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立花宗茂の甲冑を含め、柳川藩主立花邸の妖怪イベントに先日行った際に撮影した画像が、まだありましたので、アップさせて頂きます。造り酒屋を営んでいた北原白秋生家の入口です。下記のYouTubeショート動画は、柳川市に生家がある北原白秋作曲「ペチカ」のピアノ演奏動画です。以前、烏瓜のランプを作った際の懐かしい動画の再掲です。ピアノ演奏「ペチカ」#piano#ぺチカ#カラスウリ#ランプYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界
8月に入ってから忙しくて、全然公式サイトを見ていなかったのですが大垣ミニパックが再販してる!これはまたどこかで買いに行かなくてはならない。大垣ミニパックは島津デッキと西軍デッキに採用されるカードが入ってます。何枚かはずっと欲しいと思っていました。再販は嬉しいですね!始めた頃に比べればスタートデッキだけじゃなくて、なんとパックもAmazonで買えるようになったことを考えれば劇的に手に入れやすくなりました。第1弾パックと第2弾パックを大阪から名古屋まで買いに行ったのが懐かしい。第3
覇)三好長慶:吟風弄月の雅覇)甲斐姫:東国の明玉覇)お船:主家存続の決覇)織田信長:古今無双の将覇)立花宗茂:九州の逸物覇)本多忠勝:東国無双覇)佐竹義重:天魔鬼神の業覇)石田三成:主従三世の縁覇)島津義弘:死地後生の決覇)羽柴秀吉:出世の神様©コーエーテクモゲームス
このガチャも過去に吟味済みである『【信長の野望20XX噺】継承の宴・参』『【信長の野望20XX噺】継承の宴・四』継承は全部出来るかわからんから、新しい方からやっていく。先ずは隆元さん。中列敵1体術ダメ2.80+攻防デバフ50%数値…ameblo.jpが、壱(仮名)と弐もやったので……。先ずは星4戦術家毛利勝永さん・横一列味方マスずらし無効付与(自身前列時)・中後列味方攻+70%(自身中後列人)中々便利に見える。ただ、ずらしを防ぐ為には前列にスキルマスがなくてはならず、その
2020年9月21日の福岡県大川市・佐賀市諸富町・川副町・福岡県柳川市の歴史散策の続き。「柳川藩主立花邸御花」を見学した後、「対山館跡の碑」を見た後は、「柳川城跡」に向かいました。柳川藩主立花邸御花・立花家史料館(その5)・対山館跡の碑のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12883091063.html『柳川藩主立花邸御花・立花家史料館(その5)と、対山館跡の碑~福岡県柳川市の歴史的建造物・史跡』2020年9月21日の福岡県大
期間:2026/07/28〜08/05天井:100倍率:2倍初回:半額武)立花宗茂:西国無双戦)栗山善助:赤合子の託宣戦)毛利勝永:愁傷礼賛の勇武)伊達晴宗:竜脈の禍乱武)稲姫:勇壮の姫君戦)斎藤道三:簒弑の客星©コーエーテクモゲームス
立花宗茂の生き方カッコ良いから最強の戦国武将だと思う。岩屋城の戦い→父の死を乗り越え、あらゆる手段で島津勢と戦い、また島津勢を攻め返した肥後国人一揆→一揆首謀者に対し、放し打ちという決闘方式で処刑した朝鮮出兵→加藤清正ら仲間のピンチに迷わず駆け付けかつ救い出す関ヶ原→迷わず西軍に付き、西軍本隊は敗走するも、宗茂は東軍の城を落とし、また敗走中のかつての敵であった島津義弘を助けている江戸時代→将軍の前で関ヶ原では東軍諸将をやっつけ家康をもやっつけると堂々と言い放つも、大名復活。大
