮)三重県伊勢市平成二十五年の遷宮に向けて平成十八年~十九年までの五月初旬から六月中旬ありましたお木曳き伊勢神宮(外宮)二十年に一度のお木曳き宮川より外宮まで領民が気を曳いて外宮まで運ぶこの行事は元来、伊勢の旧神領民だけがご奉仕する慣例でありましたが、第60回式年遷宮のお木曳きから、全国の崇敬者も一日神領民として参加出来ることになり、今回もまた一日神領民の制度が設けられました。(コースは別)領民お木曳きは宮川より水きり台車載伊勢木やりが
松尾祭環幸祭(おかえり)松尾大社京都市西京区令和六年五月十二日松尾祭・還幸祭は、三御旅所に駐輦された唐櫃と6基の神輿が松尾大社に戻られるお祭りです。御神輿や神職の冠に葵と桂を身に付ける事から松尾の葵祭と呼ばれています。予定では、唐櫃と6基の神輿が各御旅所(西七条御旅所発御祭7時45分、三宮社御旅所発御祭8時、衣手社御旅所発御祭9時)から西寺跡の旭日の杜へ10時20分頃から集合する、12時旭日の杜で祭典⇒13時旭日の杜出発⇒14時50分朱雀御旅所祭典⇒18時松尾大社到着
岩屋八幡神社春祭り岩屋神社兵庫県淡路市岩屋五月(第二土日)五穀豊穣豊漁を祈願して行われる春祭り神輿渡御一台の幕だんじりが奉納芸を披露しながら氏地を回るなぜか薩摩おはら節が歌われ前では元気な和服のお姉さんが日の丸扇子を上下に振り囃す曳き手も同じように囃しながら進んで行くこの祭りの見て欲しい所子供達の奉納芸一生懸命練習した事がうかがえる八幡神社への宮入だんじりが全速で鳥居前を回るその後ゆるい坂を上がり階段前で止まりその後は祭り奉仕者関係
神田祭り神田明神(東京都千代田区)令和六年五月十四日~十五日(陰年天下祭として知られる神田祭は、元和年中までは船渡御であったと言われています。また、延宝年中まで毎年斎行されていたが、山王祭(赤坂・日枝神社)と隔年で斎行することになり、以後今日まで二年に一度斎行されることが恒例となりました江戸幕府の庇護を受け、江戸城内に祭礼行列が練り込む事を許され将軍・御台所の上覧があったことなどから、江戸の庶民たちからいつからか天下祭と称されるようになりました。また、江戸時代を通じて全国的に有名
国父紀念歌「中華民国愛国歌」(日本語字幕)孫文の日本亡命を支援したのは頭山満(背後に犬養首相)
こんにちはお疲れ様です。TELASA(テラサ)でオススメの中国(華流)ドラマを鑑賞しましょう!物語は万花谷に住む御霊師の紀雲禾は谷主・林滄瀾の息子・林昊青と肩を並べる実力の持ち主。だが、林滄瀾に支配される生活に苦しむ彼女はいつか万花谷から逃れたいと夢見ていた。そんなある日、紀雲禾は順徳仙姫・汝菱が捕らえた東海の鮫人を御する役目を引き受ける。そして、長意と名乗る気高く純真な魂を持った鮫人に心ならずも惹かれていく。しかし、御霊師と鮫人の恋はご法度。それでも紀雲禾は長意を救い出し一緒に逃げようとす
汁掛け祭(蛇祭り)野口神社奈良県御所市蛇穴(さらぎ)五月五日汁掛祭(蛇祭り)は神社の社記によるとここに住んでいた茨田の長者の娘が葛城山に修行にかよう行者に恋をしたが行者は修行の身応じなかったことからこの娘は行者を飲み込もうと森の深く穴にこもる。五月五日の田植え時に地元のお百姓が大きな大蛇に遭遇!持っていた味噌汁を掛けると大蛇は井戸穴にそれに大きな石で蓋をしたそうです。その大蛇の供養に行われると言われる汁掛祭今や子供の祭りとして行われています野口
