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徳山焼経(とくさんしょうきょう)机上の学問には限界がある(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))徳山が悟ったのは、いくら文献的な学問を積んでも、体験を深めて得た心理に比べればまったく意味をなさないということでした。(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))この禅語は、唐代の禅僧として知られる徳山宣鑑(とくやませんかん)の逸話から生まれたものである。詳しい逸話を紹介するといいのだが、長くなる
現代の忙しい生活の中で、心の平穏を見つけることは難しいと感じることが多いでしょう。そんな時にぜひ手に取っていただきたいのが、鈴木裕の『無』です。この本は、内なる静寂を見つけ、心の平穏を取り戻すための具体的な方法を教えてくれます。本書の概要『無』は、鈴木裕が瞑想の実践を通じて得た洞察を元に執筆した書籍です。本書では、心を無の状態にすることの重要性と、その方法について詳しく解説しています。鈴木裕は、禅の教えと現代の心理学を融合させ、誰もが実践できる瞑想のテクニックを紹介
おはようございます☀️フラットかこです😊本日もご覧くださりありがとうございます🙇♀️5/19〜5/23までの開運メッセージです💓こちらをご覧くださっている方は♡ピン!と来られたメッセージをお受け取りいただき✨今必要な言葉として、少しでもより良い潜在意識の書き換えにお役立ていただけましたら幸いです🥰✨🌸✨🌸✨禅の考え方はとてもシンプルです!今ここに意識を向けるだけ✨ネガティブな感情や思い込みもこの一瞬一瞬意図して自分でうまく客観視する事で脳内の混乱に
井川晴深(いがわはるみ)です。6月1日(土)はブランチ仙台にて開催の癒しのイベントに出展します。占い、ハンドメイド小物、ボディケア、スイーツ、クリスタルボウルの音浴など様々なブースがそろいます。日頃の疲れを癒しませんか?【BlissfulTime〜癒しのひととき〜】2024年6月1日(土)10:00〜16:00会場ブランチ仙台ウエスト丘の商店(イベントスペース)仙台市泉区長命ヶ丘2-21-1
「不思善不思悪」(ふしぜんふしあく)〜善も悪も思わず〜「不思善不思悪」でワンポイントコーチング「不思善不思悪」(ふしぜんふしあく)現代社会では、ストレスや悩みが日常の一部となっています。そんな中、禅の教えが心の平穏を取り戻す手助けとなるかもしれません。「不思善不思悪」(ふしぜんふしあく)という禅語をご存知でしょうか?これは、道元禅師が教えた言葉で、「善も悪も思わず」という意味を持ちます。今回は、この禅語の意味と、その実践方法について解説します。
『感謝してます☆彡』☆活学新書山岡鉄舟修養訓☆臨済宗全生庵住職平井正修さん著より【冷暖自知】《水ノ口中、二入冷暖自知、スルガ如シ》(みずのこうちゅう、にいり、れいだんじち、するがごとし)山岡鉄舟(水が冷たいか温かいかを知りたければ、実際に飲んでみればよい。)ここにある「冷暖自知」はよく使われる禅語。置いてある水が温かいか冷たいかといわれても見ただけではわからない。ではそれを知るにはどうしたらいいかというと、手を突っ込むか飲んでみればいい。そうす
滅却心頭火自涼(しんとうめっきゃくすればひおのずからすずし)心を無にすれば災暑も気にならない(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))「心安らかに坐禅をするのに、必ずしも深山幽谷といったような環境や条件は必要ではない。心を無にすれば、火もおのずから涼しく感じられるものだ」この言葉は、甲斐(山梨県)の恵林寺(えりんじ)が織田信長軍によって攻撃され、住職の快川紹喜(かいせんしょうき)が百余名の寺僧たちと山門の楼上に追われて火を放たれたときに唱えた
俱胝堅指(ぐていじゃし)物まねで真理はつかめない(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))俱胝和尚にまつわる逸話から生まれた禅語である。俱胝和尚は、いつもむ質問を受けると、ただ一本の指を立てていた。お付きの小僧から、どんな教えを説いているのかと尋ねられたとき、いつもどおり、指を一本立てた。そのとき、小僧は俱胝和尚のまねをして、一本の指を立てると、俱胝和尚は指を切り落としてしまったという。なんとも恐ろしい逸話である。
広辞苑より茶の湯客を招いて抹茶を点て、会席の饗応などをすること。茶会。茶の会。また、その作法。茶道茶の湯によって精神を修養し、交際礼法を極める道。(抜粋)ネットより抹茶を点てて、お茶を飲むという行為は両者に共通しますが、茶道はお茶を点てることを通して自身の精神を修養するということに一番の主眼が置かれている一方で、茶の湯にはもっと気軽にお茶を楽しむこととお客さんをもてなすことに主眼が置かれています。お茶を楽しみたい時は茶の湯、お茶を学んだり精神を磨いたりしたい時は茶道と考えています
「一華開五葉」自己成長を促進する「一華開五葉」でワンポイントコーチング「一華開五葉」(いっかごようをひらく)現代社会において、ストレスや悩みは日常の一部となっています。仕事のプレッシャー、人間関係の問題、将来への不安など、心の平穏を保つのは難しいものです。そんな時、禅の教えは心の安定と成長へのヒントを与えてくれます。その中でも「一華開五葉」という禅語は、特に私たちの心に響く言葉です。一華開五葉とは?「一華開五葉」は、華(はな)一つが