こんにちは、くるまやまこっちゃんです!ご覧いただき、誠にありがとうございます!今回は神戸市三宮から夜行バスに乗り、8時間30分かけて博多駅まで行き、そこから15駅ほど電車に乗り、オークション会場までお車を取りに行った帰りに行ってきました。娘(約3才)と一緒に夜行バスをデビューしてきました。着くまでぐっすり寝ていました笑娘は2歳にしてお寺や、城、神社、墓所などかなり伺っています。きちんと手を合わせます!お寺の説明を致します☆はじめは立花山にあったのですが、1587年に立花宗茂によ
戦国時代も現代も根回し、謀略、調略があってからの本番(合戦)のように感じる。(いつの時代も本質は変わらないのかも)そんな当時戦国の世の中にあって、立花宗茂の生き方は清々しいほど潔い。選択に迷いが無い。敬意、もっと深いところでは愛とも言うべきか、立花宗茂の生き方は潔い。現代の我々日本人も見習いたい立花宗茂である。
戦国時代、当時の武将達は厳しい時代を生き残る、家を残すためにあらゆる手段を用いて特に合戦に挑んだのであろう。例えば上杉謙信は毘沙門天のご加護を信じ、武田信玄は御旗と楯無に全てを委ねた。佐竹義重は毛虫を兜にあしらった。後退しない特徴にあやかったらしい。そんなあらゆる神仏、自然にどんな理由でもプラスになるなら用いた求道心には見習いたいと思う。立花宗茂も例に漏れず、兜に月輪をあしらった。摩利支天という月の神様らしい。きっと立花宗茂も神仏のご加護を祈ったのであろう。さらに宗茂は神仏超自然の力だ
近衛龍春氏作品2冊目立花は諦めず無敗の立花宗茂近衛龍春著歴史小説はネタバレで結果はわかっているけど史実からだけではわからない武将の心情は想像でしかないないので結果はわかっていても面白いです東の本多忠勝西の立花宗茂と称される大友氏を支えてた二人の名将「風神」高橋紹運の長男「雷神」立花道雪の婿「西国一の姫」と言われる城督誾千代の婿養子になった立花宗茂の無敗の武将(誾千代には完敗)の生涯戦国最強女子と言われる城督誾千代に対し側室
海外土産でうれしかったものは?▼本日限定!ブログスタンプ貿易記念日なんてあるんですね1859年6月28日に日本が横浜・長崎・箱館の3港を開港し、自由貿易を開始したことを記念する日私も貿易の仕事にかかわってきた身なのでこんな日が有るんだって知って嬉しいです人生なんて何が起こるかわからない英語が苦手で英語を使わない仕事に就きたくて技術系の仕事を選んだのにでも自分の適性がどこにあるかなんてわからない始めは嫌だった海外との仕事もだんだん慣れてきたら楽しくなって海外
立花宗茂は確かに戦に強かった。戦術はまさに神憑り的。しかし無謀なことはしなかったように思える。神憑り的な戦術の裏には、非常に現実に即した状況判断があったと感じる。それでも奇襲を奇襲で返したり、数の劣勢を跳ね除けているのは、やはり天才だと思う。一方、上杉謙信も神憑り的な戦いをしたように思う。でも上杉謙信は部下もついていけない、本当に神憑り(毘沙門天が取り憑いたような)な人だったかもしれない。上杉謙信は近寄りがたく、立花宗茂はフライクな感じ。そんな上司であるからこそ、部下も安心してついてい
戸次鑑連(戸次道雪)は立花を名乗っていない。戸次道雪→戸次ことえ(嫡女。母は問註所鑑豊と正室やりの次女の仁志姫。行年十五)、戸次政千代(次女。母は入田親誠と正室やりの嫡女の入田はつ。行年十二)、戸次誾千代(三女。母同嫡女。永禄十二年(1569)八月十三日生。慶長七年(1602)十月十七日歿。立花宗茂正室)。安武鎮政ー政勝(母は問註所鑑豊娘・仁志姫)、戸次道清(母は上におなじ)、方清(母は上におなじ。亀菊丸・戸次鎮安・方清・安武茂庵・東統番。戸次道雪猶子)→安武左太輔、安武小十郎、養
大僧正天海(311)さてここで、島原の乱の間に起きた出来事等を記述しておく。寛永15年(1638年)2月23日、薩摩藩藩主・島津家久(忠恒)が鹿児島城で死去している。前年から体調を崩し、薩摩に戻って療養していた。死因は「病死」としかなく、詳しい症状は伝わっていない。62歳であった。4月27日、家光は、沢庵のために品川東海寺を建立している。家光は、沢庵の飾らない人柄と高い知性に深く心酔するようになる。ところが沢庵は「早く京都の大徳寺や故郷の但馬に帰って静か
