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禅は“こころ”です…ほりさんの笑顔の『一🍓一🖼️』(一期一会)言葉R26.10−16【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ思いをお届けします。《心に響く…禅のことば》【美しい四季…『一🍓一🖼️』禅】《秋もの語り》10月〜11月、9月秋〜紅葉…冬〜白き足跡…春〜わかば萌え…夏〜花ひらき…【秋の香り…こころ禅】(季節を感じさせる禅のことば)🪷明月☆*~🧘♀☆*~🪷上孤峰☆*~『明月上孤峰』〔明月孤峰に上る〕(めいげつこほうにの
札幌・テーブル茶道花ひらくの山田恵です♪お花、和菓子、禅語など、茶道のエッセンスを学びながら、テーブルでおいしいお抹茶を点ててみませんか?日々にお茶のこころを取り入れてゆくと自然と丁寧な暮らしになったり気持ちが豊かになりますよ♪「正座が苦手な方」、「まずは気軽に茶道に触れてみたい」方にも月一回のペースでゆっくりお茶を楽しみながら学んで頂けるお教室です。中級、上級コースでは帛紗を使った裏千家の立礼のお点前が学べます。🍵11月のテーブル茶道
見返りは期待しないで無功徳【むくどく】ご利益は求めない何かをしたら、見返りがあるのが当然という気持ちでいると、相手が思い通りの反応をしなかったときにストレスがたまり、人との関係がギクシャクしてしまいます。禅宗をはじめた達磨大師は中国の武帝から「私の善行にはどんなご利益があるか」と尋ねられたときに、「何もご利益はない(無功徳)」と突き放したといいます。私たちは神仏に願うときも、ご利益を期待します。
禅インコさまNo.14風光日々新(ふうこうひびあらた)ワカケホンセイインコさまのキリちゃん自然が日々変化し続けているように人の心も日々変化しながら成長していくもの
昨日から、10月の禅語を取り上げているそれは、禅語を知っておくと、主客となった時に、亭主と会話する基礎知識になるからで、淡交社の「禅語ハンドブック」はコンパクトで、暇なときに眺めるのにちょうどいい今日は、このお軸を(写真はネットから借用しました)さて、何と読むでしょう今日のお軸は難しそう最初に読めそうなのは下から「天下秋」天の崩し字は、ひらがなの「て」にみえるというか、変体仮名の「て」の元の字が「天」なので当たり前「下」と「秋」は普通に
随処作主(ずいしょにさしゅ)随処作主(ずいしょにさしゅ)という禅語がある。「どこにいても、自分が主体となって生きよ」という意味で、どのような場所、どのような状況に置かれても、他人任せにせず、自分自身の心で生きなさいという教えである。私たちは、環境や状況によって、つい受け身になってしまうことがある。この場所は自分には合わない、この役割は望んでいなかった、誰かに決められたことだから仕方ない。そんなふうに、周りのせいにしてしまえば、気持ちはずいぶん楽になる。しかし、
禅は“こころ”です…ほりさんの笑顔の『一🍓一🖼️』(一期一会)言葉R26.10−15【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ思いをお届けします。《心に響く…禅のことば》【美しい四季…『一🍓一🖼️』禅】《秋もの語り》10月〜11月、9月秋〜紅葉…冬〜白き足跡…春〜わかば萌え…夏〜花ひらき…【無季の香り…こころ禅】(季節を感じさせない禅のことば)🪷不道☆*~🧘♀☆*~🪷不道☆*~『不道』(いわじ)【「言うことはない」「言わないでお
10月も半ばになって、もう11月が見えてきたので、そろそろ「炉」のお稽古が気になり始めるのは、私だけじゃないだろうな淡交テキストで「裏千家茶道点前と棚の扱い」が毎月出版されているので、それを見ていて思うのは、棚ごとに、少しづつ点前が違うので手前の数が、やたらに多いことで、それを先生に話したら、先生が笑いながら「だからお茶のお稽古には、終わりがないんだよね」とおっしゃったブログに何を書こうかなと思っていたら、最近、掛け軸のことを書くのを忘れていた。と