不安と思っていることの9割は起こらない心配事の9割は起こらない心配事の9割は起こらない―――減らす、手放す、忘れる「禅の教え」三笠書房電子書籍Amazon(アマゾン)といった傾向の題名の本がいくつもあります。おかもんのライブ法話で紹介されていました。知識として知っているけど全然使えていない自分を発見。未来や過去ではなくて今という話もよく聞きますがこれも使いこなせていない知識です。一言でいえば「考えても仕方のないことは考えない」ということですがなるほど、そうかぁ〜❣
白雲抱幽石(はくうんゆうせきだく)閉じ込められた仏性を守る(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))幽石の「幽」の字を広辞苑で引くと、「かくれひそむこと。とじこめること」と出ています。石にはなにが隠れ潜み、閉じ込められているのでしょう。たぶんそれは、私たちがだれでも持っているという仏性(仏になる可能性)です。(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))仏性。仏になる可能性。とても、私には恐れ多いし
随処作主立処皆真(ずいしょさしゅりっしょかいしん)懸命に生きれば必ず光明が見える(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))「どんなところであれ、主体性を持って懸命に生きれば、その場所が真実を顕現するところとなる」(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))自分が輝ける場所はどこか。なかなか答えが見つからず、就職しても、すぐに辞めて、新しい会社に就職する。しかし、その会社も違う。いつかきっと見
百丈野鴨子(ひゃくじょうやおうず)なりきることが大事(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))禅では相手や対象物に「なりきる」ことを教えます。坐禅は無になりきるためにするのです。(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))この禅語は、背景の逸話を紹介しないと説明が難しいが、かなり長くなるので、この禅語の教えから、自分が感じたことを綴りたい。ものまねではないが、なりきることが大事との教え。
「独坐大雄峰」(どくざたいゆうほう)今この瞬間を生きる禅の教え「独坐大雄峰」でワンポイントコーチング「独坐大雄峰」(どくざたいゆうほう)禅語「独坐大雄峰」(どくざたいゆうほう)は、禅の修行や悟りの状態を表す言葉です。この言葉は、一人で座っている姿を雄大な山の頂上に例えています独坐大雄峰:今この瞬間を生きる禅の教え禅語「独坐大雄峰(どくざだいゆうほう)」は、臨済宗の禅僧である百丈禅師が弟子に問われた際に使った言葉とされています。この言
把手共行(はしゅきょうこう)敬ってともに歩む(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))いまこそ、競争から共存へとかじを切るときではないでしょうか。「把手共行」の精神が必要とされていることを感じます。(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))共に手を取って歩む。夫婦がまさにそうである。自分だけで生きる。他人の力は必要ないという考え方の人もいるだろう。それは、間違いではないにしても、
日本に住んでいるなら日本流で覚醒しませんか覚醒とは、単に意識レベルを高めることではありません。真の覚醒とは、自分自身の本質を理解し、より高い意識状態へと目覚めることです。日本には、古くから受け継がれてきた伝統、文化、精神性があり、それらは覚醒への道を照らす光となる可能性を秘めています。以下、日本流覚醒のヒントとなる5つの鍵をご紹介します。1.自然との繋がり日本人は古来より、自然を敬い、自然と共に生きる文化を育んできました。自然と一体化する感覚は、心を落ち着かせ、内なる声に耳を傾ける
逢仏殺仏逢祖殺祖(ほうぶつせつぶつほうそせっそ)いかなる権威にもとらわれるな(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))ここでいう「殺す」とは、「乗り越える」というほどの意味に解釈すればいいのでしょう。(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))その対象が権威化されて自分を縛るような存在になったら、自らその権威を乗り越えて自由にならなければならないと言っているのです。(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉
白馬入蘆花(はくばにゅうろか)一人ひとり生き方は違う(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))「真っ白な馬が、真っ白な花を咲かせて群生する蘆の中に入っていく」真っ白な馬が一面真っ白な蘆の中に入っていけば、城と白が溶け込んで見分けがつきません。絵に描けば、白一色です。白という視点で見れば、馬も蘆も一緒です。(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))白い馬、白い蘆。どちらも白い。見分けがつかない。