『シリーズ登場人物(五分でわかる登場人物動画を追加)』ご好評頂いております、住職シリーズ!時々やろうと思いますが‥画像が重たいので、登場人物(予定)も含めて、ちょっとご紹介しておきます!①トラ住職ニャン寺で1番偉…ameblo.jp――ある日の本堂。トラ住職。👉木魚。コーン……「今日は立花宗茂公の言葉を話そう。」ジャンジャン和尚。👉正座。✨✨✨「戦国武将でありますな!」メルタン住職。👉お茶ズズ……「名将ですね。」トラ住職。👉うなずく。「宗茂公は晩年――」『我、武辺
大僧正天海(308)「(寛永十五年五月十三日)立花飛騨守宗茂天草より帰謁し、しばし御前にめして、御密話ありて退く、其事は秘して伝わらず。次に松平伊豆守信綱、戸田左門氏鉄拝謁し、信綱が子甲斐守輝綱、氏鉄が二子淡路守氏経、六子三郎四郎氏照も拝謁す。此日品川御殿へならせ給ふ。信綱は夜中又平川門よりまうのぼり、二丸にいでて軍中の委細を聞えあげ奉る。」(「大猷院殿御実記」)「5月13日、立花宗茂が天草から江戸へ帰り、将軍に拝謁した。家光は宗茂をしばらくの間、御前に
伊達政宗公の地元において、ここのところ「大河ドラマ招致」活動が行われている。お膝元として知られる仙台市に加え、縁のある自治体も巻き込んで、没後記念イヤーにそれを実現すべく署名活動も始まった。私について言えば、署名を求められる機会もあったが、全く応じる気がない。気持ちとしてはどちらかと言うと反対であり、同時に疑問と興ざめな感情が湧いてくる。実は一年ほど前私は、「招致」活動の一環と知らずに、伊達政宗関連イベントに足を運んだことがあった。イベント自体はとても楽しかったが、結局大河を呼ぶ話が中
筑前立花山城レポの第3弾になります。その2のレポはこちらです。『23.03.03立花山城[争奪戦が繰り広げられた博多を睥睨する要衝]その2』筑前立花山城レポの第2弾になります。その1のレポはこちらです。『23.03.03立花山城[争奪戦が繰り広げられた博多を睥睨する要衝]その1』やっと20…ameblo.jp---------------------------------------見所となる遺構(土塁や虎口など)はブルー名前がある場所(本丸
雷神の娘主人公立花誾千代ヒロイン立花宗茂
大僧正天海(289)さて、老将・立花宗茂(72歳)もまた信綱の相談役として、信綱の陣に度々訪れていた。そして近々一揆勢の夜襲があることを予言していたのである。宗茂はより具体的に黒田陣と寺沢陣に注意を促していた。その理由は「城内に食料弾薬が不足している。一揆勢が主力を本丸に集めている。よって出撃は大江口からであろう。」との推測から、大江口に近い寺沢・黒田陣が襲撃される、と予想した。その目的は「食料弾薬の確保」である。鍋島陣も大江口に近かったので、夜襲に十分
立花宗茂と誾千代を大河ドラマに!24日、道雪会さんの講演会へ。宗茂と誾千代が歓迎してくれ、バースデーのお花まで。ありがとうございます😊ちなみに宗茂の甲冑は私が博多どんたくで着た10キロ超のもの。開会式では、宗茂の重要家臣である薦野増時と米多比鎮久、その歴史をつなぐ地元の皆さんのご尽力に触れ、大河ドラマ実現に向けて機運を高める決意を申し上げました。リズム体操協会さんの市民ふれあい大会、庄北区のグラウンドゴルフ大会、生活と健康を守る会さんの総会にも。そこから古賀市ふるさと大