だんじり祭り本住吉神社兵庫県神戸市東灘区五月四日~五日一二時渡御列が御旅所へ渡御される渡御列の後を七台のだんじりが続く天保年間、住吉にはだんじりの記録が残る阪神電車のガード高さぎりぎり通過町によれば上の提灯をはずしてくぐる町も昼からはJR住吉駅北側を巡行御影、住吉本山は高級住宅街高級マンション大きな一戸建て住宅が立ち並ぶ閑散ととした住宅街を巡行するだんじり不思議な感じがする、夕刻だんじりは御旅所を出発宮入りへ向かう多くの人をだんじりの屋根
「たいざ」呼称の初出は、15世紀の朝鮮の資料『海東諸国紀』の「田伊佐」京丹後市丹後町間人(2)https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1237599ここや確か臨海学校したとこ懐かしいですね日本海て感じで舞鶴もそうだけど好きでした
磐船神社例大祭磐船神社大阪府交野市五月五日大阪府の東北部、交野市を南北に流れる天の川の上流渓谷にある、高さ12m、幅12mの船形の巨岩「天磐船(あめのいわふね)」をご神体とする神社。言い伝えによると、物部氏の祖神とも言われる饒速日命が高天原からこの地に降臨した時、用いていた舟と言われる五月五日には春の大祭が行われ世の中の安泰と家庭の円満を祈願するため午前十一時より神楽殿において十種祭が行なわれた十三時からは神仏習合していた時代より続くと言われる大火焚祭が取り行なわれる国道16
藤森祭藤森神社京都市伏見区五月五日別名深草祭とも呼ばれ貞観5(863年)年摂政藤原良房が天皇の長寿と国家の安穏を祈念し、清和天皇臨幸のもと始められた祭事。三基の神輿とともに甲冑に身をつつんだ武者行列が鼓笛隊先頭に氏子区域を巡る。五月五日の十三時と十五時には千二百年前の古来より伝わる迫力満点のアクロバット的な駈馬の神事が見られるこの駆馬神事昭和五十八年より、京都市登録「無形民俗財」に指定されている鼓笛隊が氏地回りに宮出し神輿も氏地回りに出て行く十三時から一回目の駆け馬神
くらやみ祭り大国魂神社東京都府中市四月三十日~五月六日古く武蔵国の国府で行われた国府祭を由来とする、長い伝統と格式を誇る大國魂神社の「例大祭」である。室町時代の文書には「五月会」と記録があり、江戸中から見物人が多く訪れていた。その後は、地域住民の祭礼へと発展していった。かつて街の明かりを消した深夜の暗闇の中で行われていたため「くらやみ祭」と呼ばれるようになったとか五日夕刻から六日早朝府中市の中心部を六基の大太鼓と八基の神輿が回る壮大な祭として知られている。大國魂
沼島の春祭り沼島八幡神社兵庫県南あわじ市沼島五月三日~四日毎年五月三日~四日に行われる春祭りは、沼島水軍を流れを受けた勇壮な祭りで、だんじりが海へ飛び込む荒技昔はだんじりや神輿が通る道がなく、ほとんど海の中での巡行だったため、旧歴五月月三日~四日、の大潮の時に行われていました。朝八時より海入りする浜での安全祈願祭十一時布団だんじりがやってきました担いでお宮まえまで行きます十二時沼島八幡神社を神輿が出発弁財天神社へと向かう約十分ほどで弁財天神社に到着御旅所祭が催行され
御柱祭里曳き矢彦神社長野県辰野町令和五年五月三日四日五日にありました塩尻市の小野神社と辰野町の矢彦神社(ともに信濃國二之宮)で催される「御柱祭」は、諏訪大社の御柱祭の翌年(卯と酉の年)に行われます小野神社は松を御柱にに使いますが矢彦神社は樅を使います曲がり角などの難所も曳き方追いかけ綱梃子衆にの息を合わせ乗り切る矢彦神社はもうすぐ気合いを入れヨイサ~!難しい国道での大廻しも終わり堂々の宮入り建て御柱前のセレモニーセレモニーも終わり
