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平成13年(2001年)3月~同年10月いわゆる筑豊本線50系普通客車列車ダイヤ概要(鹿児島本線・筑豊本線)(筑豊本線普通客車列車2)【投稿日令和6年4月27日】1はじめに#458のブログで、平成13年8月に廃止まであと2か月を切った筑豊本線50系普通客車列車(下記参照)に一人で乗りに行った時(最後から2番目の乗車)に自分で撮影した写真をとりあえず掲載しましたが、ダイヤについては記載を省略しましたので、今回のブログでは、ダイヤ概要等について記載しようと思います。<
平成13年(2001年)8月筑豊本線50系普通客車列車&ムーンライト九州等【投稿日令和6年4月20日】【追記令和6年4月21日】1はじめに個人的事情で恐縮ですが、私の場合、令和2年8月にブログ等を開始するまで、乗り鉄は何度もしていましたが写真を撮る、ということをほとんどしなかったため、令和2年7月以前に自分で撮影した鉄道写真はほぼ皆無の状況です。しかし、平成13年8月に、廃止まであと2か月を切った筑豊本線50系普通客車列車に一人で乗りに行った時(最後から2番目の乗車
上の画像の大分車両センターに所属しております415系電車は、現在は全車1500番台のステンレス車となっておりまして、14編成56両が所属しております。九州における415系電車は、令和4年9月改正に伴いまして、大分車両センター・鹿児島車両センターに所属しておりました鋼製車が全車運用を離脱、現在は徐々に小倉総合車両センターにおきまして解体が行われておりますし、ステンレス車の1500番台に関しましては南福岡車両区所属車が全車大分車両センターに所属、集中配置の形が取られるに至っております。
JR九州のキハ31形気動車は、国鉄分割民営化の直前であります昭和61年に登場しておりまして、以来JR後も製造を続けまして、最終的には23両が製造された気動車でもあります(うち1両がくまがわ鉄道に譲渡→その後廃車となっております)。このキハ31形気動車の特徴と言いますと、「バス=列車」と言ってもいいような形であるのが特徴でありまして、実際にキハ31形気動車のドアはバス用の折戸式である事、車内の機器類に関しましてもバスの部品が使用されている事が上げられております。また、これら車
博多~飯塚~直方~折尾~黒崎間の総称であります「福北ゆたか線(篠栗線・筑豊線(桂川~折尾間)・鹿児島線(折尾~黒崎間))」では、この区間を運行します快速列車が3両以上での運行となっておりまして、快速列車の乗車定員を増やしております。この「福北ゆたか線」では、近年利用者が増えてきておりまして、特に博多~篠栗間は沿線の宅地化もありまして乗車率もかなり高いのも特徴であります。また、快速列車となりますと普通列車とは5分(博多~篠栗間)ほど早く短縮されますので、快速列車停車地の所にお住まいの
1月から勤務先が異動して、朝が早く夜が遅くなったので、休みの日にまとめてブログを更新します。今日はキハ47ネタを多く拝見の予感…12年前、現在は「若松線」と呼ばれる若松-折尾間を乗りに行きました。キハ4773[本チク]かつてはセキ車が多数発着し、若松機関区・若松車両センターも存在した若松駅構内、「盛者必衰」…[本チク]って何だよ…私の中では今も[門カタ](=直方気動車区)です。国鉄最晩年の駅名標と思いますが、「国鉄書体」に少しホッとしました。画像全て20
4月4日。実質的に春休み最終日です。(ホントの最終日は7日ですが、5日は研修他で出勤、その後7日まで西日本遠征するので・・)いつものことですが、旅以外はろくに何もしないで終わったような・・・。さて、12月27日。平成筑豊鉄道の旅を終えて、田川後藤寺駅に来ました。ここからこれ乗ります。キハ40の単行列車です。距離が短いのでロングシートに座っていきました。そして、後藤寺線を全区間乗って新飯塚駅へ。ここから電車に乗り換えです。813系3両
2024年2月19日、北九州に所用で伺いました。折尾から筑豊本線を北上し、北側の終点、若松駅に向かいました。当日は暦の上では春まだ遠い2月半ばでしたが、実際の気候では前日は暦に似つかわしくない暖かい日だったもので、その翌日であるこの日の大雨にはすこし戸惑ってしまいました。日中は30分間隔の運転なので、それなりに出発を待ちわびる客で賑わうという予測に反して、ロングシートの2〜3割が埋まる程度で折尾駅を出発。ご存知の通り筑豊本線はかつて石炭積み出しのため線路も複線化されており、閑
2011年3月25日に福岡県の筑豊本線直方駅近くで写したJR九州「OMNIBUS」です。このオムニバスがバスの語源だそうです。