辛い時は立花宗茂の生涯を思い出そう。生きる勇気が湧いてきます。今ちょっと元気の無い日本(男児)こそ、立花宗茂みたいに全く打算的でない生き方で、堂々と生きてみよう。まだ元服した頃、まだ統虎だった少年時代、戸次道雪により、誤って踏んづけたイガグリをさらに足に押し込まれた。道雪の戦国時代を生き抜く為のスパルタ教育だったらしい。が当時の常識でも、常軌を逸した行為ではないかと思われる。もしかしたらイジメに近いものかもしれない。しかし道雪死後、見事に覚醒した立花宗茂。豊臣秀吉に鎮西一と褒められた。
朝鮮出兵での日本軍のMVPは立花宗茂であることはあまり知られていない。1回目の文禄の役では最大の激戦、碧蹄館の戦いで先陣を務め明軍を壊滅させ、日本軍の勝利に貢献。(西国無双立花宗茂vs明軍精鋭騎馬隊大将李如松のマッチは激熱)互いに厭戦気分もあり、講和に進む。もし日本軍が負けいたら泥沼の戦争になっていたかもしれないことを考えると、立花宗茂の功績は大きい。2回目の慶長の役では最後の撤退戦、(韓国で映画にもなった)露梁海戦で小西行長を救出し、明・朝鮮水軍を壊滅させ、朝鮮水軍大将李舜臣
大僧正天海(278)「ほう、意外に効いているようだ。やはり外国からの援軍を期待していたのかも知れぬ。」と信綱はオランダ船の砲撃に一揆勢が動揺していることに驚いた。1月12日に江戸に重昌戦死の報が届くと、幕府は九州各藩主の帰国を命じた。これまで警戒して帰国を許さなかった次の西国大名たちである。細川越中守忠利、鍋島信濃守勝茂、立花飛騨守宗茂、黒田右衛門佐忠之、有馬玄蕃頭豊氏、有馬左衛門佐直純、島津大隅守光久。1月13日、信綱は西国大名たち
今の日本に必要な人こそ立花宗茂みたいな律儀者かもしれない。なお、立花宗茂は戦国時代、海外朝鮮も含め無敗を誇った武将である。その意味では上杉謙信よりも強いのかもしれない。(上杉謙信の神憑り的な強さも魅力的ですが)だが、最強というよりも人格者として現代日本に必要だと感じる。
太宰府まで来たからには【高橋紹運公及び忠義烈士】の皆様を慰霊しないわけにはいかない。岩屋城城主高橋紹運公✨立花道雪と共に並び立つ大友家臣団筆頭柳川初代藩主・立花宗茂公実父大友家に忠義を尽くして島津の軍勢取り巻く岩屋城を枕に壮絶な最期を遂げる豊後の方なので私の先人でもある。忠義烈士の皆様も私の先人であろう。魂から読経🙏【開経偈】【摩訶般若波羅蜜多心経】【消災妙吉祥神呪】【世尊偈】【大悲円満無礙神呪】【施餓鬼】【御真言】『四天王毘沙門天・増長天・持国天・広目天
令和8年4月25日付けで、近衛龍春さん書き下ろし「立花は諦めず」(角川文庫)が初版発行されたので、購入して読みました。表紙(カバー裏にある本書の紹介)(目次)第1章婿入り第2章友軍大将第3章島津襲来第4章独立大名第5章異国への出陣第6章矛盾の戦い第7章崩壊の下階第8章西軍参戦第9章大津城の戦い第10章お家再興(感想など)近衛龍春さんの戦国時代の武将の生涯を描いた著作は、面白く読んでいて、今までに拙ブログに4冊感想を
甲冑でどんたくパレード!「立花宗茂と誾千代」の大河ドラマを実現すべく、5月3日、博多どんたく港まつりに乗り込みました。私は立花宗茂の重要家臣・薦野増時に。15キロもの甲冑を着用し、雨が降りしきる明治通りを練り歩きました。招致運動をリードする柳川市の松永久市長、共に立花山に近い久山町の西村勝町長、道雪会の皆さんと勝鬨を上げながらアピール!もちろん甲冑は一人では着られませんね💦そして脱ぐ瞬間の身軽さは、まるでドラゴンボールのあれを外す瞬間はこうなんだろうなー、と思うほど
3月21日は予防医療勉強会初級において、古武道の風武流宗家の土居清良先生に「戦国武将から学ぶ滅びの美学」というタイトルで話していただきました。戦国武将の末裔の土居先生ならではの貴重な情報を話していただいたので、私の感想も含めて以下にのべます。「高橋鎮種は、どうして「岩屋城」で戦ったのだろうか。正直なところ、この兵力差で勝とうとするには、無理がある。一方、秀吉の援軍は既に九州へと向かっていた。いうなれば、援軍到着まで、なんとか持ちこた