御柱祭里曳き小野神社長野県塩尻市五月三日四日(令和五年)にありました諏訪大社での御柱祭(寅と申の年)を中心に、全国の諏訪神社やその関連神社(通称:小宮)でも、同じように御柱祭が実施されます。その中で、辰野町の矢彦神社と塩尻市の小野神社(ともに信濃國二之宮)で催される「小野御柱祭」は、諏訪大社の御柱祭の翌年(卯と酉の年)に行われます全国でも珍しいJR電車内から見物できる「二之柱」の曳行(えいこう)路となっている宮前踏切に停車。氏子が柱を引く様子を見るほか、同会が近くの土手や道路
青柏祭大地主神社(山王神社)石川県七尾市五月四日令和六年度青柏祭はの能登半島地震の影響で中止になりました高さ12メートル重さ20トンのでかい巨大な曳山が三台、青柏祭に奉納されます。七尾市街地を町並みぎりぎりに曳き廻される大きな車輪が地響きを立てて走る姿は迫力満点!辻では特別車輪で直角に回る奉納三町、鍛冶町・府中町・魚町それぞれのでか山は時間ずらして七尾の街を走るでか山日程(平成二十一年度)5月1日むしろ山(試運転)(夜)骨組みが仕上がりムシロを掛け
篠田の花火篠田神社滋賀県近江八幡市五月四日(雨天の場合五月五日)JR近江八幡駅の東約1.7kmにある篠田神社の例祭で毎年五月四日の夜に行われる仕掛け花火の祭行事。夕方若い衆により大松明が境内に設置される各町から太鼓鉦を鳴らし松明に火を点け集まって来る篠田神社から新幹線を超えた所から打ち上げ花火が打ち上げられる新幹線通過時には花火打ち上げられない打ち上げ花火が終わると境内では大爆発かと思わせる仕掛けに見物人からは悲鳴歓声が上がる最後の篠田の花火は、国の選択
伊庭の坂下し祭繖峰三神社滋賀県近江市能登川五月四日毎年5月4日に行われるこの祭りは、近江の奇祭と言うより日本の奇祭、2000年以上の歴史があり繖山(きぬがさやま(432.9m))の山腹にある繖峰三神社(さんぽうさんじんじゃ)から大鳥居まで、三基の神輿を氏子の若衆が引き降ろす荒神事です。風雨にさらされた荒れた道坂道何カ所かは断崖絶壁で、一つ間違えば上がってくるのが不可能!途中何箇所かの難所もあり若衆の勇壮な掛け声とともに三基の神輿が降ろされていきます。難所では手に
例大祭野間神社愛媛県今治市五月三日五月三日に行われる例大祭(八時半頃から)には浦安の舞、大名行列、獅子舞、藁御輿、紺原御船などが奉納される。中でも獅子舞は愛媛県の無形民俗文化財、藁御輿は今治市の無形民俗文化財に指定されている。獅子舞は継獅子は見事二人継は各地にありますが三人継四人継五人継は見たことはありません他に類を見ない今治の獅子舞参加団体神宮獅子保存会宅間獅子連中野間獅子連中矢田獅子保存会延喜獅子舞保存会野間神社愛媛県今治市神宮字杉ノ下甲699
大溝祭り日吉神社滋賀県高島市五月三日四日滋賀県高島市勝野の日吉神社、春の例祭で、湖西地方随一の曳山祭で昭和35年(1960年)までは、曳き初めが5月4日、宵宮7日、本祭は8日であったといわれ現在は5月3日(宵宮)5月4日(本祭)が行われる伊勢上野の曳山祭を移したものと言われる五基の曳山「湊」「巴」「宝」「勇」「龍」が、古式にのっとり太鼓・鉦の囃子で町内を巡る。昭和58年(1983)、県の無形民俗文化財に指定される町から歩いて十分くらいの所にある日吉神社宵宮には町内
上げ馬神事多度大社三重県桑名市五月四日五日毎年5月4~5日の多度祭に行われる「上げ馬神事」三重県桑名市多度町に700年以上前の江戸時代から現在へと受け継がれてきた大祭。人馬一体となり、急な絶壁を一気に駆け登る、勇壮華麗な神事で、かつて農家では上げ馬の上り具合で豊凶が占われた。今ではその年の景気を占ったりする。5月4日は宵祭り、各地区6人の少年が家族ともども1ヶ月におよぶ精進潔斎をし、さらに祭りの1週間前には一層心身を清めた青年の騎手が陣笠裃姿で馬に乗って、100m余