平等即差別(びょうどうそくしゃべつ)差別即平等(しゃべつそくびょうどう)区々別々であっても存在としては同じだということを、仏教では「平等(びょうどう)」といいます。(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))しかし、別の視点で見れば、馬と蘆はまったく別物です。平等ではあっても万物が区々別々に存在しているということを、仏教では「差別(しゃべつ)」といいます。そして、私たちがちがうものを見るとき、平等と差別両方の視点を持たなければならないとして、平等
サマーディ(samadhi)の実践体験サマーディについて真我実現のマスターババジはこう語ります。ニルヴィカルパ・サマーディ(NirvikalpaSamadhi)になる前には、ヨーギーはすべての創造物が溶けていくのを体験します。身体、周囲、宇宙、すべてが溶けて、何も残りません。存在の意識以外は何も残りません。そして、他に知るべきことは何もない、見るべきことは何もない、理解すべきことは何もないことに気づきます。ただ自分の中に留まるのです。それがヨーギがニ
◆5/12(日)統心オンライン講演会2024第2弾◆春の風が心地よい毎日ですが、皆さんいかがお過ごしですか?いよいよ今週末の日曜日です。統心のオンライン講演会。2024年シリーズの2回目。毎月、京都・大阪の定例ヌース教室を通じて開拓してきた「顕在化の叡智」を全国の皆さんと分かち合う会です。今年は2013年(顕在化スタートの年)から数えて12年目、最終ゴールである「入神(2037~39)」に向けての折り返し地点であり、「自己側12年」の最終年となります。「最
「一行三昧」目の前の行為に完全に集中一行三昧でワンポイントコーチング一行三昧:禅の教えと現代生活における応用禅の教えには数多くの智慧が含まれており、その中でも「一行三昧」(いちぎょうざんまい)は特に興味深い概念です。この禅語は、一つの行動に深く集中し、そこに完全に没頭することで、日常の雑念や煩悩を超越した精神状態を達成するという教えを表しています。一行三昧とは何か?一行三昧は、一つの行為に全ての心を注ぎ込み、その行為そのものに集中することで、
婆子焼庵(ばすしょうあん)答えは二者択一だけではない(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))二者択一で答えなければならないと思い込む私たちの心に警告を与えているような気がします。私たちは二者択一という思考の選択肢から解放され、自由に第三の道を考えればいいのではないでしょうか。(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))この禅語の背景を紹介すると、かなりの長文になってしまうので、著書から一部引用し、い
「無意識の世界」、苦しみから抜ける時…「不安」から「大丈夫」へ!自分の人生を取り戻す!☆3度のウツを完全脱出、無意識界を探究して13年☆無意識シグナル開通師二宮そらですプロフィールはこちら無意識シグナルを開通されているムイトモの皆様、こんにちは~!(まだ開通されていない方はこちらで開通方法を公開中です。)いつも記事をお読みいただき、ありがとうございます。人が苦しみから抜ける時・・・必ず1つの法則があります。今日は、その謎に迫りますね。
ほんのつい最近まで使っていたあれやこれ。もう使わないからと一気に片付けて捨てる。え?もう要らないの?使わないの?ってなるような物を、手放すスピードの速さ。明らかに👨似だな。努力した証♡迷いがなくて潔い。迷っている時間ほど無駄なものはなくて🫠考えるならやってみてから考えよう。必要になったらまた買えば良い。手に入れれば良い。心配事の9割は起こらない―――減らす、手放す、忘れる「禅の教え」三笠書房電子書籍Amazon(アマゾン)「もう傷つきたくない」あなたが執着を手放して「
迷己逐物(おのれにまよってものをおう)物ではない価値基準をつくれ(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))物を所有すれば、心が満たされる。でも、いくら物を持っても、心は満たされないときもある。お金持ちの人はお金がたくさんあるから、さぞかし幸せだと羨ましいが、いつ失うかわからない恐怖にも怯えている。だから、寄付をしたり、社会貢献をして、つまり、善いことをして、心を満たす人もいるだろう。それが心からの自然な行動であればい
ご覧いただきありがとうございます。共働きしながら小学生男子2人(6年生、4年生)とパピヨンを育てながら管理職を目指す母のブログです。今日もお疲れ様です。連休の最終日はカラオケに行きましたはぁー、行く前に公文を5枚させたら…予約時間ギリギリカラオケ入ったら「何飲む?何食べる?何歌う?」接待モード気をつかう1人で来た方が良かった⁉️でも、フリータイムで3時間半大声で歌えてよかったですミセス、良いわぁいい歌詞だわ毎朝聞こう4月から、管理職が代わり、
掬水月在手(みずをきくすればつきてんにあり)仏の慈悲はだれにでも及んでいる(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))「水を手ですくえば、月は手のひらに宿る。花をもてあそべば、その香りは衣服に染み込む」唐の詩人、干良史(かんりょうし)の詩の一節で・・・。(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))仏の慈悲は、いつ・どこででも、あらゆる人に注がれているのです。そして私たちは生かされているのです。「感謝」という言