大阪市天王寺区坐禅の寺天正寺です。住職が講座について書くことになったのでこちらのブログは寺庭の思う事を自由に、また、お寺の行事について書いていきます。住職のブログには講座の概要などが書かれています天正寺住職日記(佐々木奘堂)~坐禅で美しい姿勢~人間本来の姿勢の探求者佐々木奘堂(じょうどう)さんのブログです。最近の記事は「君は、天から授けられた尊厳ある本性を持っているのだ(画像あり)」です。ameblo.jp禅語で行雲流水(こううんりゅうすい)という言葉があります
大愚和尚【公式】(@Taigu_gensho)onX"KanKyakka"InZen,"KanKyakka"meanstolookdownatyourownfeet.Beforecomplainingaboutothers,lookatyourownsurroundings.Let'slineupyourshoesneatlytoday,andk…x.com『敬宮愛子内親王殿下、初の青森へご出発!』💙💙💙💚💚🤔?敬宮愛子さまと秋篠
真玉泥中異(しんぎょくでいちゅういなり)真玉泥中異(しんぎょくでいちゅういなり)という禅語がある。本物の玉は、たとえ泥の中に埋もれていても、まわりの泥とは違う輝きを放っている、という意味である。美しい玉が泥にまみれれば、一見、ただの石ころのように見えるかもしれない。しかし、表面の泥をそっとぬぐってみれば、その下には、もとから変わらない輝きが確かに宿っている。玉そのものの価値は、置かれた場所がどこであろうと、少しも損なわれることはないのである。私たちも、恵まれ
雲在青天水在瓶(くもはせいてんにありみずはへいにあり)雲在青天水在瓶(くもはせいてんにありみずはへいにあり)という禅語がある。雲は青い空にあり、水は瓶の中にある。それぞれが、あるべき場所で、あるべきように、ただそのままにある――そうした自然な姿を詠んだ言葉である。雲は、空に浮かんでいるからこそ雲であり、瓶の中に閉じこめようとすれば、それはもう雲ではなくなってしまう。水は、瓶の中におさまっているからこそ、まるく形をなし、静かにたたずむことができる。それぞれのものには、それぞれ
禅は“こころ”です…ほりさんの笑顔の『一🍓一🖼️』(一期一会)言葉R26.10−13【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ思いをお届けします。《心に響く…禅のことば》【美しい四季…『一🍓一🖼️』禅】《秋もの語り》10月〜11月、9月秋〜紅葉…冬〜白き足跡…春〜わかば萌え…夏〜花ひらき…【秋の香り…こころ禅】(季節を感じさせる禅のことば)🪷吾心☆*~🧘♀☆*~🪷似秋月☆*~『吾心似秋月』〔吾が心秋月に似たり〕(わがこころ
世界はみんなありがてえ朝起きてね水を1杯飲んだらね💧じんわりと身体に染み込んで来るのがわかってめっちゃうまかったカーテンを開けたらね陽の光が差し込んできてそれが身体に当たるとぽかぽかするのねすんげー気持ち良かったのさ穏やかな風が吹いて僕の身体をさすっていくとほっとしたりして深呼吸なんてしちゃうと肺に新鮮な空気が入ってくるのを感じて『オレ、生きとるんだな』なんて思ったりして『誰家に名月清風なからん』(たがいえにめいげつせいふう
一期一会(いちごいちえ)一期一会(いちごいちえ)という禅語がある。今この瞬間、この出会いは、一生に一度きりのものである、という意味である。考えてみれば、まったく同じ一日は二度とやってこない。今日交わした家族との食事も、何気ない同僚とのやりとりも、その日、その時にしか存在しない、たったひとつの時間である。明日また同じ人と会ったとしても、それはもう「今日」とは違う、新しい出会いなのである。私たちはつい、いつもの日常を「またいつもの時間」として、なんとなく過ご