夜高祭福野神明社富山県南砺市福野町五月一日~三日福野神明社夜高祭は由来は福野町に鎮守の神奉祀の気運が起こり、慶安5年御社(みやしろ)創立に至った。伊勢神宮から勧請された御霊代が御着きの日、途中で日が暮れたので、町の人々は手に手に行燈を持って、倶利伽羅峠へ御出迎えしたのが、旧暦4月1日であったという。これが、夜高行燈を御神燈として、5月1日・2日の両晩、町内を練り回る起源と言われている夜高行燈の最初は小さな物が次第に競って大くなり綺麗になっていたとか二日夜
日野祭馬見岡綿向神社滋賀県日野町五月二日三日滋賀県日野町の馬見岡綿向神社大祭日野祭は湖東一の祭りとして八百年の歴史を持ち日野商人の財力で作られて見事な屋台の町内巡行宮入神子行列神輿渡御と見どころもたくさん古い街並みが残る日野町祭り巡行路の各家にある桟敷窓から見る祭りまた違った雰囲気予定4月7日三人の神子選び、4月初旬祭囃子の稽古ダシ(飾り人形の事)作り、4月20日頃神輿をかつぐ予行演習の地渡し4月20日嶽まつり5月2日
御柱祭里曳き諏訪大社上社長野県諏訪市令和四年五月三日~五日に行われました諏訪大社御柱祭里引き当日の前宮鳥居前里曳きの前を行く大名行列里曳きは、山出しの豪快さから趣を変え、華麗で豪華な昔ながらの行列が特徴で騎馬行列や長持ち、花笠踊り、龍神の舞などが繰り出して御柱行列を盛り上げます残雪残る山々をバックに曳かれる本宮四の御柱豪快な山出しを終え約1カ月安国寺の御柱屋敷で静かに眠っていた御柱が再び動き出す前宮入っていく御柱参道を上がって行く坂を上がりきった御柱ここから
野崎参り野崎観音慈眼寺大阪府大東市五月一日~八日正しくは無縁経法要といい元禄時代より伝わる行事で、正しく有縁無縁のすべてのものに感謝のお経をささげる行事だそうです江戸時代より続く、野崎参りで知られ、その期間である五月頭は参拝客で賑わう。人形浄瑠璃や落語の作品を通じても知られている。中でも桂春団次師匠のおはこ野崎まいりは有名!急な階段を上がった境内には南條神社や役小角像も鎮座し、神仏習合や修験道の歴史を今に伝えている毎週日曜(八時)には座禅会も行われその他にも般若心経
万部おねり(二十五菩薩聖聚来迎阿弥陀経万部法要)融通念仏宗総本山大念仏寺(大阪市指定無形民俗文化財)五月一日~五月五日新緑がまぶしい五月世間は連休真っただ中大阪市平野区にある大念仏寺で万部おねりがあります「万部おねり」とは聖聚来迎会(しょうじゅらいごうえ)と阿弥陀経万部会(あみだきょうまんぶえ)が融合された融通念仏宗総本山大念仏寺最大の伝統行事の通称名です。聖聚来迎会は無量寿経の中の「その人、寿(いのち)が終わる時にあたって、私は極楽浄土から二十五菩薩を従えて、その人を迎え
高岡御車山祭(たかおかみくるまやままつり)高岡関野神社(富山県高岡市)五月一日高岡御車山は天正16年(1588年)太閤豊臣秀吉が、後陽成(ごようぜい)天皇と正親町(おおぎまち)上皇を聚楽第(じゅらくだい)に迎え奉るときに使用したもので、加賀藩初代藩主・前田利家公が太閤秀吉より拝領し、二代藩主・前田利長公が慶長14年(1609年)に高岡城を築くにあたり、町民に与えられたのが始まりと伝えられています。京都祗園の祭礼にならって鉾山に改造され、高岡関野神社の祭礼日に神輿とともに曳廻されている