こんばんは。その1の続きです。桂川駅に来ました。前日から降り積もった雪が残っている中、DEC741形が到着します。試9625D試運転・博多行きDEC741形E1桂川駅では後続列車が先に出発しましたので、吉塚駅に先回りしてきました。試9625D試運転・博多行きDEC741形E1そして、小倉総合車両センターからの出場スジで何か下ってきているようでしたので、竹下駅で撮影しました。現れたのは415系8両編成でした。南福岡車両区に常駐している415系を、所属先の大分車両センターか
おはようございます。この日はDEC741形による検測が、篠栗線・筑豊本線で行われ、HKT48の劇場公演のため福岡に来ていましたので撮影しました。まずは、篠栗線原町駅での撮影です。試9622D試運転・飯塚行きDEC741形E1そして篠栗駅で後続列車が追い抜きましたので、筑豊本線天道駅に先回りしました。試9622D試運転・飯塚行きDEC741形E1この日の検測は筑豊本線飯塚駅まででしたので、折り返してきたところを桂川駅で撮影しました。それでは、その2・終に続きます。ご覧
『京都市電ロマンカレンダー』に画像を提供頂いている「京都の市電昭和を歩く」「京都市電が走った街今昔」の著者の福田静二さんの、出版物になっていないものの展示会などで展示されている貴重な蒸気機関車の画像を提供いただき『蒸気機関車カレンダー』を連載します。ボタ山をバックに古豪の蒸機が行く筑豊本線では、まだ石炭列車が走っていた筑豊本線中間(なかま)~筑前垣生(ちくぜんはぶ)簡単にカレンダーが作れるテンプレートはこちらボタ山とは石炭を選炭した時に出る石や質の悪い石炭の
こんばんは。三好鉄道です。九州鉄道旅の旅3日目(1月8日)は小倉駅からスタートし、JR日田彦山線(城野駅~添田駅、39.5㎞)JR後藤寺線(田川後藤寺駅~新飯塚駅、13.3㎞)平成筑豊鉄道糸田線(田川後藤寺駅~金田駅、6.8㎞)以上の3路線を「完乗」し、新飯塚駅からJR筑豊本線(福北ゆたか線)の電車に乗って直方駅に着いたところまでを昨日のブログに書き綴りました。今日は直方駅から旅の話を再開します。11時1分、直方駅に着いた後は1番線ホームに停車している、11時4分発の
新入から列車で勝野へ移動して、徒歩で勝野~小竹間の陸橋の上での撮影写真はDD51+50系客車当時の筑豊本線は客車列車が多く運行されていましたこちらは上記写真の反対側(勝野側)でキハ45+キハ47の列車を撮影キハ66.67の普通列車を撮影当時、直方~博多間の列車の多くはキハ66.67で運用されていましたDD51+50系の客車列車徒歩で小竹方面へ移動しながらの撮影当時の筑豊本線は全線(若松~原田)で客車列車が運用されていました
黒崎から新入に列車で移動して撮影7月15日のダイヤ改正で久大本線に新規投入されるキハ185系が留置されていました185系は当初久大本線で使用する車両は直方気動車区に配置されていましたこちらはマニ50とキハ52の写真
ご訪問ありがとうございます!【⠀乗車:2021.12.26】筑豊本線の折尾〜直方間の続きです。↑直方駅【JC19】【起点(若松)から24.8km】JR側JR側は島式ホーム2面4線、平成筑豊鉄道側は頭端式ホーム1面2線で、橋上駅舎を有しています。JRと平成筑豊鉄道伊田線との共用駅です。直方運輸センター(車両区、乗務員区とも)、それらを統括する筑豊篠栗鉄道事業部と隣接しています。直方市の代表駅で、新飯塚駅とともに、筑豊本線(福北ゆたか線)の主要駅ともなっています
かつて九州には、バスに使用されている部品を使用しました気動車であります「レールバス」が昭和時代から存在しておりまして、閑散線区を中心に活躍する姿が見られておりましたが、昭和60年代~平成時代にも同じくバス部品や廃車発生品の部品を使用した気動車が存在しておりました。それが、キハ31形気動車でありまして、国鉄末期の昭和62年に登場しまして、そしてJR化後の昭和63年まで製造されました気動車でありまして、以来、香椎線・篠栗線・筑豊線・日田彦山線・久大線・日南線などで活躍しておりましたが、
折尾駅は北九州市八幡西区にある鹿児島本線と筑豊本線の駅です。現在は新しい高架駅が完成しているようですが、それ以前はとても風情のある駅でした。完璧な駅でした。高架駅になる前の折尾駅はとてもとても有名で、詳しい歴史は他のサイトにいろいろ書いてあるでしょうからここでは省略しますが、有名な東口駅舎は大正5年完成、筑豊本線と鹿児島本線の立体交差は1895年(元号の年はわかりません、調べてください)完成で日本で最も古い立体交差駅だったそうです。ここを初めて訪れた時に「これはすごいなー」と衝撃
若松~原田間を結びます筑豊線は、現在それぞれの通称が付けられておりまして、折尾~若松間を「若松線」、(黒崎・)折尾~桂川(・博多)間を「福北ゆたか線」、桂川~原田間を「原田線」と、それぞれの通称で運行されておりまして、その分運行自体も分離されております。このうちの「福北ゆたか線」と呼ばれます区間に関しましては、現在全線にわたって電化されておりまして、使用車両には上の画像にもありますように817系電車・813系電車がこの路線におきまして使用されておりまして、福岡~筑豊間を結ぶ事もあり
