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覇)三好長慶:吟風弄月の雅覇)甲斐姫:東国の明玉覇)お船:主家存続の決覇)織田信長:古今無双の将覇)立花宗茂:九州の逸物覇)本多忠勝:東国無双覇)佐竹義重:天魔鬼神の業覇)石田三成:主従三世の縁覇)島津義弘:死地後生の決覇)羽柴秀吉:出世の神様©コーエーテクモゲームス
シュウとホノカはサヤ博士とともに、戦国時代の九州へとタイムマシンで旅立ちました。そこには、城や砦が立ち並び、戦の準備を進める武士たちの姿が見えます。2人は、智略で名高い武将、立花宗茂に会いに来ました。「今日は、戦場でも冷静に知恵を駆使した智将、立花宗茂に会いに行くわよ」とサヤ博士が教えてくれました。しばらく歩くと、一人の男性が兵士たちに指示を出しているのが見えました。彼こそが立花宗茂です。ホノカが「こんにちは!」と声をかけると、宗茂は驚きつつも「おや、見かけない顔だな。君たちは誰だ?」と尋ね
先日、柳川に行ってきました!柳川って分かりますか?八女は分かりますか?八女茶の八女です!その隣が柳川福岡からだと高速で1時間かかります行った先は北原白秋の生家北原白秋に関係した数々の展示品がありますそしてもちろん柳川といえば鰻!その中でもやっぱり柳川名物せいろ蒸しですね!たまにしか食べないから思い切って松にしました!ご飯にも染み染みで、蒸してそのままなので最後まであっつあつ!食べたあとは再び歴史のお勉強!ご存知ですか?立花宗茂!年明けのNHK歴史探偵で特集され
大河ドラマでいつか立花宗茂を描いてほしいと願っています。宗茂は、豊後(大分)の大友氏の重臣から筑後国柳河藩藩主となった人なのですが、とにかくヒーロー属性のかたまりです。また、関ヶ原では徳川家康から法外な報奨で参戦を求められましたが、秀吉から受けた恩義を忘れて東軍の味方するくらいなら死んだ方がましだとして、劣勢の西軍に味方したのです。「東の(本多)忠勝、西の(立花)宗茂」と称されるほど天下無双の武将で本人だけでも話題に事欠かないのですが、周りがまた面白い。妻の誾千代は、嫡男のいない立花家の長
JR熊本駅の駅名標です。熊本城のイラストが何ともかわいいです。「へいせい」って駅があるんだね。漢字で書くと、もちろん「平成」。平成4年に開業したんだって。私が社会人になったのも平成4年ですよ。熊本駅からJR九州の鹿児島本線の各駅停車に乗車、のんびりと車窓を見ながら移動です。こういう時間って、現代人に大切だよね到着したのは、大牟田駅です。初めて来ました。もうここは福岡県です。ここから、西鉄天神大牟田線に乗ります。大牟田は、以前は三井三池炭鉱があり、石炭化学で栄えた都市です。
期間:2024/12/10〜12/17天井:100倍率:2倍初回:半額武)立花宗茂:西国無双戦)栗山善助:赤合子の託宣戦)毛利勝永:愁傷礼賛の勇武)伊達晴宗:龍脈の禍乱武)稲姫:勇壮の姫君戦)斎藤道三:簒弑の覚醒星3薬)黒田直之:心眼・参星2薬)津田秀政:専心・弐©コーエーテクモゲームス
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。はじめに↓『全国「城門」を巡る”はじめに”』「城郭建造物」の「御殿(居館)」シリーズを終えました。「御殿」には殿さまやその家族が居住したり政務を執る為の所謂「御殿」や、城主・家族の憩いの場や来客対応の…ameblo.jp「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ
ずいぶん前にも行っていたけど・・・その時は駐車場もなく何とか駐車できそうな場所を見つけぼたもちさんを見に行っていた『「ぼたもちさん」はおんな城主だった人の。。』グーグルマップでお散歩を楽しんでいたら・・・お隣りの玉名郡長洲町腹栄中学校と腹赤(はらか)小学校の間あたりで立花誾千代墓碑(ぼたもちさん)←こっち(*´艸…ameblo.jpが、最近気づいたのだが広い駐車場が出来ていた訪問者が増えたのだろうか?せっかくなので久しぶり