第10章華厳と象徴相互浸透の臨床象徴技法において重要なのは、象徴を解釈することではない。象徴がどのような運動を始めているのかを観ることである。そのとき手掛かりになるのが、華厳の相互浸透という考え方である。◆1|華厳は説明の宗教ではない子ども向けの華厳経の解説書に、わからなくても読むこと身体で読むことと書かれていた。私は長い間、この意味が十分には分からなかった。しかし象徴技法を考えるようになり、ようやく腑に落ちるようになった。華厳は理解されるために書かれたのでは
一以貫之(いちもってこれをつらぬく)一以貫之(いちもってこれをつらぬく)という禅語がある。ひとつの思いを、最初から最後まで曲げずに貫き通すこと、という意味である。私たちは、日々のなかでさまざまな考えや誘惑に出会う。あちらの意見にもうなずきたくなり、こちらの近道にも心が動く。そうしているうちに、自分が本当は何を大切にしたかったのか、少しずつ見えなくなってしまうことがある。器用に立ち回ることは、決して悪いことではない。しかし、その根っこにひとつの芯がなければ、行き先
華光うららです。いつもご縁賜り本当にありがとうございます「自然のせせらぎ」自然の音を聴く家のすぐ近くに川や森があれば、そこまで散歩できるのがベストですがすぐに外出することが難しい場合や都会暮らしの場合は、代わりに「自然音」を聴くようにしますネイチャーサウンドはyoutubeをはじめ、spotifyやamazonmusicなどで入手できます禅語「独坐大雄峰(どくざだいゆうほう)」「連なる峰々が望める大自然の中に、命をいただきどっしりと座っていることが、一番ありがたく、また尊い」と
知足(ちそく)知足(ちそく)という禅語がある。「足るを知る」と読み、今すでに持っているもので十分だと気づくこと、それ自体が豊かさなのだという教えである。私たちはつい、まだ持っていないものに目を向けてしまう。もっと良い成績、もっと便利な物、もっと恵まれた環境。手に入れれば満たされると思って追い求めるが、いざ手にすると、また次の「もっと」が顔を出す。これでは、いつまでたっても満ち足りることはない。足りないものを数えつづける限り、心はいつも渇いたままなのである。
不登校支援を始めて28年5歳の時からやってます(ここ、笑うとこです)不登校にもプロがいる階段の途中で出会った「人」敬老の日に姫路・書写山の麓の公民館をお訪ねしました。階段を上がる途中、「人がいる!」と思ってギョッとしました。「昭和の大修理」を成し遂げた郷土の偉人郷土の偉人、華厳宗管長および東大寺別当を務めた清水公照(1911-1999)です。清水公照|人物|NHKアーカイブスあるがままでええやないかwww2.nhk.or.jp1973年(昭和48年)から
今月は中置き五行棚薄茶風炉点前の最後の月なので風炉を客側に寄せる点前五行とは中国古代の思想で万物を構成・変化させる要素のこと棚の天板と地板の間に木柱の竹火炭の火土釜の灰金釜の金属水釜の水五行の全てが存在しているので五行棚という棚の柱の竹は節の数が決まっており後ろが1つ向かって右が2つ左が3つ棚のサイズは大板と同じ棚の上に棗を荘り水指で入る水指は細い物を棚の左側に半掛りで斜めに置く置く際の足運びも斜めを向く様に最後の右足爪先を斜めに向け左足を揃える茶碗
禅は“こころ”です…ほりさんの笑顔の『一🍓一🖼️』(一期一会)言葉R26.10−9【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ思いをお届けします。《心に響く…禅のことば》【美しい四季…『一🍓一🖼️』禅】《秋もの語り》10月〜11月、9月秋〜紅葉…冬〜白き足跡…春〜わかば萌え…夏〜花ひらき…【秋の香り…こころ禅】(季節を感じさせる禅のことば)🪷悠然☆*~🧘♀☆*~🪷見南山☆*~『悠然見南山』〔悠然として南山を見る〕(ゆうぜんとして