鳥栖機関区は短い乗り換え時間で恐らくホームから撮ったのだと思いますがそれにしても中途半端なカットですみません奥はD6025号機手前が27号機58号機は大分機関区の所属で久大本線を走っていたデフ前の上部が切り欠かれていて筑豊のD60とは少し違う印象ですねスポーク動輪は良いですね!!そして27号機には九州初日にも出会っています再掲ですが27号機は八女市立花体育館の裏手に保存されていますちょっとかわいそうな状態ですね・・・筑豊本線鳥栖機関区
青春18きっぷでは初めての春バージョン、縦に長いの本列島では気温や気候も違うのでどうなることやら始まりました。例年と特に変わったとことはないのですが、個人的にはGGY化が進んで体力がもつかどうかが怪しくなってきてます。そんな環境での青春18、今回はムリをしない行程で逝ってきました。3月7日(01)JR九州で西へ朝メシも食べ終わったので逝きますか。今日もいい天気、JR黒崎駅へ向かいます。ホームへ着いたのが9時05分、発車時刻表を見ると次の鹿児島本
ここへ行けばアレ!立ち食いうどん中央軒かしわうどん撮影日2023/11/3撮影地JR九州鹿児島本線鳥栖駅東筑軒かしわうどんちょいとお肉の量が少なくなった気がする(泣)撮影日2023/11/5撮影地JR九州筑豊本線直方駅構内ごっつぁんでした!オマケ画像
更地になっているがかつては直方機関区があった。どんな建物かは記憶にはない(5年位前に来た)ですがJR貨物の持ち物だったようです。炭鉱の輸送列車を牽引する機関車が配属され転車台もありました。施設はほとんどなくなりましたが転車台の機関車が乗る橋?は直方の線路をまたぐ跨線橋に流用され現在も残っているそうです。2023年11月5日直方にておわり
先週末前右の前腕内側の筋肉肉離れで整形外科に行き先生「2週間は休み」を1週間にまけてもらったつもりだったのですが、午前中整形外科に行ったところ「まだ痛みありようでしたら痛み引くまで休みですね」と手首反らし気味に曲げたらちょっと痛むんですよね。肉離れ。まっそう簡単には治りませんね。さて今日はスイミングスクールでリハビリキック自主練。プール入ったら午後レッスン終盤。コーチ「もう治ったんか?」と。「ぼちぼちですわ」「来年早々試合あるで。マスターズ登録しとくわ」と。終身会員なので更新手続き
昔の復刻時刻表購入。1972年3月。今ブログの昔撮影したSLの写真は1972年3月。大阪からどの列車で九州行ったかとか思い出しています。昔撮影したSLの写真。福岡県筑豊本線中間駅付近。1972年3月15日撮影。
594箱崎駅595香椎駅596福間駅597東郷駅598折尾駅599奥洞海駅600若松駅601小倉駅602徳山駅603海ノ中道駅
2001年10月6日、直方駅にて。日田彦山線での朝の運用を終えて回送されてきた、キハ66・67-4。22年前のきょう。「福北ゆたか線」電化開業日で、ワタシは「かいおう1号」の初列車に乗車したあと、折り返し普通電車で直方へ戻ってきていた。ちょうど、前日まで走っていた客レの牽引機・DD51形2両が、門司機関区へ返却回送された↓と同じ時間帯の話なんだけども・・・。『16年前、記念式典の横で・・・。』2001年10月6日、直方駅にて。「福北ゆたか線」電化開業記念式典の人垣と、門司機関区
九州遠征2日目の終りはこのネガでした左側の人達やワムなどから筑前山家駅には貨物ホームがあった事がわかりますその前のネガがD6027号機の貨物光線の具合から原田行きの下りでしょうか・・?西陽にサイドが映えます撮影地から駅までは徒歩で約1時間かかりますヘトヘトになって戻ってきたことでしょう予定表に依ればC5557号機牽引が1735レで原田まで行き佐賀からは特急かもめで長崎まで移動でした右の数字が何を意味するのか考えましたが恐らく距離計算ですね
貧乏中学生にとって高級品であったカラーフィルムなぜか冷水峠で使っていますモノクロでも良かったのでは・・・と思う写真の中に一枚だけあったのがこれ調べてみたら筑豊本線経由で走っていたキハ82系「特急かもめ」時間帯から判断すると上りの4D(4004D)を後追いで最後尾の1号車を撮ったカットだと思います佐世保駅を10時30分長崎駅を10時10分に出発佐賀駅で併結されて筑豊本線経由で終着京都駅は22時25分に到着なんと13両の長大編成だったのですね・・・
C5552号機牽引の客レです(この写真は過去に掲載ありです、すみません)原田方面は峠下りなので無煙です52号機とは前日も折尾駅で会っていますがこの後は吉松機関区そして鹿児島で働き1975年に廃車となりましたが・・・いまでもかなりきれいな状態で保存されています細かな話ですが門デフの運転席側下が切り欠かれていますね保守点検のし易さが目的だったような記憶がありますが違ったらすみませんオッサンが再会したのは12年前ですが大切に保存されていることが実感できる