立花宗茂史跡巡りの続きです今回は柳川観光のメインエリアにある御花・立花家史料館柳川城跡を見学したあと徒歩5〜6分のところにある史料館に向かいましたこちらが柳川藩主立花邸・御花の西洋館や宿泊棟です五代藩主立花貞俶(さだよし)が側室や子息たちの住まいを柳川城近くのこの場所に移して以来令和の現在に至るまで立花家が受け継いできました屋敷が建てられた後この場所は季節の花々で彩られるようになったのでいつしか「御花畠(おばたけ)」という愛称で親しまれるようになりますそれが
あっという間のシフト休み。時間足りない(^o^;)全然ブログも書けてませんが、ちょっと明日から月初でヤバイ(^o^;)取りあえず少し寝ます(^o^;)写真など、しばらくお待ちくださいませ(*^^*)記念に(●´∀`●)∩
立花宗茂史跡巡りの続き今回は柳川名物グルメとちょこっと史跡巡りです12:45くらいに川下りのどんこ舟を下船した私たちは柳川名物で昼食を取ることにしました柳川では有明海の海水と筑後川、矢部川の淡水が混じり合う河口付近で捕れる天然うなぎは貴重なものとされていました身がよく締まり、風味良い磯の香りがほんのりと漂い絶品だったそうですそのため江戸時代後期ころから柳川の特産品として大事にされ柳川藩の大切な財源でしたまたうなぎのせいろ蒸しと共に柳川名物になっている柳川鍋は開い
立花宗茂史跡巡りの続きです今回は人気の柳川の川下り柳川は立花宗茂が大名として初めておさめた領地です!江戸時代に城下町として栄えた柳川は水郷の街としても知られています堀割と呼ばれる水路は昔から農業用水、防火用水、生活用水の確保にも使われていました戦国時代には防衛を目的に複雑に張り巡らされ現在は930kmもの長さがあるそうです川から柳川の街を眺めてみよう川下りをすることにしました通常の川下りは所要時間60〜70分西鉄柳川駅から歩いて5〜10分の所に乗り合い所が4ヶ所も
立花宗茂の史跡巡り今回は想夫恋の焼きそばです!真夏のように暑かったし下山の時道に迷ったこともあり思ってた以上にしんどかった立花山戦国の人たちは鎧兜を着けてあの山を走り回ってたのか…そう思うともう尊敬の念しかありません(^◇^;)ヘトヘトに疲れた私たち還暦夫婦12:45ころ立花山を出発して車で10分ほどのところにある焼きそば専門店想夫恋古賀インター店でランチしました想夫恋は大分県日田市発祥創業60年の歴史を持つフランチャイズ展開の焼きそば専門店です想夫恋ってス
立花宗茂の史跡巡り今回は立花山城跡に登山です下見に来た時に観光案内所のかたがいくつかのコースがありますが…犬のお散歩がてらに登られるかたもいらっしゃるので…とおっしゃっていたので気楽な気持ちで行きましたもちろん長ズボン、スニーカーという基本的な着用はしていましたが…ところがねこれが…しっかり登山やったんですよ立花山城は室町時代が始まるチョット前足利尊氏の家臣だった大友氏が博多湾進出の拠点として同湾が見下ろせる立花山に城を築いたことに始まります立花山城は「筑前の
久方ぶりに九州の実家へ帰ったついでの史跡巡りの続きです北九州のソウルフード店資さんうどんでお腹を満たした後実家に帰る前に立花山の下見に行きました約1時間ほどで立山登山者駐車場に到着残暑厳しい午後1時過ぎだったんですが結構な数の車が停まっていました急な坂をちょっと登り登山口の手前にお手洗いがありました黄色矢印の所が駐車場です登山口のところがY字路になっていて左の方に行くと登山道右のほうに行くと梅岳寺がありました梅岳寺は曹洞宗の古刹で室町幕府3代将軍・義満の時代に花