心静自然涼(こころしずかにしてしぜんにすずし)心静自然涼(こころしずかにしてしぜんにすずし)という禅語がある。心が静まれば、外の暑さそのものは変わらなくとも、自然と涼やかな心地になる、という意味である。夏の暑い日、汗をぬぐいながら「暑い、暑い」とくり返せば、それだけで余計にいらだちがつのってくる。反対に、少し立ち止まって深く息を吸い、ゆっくりと吐き出してみると、不思議と気持ちが落ち着いてくる。気温という外の事実は同じでも、心の持ちようひとつで、感じ方は
不老門前日月遅(ふろうもんぜんにちげつおそし)不老門前日月遅(ふろうもんぜんにちげつおそし)という禅語がある。不老とは、かつて洛陽の城をとりまいていた門のひとつの名である。その門の前では、太陽も月も、ゆったりとした足取りで動いていく。時の流れがゆるやかで、何とめでたいことか。そう詠んだ言葉である。私たちはふだん、時間に追われて生きている。予定はぎっしりと詰まり、次から次へとやるべきことが目の前を通り過ぎていく。そんな慌ただしさの中では、一日一日がただ過ぎ去るだけ
禅は“こころ”です…ほりさんの笑顔の『一🍓一🖼️』(一期一会)言葉R26.10−8【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ思いをお届けします。《心に響く…禅のことば》【美しい四季…『一🍓一🖼️』禅】《秋もの語り》10月〜11月、9月秋〜紅葉…冬〜白き足跡…春〜わかば萌え…夏〜花ひらき…【秋の香り…こころ禅】(季節を感じさせる禅のことば)🪷悠然☆*~🧘♀☆*~🪷見南山☆*~『採菊東籬下』❲菊を採る東籬の下❳(きくをとるとお
10/8俳句に懸けた50年、最後の一句/松尾芭蕉松尾芭蕉が人生最後の句を詠んだのは、元禄7年(1694年)10月8日のことです。「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」芭蕉の辞世の句として知られる一句です。旅先の大坂で病の床につきながら、夢の中ではなお枯野をかけめぐっている。この句を最後に、4日後、芭蕉は50年の生涯を閉じました。俳句に命を懸けた芭蕉の神髄が、最後の一句に残されています。【今日の一言】「学人第一の用心は先づ我見を離るべし」(がくにんだいいちのようじんはまずが
まると学ぶ、禅の教え⑨しあわせになろう「私たちは元々何も持っていない」だから、自分のまわりにあるものは、何もいらない。そう考えると一転して見えるものすべてが自分のものになる。朝が来ること、雨が降ること何が起きてもハッピー。
禅インコさまNo.13守破離(しゅはり)ウロコインコさまのヴィーヴォくん最初は師匠の教えを守り、自分の個性を創造したのちに、師から離れて自立すること
今日も目が覚めた😋有難い🙏『無一物中無尽蔵』何1つない中に、無限の物が生まれる。1度全てを手放すと執着心が晴れ、その先に、豊かな世界が広がっているという意味。無から有を生み出す。何もないと思っていても実は無限の可能性を秘めている!執着が、自分を縛りつけている。手放し、身軽になる事が大事😋今日も良い日だ有難う(*^◯^*)
吾心似秋月(わがこころしゅうげつににたり)吾心似秋月(わがこころしゅうげつににたり)という禅語がある。「わたしの心は、秋の夜空に浮かぶ月に似ている」という意味である。雲ひとつない秋の月は、何にもさえぎられることなく、澄みきった光をあたり一面に注いでいる。そのような澄んだ心の境地を、静かに言い表した言葉である。私たちの心は、ふだんはさまざまな思いでくもりがちである。怒りや不安、人と比べる気持ちや、過ぎたことへの後悔。そうした雲が幾重にも重なると、本来の心の輝きは見えなく