内容紹介(「BOOK」データベースより)島津勢の猛攻に耐え、駆けつけた秀吉に「その剛勇鎮西一」と誉め称えられた立花宗茂は、九州探題大友家の元家臣であったが、秀吉によって筑後柳川十三万石の大名に取り立てられた。関ケ原の戦いで西軍に加担した宗茂は浪人となったが、十数年後領地に戻れた唯一人の武将となった。その半生を描く話題作。立花宗茂さん「信長の野望」で使ったことがあります名前だけは知っていました奥方の女城主・誾千代さんも有名ですねさらに実父の高橋紹運、義父の立花道雪
岳城山から福岡平野と博多湾を一望する11月9日(土)のJR九州ウォーキングです。2024年の秋編ウォーキングだが、今年は10月~11月になっても、なかなか秋を実感できない。この日も朝から気温が上昇している。JR香椎線のDENCHAに乗って、10時17分に須恵中央駅に着いた。↓通常は駅前にスタート受付があるが、今回はこのような看板が立っていた。駅から3分の「須恵町役場」が受付になるようだ。須恵町役場前でスタート受付↓スマホの万歩計は須恵中央駅でセットした。役場のスター
父の米寿のお祝いで9月中旬久方ぶりに九州の実家へ帰りましたせっかく帰るので、1泊延泊してずーっとやりたかった立花宗茂の史跡巡りをしようと企みましたその時のことをまた何回かに分けて綴って行きますお付き合いいただけると嬉しいです立花宗茂って誰ってかた多いですよね(^-^;完全に歴史から消されてますからね…豊臣秀吉からは西国無双と讃えられ徳川二代将軍・秀忠からも重用された武将なのに…福岡の博多湾が見下ろせる立花城の城主でその後、柳川城主に昇格しました関ヶ原の戦いで
--------------------------------------------2024年秘密にしていること、ありすぎます。2023年10月22日--------------------------------------------心理的安全性。今の職場で必要なことですよね。2022年10月22日--------------------------------------------なんでも話すことができる環境。それが一番大事なのですよね。愛蔵版戦国
筑後柳川に領地を持つ立花茂宗は,豊臣秀吉をして東の本多忠勝に並び「西国無双」であると言わしめたほどの武将だ。その奥方のぎん千代は,「西国一美しい姫」と称された美女で、武勇にも長けた姫君という話が多く伝わっている。出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』立花誾千代-Wikipedia『大友文書』には、ぎん千代は,「城内の腰元女中、五十名ほどを訓練し、戦初めには一斉射撃をなして敵の心胆を奪う」と記されている。また『柳川藩叢書』や『旧柳川藩志』によれば,関ヶ原の戦
「立花宗茂と誾千代」のNHK大河ドラマ実現をめざす道雪会さんの講演会が6日に新宮町のそぴあしんぐうで開催されました。柳川市の金子健次市長と。流石の出で立ちです!バックスクリーンには立花山!金子市長は今期での勇退を表明されており、私から挨拶で、大河ドラマ招致に向けた金子市長のリーダーシップに敬意を表し、福岡県や柳川市、新宮町、久山町、道雪会をはじめ皆さんと共にその志を継いでいく決意を申し上げました。講演会で上演された劇には、古賀市でおなじみ劇団DAICOONでいつも共演してい
ひと月ほど前に同じ作者の歴史大作『幸村を討て』を読み、抜群の面白さにワクワクしました!そこで今回は直木賞作である『塞王の楯』を読むことにしました。しかし、真田幸村を中心に戦国最後の戦である「大坂の陣」を描いた『幸村を討て』に比べると、今回は石垣作りの職人の話かー。ちょっと地味かな?と思って読んだのですが・・・越前一乗谷城は織田信長に落とされた。幼き匡介(きょうすけ)はその際に父母と妹を喪い、石垣職人集団(飛田屋)の長・源斎に助けられる。やがて後継者と目されるようになった匡
--------------------------------------------2024年主従の関係、大切な気遣いが必要な時代。2023年9月28日--------------------------------------------謙虚な宗成、あっぱれな武将ですね。2022年9月28日--------------------------------------------宗茂、あっぱれな武将ですね。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)1,
期間:2024/09/27〜10/04天井:100倍率:2倍初回:半額武)島津義弘:雄武英略の傑武)島津豊久:知勇卓犖の壮武)井伊直政:百世の神将武)立花宗茂:西国無双星3戦)島津忠恒:心眼・参星2武)小野鎮幸:奇襲©コーエーテクモゲームス
九州定年旅行で訪れた立花宗茂の墓です。西国一のつわものと称えられた立花宗茂の立花家は現在も柳川に居住し、柳川観光の核となる立花家別邸料理旅館「御花」を経営されています。『日本で唯一泊まれる国指定名勝の料理旅館・御花:九州定年旅行』九州定年旅行では1点豪華主義という事で、ここだけは身に合わない贅沢をさせてもらいました。昼食は「夜明け茶屋」の有明海産魚の握り寿司とワラスボのから揚げ地…ameblo.jp(御花に飾られている430年前に実際に使われていた兜)大友宗麟の家
私にとって血のつながり血縁というものはそんなに意味を持っていない気がするまだ子供の頃だったらその意味はよくわかっていなかったり下手な戦国時代の血縁世継ぎの様にどこか無条件にそういったものは大切みたいなものを感じていたけれどしかしあくまで人間が肉体が本当の自分ではなくて、心だと知ってからは単なる遺伝的な繋がり肉体的なつながりそんな風な血縁血のつながりというものを感じるようになった決して先祖や先祖代々を軽んじている訳ではなく
期間:2024/09/13〜09/20天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額覇)立花宗茂:九州の逸物射)立花誾千代:雷神の継嗣射)大友宗麟:豊後の王覇)羽柴秀吉:立身出世の星武)本多忠勝:尽忠驍勇©コーエーテクモゲームス
期間:2024/09/13〜09/20天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額覇)黒田官兵衛:不撓の軍師呪)櫛橋光:錦心繍口武)黒田長政:天下取りの将戦)藤堂高虎:信望の傷痕武)立花宗茂:剛勇鎮西一武)結城秀康:睥睨剽悍星3戦)松井康之:心眼・参星2武)吉弘統幸:練磨射)太田一吉:機特効・弐©コーエーテクモゲームス
秋色に染まる水郷柳河の夕暮れ風景福岡県柳川市一帯は水郷ともいわれるように街中を縦横に掘割が走っていて、これが柳川独特の景観になっている。水辺に町並みがある、あるいは水路・運河の通る町並みというと、まるでイタリアのベネチアの景観を彷彿とさせるのだが、ことさら観光地というイメージは意外にも薄いように感じられる。柳川は戦国時代の蒲池氏の城下(柳河城)として、その後安土桃山時代には田中吉政が入府し、さらに江戸時代には猛将として知られる立花宗茂の柳河藩13万石の城下町として発展してきた由緒ある歴史
先日、図書館から借りてきた「塞王の楯」は完読しました。2週間で読み切るのには、少し骨が折れました。何かと忙しくしていると時間がとれないものですね。さて、今回は童門冬二さんの「小説立花宗茂」を借りてきました。塞王の楯の中で立花宗茂が書かれており私は恥ずかしながらこの方を存じませんでした。どんな人なのか、興味がでましたので本を探してみると童門冬二さんが書かれている小説があったので借りた次第です。本は、関ヶ原の合戦で負けてから始まります。立花宗茂は豊